呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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それが例え、偽りによる賛美だったとしても、乾いた心を潤すにはそれで充分だった。


第二十三話 認められるということ

 十月になり、夏の暑さもすっかり過ぎていった。あの夏休みの事が遠い昔の様で、けれど体感的には最近の様にも感じる。遅れて登校したものだから、無駄に注目を浴びてしまったものだ。

 

 あれから結局冥冥さんは東雲家に追加のギャランティを請求したようで、祖父はまるで小遣い感覚で大金を支払っていた。本当に金銭感覚が狂っている。何なら私自身もその感覚に汚染されつつあり、危機感を覚えたばかりであった。

 

「涼しいわねぇ。このまま此処で寝ていたい」

 

 紅葉を眺め、縁側で座りながら風を感じる。冷たい風を感じながら、私は目を細めた。心地の良い風。こんな日はスケッチするに限る。今丁度良く目の前に綺麗で鮮やかに咲き誇っている紅葉がある。午後から任務があるが、それでも午前中であればこの紅葉くらいは描けるだろう。ただでさえ夏休みは任務で丸潰れしてしまったのだ。こうやって巻き返さないと受験に間に合わない。

 

 夏休み明けの二葉の絵は本当に成長していた。きっと夏休みずっと絵を描いていたのだろう。手の側面の黒炭が全てを物語っていた。夏休み全てを任務に費やしてきた私と夏休み全てを使って絵を描いてきた二葉。私たち二人の差が開くのは当然であった。

 

 けど、分かってるけど、悔しいのは本当だ。

 

 二葉は凄い。凄いからこそ負けたくない。今からでも描けなかった分を取り戻す。

 

 冷たい風が吹き、紅葉の葉が縁側に入ってくる。けれどもそんなことはどうでも良い。今すぐにでも描かなければ。

 

 スケッチブックを開き、鉛筆でアタリを付けていく。久しぶりに筆を取った──なんて事は勿論ないのだが、それでも人物画ばかりで風景画。況してや植物なんて此の所描けていなかったから少しだけ感覚が鈍っている。

 

 木の幹は、どの細さだっけ? 葉はどの薄さだっけ? 色合いはどう表現すれば良いんだっけ? そんな事を考えながら真っ白な紙に描いていく。いくら記憶を無くしても絵の描き方は忘れたくはなかった。

 

 ズキズキと鉛筆を持っている手が痛む。包帯で覆われた手は未だ怪我が治る気配はない。

 

 一つ怪我が治ればまた新たに怪我が増えていく。いつまで経っても私の体に肌色の面積が増えていかない。包帯と、ガーゼと、痛み。こんな激痛の中、呪霊を祓うのは容易な事ではない。攻撃を受ける度に、体が叩きつけられる度に、体の節々が悲鳴を上げる。成る程、こうして見れば家入さんの重要性がまざまざと思い知らされる。

 

 どうして私に反転術式が使えなくなったのか、その原因は未だに分かっていない。五条さんや伊地知さんも色々調べてくれているらしいが、進捗は思ったほど進んでいなかった。私自身屋敷の書庫を調べてみたり比較年老いた使用人の人に聞いてみたりしたのだが、矢張りなんの成果も上げられないでいた。此の儘反転術式を使えないのだったら、もしかして私はいつか死んでしまうのではないか? そんな事を毎日の様に考えていた。

 

 治療する度に申し訳なさそうな顔をする家入さんの顔が脳裏に焼き付いて離れない。家入さんは決して悪くないのに、そんな顔をさせてしまっている自分が、とても情けない。本来なら大丈夫だよと安心させてやるべきだと言うのに、今の私には家入さんにかける言葉が見当たらなかった。

 

 絵を描いていると、色々と余計な事を考えてしまう。今の状況を父が見れば、きっと「絵だけに集中をしろ」と言うのだろう。そんな光景が、目の前に起こっているが如く鮮明に想像ができる。

 

 想像して、けれど虚しくなって思考を放棄した。何を考えているんだ。今の父が、私に何か言葉を掛けてくれるわけないじゃないか。馬鹿じゃないの、私は。

 

 それから逃げるように、考えない様に筆を動かした。それは一種の現実逃避なのかもしれない。けれどそれでも良かった。これ以上考えてしまうと駄目になってしまう。

 

 完全に心が壊れてしまう。それを自覚出来ているうちは、まだマシだろう。これが完全に無意識に壊れてしまえばもうお終いだ。救いようのない、ただの傀儡。私は死んでもそんな人間にはなりたくなかった。

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 深夜三時。任務が終わり漸く帰ってきた私は崩れる様に柱に体重を預けながら畳へ座る。丁寧に包帯を巻いたつもりが、何かの拍子で傷口が開いた様で、畳が血で汚れてしまった。本当なら包帯を変えてから布団に入った方が良いのだが、けれど今の私にはそんな気力がある筈もなく、私はそのままもう敷いてある布団に倒れ込む。

