第二十九話 新生活、二人の同級生
「はーい。撮るよ。ピースしてね」
五条先生の合図で、シャッターが押される。けれど私たちはピース疎か誰一人としてカメラ目線では無かった。
右には口元にピアスを開けた女の子。左にはまるで高校生とは思えない男が欠伸をしていた。私も左右と同じ様にカメラに目線をやらない。そんな気分ではないのだ。
どうしてこうなってしまったのか。話は数時間前に遡る。
♢
何回か高専に来ていても、流石に寮には来た事が無かった。抑も此処が全寮制と言う事も知らなかった訳だが。然し意外にも部屋の中は広く、外の木々が鮮やかに木漏れ日を作っていた。
まぁ、これはこれで良かったのかもしれない。確かに美術科に受かった方が圧倒的に良かったが、それでもあの家から出れた事にホッとしている自分がいた。
私は部屋の中に運ばれている段ボールを開ける。と言っても中に入っているのは画集と画材と、それから洋服だけなのだが。それでも段ボールは八個くらい積まれていた。画材や画集は兎も角、洋服は自分で買った訳ではないのに。
そんな事も言ってられず、段ボールを開けて中のものを出す。部屋の中にあるクローゼットが広めなのが少しだけ有り難い。
それにしても祖父には困ったものだった。本当なら早い時期に寮に来て身の回りの整頓をしたかったのに、直前の直前。なんなら今日の明け方まで呪霊を祓っていた。時間があれば少し仮眠をしようかなと思っていたのだが、この荷物の量を見るにそれは不可能であった。
陽が翳り、窓を見る。どうやら太陽は流れる雲に隠れてしまったらしい。
「……カーテンも新しいの買おうかしら」
付属のカーテンは付いているのだが、無地の紺色であった。それは私の好みではない。
片付けていた手を止めて、窓の外を見る。
もう、此処迄来てしまった。決して望んだ未来ではないけれど、それでも〝今〟から目を逸らせるのであればなんでも良かった。
志望校に落ちた事も、両親に道を強制された事も、祖父に打たれた事も、市民の為に命を張る事も、全て。
けれど、どうしてだろうか。
全て忘れたくても、どうしても絵だけは忘れられなかった。その証拠に捨てようと思っていた絵を、どうしてか捨てられずにこんな所まで持ってきてしまっていた。
捨てれば良かったのに。
手放せれば良かったのに。
私は懲りもせず、それを大事に抱えているのだった。
哀れで、無様。
けれど、それでも手放したくないと思うのは、それくらい私にとって絵は全てだったのだろう。生まれてからずっと、描いてきたのだ。そんな簡単に捨てられる訳が無かった。
「……少し、外の空気吸ってこよ」
そう呟いて、私は荷解きを途中で止め、外に出る。どうやら廊下の窓が開いていた様で、冷たい風が吹き抜ける。四月だと言うのに少しだけ蒸し暑かった。
暫く歩き、休憩所だろうか。木製のベンチと、自動販売機が二、三個設置されていた。こんな所にも業者が来るのだろうか。そうだとしたら、きっと入れる人間は限られているだろう。
ベンチに座り、背凭れに体を預ける。心地の良い風に、少し寝そうになった。
これで、漸く解放されるのだろうか。あの目が回る程に忙しかった日々から。そうだと嬉しいが。抑もあれは誰がどういった経緯で私に振られた任務達だったのだろうか。呪術界には上層部があるとは聞いた事があるが、その存在すら私は認識した事が無かった。
まぁ、そんな事を今考えてもあんまり意味はないのだが。任務がくる時はくる。こない時はこない。そんな認識で、別に構わないだろう。
私は半ば思考を放棄しながら辺りを見渡す。前から思っていた事なのだが、高専の建物は木造建築なだけあって、少し古臭い印象を受けた。良く言えば趣深いのだろう。然し古臭いのは印象だけで、所々は建て直しをしたのだろう。真新しそうな素材が垣間見えた。
此処が、今日から私の学舎であり生活空間になる。目紛しく変化する環境に疲弊がないと言われれば嘘になる。けれど、もうどうしようもないのだ。
私に出来る手は全て尽くした。それすら全て無駄に終わったとなれば、私はこれからどうすれば良いのだろう。
