神に対抗する手段は、持ち合わせているか?
方法は意外と単純である。星さんに領域にマーキングしてもらい、その隣り合っている星を私にマーキングするだけ。星さんの術式は隣り合う星の内呪力の出力が大きい方に引き寄せられるもの。その反動を使って私は術式で伸ばした小刀──とは最早言えない刀を使って真っ二つに切る。それの何が危険かと言うと、中に居る秤くんも巻き添えで切ってしまう恐れがあるのだ。
秤くんが今どの場所に居るのか分からない。その不安が少しだけ気後れさせる。
いや、でもやるんだ。これしか方法はないのだから。
早くしないと助け出す前に領域の中で死んでしまうかもしれない。
星さんが領域に触れてマーキングをする。私はそれを見て己の持っている刀を握り直した。大丈夫。上手くは扱えなくても一通りの訓練は受けてきた。多少の心得はある筈だ。
「こっちは準備出来たよ。東雲さんは大丈夫?」
「……うん。平気。いつでも良いよ」
星さんの言葉に私は刀を構える。緊張の糸が辺りに張り巡らされ、最早小鳥の囀りも蝉の鳴き声も聞こえない。
「行くよ──」
そう言って、ゆっくりと私の肩に触れる。すると私の体は物凄い勢いで領域の方へと引き寄せられる。今まで感じたことはなかったが、その勢いに思わず目を瞑ってしまいそうになる。
けれど、駄目だ。ここで目を離したらあらぬ方向に切ってしまいそうになる。
何とか目を開けて刀を構え、体勢を立て直す。そして領域の前に迫った途端、私は力強く刀を振りかぶった。
「──よし!」
真っ二つ。硬くて切れない可能性も考えていたが何とか領域は破壊された。
私はその勢いのまま木に打つかる。あまりの勢いに木は音を立てて崩れた。こんな何回も木々を倒してしまってはここの神主に申し訳がないと、空を仰ぎながら考える。まぁ、この神社に神主がいるかどうかも怪しいが。
ハッと我に返り、起き上がる。秤くんは。秤くんは無事?
領域の方を見ると、星さんが秤くんを保護したのだろう。星さんの元で、血だらけになって力なく膝をついていた。
「秤くん! 大丈夫!? 生きてる!?」
「うるせぇな! 何とか息はしてるよ!」
良かった。叫ぶくらいの元気はありそうだ。
私は呪霊が唖然としているうちに二人の方に駆け寄った。秤くんは助け出せたものの、これからの作戦が何も思いつかない。
どうするか。相手が領域展開出来るとは思わなかった。これじゃまともに戦っても全滅コース待ったなしである。
「おお。金次と絵名ボロボロじゃん。ウケる」
ふと、そんな声が聞こえた。低く、まるでミルクの様に甘い声。振り返ると壊れかけの鳥居に五条先生が立っていた。
「五条先生!? 何で此処に!?」
「いやぁ、僕の大切な教え子がピンチだって聞いて飛んできたのさ。流石僕。GLG五条だね」
「ところで何食べてんの?」
「え? そこの商店街で買った鯛焼き。チョコレート味」
その言葉を聞いて、肩を落とす。何が飛んできただ。思いっきり寄り道しているじゃないか。あれ? けど足音の一つもなかった様な。本当に飛んできた? 物理的に?