 

 今回も本当に疲れた。これでまた三時間後には起きなければいけないのは結構きつい。けれどこの生活にも慣れてきつつある自分が少しだけ怖かった。

 

 いざ寝ようと目を瞑るも、スマートフォンの通知で目を覚ましてしまった。睡眠を邪魔された事に少し苛立ち、画面をつける。

 

「……って、何よ。ただのピクシェアの通知じゃない。期待して損した」

 

 もしかしたら投稿した絵にいいねがついたのかと期待したが、通知の正体はおすすめの投稿だった。その投稿には百を超えるいいねが付けられていた。ただ女の子が自撮りをしている写真。それに比べて私の絵は一つもいいねはついていない。私が午前中に描いた紅葉の絵も、何も誰にも見られていなかった。

 

「………………」

 

 最早八つ当たりをする気力も残っていない。今の私に残っているのは虚無感だけだった。

 

 疲れた。

 

 確かに呪術師の道を押し除けて美術科に入ると言ったのは私だ。その気持ちは今でも変わっていない。けれど今は、どうしてか疲れた。

 

 そんな事を言っている暇はない。疲れたとて私は走り続けなければいけない。そうしないととてもとではないが美術科に受かりはしないだろう。特に私なんて美術科志望の人達より遥かに絵を描ける時間は少ないのだ。だから少しの空いた時間を使って描かないといけない。

 

「そうだ、描かないと」

 

 重い体を引き摺りながら立ち上がる。そうだ。寝ている暇はない。例え三時間でも何枚かは描ける。描いて、描いて、描いて。そうすれば私だってきっと。

 

 きっと──。

 

『──に、─────る──はない』

 

 また、頭の痛さ。けれどその痛さに慣れてしまった私は無表情を貫いていた。

 

 なんだっけ。なんて言われたんだっけ。そうだ、父に私の全てを否定されたのだ。けれどその内容がどうしても思い出せないのだ。あの時私は自分の未来を否定された気持ちになった。目の前が真っ暗になって、絶望よりも深い悲しみを感じ、私は一生懸命吠えたのだ。自分を守る為、自分の未来を守る為。然し受け入れられたのはほんの一部。その結果がこれである。

 

 自撮りだったら、私も認められるのか?

 

「いや、今の立場でそれはアウトか。おじいちゃんからも立場を理解しろって言われてるし」

 

 東雲家は所謂呪術師の元締め。その家の孫である私が色んな人が見れるネットにあげたらどうなるかわかったものではない。

 

 風が吹く。障子を閉め忘れた様で、部屋の中に入ってきたのは真っ赤な紅葉であった。私は其の儘歩き、縁側に出る。外では月に照らされた紅葉が綺麗に咲いていた。それは息を呑むほどに煌びやかであった。私はそれを見て携帯のカメラモードで写真を撮った。

 

「やっぱり、最新のスマホは凄いわね。加工無しでも綺麗に撮れる」

 

 少しだけ考え、ピクシェアを開いた。私はいつも使っている絵用のアカウントではなく、眺めるだけのアカウントに移行した。当然ながらそのアカウントのフォロワーはゼロ。少し躊躇ったが、タグを付けて先程撮った写真を投稿する。

 

 期待はしていない。こんなもので認められてしまった私は──。

 

「え──」

 

 小さな音を立てながら通知が来る。一個だけじゃない。立て続けに何個も何個も。いいねだけじゃない。コメントも沢山。まだ三時だと言うのにその勢いは留まる事はなかった。

 

「え、え、ちょ、こ、こんなに……?」

 

 私が困惑などお構いなしにスマホが震える。

 

『何これ、ちょーオシャレ!』

 

『これどこのだろう。なんかの庭園? 行ってみたい!』

 

『写真撮るのうますぎ』

 

「……こ、こんなに伸びるなんて」

 

 十分も経ってない。けれど私の投稿に対してのいいねは五十を超えていた。最早此処迄くると流石に怖い。

 

 私は逃げる様にスマホの電源を切りスケッチブックを開く。どうせ朝になったら通知の波は収まっているのだろうから。

 

 

 

 

「絵名様。朝でございます」

「ん……え? さ、さむっ」

 

 あまりの寒さと使用人の声で目を覚ます。どうやら縁側で寝ていた様で、使用人は眉間に皺を寄せて私を見下ろしている。同然だろう。寝巻きに着替えずボロボロの制服の状態で寝ていたのだから。

 

 起き上がると全身に呻き声を上げる程の激痛が走った。縁側で寝たから体を痛めたのか、それとも昨日の傷が開いたのか。恐らくその両方だろう。

 

 床に置かれているスケッチブックを確認する。幸いな事にスケッチブックには皺も涎もついていなかった。

 

