呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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確かに自分が、まともな人間だとは思っていなかったけれど






第四十四話 化け物

「御免下さーい。誰かいらっしゃいますか?」

 

「御免下さーい」と繰り返しても、人一人出てくることはなかった。居ない──筈はないだろう。高橋さんが故鳴村に来たのは恐らく今年に入ってからだろう。そう考えれば住職さんが急に居なくなると言うことは考えにくい。

 

 高橋さんと別れてから数時間後。私は高橋さんが言っていたお寺に来ていた。匣について何か情報が掴めればと思って足を運んだ次第であったが、人が出てくる気配どころか人の気配すらしない。本当に此所に人が居るのかと疑いたくなる程に。

 

 無駄足だっただろうか。

 

「お、お邪魔しますよー」

 

 一応そう声をかけて一歩中に入る。

 

 空気が、変わった。ゾワリと毛を逆撫でするかのような感覚に、思わず身を竦める。これは紛れもなく〝呪い〟であった。

 

「何か御用でしょうか」

 

 気配も足音もしない背後から急に声が聞こえる。振り向いてみると嗄れたお爺さんが其処に立っていた。袈裟を着ている辺り、此所の住職さんだろう。

 

 ……何処から来た?

 

「あぁ、ごめんなさい。えっと、呪術高専の者ですけれど、少しだけお話を伺いたく──」

「呪術高専?」

 

 住職さんの顔が、少しだけ歪んだ。この反応は高専の事を知っているな?

 

 住職さんは考えた後、歩きながら私を中に入るよう促した。

 

「どうぞ此方へ。長い話しになりそうです」

 

 そう言って、此方を振り返ること無く寺の中へ歩みを進めた。私はその後ろを、ゆっくりと着いて行く。

 

 中に進めば進む程、呪いの気配が段々と濃くなっていく。それは人間の体に毒であり、気分の悪さを覚えた。 

 

 何だ此所は。どうして住職さんはこんな場所に平然と居れる? そんな考えが頭をぐるぐると廻っては消えていく。

 

「村の中で噂になっていましたよ。外から来た人がいると。いやはや此所は狭い村ですので村人全員顔見知りでして、知らない顔が居るとすぐに分かるのです」

「……それにしては、なんか、誰も遭遇しませんでしたけれど」

「ほほ。皆人見知りなのです。ご容赦頂けませんか?」

「別に、気にしてません」

 

 人見知り……ねぇ。

 

 怪しさの塊である。人の気配は無いのにも拘わらず視線だけは感じるあの気持ち悪さ。あれは決して肯定的な目ではなかった。

 

 村の外の人物を拒絶するような、そんな視線。それがどうも気持ち悪くて仕方がない。

 

「この村は、まぁ、取り繕わずに言えば閉鎖的ですから。外との交流は一切無く、全て自給自足で賄っています。りそうてきでしょう?」

 

 そう言って住職さんは漸く此方を振り向きながらにこりと口角を上げて笑った。

 

 外との交流を絶っているとは言っても、電気とか、水とかは流石に町から流通しているのだろう。でなければ生活すら儘ならない筈である。

 

 けれど、なんでだろうか。此所の方が緑は多い筈なのに、先月行った関西の方が空気が澄んでいると感じるのは。

 

 きっと、此所に充満している呪いの所為だろう。確かにあの神社に居た呪霊の方が圧倒的に気配も何もかも強いのだが、故鳴村は何だろうか、強い以前に気持ちが悪いのだ。陰気臭いと言うか何と言うか。なんとも形容しがたいこの感じ。例えるのならごみ処理場に数時間居るかのような不快感。そんな雰囲気が故鳴村に漂っているのだった。

 

「此方でお待ち下さい。今お茶をお持ちいたします」

 

 そう言って住職さんは此方にお辞儀をした後、ゆっくりと廊下の先を進んでいく。中は広い畳座敷であり、中心に漆塗りの机、壁には掛け軸が掛けていたい東雲邸程では無いにしろ、厳かな空気が感じられた。

 

 けれども、私はその部屋に入ること無く、襖を閉めた。

 

 確証はない。けれども何故か確信があった。

 

 恐らく此所に『匣』があると。

 

 寺に入ってからより一層強くなった呪いの気配。匣がなくとも絶対に何かある筈だ。

 

『なんか『適正がー』とか『邪気を祓うー』とか言ってたけど、詳しい事は教えて貰えなかったんだよね』

 

