今考えれば、当然の如く呪霊があの一体だけの筈が無かった。
あれから女の呪霊に当てられたかの様に、彫刻像や絵画、その他諸々の作品が一斉に動き出し、私達に襲いかかって来た。成る程、これでは何も力を持たない一般人あの女から命辛々逃げ出せたとて、次の呪霊に襲われ、最早骨も残されない程食い尽くされるのだろう。
「てかこんなに居るなんて聞いてない!」
小声だが声を張り上げる星さんの口を、私は勢い良く塞ぐ。
「うるっさい! 見つかったらどうするの!」
「だってこんな、五十体くらいは居るじゃん! こんなんで私達死ぬの!?」
「落ち着け。五条悟だって俺らに祓えるって判断したから寄越したんだろ。どこかに打開策はきっとある筈だ」
果たして五条先生にそんな考えがあるのか。そんな疑問が私の中に出てくる。あの人は考えていないようで考えているようで実は何も考えていない男である。そんな人間が、そんな深い事を考えているか甚だ疑問であった。
逃げに逃げまくった私達は、展示品の一つである真っ白なテーブルクロスが敷かれたテーブルの下に三人並んで隠れていたのだ。私と星さんは余裕でしゃがんで隠れられるが、秤くんは窮屈そうであった。なんだか縮こまっているゴリラの様だ。
術式で垂れ下がっているテーブルクロスに少し穴を開け、其処から外の様子を確認する。
一つ一つはそんなに強くない。けれどあまりにも数が多すぎる。
戦闘に於いて、数は絶大な力を誇る。過去の記録や歴史書を見て学んだ。それとあと実体験。
三人対、凡そ五十以上。そんな数の中、勝てる確率は1%にも満たない。
──けれど、その勝機を一気に100%に引き上げる方法はある。
「二人共、聞いて」
「あ? なんだよ」
「私がこの呪霊達を惹きつける。その間、呪いの大元を探して」
「はぁ!?」
星さんと秤くんの声が重なる。まぁ、当然の反応だ。けれど此方も当然の決断をしただけだ。
「あんな数、一人じゃ絶対無理だろ。何考えてんだ」
「じゃあ何? 此の儘隠れて助けを待つか、三人で突っ込んで全滅するかするの? そんなの絶対御免よ。私だけでも突っ込んで確実に祓った方が良いでしょ。じゃ、後は宜しく」
そう言って、私は二人の静止する声を無視してテーブルの下から出る。
縦横無尽に徘徊している呪霊は一斉に此方を向く。今ではすっかり慣れてしまったのだが、その光景は、一種のホラーであった。まるで地に飢えた獣の様に、闘志を剥き出しにしている。
「……しょうがないわね。こんな所に閉じ込められて、寂しかったんでしょう? 良いわ、遊んであげる」
挑発だった。これで相手が逆上して襲いかかってくるとはあまり思っていなかったのだが、意外にも呪霊達は奇声を上げながら此方へ向かってきた。あの女呪霊よりは早さはないものの、矢張り迫力はあった。
けれど、大丈夫。
私なら、この量を一人でいなせる。
私は全体が見える様に背後へ飛ぶ。そしてその呪霊を両の手で潰すかの様に音を立てて合わせた。
瞬間。呪霊達は私の手と同時に動き、一体化して潰れた。まるで柔らかい様々なクッキーを一緒に潰したかの様だった。
大量の呪霊が祓われる。けれどそれは全てではなく、私の視界から外れた呪霊は止まる事なく私に近づく。けれども此処は私の間合い。私に触れた瞬間、細々となって破裂した。
「──って、早く行ってよ! 其処に居られると邪魔なんだけど!」
依然としてテーブルの下から覗いている星さんと秤くん。早く行って欲しいのだが、何故か此方を口をあんぐり開けて眺め居た。いや、割と本気で邪魔なのだが。
「いや、早く行けって言われても何処を探したら良いんだよ。一から順に調べていったら日が暮れちまうぞ」
「あぁその事。大丈夫。ちゃんと目星は付けてるから。
「あ? 目星?」と怪訝な顔をする秤くんに向けて、私は指を上に差す。
「三階」
私が指を差した方向を、二人は見上げる。
この館は三階建てであり、一階は彫刻やらの立体アートが中心で、二階は絵画などが主になり、そして三階は二階と同じ絵画だが、二階と違う所は100号以上ののキャンバスが展示されている。
