呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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呪術師になって初めての夏。思ったよりも、それは居心地が良かった。


第三十七話 夏と海の親和性

「おお! 海だー! 潮風気持ちー!」

 

 列車の窓を開け放ち、そう大声で叫ぶ星さん。確かに星さんの言う通り窓から入ってくる風が気持ち良い。

 

 季節はもう七月後半。本格的に暑さが襲ってくる季節であった。

 

「こら星さん。身を乗り出したら落っこちちゃうわよ」

「えーそうなったら東雲さんが助けてくれるでしょ?」

「………………」

 

 確かに助けるけれども。そうなる前に先ずはその子供っぽい事をやめて欲しい。そう思った。

 

 東京から電車や新幹線を乗り継いで約三時間。私達は関西地方に向かっていた。朝早くの新幹線は嫌に空いており、私達は起きるのが早かったという事もあり各々寝てしまっていたのだった。

 

 そして今の時刻は十一時。お昼時真っ只中であった。腹の虫も鳴く頃合いである。

 

「腹減ったな。弁当でも買うか?」

「旅館でお昼ご飯が用意されてるから少しは我慢して」

 

 私の言葉に、秤くんは「へーい」と退屈そうに言葉を発した。

 

 関西は昔から妖怪伝説が数多く存在している。鵺であったり、姥ヶ火であったりと特徴的な妖怪の発祥の地でもある。それ故に、そんな噂、人の想いが集い、呪霊の数も比例して多くなるのだ。

 

「つーかさ、こういうのは京都校の仕事じゃねーのかよ。何で東京校である俺達が態々三時間もかけて赴かなきゃいけねぇんだよ」

「いや、マジそれななんだけど」

「しょうがないでしょ。上層部からの命令なんだから」

 

 今回は五条先生曰く、上層部直々の任務らしかった。こんなことを言っている私であるが、実際内心では秤くんに同意をしている。そもそも朝の弱い私がこんな早起きしなければいけない状況を看過出来る訳がなかったのであった。

 

 けれども私達はまだ何の権限もない学生の身。抵抗なんて出来るわけがなかったのだ。

 

 そんな想いさえあれど、それでも少しばかり期待している事もあった。

 

「因みに今から行く旅館、あの鳳財閥が経営しているらしいわよ」

「あ? 鳳財閥って、あのフェニックスワンダーランドの?」

 

 そう。私達が今から向かう旅館はあの日本有数の、財閥、鳳財閥が展開している高級旅館であった。レビューを見てみたが意外と好評らしく、それをメッセージでえむちゃんに言ったら「最高のおもてなしをしますね!」と何やら含みのある返信が返って来たのは記憶に新しい。

 

 窓を見る。窓には一面海が広がっており、東京では見れない綺麗な景色がまるでカーペットの様にゆっくりと波を打っていた。太陽に反射されて波がキラキラと光っている。海は、どうだろうか。行ったことがあるのだろうか。もうそれすらも覚えていない。彰人に聞けば多少はわかるだろうか。

 

「私フェニックスワンダーランド大好き! フェニーくん可愛いよね!」

「フェニーくんってなんだ?」

「えー。知らないの? 金ちゃん。フェニックスワンダーランドのマスコットキャラクターのフェニーくんだよ。ペンキンがモチーフでコロコロしていて可愛いの」

 

「ほら」と、星さんは私と秤くんにフェニーくんが映っているスマートフォンの画面を見せた。そこには緑色のまん丸としたペンギンが大小並べて座っている。記憶にはないが、確かに見覚えはあった。

 

「ほー。如何にも若者向けって感じだな」

「そんなことないよ。意外と老若男女に幅広い人気を誇ってるんだ。でも最近は少し来場者が減少しちゃってるんだって」

 

 そんな事を言いながら、星さんはスマホを見て眉をハの字に曲げる。確かピクシェアでそんな話が出ていた様な気がする。知り合いの経営しているテーマパークが困難になっている事実は、なんだか心が苦しい。まぁ、だからと言って私に出来る事は何もないけれど。

 

「そんな事より、お前怪我大丈夫なのかよ。病み上がりだろ」

 

 先程社内販売で買ったルイボスティーを飲んでいる私に、秤くんは問うた。その言葉に、右手で包帯で巻かれている頭を触った。

 

 先日の商店街で私は頭蓋に罅が入ってしまった様で、長らく自室で療養をしていた。授業も出れず、けれど任務はこっちに関係なくやってくるもので、成る可く頭を守りながら呪霊を祓っていたものだ。尤も、罅と言っても家入さん曰く軽傷だったようで、5、6週あれば頭の痛さも引いていた。

 

「うん。大丈夫。もう平気」

 