 安心してホッと息を吐く。絵が汚れてしまっては今までの苦労が全て水の泡と化してしまう。消しゴムを使う時でさえ紙を巻き込まぬ様慎重に消すと言うのに寝落ちでよだれや寝相で紙を台無しにしてしまっては目覚めが悪い。

 

「何安心しているのですか」

 

 私の行動が気に食わなかったのか、使用人は吐き捨てる様にそう言った。

 

「なんてみっともない。寝るのだったら布団で寝てください。服も着替えず、制服のままで。血で汚れた服を誰が洗ってあげてると思っているんですか。もう少し東雲家の長女だと言う事を自覚してください」

「……すみません」

 

 いつもなら言い返すところだが、今のは私の所為なので素直に謝る。確かに使用人の言う通りである。使用人はいつも私の身の回りの世話をしてくれているが、これ以上迷惑はかけられない。

 

 私が素直に謝ると、使用人は「みっともない、みっともない」と繰り返し言いながら何処かへ行った。彼女は一体何しに来たのか。もしかして私を起こすためだけに私の所へ来たのか。それにしては随分な悪態だったが。

 

 祖父の影響を受けたのか、使用人たちの私への扱いは段々と粗雑になっていった。祖父もこんな扱いだから、自分たちも構わないだろうと。まるで祖父に対しての不満を私にぶつけるかの様に。祖父もそれを見て何も言わない為、尚の事今の現状に拍車が掛かってしまっていた。

 

「私は別に皆んなのサウンドバックじゃないんだけどな」

 

 そう呟きながら部屋に入り、もう一着の制服に着替える。こんな時の為に制服を追加で何着か買っていて本当に良かった。でなければ服が破れに破れて着用するどころの話ではない。

 

 箪笥から新しい制服を取り出し、腕を通す。新品の匂いが鼻に届き、中学校の入学式を思い出した。その頃は今よりずっと純粋で、自分がずっと絵を描けると言う事を信じて疑わなかった。お父さんも、お母さんも、周りの人も応援してくれていると思い込んでいた。

 

 昔の私が今の私を見たら、どう思うのだろうか。きっと落胆するだろう。もしくは怒るかもしれない。自分の進みたい道は無理矢理にでも自分で切り開けと。当然去年までの私ならそう思っていた。今も心根は変わらない。

 

 けれど、少しだけ疲れた。抗う事に、疲弊してしまった。

 

 自分ではどうしようもない現実。抵抗する事が初めから許されていない。自分の身を守ことすら許されない。そんな状況下で、どうして己を守れようか。

 

「あ、そう言えばスマホ電源切ったままだった」

 

 着替え終わり、思い出した様にスマホを取り出して電源を入れる。電源が入るその間、私は学校に行く為支度を始めた。どんな事を想ったって、日々は続くのだから。

 

 通学用鞄に教材を入れ、画材を入れ。そして最後に自らに化粧をする。鏡の中には前よりも痩せて窶れた女が居た。それが私であった。

 

「……酷い顔」

 

 目の隈も濃く、瞳も燻んでいる。隈はコンシーラで隠せる筈であるが、瞳の燻みはどうしようもない。

 

 どうしようかと悩んでいると、いつの間にかスマホの電源はついており、通知音が連続で鳴っていった。

 

「うるさ。もう、なんなの。また変な通知じゃないでしょうね」

 

 そんな悪態をつき、スマホの通知画面を見た。見ると矢張りと言おうか。スマホの音を出していたのはピクシェアの通知であった。

 

 またおすすめの通知だろうか。そう思いピクシェアを開く。開いた垢はいつもの絵専用アカウントではなく、眺める様のアカウントであった。そうだ。私はあれからこのアカウントのまま電源を切ってしまっていたのだ。

 

「って、何この通知の量。こんなおすすめ来るわけ?」

 

 通知マークの上に表示されている数字。それは軽く百を超えていた。こんなにもおすすめが流れてくるだなんて、もういっその事ピクシェアに抗議の連絡を入れてやろうか。そう思う程に、寝起きの悪い私は苛立っていた。

 

「……え?」

 

 予想とは裏腹に。

 

 来ていたのはおすすめの投稿ではなく、大量のいいねとコメントであった。

 

『めっちゃ綺麗……』

『写真とる才能ありすぎだろ』

『これ何処で撮ったか教えてー!』

 

 その正体は、昨日(というか今日の夜中だが)投稿した夜桜の写真であった。それが彼らの何に触れたのかわからないが、その投稿は凡そ700のいいねがつけられていた。

 

 ……正直、ここまでの反応があるとは想っていなかった。片手間に、絵を描く暇潰しとして投稿しただけの写真にこんないいねが付くのは、むず痒いような、なんというか。何か言葉にできない感情が芽生える。

 

「……今なら、なんか良い絵を描けそう」

 

 登校まであと三十分。その間、私はスケッチブックを開いて筆を取った。

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