呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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大人とはかくも難しいもの


第三十六話 目隠しと、サングラスと、商店街

 連れて来られたのは、とある商店街であった。いや、今や商店街と言う言葉すら相応しくない。言うなればシャッター街と言った所である。

「今回僕は引率出来なくてね。代わりに別の人を用意しました」

 

「別の人? 冥冥さんとか?」

 

 脳裏に過ったのは嘗て一緒に九州に行った一休術師の女性だった。けれども五条先生が呼んだのはそれとはまた別の人物らしかった。

 

「いや、冥さんじゃないよ。また別の一級術師。僕程じゃないけど、結構強いよ」

 

 五条先生の言葉に、私は「へえ」と返す。いつも思うが、五条先生の強さの範囲は結構大雑把だ。まぁ、基準は自分だろうから仕方が無いのだろうが、それでも私は依然として五条先生の戦いっぷりを見た事が無かった。それ故に誰かが強い。誰かが弱いと言われても一向にその基準が分からないのだ。

 

 そんな五条先生の様子を横目に、私は辺りを見渡した。商店街と言っても開いてい店舗は一つもなく、全てシャッターが閉じられていた。けれど其処に治安の悪さは皆無であり、廃墟にありがちなグラフィックアートや吸い殻などは置いておらず、なんならポイ捨ての一つもない。嘗て行った旅館とは本当に真逆である。あるのはジメジメした空気と、壁にへばり付いている蔦故の青臭さ。アスファルトの間から生い茂った草を見れば長らく此処は誰も立ち入っていない事が分かる。

 

 歩く度に、腰にぶら下げている小刀が音を立てた。腰の小刀。手に嵌めている手袋。慣れないその感覚に、少し気が散ってしまう。確かにしっくりくるが、本当に此の儘呪霊を祓えるのか自分の中で不安になってきた。

 

「お、いたいた。おーい七海。お待たせ」

 

 暗闇の奥に人影が見え、それを認識した瞬間、五条先生は手を振ってそう言った。私は目は悪い方ではないが、その人物の顔が暗がりによって視認出来なかった。私が目を凝らし、そして件の人物が日に当たる場所に出てきて漸く私は彼を目視することができた。

 

「遅いですよ。五条さん。八分の遅刻です。学生の前なのでしっかりしていただかないと困ります」

 

 そう言いながら、彼は目につけている特徴的な形をしたサングラスを掛け直す。

 

 七海と呼ばれた人物は冥冥さんとは違い男性の方であり、首元まで釦をつけたスーツを規律正しく着ていた。ただ目立つと言えば明るい金髪と、目元のサングラス。

 

 ……呪術師は目に何かを装着しなければいけないのだろうか。

 

「良いじゃん。ちょっとくらい。たった八分でしょ? 少しくらい肩の力を抜いても罰は当たるまいよ」

「五条さんの場合抜き過ぎです。まあ、今に始まったよ事ではないのでもうとっくの昔に諦めていますが」

 

 男性の言葉に、五条先生は「酷いなぁ」と唇を尖らせる。尤も、そんな仕草をしたとしても彼が決して傷付いていないどころか気にもしていない事を私は知っている。

 

 そんな五条先生を無視して、男性は私の方を見た。男性には何か独特な雰囲気が漂っており、その圧に圧された私は思わず肩をビクつかせた。

 

「先ずは挨拶が先でしたね。初めまして。七海健人と申します」

「あ、東雲絵名です。宜しく」

 

 頭を下げようとして、けれどそれをぐっと耐えた。その代わり右手を差し出し、握手を求める。なんともまあ、面倒臭い。然しまた更に問題が増えるのはもっと面倒臭い。

 

 私にとって東雲家たる者などと言うものは枷にしかならないのだが、いかんせんそれを振り払える力を今の私には持ち合わせていなかった。

 

 私の手を、男性──七海さんは握り返す。その手は硬くて大きかった。

 

 この手で、どれだけの人を救ってきたのだろう。

 