 高橋さん。別に高橋さんの事を好意的に見ては居ないが。それでも高橋さんの言っていることが本当だとするのなら、これは大きな手掛かりとなる。

 

 呪いが強い方に向かって歩みを進める。段々と気持ち悪さが増していき、思わず鼻を押さえる。此所まで呪いを増幅させるだなんて、一体『匣』と言うのはどんな呪物なのだろうか。考えるだけでゾッとする。

 

 廊下を真っ直ぐ進む。住職さんに見つからない様に、慎重に。

 

 そして件の部屋は、直ぐに見つけた。

 

 部屋──と言うよりは蔵である。縁側から出て塀の隅。ポツンと建っている蔵からは気持ち悪い程に呪いの気配が流れ出ていた。

 

「鍵──は、掛かってるわね。当然か」

 

 扉を施錠している鍵は思いの外頑丈の様で、押しても引いてもガジャンと言う音がするだけで開くことはなかった。

 

 けれどこの程度、鍵とは呼べはしない。

 

 いけない事とは思いつつ、術式で錠を破壊する。音がしないようにゆっくりと。

 

 何だろうか。空き巣をしている気分である。まぁ住職さんに黙って徘徊している上に蔵を施錠している鍵を壊してしまっている為、空き巣と何ら変わらないのだろう。

 

 扉は低い音を立ててゆっくりと開いた。錆びた匂い。湿気の空気のより一層強くなる呪い。

 

 そして──。

 

「……匣?」

 

 蔵の中に大量に置かれている──〝匣〟。

 

 大きさは様々であり、掌サイズの匣もあれば段ボールのような匣もある。その一つ一つから悍しい程の呪力が流れている。

 

「……何、これ」

 

「何をしておられるのですか?」

 

 住職さんが帰ってきたのだろう。振り返ると同時に私は素早く身を屈めた。その瞬間私の髪を巻き込みながら刃物が空を切る。見ると大きな薙刀を持った住職さんが立っていた。その細い体躯に似合わぬほどの薙刀は太陽を反射してギラリと光っている。

 

「……問いかけに攻撃をしてくる人間なんて初めてみたわ」

「人の家を荒らす人間も初めてですよ」

「そう? 案外多いわよ」

 

 立ち上がり、構える。人間を相手にするのは初めてだが、それでも対人訓練を怠らなかった為か驚異には感じなかった。

 

 いや、その思考を捨てろ。侮りは死に繋がる。

 

「高専の狗が一体こんな所に何の御用でしょうか。貴女方が望むもの此所にはありませんが」

「何言ってんだが。こんな大量の呪物を大切に保管している癖に。この中身は何? 尋常じゃない呪力なんだけど」

 

 ぶっちゃけ呪力に当てられ立っているのもやっとである。けれども隙を見せた瞬間、私の意識は完全的に死ぬだろう。

 

 私の問いに、表情を変えず住職さんは答える。

 

「どうせ死ぬ命です。慈悲を持って答えてあげましょう。我々故鳴村の人々は遥か昔村の外の人間から迫害を受けてきました。呪いが扱えるからでしょう。化け物だ。鬼だと口汚く罵られ。限界に達した故鳴村の人達は復讐の為にとある贈り物をしたのです。それが、この匣です」

 

 そう言って指を差す住職。それが合図かの様に、匣がカタカタと音を立てて震え始めた。

 

「まだ穢れを知らない子供を殺し、その匣に詰めるのです。そして(まじな)いを掛け、迫害をしてきた者達に送るのです。『幸福になる匣だ』と伝えて。それを受け取った人間達は皆翌日には血を吐き、内蔵が飛び出て死んでしまいます。面白いでしょう? 化け物だと罵っていた相手に呪いで殺されるだなんて。今では呪力を持って産まれてくる人間は殆ど居ませんが、それでもこの呪法は今の今まで受け継がれているのです」

 

「伝統です」と住職は満足気にそう言った。

 

 成る程。だから高橋さんは此所に連れて来られたのか。()()()()()()()()()()()()()()。幸いにも高橋さんはその器ではないと判断されたのだろう。

 

 今の話で全て合点がいった。

 

 故鳴村。

 

 いや、子亡村か。

 

 子供を犠牲に、呪い殺すと言う呪い。本で見たことがあるが、実際にあったとは。

 

 それはなんとも─け不愉快極まりない。

 