呪力の大元の気配は其処から流れている。
「つーか大元ってなんだ。その大元やらを祓ったらこの呪霊達は消えんのかよ」
「大正解」
私は指を鳴らして秤くんを賞賛した。
此処の沢山の呪霊達は個々別々の呪霊だが、内に流れている呪力は全く同じだった。
いや、正しくはあれは呪霊などではないのだろう。大元の呪霊がこの屋敷全体に呪力を流し、それぞれの題材に沿った作品を動かしている。先程の女の呪霊。見た事があるなとは思っていたが、今思い出した。昭和時代の画家の作品、『追いかける女』である。確か難産の末、子を失った女が他人の子供を攫おうとひたすらに追いかけると言った描写だったか。画集として知っていたが、現物を見るのは初めてであった。
尤も、こんな形で相見えるとは思いもしなかったが。
子を無くした悲しさか、それともこの命を奪った神に対する怒りか。それか何方も両方か。あんな速度で、あんな威力で。描いた人の激情が垣間見える。
「流れている呪力量は上に行く度に強くなってる。此処は三階建て。多分、其処にある」
「それ、本当なのかよ」
「試しに行ってみる価値はあるんじゃない?」
そう言って笑う私に、秤くんは溜息をつく。
「行くぞ、綺羅羅」
「え、でも金ちゃん……」
「こいつの言う通り此の儘全員共倒れよりかはマシだろ」
「……分かった。東雲さん! 絶対死なないでよ!」
そんな言葉を残して、二人は走り出した。ここで「うん、分かった」と言えないのが、少し悔しい。
けれどまぁ、生きて帰る事を約束は出来ないが、死ぬ気はない。
♢
絵名の言葉が正しいかの様に、三階に行くにつれ呪霊の数が多くなる。秤と綺羅羅は走りながら、出来る範囲で呪霊を祓っていく。
「どうやら、あいつの推理は当たりみてぇだな。クソ、数が多すぎる」
そんな悪態をつきながら、秤は己の拳に呪力を乗せて襲ってくる呪霊を殴る。術式を使いたいのは山々だが、この範囲、この量では厳し過ぎる。
殴りながら考えるのは先程の事。
絵名が敵を射止め、手を合わせた瞬間、呪霊はミキサーで潰されたかの様に消え去った。それだけではない。呪霊が絵名の体に触れた瞬間、体が粉々になて爆裂したのだ。あれは秤ですらも目を背けたくなる程に恐ろしいものだった。
絵名の噂は元より聞いていた。けれど此処迄とは思っていなかった。
あれが、東雲家の力。
実際に見るのは初めてだったが、支配者と言われるだけある。人より強いと自負している秤ですら、あれには勝てないと本能的に解ったのだ。
「ねぇ金ちゃん」
「あ? なんだよ」
「一つ手があるんだけど」
そう言って綺羅羅は向かってくる呪霊に向かって手を伸ばす。
呪霊が綺羅羅の手に触れた瞬間、呪霊はもう一体の体へ打つかる。
「──お前、これ」
「私の術式。『
秤には最早綺羅羅が何を言っているのか理解が出来ていなかった。それは侮蔑の意ではなく、単純に秤の学力が非常に乏しいからであった。
けれど、本能的にそれが正しいと気付いたのだった。
秤の中に、何かが燃えるのが分かる。それを感じた時、秤はこれ以上に無い程己が興奮している事が分かった。
──全く、なんで俺のクラスメイトはこんなにも熱いんだ。
「よし綺羅羅。お前の案に乗ってやる。三階まで走り抜くぞ」
「────うん!」
綺羅羅の返事を聞き、二人は走り出す。
思ったより三階迄はそう距離はなかった。そう感じたのは己の呪力が強いからか、それとも綺羅羅のサポートが良かったからか。この際もう何方でも良かった。今秤の中にあるのは冷める気配のない〝熱〟だけ。
三階は想像の数倍広かった。壁一面に絵が描かれている。壁だけじゃない。天井や床までもここの作品らしい。
けれど、それだけ。秤は絵についてあまり興味は持っていなかった。
それ以上に驚いた事は、壁一面に──いや、部屋全体に呪霊が張り付いた事だ。綺羅羅は絵画に一つ一つマーキングをしようとしていたのだろうが、呪力を込めた瞬間、今迄固っていた呪霊達が解放されたように何処其処へ飛び散る。