 その言葉に、「ふーん」と言いながら窓の外を見る秤くん。一見そっけなく見えるが、私の事を心配してくれている事は拙い私の頭でもわかった。

 

 素直じゃない奴。私が言えた事ではないのだが。

 

 所で何故私が頭の包帯を依然として巻いているのかは、それは単純に別の任務で頭の皮膚を負傷したからであった。されど切り傷だが、私にとってはたかが切り傷。こんなんで任務を休める訳が無い。

 

「ま、なんかあれば言えよ」

「あら? なんか今日はやけに素直じゃない」

「後々の投資になるからな」

「それが本命か」

 

 通りで様子がおかしいなと思った。それはそうだ。秤くんがなんの損得もなく人を心配するわけがなかった。

 

 落胆すると共に、いつもの様子の二人に安心する自分も居た。この空気が居心地が良いと思えるなんて、私も大分絆されたものだと、日に反射する海を窓越しに眺めながらそう思った。

 

 

 

 

「お待ちしておりました。呪術高等専門学校御一行様」

 

 駅から出て片道三十分。補助監督と合流をして私達は、山の上にある趣深い旅館『坂葺旅館』に来ていた。事前に見ていた画像通り、広く綺麗な所であった。夏という事もあり、緑が綺麗である。ただ蚊に刺される。それだけを除けば。

 

 目の前では綺麗な女将さんが此方に向かって頭を下げていた。

 

「こんな良い所に泊まれるなんて。お世話になります」

「いえいえ。此方としてもあの東雲家の方に泊まって頂けるなんて光栄の至りでございます」

 

 そう言ってまた頭を下げる女将さん。なんだろうか。こう遜られるのも段々と慣れて来てしまい、少し自分で怖くなってしまう。慣れとは、恐ろしい。

 

「マジで〝東雲〟ってすげぇな」

「それだけじゃなくて、此処の人たちはちゃんと一般客にも丁寧な接客をしてるわよ」

 

 秤くんの言葉に、溜息を吐きながら答える。レビューを見れば女将さんと仲居さんがどれだけお客さんに尽くしているか一目瞭然だ。勿論肯定的な意見ばかりでは無かったが、それでも冷たい接客という言葉は一つも出て来てはいなかった。

 

 こんな良い所に泊まれるなんて、五条先生も少しは見直せる所もあるではないかと、心の隅で思うのであった。まぁ、私の名前を出したのは若干気に障るが。

 

 そんな事を考えていると、遠くから足音が聞こえる。歩いているのではない。子供が無邪気に走り回っているかの様な、そんな軽快な足音。

 

「絵名さーん! お久しぶりでーす!」

「えむちゃん!? なんで此処に!?」

 

 廊下の奥から出てきたのは、長らく会えていなかった鳳えむと言う女の子であった。驚きのあまり目を見開いて立ち尽くしている私なんてお構いなしに物凄い勢いと力で抱きついてくるえむちゃん。なんとか耐えたが、服の下の傷が痛む。恐らく訓練していなかったらとっくに倒れているのだろう。

 

「えへへ。絵名さんが来るって聞いて、思わず来ちゃいました!」

「おもてなしって、これ?」

 

 呆れながらも、どこか可愛らしく思える彼女の行動に、思わず笑みが溢れた。

 

「あのー。ちょーっと良いかな?」

 

 そんな私達の間に入って来たのは、片手をあげている星さんだった。

 

 あ。っと、思わず声が出た。えむちゃんの突然の登場で忘れてしまっていた。そうだ。今回は任務で来て、秤くんと星さんもいるんだった。

 

「紹介するね。この子、鳳えむちゃん。鳳財閥の娘さんだよ」

「え!? 鳳財閥って、朝話してた!?」

 

 星さんはそう言って眼球が溢れる程に目を見開いていた。まぁ、当然ながら驚くだろう。朝丁度話していた鳳財閥の娘がタイミング良く今目の前にいるのだから。

 

「初めまして。鳳えむです!」

 

 眩しい程の笑みを見せるえむちゃん。そんな太陽の様な笑みに、星さんは目を細める。わかる。わかるわよ。彼女の笑みには目を潰す程の眩しさがある。私達にはない純粋無垢な天真爛漫な表情。

 

 数十秒経って、漸く落ち着いたのだろう。星さんは咳払いをしながら自己紹介を返した。

 

「えっと、星綺羅羅です宜しくね」

「絵名さんから聞いてます! 大好きなお友達だって」

「えむちゃん!?」

 

 突然の爆弾発言に、思わず私はえむちゃんを持ち上げて外に出る。その間、凡そ一秒にも満たなかっただろう。外は変わらず蝉が鳴いている。

 

「誰もそんな事言ってないよね? なんで事実を捏造するのかな? 二人があらぬ誤解してしまうじゃない」

「ほえ? でも二人と居るのはそんな悪い気はしないってこの前言ってませんでしたっけ」

「言ったけれども。言ったけれども!」

 