「敬語は必要ありませんよ立場で言ったら絵名様の方が上ですので」

「え。でもそう言う訳には……」

「貴女は東雲家のご令嬢なのですよ。目下の人間に敬語を使うなど、周りに示しがつきません」

「…………」

 

 何も言えなかった。

 

 七海さんの言う通りだった。東雲家は呪術師の総括。その立場の者が他の呪術師に敬語を使ってしまっては立場バランスが崩れてしまう。いつもの私だったら東雲家なんて関係ない。私は私だと一蹴していたところだが、何故か彼の言う事は納得が出来た。

 

 暫く熟考する。頭で分かっていても年上の人間にタメ口を使う事に抵抗があった。

 

「──分かったわよ。じゃあ今日は宜しくね、健人」

「はい。宜しくお願い致します」

 

 そう言って、健人はまた頭を下げた。その姿がどうにもむず痒く、矢張り己が敬われるのは慣れないなと思うのであった。

 

 

 

 

「一度は潰れた商店街ですが、地域の方がまた活気づけたいとまた此処に新しい店を建てるらしいのですが、工事の前に此処に発生している呪霊を祓って欲しいとの事です」

「へぇ、まぁ確かに此処が活気付いたら賑やかになりそうね」

 

 健人の説明を受けながら、私は辺りを見渡す。確かに薄暗くジメジメした所だが、改装したら雰囲気がガラリと変わりそうだ。此処がオープンした際には是非足を運びたいものだ。

 

 まぁその為には生きて帰らなくてはいけないのだが。

 

 奥に進むにつれ、呪霊の気配が大きくなっていく。呪術師を始めた当初はこの空気が気持ち悪くて仕方が無かったが、慣れとは怖いもので、今では全く気分を害する事もなくなっていった。

 

「先に言っておきますが、いくら東雲家のご令嬢であろうと、勝てないと判断したら真っ先に逃げてください」

「えぇ、ちょっと舐めすぎじゃない? 確かに私は強い方ではないかもしれないけど、頑張ればなんとか祓えるかもしれないじゃん」

 

 健人の言葉に、少しムッとする。確かに私は強くはないかもしれないが、其処迄言わなくても良いだろうに。これだって相当場数を踏んできた方なのに。

 けれど健人が言いたいのはそう言う事ではないらしい。

 

「舐める舐めないの問題ではありません。貴女は子供で、私は大人。私は己より貴女を優先する義務があります」

「何その理論」

 

 滅茶苦茶な理論だと、呆れた。別に大人が子供を優先しなければいけない道理なんてない筈である。特に呪術師という世界では大人子供女男なんて関係ない。弱ければ死ぬし、強ければ生き残る。それだけだ。それに大人子供を持ち出してしまってはもうどうしようもないだろう。

 

 まぁ、頑張れば祓えるなんて思っている私も大概だが。

 

 ふと、足音が聞こえた。

 

 ひたひたと。まるで裸足で歩いているかのような、そんな軽い足音。私と健人は音がする方向をじっと見つめた。

 

『おナがすいだヨぉ……』

「お出ましね」

 

 姿は大きめではないが、それでも成人男性の下半身くらいある呪霊。身体中にある無数の目が、私達を捉えた。

「此方は私が引き受けます。絵名様は其方の呪霊を」

 

 健人が指を差す方向を見ると、今目の前に居る呪霊より遥かに小さい呪霊が複数体此方を見ている。一体だけかと思ったが、どうやら二体いたらしい。

 

 二体の体格差や呪力量から見て、恐らくに私に指定された方が格下だ。明らかに馬鹿にされている様でなんだか腹が立つが、今はそんなこと言ってられない。

 

「繰り返し言いますが、勝てないと判断されたら直ちに逃げてください」

「だから、そんな馬鹿にされたくないっての」

「いいえ。馬鹿にしている訳ではありません」

 

 そう言って、健人はジャケットの釦を外す。その姿はあまりに手慣れたものだった。

 

