呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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分かり合えない事だって、きっとある。


第三十九話 衝突

 夏の風物詩は沢山ある。海であったり、お祭りであったり、虫取であったり──怪談であったり。そう、夏というのは四季に於いて最も人の念を集め易いのだ。

 

「とは言っても、先月よりはマシだけどな」

「だよねー。なんだっけ、こう言うの。〝はんもうき〟?」

「〝繁忙期〟ね。覚えなさいよそれぐらい」

 

 二人の話に溜め息をつきながらそう言う。然しまあ、秤くんの言う通り先月は本当に忙しかった。

 

 呪術界に於いて、一般的に一番忙しい時期は初夏と言われている。冬の終わりから春にかけての人間の陰気が纏めて呪霊として一気にやってくる。その量は想像を絶する程であり、まだ呪術師に成り立ての私ですら様々な場所へ派遣されたものだ。

 

 そんなことを思い出しながら、私達は生い茂る草木を掻き分けながら獣道を進む。直ぐ近くの木に止まっているのか、蝉の声がやけに煩く感じた。

 

「てか暑くない? 今何度あるの?」

「待って、確かスマホの温度計で……って、駄目だ。圏外」

 

 星さんの言葉にスマートフォンを確認するが、映し出されたのは無情にも圏外と言う文字だった。いつもの私なら焦っている所だが、暑さの所為もありもう怒る気力も無い。

 

「つーか。俺ぁ朝八時からって聞いてたんだが、なんで真っ昼間の、一時にこんな山奥にいるんだ?」

「私に聞かないでよ。文句は五条先生に言ってよね。私だって腹立ってんだから」

 

 朝の七時くらいだったろうか。丁度私達が旅館の美味しい朝食を食べている所に、水を差すかの如く五条先生からの着信が鳴ったのだ。話の内容は「昨日伝え忘れてたけど時間変更になって十三時からになったから」だった。まだ潮らしく謙虚で居てくれたら許せていたかもしれないのだが、こうもあっけらかんと言われると何だろうか。込み上げて来るものがある。勿論悪い意味で。

 

 今更心の中で愚痴ってもしょうがないとは分かってはいるが、それでも沸いてくる憤怒は消化されずどんどん蓄積されていく。暑さの所為もあるのだろうか。

 

「帰ったらマジでぶん殴ろう」

「右に同じく」

「左に同じく」

 

 二人も暑いのだろう。私の言葉に応えた声があまりにも覇気の無いものであった。然しそこに隠されている怒りはじんわりと滲み出ていた。

 

 そして何故今この場に補助監督が居ないかと言うと、五条先生の遅れた連絡により予定がごちゃごちゃになってしまい、他の任務に着いていかなくてはならなくなったのだ。それだけで申し訳ないのに、私に対して無茶苦茶底辺低頭で謝られたのだった。

 

 それから二十分くらい歩いただろう。目的地の神社は本当に山の奥の、更に入り組んだ所に建てられていた。

 

 恐らく人は全く訪れていないであろう其処は無残にも荒れ果てており、草木も生え放題であった。

 

 人の新興の失くなった場所と言うのはこんなにも尊厳が失くなるのか。そう思う程の惨状である。最早可哀想だとも思える程だ。

 

 なんて、神様何てこれっぽっちも信じていないが。

 

「うわぁ、酷い有り様だねぇ。雰囲気も禍々しいし、此処に呪霊が居るのも納得だわ」

 

 そんな事を言いながら、星さんは一人歩みを進める。彼には恐怖心と言うのがないのだろうか。まぁ、そんなものを持っていたとて呪術師として生きていけないのだろうが。

 

「お、看板がある。どれどれー……って、掠れすぎでしょ。苔もへばり付いてるし、これじゃ見れないじゃん」

「ちょっと、そんな遠くに行かないでよね。呪霊に取り込まれでもしたら大変だよ」

「うへぇ、経験者は語るってやつ? 説得力あるなぁ」

「は? 今馬鹿にした?」

 

 確かに私の遭遇する呪霊は内に取り込んだり、領域に引きずり込んだりと何故か此処とは違う場所に取り込む呪霊が多いが、それでもそんな風に言われるのは心外である。私だって好きで取り込まれている訳ではないのだから。

 

 私の顔を見て「ごめんごめん」と舌をだしておどけて見せる星さん。いつもなら食って掛かるが、今はもうそんな気力もない。星さんの顔を見たらすうっと怒りが消え失せ、何故か許してあげよう。そんな気持ちになる。