どうすれば? そんなのは初めから決まっているだろう。
流れに身を任せ、全て周りの言う事に従えば良い。そうすればこれ以上傷付かなくて済む。みんな、幸せになる。
そうすれば良い。最初からそうしていれば、今よりもっと幸福な未来が待っていたかもしれない。
「──でも、それは私の望む私じゃない」
そう呟いて、目を伏せる。
お人形さんになるのは簡単で、どれ程楽な事だろう。けれどそれは最早私ではない。
──みんなが肯定してくれた私と、真逆な存在だ。
不思議な事だ。こんなになるまで打ちのめされたと言うのに、私に抵抗の意思があったとは。
抵抗の意思? いや、それとは違う様な気がする。では何かと聞かれれば、それについて私は未だ答えを出せていない。
ただ一つ、分かる事と言えば。
この状況に納得がいかず、燻っていると言うことだけだった。
「あ、もしかして君が新入生の子?」
ひょこりと、私の視界にまんまるの瞳が映る。
一瞬、理解が追いつかなかった。呆然としたまま顔を上げると、そこには顎に四つのピアスをつけた女の子が立っていた。それを自覚して、思わず体をビクつかせる。
「あはは! 反応おそっ」
私の様子に、女の子は声をあげて笑った。その様子がどこか馬鹿にしたように思え、我に返った私は、少しだけ不満を顔に出す。
「あぁ、ごめんごめん。少し可笑しくって。えっと、初めまして。私は星綺羅羅。宜しくね。一応、君の同級生だと思うよ。君、入学生だよね」
「え……っと、東雲絵名です。宜しく」
どうやら彼女は私と同じ新入生だったらしい。私は差し出された手を握り返しながら、そう言った。
手を握った瞬間、少しの違和感。
なんだか、彰人の手と少しだけ似ていた。
「……東雲?」
「え? そうだけど……」
まるで魚の様に目を丸くして、一瞬停止する。彼女──星さんは私の手を離す気はない様で、私自身から手を離そうとしても強い握力によりそれは叶わなかった。
なんなんだ一体。そう思って無理に振り払おうとするが、私が振り払う前に星さんから手を離した。大きな叫び声と共に。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? し、東雲!? 東雲って、あの!? え、嘘ぉ!」
そう言って壁の端まで音速の様に遠退く星さん。私はそんな星さんの姿に呆気に取られた。
そうか。そうだった。今迄忘れていたが、東雲家は呪術師の総括だと言う事に、今更乍ら思い出した。成る程。そうだったなら星さんの反応も当然と言えた。あんな恐怖の象徴と言われても疑問に思えない程の祖父だ。血縁者である私だってこんな反応になる。
私は成る可く圧を与えない様に、優しく笑う。その笑みが本当に優しそうに見えるのか、甚だ疑問だけれど。
「えっと、私は確かに東雲だけど、そんなに気にしないでね。此処では一生徒なんだから。周りと同じ様に接してくれると嬉しいな」
「……そ、そう? 東雲さんが言うならそうさせてもらうけど……」
そう言った星さんの顔は、怪訝そのものだった。けれども一応納得はしてもらった様で、遠くで柱にしがみついていた星さんは其処を離れ、私の隣に座ってきた。そして所謂上目遣いと言う視線で、私の顔を見る。
「ねぇ、東雲さんって、強いの?」
予想外の言葉に、今度は私が目を丸くする。
強い──か。そんな事、考えた事も無かった。考える暇が無かったと言うのが正確な所である。いつも死なない様に死に物狂いで呪霊を祓っていたから、もしかしたら私は弱いのかもしれない。
と言っても下手な事は言えない。己の強さを客観視出来ていない事もそうだが、抑も私には比較対象なるものが存在していなかった。冥冥さんは言わずもがな私より強いし、狗巻くんは抑も土俵が違う。その他に五条さんが居るが、私は五条さんの強さを知らない。
そう考えれば、私の強さはどれくらいのものだろう。
そう考えている私を、星さんは首を傾げながら見ていた。
「……私って、強いのかなぁ?」
「いや、私が聞いてんだけど」
呆れ顔を向けられるが、そんな事を言われたってしょうがないじゃないか。
「ま、今からでも分かる事じゃない? これから私たちは一緒に任務受けるんだし」