「貴女は確かに幾つもの死線を越え、血の滲むような努力をしてきたのでしょう。然し、だからと言ってそれで大人になれた訳ではありません。渡る所の信号が全て赤だったり、物価高で惣菜パンが気軽に買えなくなったり。そういう小さな絶望の積み重ねこそが、人を大人にするのです」

 

 ジャケットの中から取り出したものは、包帯で巻かれた鉈だった。斑点模様の、健人が巻いているネクタイと同じ柄だった。

 

 何故だろうか。健人の言葉には、嫌に説得力があった。貫禄と言おうか、深みがある様な気がした。

 

「───わ!」

 

 私が健人の言葉に気を取られていると、いつの間にか目の前に迫って来ており、既の所で避けられたが私が避けた地面は大きな穴が空いていた。それを見て、血の気が引く。もし健人にもっと気を取られていたら骨すら残らなかっただろう。

 

「余所見は関心しませんね」

「あんたが喋りかけなんでしょうが!」

 

 少し見直したと思ったら直ぐにこれである。

 

 体勢を立て直し、戦闘体勢に入る。色々思う所はあるが、今は目の前の呪霊に集中しなければ。

 

 侮っている訳ではないが、それでも高く見積もって二級くらいだろう。単体では脅威ではない。けれどそれが二体居るとなると難易度が極端に跳ね上がる。

 

 五条先生から渡された小刀に触れる。確かに本家の方で様々な呪具の訓練を受けたからと言って実物を使い熟せる訳もなく。私はその手を離した。使い慣れないものを使って死ぬのはごめんである。

 

 呪霊が此方に途轍も無い速さで突進してくる。瞬きしたらもう目の前に狭て来ており、反射で私は身を逸らして避けた。呪霊の鋭く大きな爪が空を切り、避けきれなかった私の髪が無情にも切られた。けれどそればかりに気を取られる訳にはいかなかった。複数体いる内のもう一体が間を置く暇もなく襲いかかってくる。

 

 何回も、何回も攻撃を避ける。攻撃が思ったよりもすばしっこく、視界に入れる事すら叶わない。

 

 触れなけらば術式は発動しない。視界に入れなければ同じく術式は発動しない。本当に面倒な術式である。尤も、この速さで呪霊に触れてしまっては私の腕は体とおさらばしてしまうのだが。

 

 ふと、健人の方を見る。健人は次々に相手の四肢を包帯で巻かれた鉈で切って行っていた。包帯が巻かれた刃も出ていない鉈だというのに、どうして切れるのか私にはわからなかった。

「って、あっぶな!」

 

 私の一瞬の隙も見逃さず、二体の呪霊は私を挟み撃ちにする。咄嗟に上へ飛んで避けるが、それを見計らった様に何処からか呪力が飛んでくる。なんの術式の込められていない、ただの呪力。然しそれは私の頭蓋をかち割った。

 

「グッ……あ……!」

 

 その勢いで地面に落ちる。体の痛みより、頭の痛みが私を酷く襲った。目が開けられない。ズキンズキンと、頭全体に痛みが広がり、脳味噌が刺されているかの様な感覚であった。

 

 何かが私の頭から流れる。血……だろうか。嫌に温かい。けれど出ている箇所は氷の様に冷たかった。

 

 恐らく三体いたのだろう。三方向から呪霊の忌々しい笑い声が聞こえる。

 

「──絵名様!」

 

「邪魔しないで!」

 こっちに来ようとする健人を辛うじてある力を振り絞ってそう叫ぶ。

 

 内に沸いたのは、怒りであった。馬鹿にしたようなその笑い声は呪霊の口から出る度に吐き気に似た不快感が襲う。

 

「此奴は、私が殺す」

 

 そんな私の殺気を感じたのか、呪霊は後ずさる。私はそんな呪霊を無視し、立ち上がる。目眩が襲うが、今はそんな事はどうでもいい。

 