 

 そんな事をやっていると、ふと、何かが叩く音がした。軽い、手の甲で叩いているみたいな、そんな音。それは本殿から聞こえていた。普通だった気付かないであろうその音。気付いたのは。あまりに叩く音がこの場に不釣り合いだったから。私達は思わずその方向を見た。

 

 ノックの音は次第に速くなり、そして遂には本殿の障子は破かれた。

 

「あれが、土地神かよ。落ちぶれたもんだな」

 

 出て来たのは、神と言うには悍しく、まるで妖と言われても差し支え無い程に禍々しい怪物であった。

 

 ──それは紛れもなく、呪霊だ。

 

『ウあアアアアあアアあアあ!!』

 

 言葉とは言えない轟音。恐らく神の成れ果てであろう。それ故なのか今まで対峙してきたどの呪霊より雰囲気が恐ろしかった。

 

 信仰の途絶えた伽藍堂の神。それがこの恐ろしい呪霊を産み出したのだ。

 

 まるで落武者である。元々高貴な姿だっただろうが、今では見る影もない。なにも知らなければ化物と石を投げているところだ。まぁ、それは比喩表現だとしても、それくらい落ちぶれていた。

 

「うへえ。これが呪霊? なんか変な匂い」

 

 そう言って鼻を摘まむ星さん。確かに星さんの言う通り、呪霊から腐臭の様な臭いが風によって漂ってくる。出来れば近付きたくないのだが、そうは言っていられない。

 

「私が前衛に行くから、二人は援護お願い」

 

 私の言葉に、「命令してんじゃねぇよ」と秤くんは吐き捨てる。けれど後ろに下がって構えているあたり、反発は口だけの様だ。

 

 一歩踏み出す。前を見る。

 

『あ……ア?』

 

 ──けれど、其処に呪霊は居なかった。

 

 どうしてだろうか。遠くに居た筈の呪霊の声が、真横から聞こえるのは。

 

 息遣い。これは誰の息だ? 私かもしれない。秤くんかもしれない。星さんかもしれない。けれどどれも違うような気がする。

 

 私達三人ではないもう一人の誰か。

 

 誰? いや、人間ではない。けれどそれを確かめる為に視線を動かそうとするも、何かが邪魔をしてそれが叶わない。これは、紛れもなく恐怖だった。

 

「────ッ!」

 

 全てを振り払い、無理矢理体を動かし、呪力を流す。けれども私が首を少し。ほんの少しだけ動かしただけでも呪霊は私の行動に反応し、私を片手で意図も容易く投げ飛ばした。私はその勢いのまま木に背から打つかる。

 

「絵名!」

 

 秤くんがそう叫ぶが、その声に反応したのか今度は秤くんの方に意識を向けた。秤くんは私に気を取られていた所為もあり反応が遅れ、距離を詰める事を良しとしてしまっていた。何とか駅の改札の様なものを出して呪霊を挟むも、容易くそれを避ける。

 

 あまりにも、速度が速い。嘗てのバフが掛かった秤くんの比にならない程。

 

 私は直ぐに立ち上がり、腰に付けている小刀を取り出し駆け出す。彼奴の速さに追いつけるとは思わない。けれどもせめて秤くんに攻撃する前に呪霊に追いつけばいい。

 

 けれど、私の目論見を見事に外れ、呪霊は秤くんに攻撃せず、私を見た。

 

 目が、合う。その深淵より深い色の瞳に私が反射した。その瞳の奥の私を認識した途端、私は無意識に下へ伏せた。その瞬間、私の後ろにある複数の木々が音を立てて粉々に砕け散った。

 

 それを見て、私は血の気が引いた。本当に無意識だった。無意識下の危機管理能力が命辛々避けれたのだ。

 

 攻撃を避けられた事に驚愕したのか、呪霊は目を見開いて一瞬固まる。その一瞬を見逃さず、手袋を外して地に手を付ける。そして呪力を流し、地面をまるで大きな日本人形の様な形にし、その人形を動かして攻撃した。然し呪霊にとってまるで蚊の攻撃の様で有り、私が作った人形は片手で粉砕された。けれど、それで良い。

 

 呪霊が人形に気を取られた一瞬の隙、私は秤くんと星さんを連れて物陰に隠れた。

 