 まさかえむちゃんがとんでもない拡大解釈をする人間とは思わなかった。今この空気になっても純粋な顔を崩さないあたり、心の底から私がそう思っている事を信じて疑っていない様にも思える。

 

 確かに秤くんと星さんと一緒に居るのは気が休まるとかなんとか行った覚えはあるが。あれ? 言ったっけ。大好きって。いいや、思い返してもそんな事を言った覚えはない。もしかしたら記憶障害がこんな所にまで出ているのか? だとしたらえむちゃんが言った事も事実なのかもしれない。

 

 ……いや、それは有り得ない。私の性格上、そんな事をど直球で言う筈がない。やはりえむちゃんの拡大解釈か。

 

「でも、絵名さん二人の事大好きですよね」

「もう、もう黙って」

 

 あまりに恥ずかしく、顔を覆いながら地面に倒れ込む。突進されても地面に倒れなかったのに、まさかえむちゃんの言葉で倒れてしまうなんて考えもしていなかった。

 

 笑い声が聞こえ、玄関の方を向く。其処にはニヤニヤと笑いながら此方を見ている星さん。その姿の原立つことと言ったら。私は思わず睨みを効かせた。

 

「えー。そんな顔しても怖くないし。へー。そうなんだ。東雲さん私達の事が大好きなんだ。照れちゃうなー」

「次そのふざけた口開いたら二度と開けない様にしてあげる」

 

 私の口から出たのは照れ隠しも度が過ぎている汚い言葉であった。いけないいけない。そんな事を言ってしまえばえむちゃんが怖がってしまうじゃないか。それは本望ではない。

 

 けれどもえむちゃんはそんな私の言葉など聞こえていないように「仲良しですねー」とニコニコ笑っていた。

 

 ……あぁ、もう良いよ。それで。

 

 こんな事を思いつつ、けれども否定出来ないあたり矢張り私も絆されている。

 

「そういえば、秤くんは?」

 

 ふと我に返り辺りを見渡すけれど、先程まで星さんの隣にいた筈の秤くんの姿が何処にも見当たらなかった。

 

「あぁ、秤様なら彼処に……」

 

 女将さんが差した先には、恐らく遊戯場があるであろう両開きの扉であった。その中からなんだろうか。機械音が軽快に流れていた。

 

 真っ直ぐと歩く。私の足取りには迷いはなかった。

 

 扉を開けると、其処には椅子に座って何やら台を回している秤くんの姿があった。その顔は何処か溌剌としている。

 

『終電、なくなっちゃった』

「よっしゃー。確定演出きたー! 大当たりだぜー!」

 

 振り上げた掌を、真っ直ぐと振り下ろしたのだった。

 

 

 

 

「はい。このスカポンたんが秤金次くんです。仲良くしないで良いよ」

「鳳えむです! 宜しくお願いします!」

「おう。絵名の知り合いにしては根明じゃねぇか」

 

 遊戯場に付属していたパチンコ台からなんとか秤くんを引き剥がし、えむちゃんの前に座らせた。それに対してもえむちゃんは一つも動じておらず、最早えむちゃんの純粋さに恐怖すら抱く今日この頃であった。秤くんも秤くんで全く反省の色が見えないしでもう頭を抱えるしかなかった。

 

 というか私の知り合いにしてはってどう言う事だろうか。全く、失礼な物言いをする人間である。私だって根が暗い訳じゃない。ただ少しだけネガティヴなだけだ。

 

 誰に伝える訳でもない言い訳を心の中でつらつらと並べる。

 

「お二人も呪術師なんですか?」

「そうだよ。て言ってもまだ四級なんだけどね。私と金ちゃん高校デビューだし」

 

 そう言って「たはは」と笑う。そんな姿を見て、私は少しだけ驚いていた。

 

 そうか。今迄気にした事はないが、当然、私達三人には等級が与えられている。等級は学生証を見れば分かると五条先生は言っていた。けれど学生証なんて見る機会なんてなく、私は自分で自分の等級を未だ把握していなかったのであった。

 

 と言うか二人が今年から呪術師を始めたと言う事も初めて知ったのだが。何かと私達三人はお互いの事を何も知らないのだなと、心の隅で思う。

 

「あの、皆様」

 

 おずおずと言った風に、女将さんは手を挙げる。

 

「そろそろ、お食事にしませんか? 折角の料理が冷めてしまいますよ」

「あ」

 

 四人の声が重なる。色んな事があり過ぎて忘れていたが、それを自覚したからか私達三人の腹が大きな音を鳴らした。

 

 私達は顔を見合わせ、取り敢えず腹拵えだと、笑い合った。

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