「それもそうだね」
意外にも星さんは納得したようで、背凭れに体を預ける。
よくよく考えたら、同い年の呪術師に出会うのは初めてであり、少し新鮮な気がした。冥冥さんや五条さんたちは年上だし、狗巻くんは確か私の一学年下だった筈だ。
まぁ、それ程呪術師の数は少ないと言う事なのだろうかと、一人で納得する。
「あ、そう言えば」
「え? 何?」
星さんはそう言って、何やら思い出した様に立ち上がった。私はそんな星さんの様子に驚き、思わず体をビクつかせる。
「今日が入学式の日だよ。その為に私君を呼びにきたんだった」
♢
入学式はまだ先だと思っていたのだが、どうやらそれは私の勘違いだったようで、確かに言われてみれば校門に入学式と書かれている看板が建っていた様な気がする。
気がするというのは私が車窓からの景色を良く見ていなかっただけで、疲労によりマジマジと観察する事は無かったのだ。ただ、あぁなんかあるなぁ……と思っただけであった。
校舎は他の建物と同じく木造建築であり、けれど其処に古臭いという印象は皆無である。まるで最近立て直したかのような綺麗さだった。
「此処が一年の教室だよ」
「本当にあるのね、こんな学校。っていうか、なんであんたが得意気なのよ」
「一年生の中で一番最初に入寮したからね」
そう言って胸を張る星さん。その様子に、少し顔が綻ぶ。笑う星さんの姿はどこか愛莉と似ていた。
私は扉に手をかけて開ける。開けた瞬間、木造建築特有の木の匂いが強くなる。確かに本家の屋敷も木造建築であるが、此処迄木の匂いはしない。どころか無臭まであった。
私たち以外に人がいないとは思ってはいなかった。けれど中に人の気配がない以上、まさか今現在この教室に誰かいるなんて思っていなかった。
机は教室の中心に三つ、横一列に並んでいた。その窓側の席に彼は座っていた。
中学生と言うにはだいぶ大人びた男だった鼻の下に短く生えている髭がその雰囲気を助長しているのかもしれない。まぁ端的に言ってしまえば、正直堅気には見えなかった。
「あ、金ちゃーん。早いね、来るの」
「行きつけのパチ屋が臨時休業してんだよ。全く、朝から熱が引いてくぜ」
星さんは〝金ちゃん〟の方に走って行き、腕に抱きつく。側から見れば恋人の様であった。見ているこっちが恥ずかしい。
そんな私に気付いたのか、その金ちゃんは私の方を指差す。
「あれ誰?」
「もう金ちゃんったら。言ったじゃない。もう一人の同級生だよ。東雲絵名さん。ほら、東雲家のご令嬢」
「え? まじで? あの噂の?」
星さんの言葉に、男は席を立って私の目の前に立った。そして頭からつま先までマジマジと私の体を観察する様に私を見る。男の目付きは鋭く、思わず怖気付く。
「な、何よ」
「お前、本当にあの東雲家の血筋かよ。毒っ気がまるでねぇ」
「…………」
違う。と、はっきり言えれば良かった。私だってあの人と同じ血が流れているなんて信じたくはない。けれどそれはどうしようもない事実であり、それを否定するとなれば私はもう死ぬしかない。それは私自身も出来るだけ避けたい。
黙っている私に興味をなくしたのか「まぁいいや」と頭を掻く。
「秤金次。金ちゃんって呼んでもいいぜ」
「……東雲絵名。宜しく、秤くん」
漸く彼の名前を聞けて、少し安心した。成る可くこんな大男の事を〝金ちゃん〟なんて呼びたくないもの。
印象はあまり悪くはない。けれど特別良いとも言えず、私達の間に微妙な空気が流れる。星さんと秤くんはもう知り合っていたようで、特に星さんの方は秤くんにべったりであった。
そんな二人の様子に少し呆れていると、音を立てて扉が開かれた。私以外の新入生かと思ったが、入ってきたのは包帯で目隠しをした大男であった。どこからどう見ても生徒には見えない。
いや、抑も──。
「お、もう仲良くなってるねー。先生感激しちゃう」
「──五条さん!?」
教室に入ってきたのは、包帯で巻かれた目元が特徴的な五条さんであった。
教師をやっているとは聞いていたが、まさか呪術高専の教員だとは思わないじゃないか。
……いや、少し考えれば分かる事だったか?