「なんだあの強さ。俺以上だぜ」

「自分に対してどんな評価をしているのか知らないけれど、まぁ、確かに強いと言うのは同意ね」

 

 私はポケットから掌サイズの手鏡を取り出し、それを使って呪霊を見る。呪霊は私達の居場所が分からないらしく、辺りを見渡しながら私達の行方を探している。その様子は宛ら村に降りてきた化け物の様であった。

 

「どう? 勝てそう?」

「残念ながら勝てるビジョンが見えないわね」

 

 今までの呪霊が決して弱かった訳ではない。けれどそれ以上に奴は強かった。

 

 背中がズクズク痛み出す。どうやら木の破片が刺さったり枝で皮膚を切っていた様で、熱い感覚が背中全体に伝わる。痛い。けれどそれは今無視しろ。

 

 今思考を向けるべきは背後で私達を探している呪霊だ。

 

「はい。じゃあ作戦思いついた人手上げてー」

 

 星さんの言葉に、誰も手を挙げなかった。言い出しっぺの星さんですら、手を下げた。当たり前だろう。あんな恐ろしい呪霊、どうやって祓えば良いんだ。

 

 あれは決して三級や二級なんてものじゃない。

 

 紛れもなく、特級だ。

 

 信仰がなくなったとて、神は神。そんな人間を超越した存在に、人間が勝てる訳がなかった。

 

 けれど──。

 

「それで逃げて良い理由にはならないわよね」

「絵名?」

「私が何とか隙を作る。その隙をついて二人は呪霊を祓って」

 

 そう言いながら、また後ろを覗き見る。遠くに投げ出されている私の小刀。あれを取りに行けたら良いのだが、そんな余裕はないだろう。

 

「ちょっと待て」

 

 そう言いながら秤くんは私の腕を掴む。秤くんの顔を見ると、眉間に皺を寄せていた。怒りが、内から漏れ出ていた。

 

「お前、良い加減にしろよ。なんで一人で突っ込もうとするんだよ」

「いや何でって、全員で突っ込んで全滅より全然良いでしょ」

 

 勿論死のうとは思っていないが、それでも一人が向かって、その隙を狙って攻撃した方が勝率は上がる。と、私自身は思っている。

 

「そう言うことじゃねぇだろ。もう少し考えろって言ってんだよ。何でお前頭良いくせにそんな単純な思考しか出来ねぇんだよ。もう少し頭使え」

「は? 何その言い方」

 

 秤くんの言葉に、思わず腹が立ち言い返した。

 

「じゃあ何? 全員で突っ込んで死ぬのが正しいってこと?」

「何もそんなことは言ってねぇだろ。もっと考えろって言ってんだよ」

「そんな時間あるわけないでしょ? あんたももう少し考えてものを言いなさいよ」

「それでも今の作戦は無しだろ。お前が死んだらどうすんだ」

「じゃああんたが何か案を出しなさいよ。無いんだったら黙ってて」

 

 ピリピリした空気が辺りに流れる。秤くんも私も、一歩も引かない。ギリギリと秤くんが掴んでいる右手が痛み出すが、それでも今はどうでも良い。

 

 秤くんが言っている事はご尤もだろう。然し今はそんな事は言ってられない。時と場合が違いすぎる。今こうして言い合いをしている時間すらも惜しいと言うのに。

 

「ね、ねぇ、喧嘩やめようよ。今そんな場合じゃないで──」

 

 その瞬間。

 

 盾にしていた祠が音を立てて崩れた。そのあまりに大きな暴風に、思わず喧嘩している事も忘れ視線を外した。

 

 どうやら見つかってしまったらしい。瓦礫が積み重なって落ちる向こうに、此方を忌々しく見つめている呪霊の姿が、そこにはあった。

 

 まずい。そう思ったが既に遅く、呪霊は私の目の前に一瞬で迫った。

 

 瞬きの間であった。けれどその間にも、呪霊は一気に距離を詰めたのだ。呪霊は爪を使って私の目を潰そうと爪を立てた。何とか既のところで回避できたが、呪霊の爪が私の瞼を引き裂く。

 

 落ち着け。思い出せ。二人と体術訓練を。祖父の八つ当たりを。

 

 私は地面へ伏せ、そのまま呪霊の足を払う。意外にも呪霊の反応は遅れ、伏せていた私の目線と呪霊の目線が同じ高さに来た。それを逃さぬべく、そのまま呪霊の顔を掴む。

 