「──なんだ、此処は」
秤は呪術師になってまだ日が浅い。けれどそんな秤でも分かる程、此処の階全体に呪力が満ちていた。
これは、本当に一年が担当して良い任務なのかと疑いたくなるほどに。
「金ちゃん! 危ない!」
「────!!」
綺羅羅の叫ぶ声に、我に返る。いつの間にか己の足は地面に飲み込まれていた。
コンクリートで出来た硬い床な筈だ。けれど今の地面はまるで泥の様な液体であった。それを自覚してからか体は徐々にスピードを上げて飲み込まれて行った。
辺りを見渡す。
ふと、天井の絵が目に入った。
見覚えがる。何処で見たか忘れたが、倒れている男に複数の天使が身を寄せ合っている絵であった。けれど、何かそれが可笑しく見えた。
あれは本当に、あんな絵だっただろうか。あの男は、目を開けていただろうか。
ギョロリと視線が動く。
「見つけた! あれだ!」
「え!? どれ!?」
「あれだよ、天井の!」
「あれ!?」
秤に言われ、綺羅羅は上を向く。一見普通の絵画だが、矢張り其処に纏っている呪力は恐ろしかった。
呪力を飛ばし、壁に傷を付ける。やったかと思い上を見るが、肌に刺さる呪力の気持ち悪さは依然として変わっておらず、天井には切り込みが出来ただけだった。
硬過ぎる。そう思った瞬間、その傷口から黒いドロドロとしたものが流れ出る。それは秤の頬を濡らした。
『ダァれぇぇ?』
「……あれが本体か!」
人の様な、なんだろうか。いや、人という例えは相応しくない。けれども何か生物の様なものが落ちてくる。それは秤と綺羅羅を真っ直ぐ見据えていた。
「自分から姿を現すたぁ中々に熱いじゃねぇの?」
自らの足が床に飲み込まれているという事実も忘れ、秤は笑みを浮かべる。秤にとってそれは最早どうでも良かったのだ。
手印を組む。秤の術式は本体が居なければ意味がない。それが今目の前に居るのだ。
──けれど。そんな思惑もすぐに消え去ってしまう。
横を見る。其処には数多の呪霊に集られている綺羅羅の姿があった。
「ちょ、何なの!? 無数に出てくるんだけど!?」
「綺羅羅!」
そう叫んだ瞬間、秤は床の黒いドロドロした液体に体を抑えられる。これは飲み込む以外の行動が出来るのかと感心する。けれど感心している間にも体はどんどん飲み込まれていく。
あぁ、此処までか。以外にも秤の中に諦めが浮かんだ。手印も、両手を封じられているから出来はしない。
打つ手無し。
然しそんな諦めも、また秤の中から消えていく。それは目の前に突如として広がった爆発であった。
耳がイカレる。そう思う暇も無く、呪霊は吹っ飛んでいった。その際に呪霊の術式も途切れたのか、秤と綺羅羅を抑えていた泥が消えていく。
「何!? まだ祓ってないの!?」
凛とした、けれどもまだあどけなさも残る声が大きく響いた。
其処には、体が傷だらけで立っている絵名が息を切らしながら此方に指を差していた。
「私が折角時間稼いだのにさ! 何やってんの!?」
「あぁ? 仕方ねぇだろ。思ったより敵が強かったんだから!」
「仕方ないって何!? 抵抗しなさいよ!」
「オメーも受けてみろ彼奴の術式をよぉ!」
そんな言い合いを二人は繰り広げる。売り言葉に買い言葉だが、然しあんな量の呪霊を一人で祓える絵名ではこんな呪霊は一瞬で祓えるのだろう。
「ねぇ喧嘩しないでよ二人とも! まだ呪霊祓えられていないんだから!」
綺羅羅を見る。先程まで居た呪霊はもう消えていたが、然し大元の呪霊はもう立ち上がっており、此方を剣呑の孕んだ目で見ていた。
「あれが大元?」
「だろうな。おい。あれ俺にさせろ」
「はぁ? 出来るの?」
「当たり前だろ」
そう言って前に出る秤。そして今度こそ手印を結ぶ。
「領域展開──『坐殺博徒』」
そう言った瞬間、秤と呪霊の周りは瓦礫の様な物で覆われていく。全てを包んだ其処には真っ白な空間に駅の改札口が二人を取り囲む様に立っていた。
「さぁ、始めようぜ。命を賭けたギャンブルをよぉ」
そう言って秤は不敵に笑う。その顔には曇り一つ無く、ただ目の前の