「そう、もういいわ。もう充分」

「そうですか。では早速お命頂戴いたします」

「えぇ、もう充分だもの。充分に分かったわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉が癪に障ったのだろう。住職は「御前まで我々を愚弄するのかぁ!」と鬼の形相で薙刀を振りかぶる。私はそれを避け、住職の顔を掴む。そして次の瞬間、住職の頭が破裂した。

 

 眼球が、脳みそが、血管が、飛び散って私の顔を赤く濡らす。最早人間とは呼べない肉塊は大きな音を立てて地面へ倒れた。私は彼の死を見届けてから、蔵の外に出た。

 

 外には各々武器を持った村人達が私を怨めしそうに睨んでいた。成る程。だから故鳴村の情報が少なかったのか。きっと此所に調査しに来ていた術師をこうやって殺していた訳か。

 

 一斉に私へ襲いかかる。私も彼らと対抗しようと小刀を手に掛ける。

 

 瞬間。

 

 蔵は破壊され、大量の呪力が私の体を震えさせる。見上げると胎児の様な化け物が蠢いていた。

 

「──呪霊!?」

 

 驚いて体制を立て直す。いや、驚いてしまったが考えてみれば辻褄はあう。

 

 私がこの呪力に当てられてしまった様に、呪物もまた、私の呪力に当てられたのだ。

 

 村人は喚き叫び、走り去っていった。けれども呪霊は村人達を掴み、口へ運ぶ。

 

「ちょちょちょ!」

 

 何とか腕を切り落とし、村人を助ける。幸いにも怪我はしていなかったようで、元気に立ち去っていった。

 

 感謝してくれても良いような気がするのだが、まぁ、今はそんなことどうでも良いか。

 

 溜め息をつきながら呪霊と向き合う。呪物を回収する簡単な任務だと思っていたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 呪霊は奇声を上げながら此方へ突進してくる。それを避け、呪霊の体に乗る。図体は大きいが、強さは三級程度だろう。

 

 小刀を出し、頸に向かって駆け上がる。そして助走をつけてその頸を切った。

 

 随分とあっさりだ。呪霊はそのまま音を立てて倒れ込み、灰になって消え去った。その瞬間、この村に漂っていた呪力は綺麗にきえさったのだった。

 

 

 

 

「いやぁ、お疲れ様ー。まさか呪物が呪霊になるだなんて、僕も驚きだよ」

「そう思うんだったら助けに来てくれても良くなかった?」

「それじゃ絵名の成長にならないでしょ?」

 

 それはそうだと、談話室のソファに寝転がる。

 

 あれから私は補助監督を呼び、残りの匣を回収してもらったのだったのだった。

 

「村人達はどうなるの?」

「……事情聴取をして、処刑。村全体があの件について関与してたみたいだしね。重大な呪術規定違反だ」

「そう……」

 

 分かっていた。彼らは多分ただでは済まない事を。けれど、分かっていても誰かが死ぬと言うのは矢張り気分の良いものではない。

 

「……ねぇ、五条先生」

「なあに?」

「私さ、初めて人を殺したの」

 

 己の手を見ながら、そう呟く。

 

 鉄の匂いが、散っていく肉の感触が、飛び散る血液が。その全てが忘れられない。人を殺すと言うのは、こうも最悪の気分なのか。

 

「そっか」

 

 急に視界が塞がれる。五条先生が私の目を覆っているのだ。

 

 意外にも驚きは無く、逆にどこか安心する様な、そんな気がした。

 

「……何よ」

「別にー」

 

 いつもならその手を払うのだが、どうしてか今はそんな気が起きなかった。五条先生の手が暖かく、思わず泣き出してしまいそうになる。けれどもそれをグッと堪える。

 

 今は泣いていられない。これから人間も殺していかなければいけないのだろう。呪詛師の処刑も呪術師の仕事の一環であった。況してや私は東雲の人間。こんなことでへこんで居るわけにはいかないのだ。

 

「あ、絵名様。失礼致します」

「伊知地さん? どうしたの?」

 

 伊知地さんの声が聞こえた瞬間、私の視界が開け、蛍光灯の眩しさに目を細めながらそう返した。伊知地さんは私が寝ている傍に膝をつけていた。

 

「その、絵名様のご友人である高橋様の聴取が終わりました。ご希望であれば面会が可能ですが、如何致しましょう」

「高橋さんはどうなるの?」

 