そんな考えが湧いて溢れてくるが、首を振って捨てる。今はそんな事を考えている暇はない。今は五条先生が何で来たのかはどうでもいい。
「で? 今ピンチ?」
「…………えっと」
「ピンチもピンチ大ピンチ! 助けて五条先生!」
そう叫びながら、星さんは五条先生に泣きついた。そのあまりの赤裸々の姿に思わず目を見開いて身体が硬直した。
そんな星さんを見て、五条先生は口角を上げて不敵に笑った。
「可愛い生徒にそう言われちゃしょうがないね。この五条先生にまっかせなさい」
態度はいつも通りな筈なのに、どうしてか頼り甲斐というか、心強さを感じた。
これが、特級と言うものなのだろうか。
呪霊は何かを察したのか。もしくはただ敵と認識しただけなのか。五条先生の方へまっすぐと向かった。けれど五条先生はそんな呪霊をゆっくりと振り向くだけであった。けれど振り向く一つ一つの行動の度に呪霊はとんでもない速さで距離を詰めた。
もしかしたら負けるかもしれない。そう思った瞬間思わず叫びそうになった。
けれど、そんな叫びは結局私の口から出る事はなかった。
距離を詰めた筈の呪霊。けれど結果的には五条先生には辿り着けない。正確に言えば、呪霊の攻撃が五条先生の既のところで止まったのだ。まるでそこに透明な壁があるかのように。びくともしない。
「驚いたでしょ。これが僕の術式。『無下限』って言って、今君が触れているのは僕と君との間にあった『無限』だよ」
その説明がどこまで相手に届いているのか。いや、届いていないだろう。意思の疎通が出来るか怪しい呪霊だ。こんな小難しい話をしたとて理解できる訳がない。それを五条先生は分かっているのか「ま、解んないだろうけど」と嘲り混じりの笑みを浮かべていた。
呪霊はその異様な雰囲気に気付いたのか、一度距離を取ると手印を結んだ。その姿に、思わず「嘘でしょ……!?」と口の端から漏れ出た。
領域展開はその莫大な恩恵を受けると同時に、呪力の消費が馬鹿にならない。何なら領域展開の後は呪力が枯渇する程だと実家の書庫で読んだ記憶がある。
それを、やるのか。二度に渡って。
今度は秤くんだけではなく、私たち四人をも巻き込んで領域が展開される。地盤の緩み。軋み。何とか転ばない様に気をつけていたが、それでも思わずよろめいてしまう。
出てきたのは、大量の鳥居がある場所であった。祠と、鳥居と、本殿と。まるで日本中の神社を一ヶ所に集結させたかのような場所は端の端まで終わりが見えない。
これが、領域の中。
身が震える。自分で思う以上にこの場所は恐ろしく思えた。
五条先生は顔を顰めて「うへぇ」と漏らしている。
「わあ。何だここ。気持ちわる」
「だろ。此処で何処かから来るかも分からねぇ攻撃を受ける俺の気持ちを考えてみろ。ま、ギャンブルみてぇで面白かったけど」
「本当ブレないわねあんた」
心配した自分が馬鹿みたいだと、少し呆れる。そうだ。こいつは元々そう言うやつだった。
「みんな僕から離れないでね。離れた瞬間ただの肉塊になっちゃうから」
「ちょ、怖い事言わないで!」
そう叫んで、星さんは勢い良く五条先生に抱きついた。それを横目に、私は辺りを見渡す。どうして中から壊さないのかと思ったが、なるほど。これだと端を探している間に呪霊に殺される可能性があるのか。いくら私でもこんな光景を見せられたらそんな愚行は起こさないだろう。
「まったく。こんなにも神社を立てて信仰を集めたいだなんて、今時の神様は承認欲求モンスターだねぇ。誰かさんにそっくり」
「……ねぇ、今喧嘩売った? 高値で買うわよ」
別に個人名を出された訳ではないのだが、それでも何故か自分に言われた気がして拳を握り締める。五条先生に勝てるとは思えないが、今は五条先生の息の根を止めることは容易そうだ。
そんな私の姿を見て、五条先生は肩を竦める。
「女の子は怖いねぇ。ヒステリックはモテないよ」
「ヒステリックじゃないんですけど!?」
何なんだこの人はさっきから。人の癪に障る事しか言えないのだろうか。今この場に健人や家入さんが居たのなら殴って良いよとお達しが来たかもしれない。
そんな事をやっていると、私の真横を何かが音速で横切る。咄嗟に横に避けて回避したが、右耳朶の一部が持っていかれた。
見ると呪霊が鳥居の上にしゃがんでいた。今の攻撃は呪霊の仕業だったらしい。耳に感じる痛みに耐えながら体勢を整える。
先生と呪霊に苛ついている私を無視する様に、五条先生は一人一人の頭をポンっと叩いた。
「見ときな。これが領域展開の真髄だよ」
そう言って五条先生は右手の人差し指と中指を交差させた。それと同時に目元の包帯を外した。
「領域展開──『無量空処』」
その瞬間、物凄い勢いで宇宙空間の様な場所に塗り変わった。