 此奴等を殺す。それだけが頭を支配する。

 

『ギ……ギ……グあァァァァァァァ!!』

 

 そう叫びながら、呪霊は感情任せに突進する。

 

 ──けれど、呪霊が私に打つかる事はなかった。本来私が居た場所には誰も居らず、ただ呪霊が無様にも辺りを見渡しているだけであった。私はそれを、上から見ていた。

 

 呪霊がそれに気付き、呪力をまた投げる。けれども私はそれを体を捻らせ避けた。いくら私とて、一度食らった攻撃は二度も受けはしない。

 

 重力のままに落ちる。腕を振り上げ、私は呪霊を捉えた。私が手にしているものは、小刀であった。五条先生が渡してくれた小刀。まだ扱い方が理解出来てない。けれど手に取った瞬間、此奴を殺すイメージが、くっきりと見えた。

 

 腕を下ろす。耳を劈く様な音と共に、呪霊を真っ二つに切る。けれど、それだけで呪霊は切れない。恐らく呪霊の〝核〟は此処じゃないのだろう。

 

 分裂した呪霊は二つに体を形成させる。まるでプラナリアの様だと、ぼんやりした頭でそう考える。呪霊はそんな事も露知らず、四体で私に突進する。

 

 けれど私に当たる既の所で、私は指を鳴らした。すると二体の呪霊の体は音を立てて破裂した。破裂した際の肉片や血液などが顔に掛かり、それを親指で拭う。

 

 呪霊の体に刃を突き立てた瞬間、刀を通して私の呪力を流し込んだ。呪霊の肉体や内に流れる血液、骨に至るまでの全てを私の呪力で満たし、そして術式を発動させる。試しにと想いやってみたが、思ったより効果覿面であった。

 

 もう二体も、四肢を切断する。二体は一瞬何が起こったのか分からない様子であったが、状況を理解したのか、身を捩って逃げようとするも、逃げる足が無い為まるで死にかけの虫の様に地面を蠢いていた。

 

 気持ちが悪い。そう思った。

 

「逃んじゃ無いわよ。大丈夫。あんたらが私にしたように頭蓋かち割ってあげるから」

 

 そう言って、私は腕を振り上げ、呪霊の頭に刀の柄を力の限り叩く。

 

 鈍い音がした。その瞬間、呪霊の体は塵の様に消えていった。どうやら頭が核だったようだ。

 

「絵名様!」

 

 健人の叫びと共に、呪霊の気配が背後に迫った。わたしは振り返る事なく小刀を呪霊の額へ投げた。それが命中したのだろう。今祓った呪霊と同じように塵となって消えた。その瞬間、此処に漂っていた呪霊の気配が全て消え去った。それを感じて、力の抜けた私の体は後ろに倒れた。けれど私の体が地面に倒れる事はなかった。

 

 目を開ける。目の前には真顔で私の体を支えている健人の姿があった。そのサングラスの奥の感情は、私には分からなかった。

 

「大丈夫ですか。絵名様」

「……ねえ、さっきから思っていたんだけど、その絵名様って言うのやめてくれる? なんかむず痒いし」

 

 私の予想外の言葉に呆気に取られる健人。サングラスをしていても少し驚いていることだけは理解出来た。

 

「では、何と御呼びすれば良いのですか?」

「絵名様以外だったらなんでも良いわよ」

 

 私を片手で支えながら、もう片方の手で顎に手をやりながら無言で考える健人。私は別に重いわけではないが、それでも女子高生一人を片手で支えるのは常軌を逸している。けれど背中に感じる太い腕が説得力を増していた。

 

「では、お嬢……はどうでしょうか」

「ふーん。悪くないじゃない。じゃあ改めて宜しく、健人」

「ええ、宜しくお願い致します。お嬢」

 

 その言葉を最後に、限界が来たのだろう。私は気絶するように意識を手放した。健人の声が、じんわりと体に染み込んで来るような、そんな居心地の良さを感じながら。




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