 間髪入れずに思わず聞いてしまった。質問の返答になっていないが、それでも高橋さんの事が気になってしまったのだ。高橋さんの様子から言って、恐らくこの件には無関係だろう。

 

 そんな私の心情を知ってか知らずか、伊地知は優しく私に微笑みかける。

 

「心配ありません。高橋様は何も事情を知らなかったみたいですので、無罪放免です」

「そっか、良かった……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、肩の力が抜けた様な、そんな気持ちになる。知り合いが処刑されるのは流石に気が滅入る。いや、知り合いでなくとも人が死ぬのは嫌なのだが。それでも顔見知りか否かの違いは途轍も無く大きい。

 

「面会されます? 今高橋様には客室で待機して貰って居ますが」

「うん。顔だけ見に行きたい」

 

 確かに不快な事は沢山言われたし、私自身高橋さんの事はそんなに好きではないけれど、それでも心配なものは心配である。

 

 私は五条先生と別れ、伊地知さんの背中を追いかける。

 

 高橋さんの両親は、どうなるのだろうか。恐らく処刑されるのだろう。残酷だが、例外は許されない。

 

「高橋さん、これからどうなるのかな」

 

 ポツリと呟いた独り言。けれども伊地知さんの耳に届いていた様で、眉を下げて悲しそうな顔をした。

「『窓』が営んでいる施設があります。多分、其処に入ることになるでしょう。此方でも最低限のサポートはするつもりです」

「そっか」

 

 それを聞いて、安心すると共に、矢張り処刑は免れないかと落胆した。分かってはいたが、いざその事実を目の前にするとくるものがある。

 

 もし、自分の両親が死んだら、私はどうなるのだろうか。泣くのだろうか。いや、案外冷静なのかもしれない。それ以上に、彰人を守らなければならないと自分に言い聞かせるのだろう。きっと、私自身は何も変わらず、呪霊を祓っているのだろうし。

 

 そんなあるかも分からない事を伊地知さんの後を追いながら考える。私ですら虚無感を覚えると言うのに、高橋さんの悲しみは計り知れないだろう。それこそ、私なんかが同情してはいけないくらいには。

 

 とある扉の前に止まった。恐らく此処に高橋さんは居るのだろう。伊地知さんは二回扉を叩き「失礼致します」と声をかけて扉を開けた。

 

 中を見る。カーテンは閉め切られ、電気もつけていない。ただ備え付けのベットの上で体育座りをしている高橋さんの姿があるだけであった。

 

「高橋さん、大丈夫?」

 

 その憔悴し切った姿を見て、思わず駆け寄る。私の言葉が聞こえたのだろう。高橋さんはゆっくり顔を上げたかと思えば、私を見た瞬間、まるで化け物でも見るかのような顔をした。

 

 そして高橋さんから与えられたのは「怖かった」とは「大丈夫だよ」などの言葉ではなく、傍に置かれていた目覚まし時計であった。目覚まし時計は真っ直ぐと私の頭に飛んできた。

 

「ば、化け物! わ、わ、私、見たわよ! あんたがあの化け物を倒してる所! お坊さんを殺してる所! なんなのあの力!? 化け物化け物化け物ぉ!!」

 

 そう言って壁に後退りながらクッションや私物などを私に向かって投げてくる。私はただ茫然とされるがままであった。体に固い物が打つかる度、その部分が焼ける様に痛い。それは古傷に追い打ちをかけられているからか分からない。けれどもその痛みすら、今の私には思考の外であった。

 

 

 

 其処から先はあまりよく覚えていない。伊地知さんに連れられ外に出たが、先程の言葉が、頭の中を反芻していた。

 

『化け物!』

 

 その言葉は産まれて初めて投げられた言葉であり、それは私の心にべっとりとこびりついてしまった。嘗ての知り合いに拒絶された事実。それがどうしても苦しかった。

 

 けれど、それは事実なのだろう。きっと他の人の目には、私は人間に映ってはいないのだろう。当たり前である。普通の人間が使える筈のない力を使い、人智を超えた存在と戦っているのだから。私だって高橋さん側でいられたなら同じ様に拒絶し、心無い言葉を投げていたに違いない。

 

 それから数時間経って、高橋さんが傍にあった刃物で自ら命を絶ったと聞かされた時にはもう日が暮れていたのだった。それは私が村人を自らの手で処刑した直後であった。その日の夕焼けは痛いくらいに眩しかった。

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