 私が祓えなくても良い。ただ隙を作れ。その為にはこの呪霊を弱体化しなければ。

 

 呪力を流しながら、術式を発動する。祓える事は出来なくても、少しくらいはダメージを負わせる事が出来るはずだ。

 

 けれど、私の術式が発動する事はなかった。それどころか呪霊を掴んでいた私の右腕が弾け飛んだ。いや、弾け飛んだと言う表現は違うか。吹き飛ばされた様に私の右手は後へ飛ばされた。千切れはしなかったが腕と胴を繋いでいる関節がまるで鈍器で殴られたかの様な激痛が走った。

 

「絵名! くそ!」

 

 そう言って秤くんは手印を結ぶ。

 

「領域展開──『坐殺博徒』」

 

 その瞬間、秤くんと呪霊を囲う様に黒い球体が出来る。

 

 ──領域展開だ。

 

「東雲さん! 腕大丈夫!?」

「繋がってるし平気。そんな事より秤くん大丈夫なわけ?」

「わ、私に聞かないでよ」

 

 星さんとそんな話をしなが秤くんが展開した領域を見る。

 

 領域の中で発動した術式は絶対必中。単純に考えれば領域を展開した秤くんに勝機はあるように見える。

 

 ──けれど、その一気に失くす方法が、二つある。一つは領域の端に行って領域そのものを壊す方法。もう一つは──。

 

「──!! 何これ!?」

「やっぱり……!」

 

 秤くんが展開した領域を囲う様に、また新たな黒い球体が音を立てて出来上がっていく。私は完全に閉じる前に駆け出した。あれが閉じる前に何とかして秤くんの領域を壊さなければ。

 

 けれど私が辿り着く前に領域は完全に閉じてしまった。何とか壊そうと殴ったり蹴ったりしたのだが罅どころか傷一つ付けることが出来なかった。

 

 相手の領域を破壊する方法。それは自らも領域展開をする事。と言っても例え領域を展開したからといって完全に相手に勝てる訳ではなく、力量の差で領域を塗り替えるのだ。

 

 秤くんの領域が呪霊の領域に塗り潰された。これが何を意味するか、説明するまでもない。

 

「金ちゃん……! どうしよう……」

 

 星さんも私と同様壊そうと必死になっているが、それでも壊すことは出来ない。

 

 ……一つ、手はない訳ではない。けれどもそれをしてしまえば中に居る秤くんの安否を保証できないのだ。

 

 どうする? 考えている暇はないわよ。一か八か賭けるか、このまま壊れるまで殴り続けるか。

 

「……星さん、方法はひとつある」

「ほんと!? じゃあ直ぐに──」

「でも」

 

 そこで私は星さんの言葉を遮った。これは、本当に大事な事だ。私一人だけの問題じゃない。

 

「この方法を実行すれば多分領域は崩壊する。けど、秤くんの安全は完全に保証出来るものじゃない。もしかすると押し潰されて死んでしまうかもしれない。それでも、やる?」

 

 私の言葉に、星さんは黙った。明らかに困ったような、追い詰められた顔をしていた。

 

 意地悪な質問だと自分でも思う。けどどうしても星さんの了承を得なければいけない。何故ならこれは星さんの協力が必要不可欠なのだから。

 

 黙ってた時間は、十秒にも充たなかっただろう。星さんは下げていた顔を勢い良く上げた。

 

「やる。少しでも可能性があるのなら」

「……良いの?」

 

 意外な言葉に、思わず聞き返す。質問してなんだが、これは本当に危険な方法である。熟考したからと言って直ぐに結論を出すなんて……。

 

「良いの。やるったらやる。金ちゃんは生粋のギャンブラーだよ? ここで運を使わなきゃいつ使うって話だよ。それに──」

 

 そう言って、星さんは私を見て不敵に笑った。

 

「東雲さんだって、まだ金ちゃんを諦めていないくせに」

 

 星さんの言葉をに少し面を食らう。星さんは此方を見透かしたように、余裕を咬ましていた。

 

 なんだ、全てお見通しってわけか。

 

「そうね。そうだわ……よし、秤くんを助けるわよ」

 

 己を鼓舞する様に、私は自分の頬を強く叩く。集中しろ。失敗は許されない。

 

 目標はあの球体。その中に居る、大切な同級生。

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