空気の糸が張り詰める。驚いている私とは裏腹に、秤くんと星さんは五条さんを真剣に見つめていた。
「なあに? そんな見つめられると先生照れちゃうじゃない」
「まさか天下の五条悟に教鞭を取ってもらうなんてな。特級が教師してていいのかよ」
鼻で笑いながら秤くんは吐き捨てるようにそう言った。まるで敵意を隠そうとしない態度に、思わず息を呑む。けれどそれとは対照的に、五条さんは「いいねぇ」と不敵な笑みを浮かべながら嬉しそうに笑う。
「新入生はそうでなくちゃ。教育のしがいがあるね」
その言葉は、どことなく怖い。
睨み合っている二人を横目に、星さんに耳打ちする。
「ねぇ星さん。五条さんって、そんなに凄いの?」
「えっ、東雲さん五条悟知らないの? 東雲家なのに?」
「実は去年実家に戻ってきたばかりなんだよね。呪術もその時初めて知った」
「……え? 嘘でしょ」
そう言って星さんは怪訝な顔で私を見る。そう言われても、事実なのだからしょうがないじゃないか。
私が少しムッとしていると、星さんは「えっとね、よく聞いてて」と人差し指を立てながら、矢張り得意気に話す。
「五条悟は日本で三人しかいない特級の一人なの。その中でも五条悟の力は群を抜いてて、本当に〝最強〟を体現したような人なんだ。こんな所で会える人間でもないしね」
「………………」
まさかそんなに強いなんて。いや、私より強いのはわかっていたが、然し星さんに言われても何だか実感が湧かなかった。
「はいはい。仲良しなのはいい事だけど、そろそろホームルーム始めるよー」
五条さん──基、五条先生は教師らしい事を口にしながら手を叩きながら教卓に立つ。五条先生の変わらない飄々とした姿に私は思わず二人の顔を見る。然し二人の視線が交わる事はなく、諦めて三つ並んでいる机の丁度真ん中の席に座った。
「えー改めてまして。この度一年の担任になりました。五条悟です。宜しくね。イエーイ、みんな拍手!」
そう言って両手でピースをする五条先生。けれどそのノリに付いてくる人間はこの場にはいなかった。静寂が訪れる教室に、「拍手してよ……」と言う五条さんの静かな呟きが、悲し気に響いた。
この二人はどうか知らないが、私にしては勘弁してくれと言いたくなる様なテンションである。こっちは明け方迄任務があったのだ。そんなテンションに着いて行ける程の元気は私にはない。
そんな私達の態度に諦めがついたのか、「まあ良いや」と五条さんは真顔になった。
「じゃあ一人ずつ自己紹介。綺羅羅からね」
「えー。もう自己紹介は各自でやったんだけど」
乗り気ではない星さんに、五条さんは「いやいや」と首を横に振る。
「こう言うのはやっぱり入学式の醍醐味っしょ。因みに綺羅羅、金次、絵名の順でね」
「え? ちょっと待ってよ。こういうの普通並んでる順でしょ。何で私が一番最後なのよ」
「そこはまぁ、ノリで?」
「はぁ? 意味わかんないんだけど」
五条さんの飄々とした態度に、呆れてため息をつく。もう諦めた方が良さそうだ。
星さんも同じ事を考えていた様で、私と同じくため息をつきながら素直に立ち上がった。
「星綺羅羅です。宜しく」
「え? それだけ? もうちょっとなんかちょうだいよ。好きな食べ物とか趣味とかさ。あ、好きなアイドルでも良いよ」
「それ悟ちゃんが聞きたいだけじゃないの? パス。あ、こう見えても男でーす。可愛いでしょ」
「…………」
意外にも、納得してしまった。いや、ぱっと見では間違いなく可愛らしい女の子なのだが、握手をした時の少し骨ばった手と、声変わりをしたのだろう。頑張って高い声を出しているのだろうが、声の端々に低さが滲み出ていた。
けれど私の中に飛び出し的だ驚愕と言う名の感情はどうしようもなく、目を見開い手驚く私に、星さんは口角を上げて笑った。してやってり。そんな表情だった。
「じゃ、次は俺だな」
そう言って今度は秤くんが立つ。まるで星さんの正体が初めからわかっていたかのように平然としている。何だ、知らなかったのは私だけだったのか。私だってもしかしてと思っていたし、それが確証が持てなかっただけだし。
「秤金次。趣味はパチンコ」
「………………」
切実に、聞かなかった事にしたい。もしかしてとは思っていたが、まさか本当に見た目通りの人だとは思わなかった。呪術師はイカれた人間が多いと言うが、此処迄とは誰が思おうか。
「不良だねぇ。程々にしなよ」
「ふん。無理だな。俺にとってギャンブルは命。賭けと言う熱を失ってしまえば俺はもう死んだも当然だな」
「きゃー! 金ちゃんかっこいー!」
秤くんの言葉に、星さんは黄色い歓声を上げる。
確かに言っている事はかっこいい。けれどその内容はどう足掻いてもギャンブルなんだよなぁ。しかも未成年だし。犯罪だし。
……そう言えば、呪術師にも法律って適用されるのかな?
「よし、じゃあ次はお待ちかね、絵名。最後の締め行っちゃって!」
「ちょっと! そんなにハードル上げないでよ。私そんなんに面白い事言えないし。えぇっと、東雲絵名です。趣味は……ショッピングと流行り物のリサーチです。宜しく」
「……最近、買い物行けてる?」
「黙って」
気にしている事言わないで欲しい。私だって買い物したい。好きなブランドの服だって通販じゃなくて現地に行って実際に見たい。
「さて。全員自己紹介終わったね。よし、次は外に行くよ。着いて来て」
そう言って私達を待たずに五条先生は教室を出ていく。その様子に、私は二人の顔を見る。けれど矢張りその目線は合わず、三者三様、困惑を隠さず五条先生に着いていくのだった。
そして冒頭に戻る。結局あれから写真撮影は三十分続き、各々教室に戻った時にはもう会話する気力すら誰一人として残っていなかった。