宇宙? いや、宇宙と言うにはあまりに複雑すぎる。けれど私はそれ以外の表現法を知らなかった。
ゆっくりと五条先生の方を見る。その青空の様な瞳は、真っ直ぐと前を見据えていた。いや、青空の瞳だけではない。真っ白な肌。艶のある唇。あぁ、美しいと言うのはこの男の為にあるのだなと無意識に頭に思い浮かんだ。
それだけじゃない。五条先生の容姿の事もそうだが、此処にある全てに私は心の底から困惑していた。
これはなんだ? 疑問が沸いて、沸いて、どんどん考えて答えにたどり着かない。ううん。違う。全て解る。全て解ってしまう。全部見える。全部感じる。
情報が、完結しない。
「此処は無下限の内側。〝知覚〟〝伝達〟生きると言う行為に無限回の作業を強制する」
そう言って五条先生は相手の首をもつ。まるで締める様に片手で。五条先生の手は大きく、手がまるまる回る程であった。それからどうするのか。私達三人は見ているしかできなかった。それしか、する事が許されなかった。
「不思議だよね。人間ってさ、全てを与えられると何も出来ないで緩やかに死んでいくなんて。笑えるよね」
五条先生はその手を握り締めた。すると頭と胴体が千切れ、大きな血飛沫を上げた。先生の気遣いだろうか。その血飛沫が私達にかかることはない。
瞬きする間だっただろうか。目を開けたら其処は先程まで居た古びた神社であった。吹いた風が開いた傷を刺激し、その痛みに思わず顔を顰める。どうやら呪霊は祓われた様で、その残骸は地面に散らばっていた。
「よし。任務完了」
そう言って、五条先生は包帯をまた目に巻き直す。それを私は呆然と見ていた。
さっきの領域がまるで夢かの様な錯覚だった。未だ頭がぼうっとして現実に戻ってこれない。考えようとしても思考が回らない。
さっきのは一体なんだったんだ? あぁ、分からない。暑さの所為だろうか。どうしても思考が回らない。いや、何だったんだって、五条さんの領域に決まっている。けれどどうしても思考が回ってくれない。何も考えられない。私は今、何してる?
「おーい。絵名。大丈夫?」
その言葉に、ハッと我に返る。気付けば私は地面に座り込んでおり、三人が私を心配そうに見下ろしていた。
「え……っと」
「自分の名前わかる? 此処がどこだかわかる?」
「いや、それぐらい分かるけど。馬鹿にしてんの? それかあんたが馬鹿なの?」
「うん。この悪態。間違いなく絵名だ」
失礼な。そんな言われる程酷くはない筈だ。
溜め息を吐きながら立ち上がる。とは言え今のお陰で正気に返れたのは事実だ。もう何も言うまい。
「うんうん。皆無量空処の後遺症は無さそうだ」
「ちょっと待って。なんか聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど。後遺症ってなに?」
一瞬無視しそうになったが、あまりにそれは聞き流せなかった。なんだ。もしかして今の頭が痺れていたのは後遺症の片鱗だと言うのか。
「うん。後遺症。僕の領域展開は全ての情報を強制的に脳内に流すものだからね。脳への負担が凄まじいんだ。下手すると今後一生植物状態」
「嘘でしょ!? そんなのに生徒を巻き込んで展開したの!? 馬鹿じゃないの!?」
「酷い言い草だなぁ。僕が居なきゃ三人とも死んでたかもしれないんだよ?」
「……ぐう」
そう言われてしまえば何も言えない。確かに五条先生に助けられたのほ事実である。それを無視して文句を言うなんて、それは筋違いも甚だしく、恩知らずであった。
「……ま、お礼を言わなくもない」
「はは。素直じゃないな」
素直にお礼を言えない私の頭を、五条先生は乱暴に撫で回す。その手を振り払うことは出来なかった。内にある罪悪感だからだろうか。いや、それだけではないような気がする。けれどどうしてかと言われれば何も分からない。
なんだこれは。
寂しさ? 私は何に寂しがっているのだろうか。
けれど、どうしてか五条先生の手が懐かしく思えた。
「でもま、夕方迄に終わって良かったよ」
「え? どう言うこと?」
もう疲労が限界を迎えたのだろう。地べたに座り込んでいる星さんが首を傾げながら五条先生に問う。そんな星さんに、五条先生は親指を立てた。
「そりゃ。近くに海があるんだし、やることは一つしかないでしょ」
「……どうしよう。得意気に言って貰って悪いけど、何も思い浮かばない」
考えるが、どうしても思い浮かべない。海? 海と言えば泳ぐかビーチバレーかスイカ割りぐらいしか思い付かない。悪いがそう言われてもそんな元気はこの場に居る三人とも全員全くないだろう。
「バーベキューに決まってるでしょ!」
それ以上の元気を求められる言葉に、思わず私は後に倒れてしまったのであった。