呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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その時間は、あまりにも──。


第四十八話 認識のすり合わせ

「Amiaさんはどうして、あの解釈になったんですか?」

『え……?』

 

 ヘッドフォンの向こうで困惑した声が聞こえる。けれど私は踏み込んだ。

 

 もしかしたら踏み込んではいけない領域なのかもしれない。だけれど踏み込まずにはいられなかった。この絵を完成させるには──良い絵にしてあげるにはどうしても知りたかったのだ。

 

「一般論ですけど……苦しい時って、痛いじゃないですか。痛くて痛くて……この痛みをどうにかしたいから必死で動いて、でもどうにもならないから、叫ぶしかない。私は、この曲がこんなに激しいのはそういう理由だと思ったんです」

 

 今はもう、疲れてしまったけれど。嘗ての私なら駄々を捏ねる様に暴れ回っただろう。けれど現実は非常なもので。私の祖父や私の周りは絵を許してはくれなかった。日によっては画材も捨てられた日だってあった。それでも抗って、抗って抗って抗って。そして結果出来たのはこの無様な凡夫だけ。もういつしか声も枯れてしまった。

 

 無駄だと、諦めてしまった。

 

 だって、楽だもの。全てを諦めて地獄に居座った方がまだ生きた心地がする。それで死んでもこんなもんだと諦めが着く。

 

 でも、それでもこの曲をそう解釈するのは、まだ希望を捨て切れていないという事なのだろうか。

 

 まだ私は、画家になるという夢を、持ち続けているからなのだろうか。

 

 逃げ場なんて、何処にも無いと言うのに。

 

『その感じは……確かに分かるかも』

 

 ボソッと、まるで独り言の様にAmiaさんは呟く。

 

『……でも、叫びたくても、叫べない時もあるとあると思うんです。ずっとずっと痛いと、もう全部どうでもいいやって、そういう気持ちになることもあるなって。それで痛みを忘れるために楽しい事に逃げて……でも痛くて。そんなだから、叫ぶ力なんて……残っていない』

「………………」

 

 分かってしまう。その気持ちが。

 

 どうして、Amiaさんに分かるのだろう。いや、恐らくAmiaさんも私と似た様な事があったのだろう。

 

 叫びたくて、けれど周りがそれを許してくれず、暴力にも似た偽物の私を、無理矢理被せる。そこに抗う意思なんて、周りは許さなかった。

 

 ……いや、逃げ出せなかったのは、半分は私の意思も絡んでいる。

 

 もし任務を断ったら。もし東雲という立場から逃げたら。今度は他の人に死期が回ってくるのではないか。今度は彰人が犠牲になってしまうのではないか。そう思うと磔になったように動けなかった。

 

「でも、それならこの激しい曲調はどう解釈したの? 私は、叫び声だって思ってたんだけど」

『あ、えっと……これは──心の中の嵐みたいだなって思ったんだ。本当は言いたい事もあるし、それこそ叫び出したいのに、誰もきっと分かってくれないって諦めちゃって。でもそれでも消せない……、そんな自分の中の思いなのかなって』

「…………なるほど、そういう受け取り方もあるんだ。確かにそれもイメージつくな……」

 

 Amiaさんの言葉に、思わずそう呟く。私では思いつかなかった解釈。聞けば聞く程、私の中の解釈がどんどん間違っていた事に気付く。

 

『……お互いが感じた事を表現するか、一緒に考えてみない?』

「え……一緒に?」

『はい。えっと……MVって、曲に絵を一枚合わせるだけでも作れるし、歌詞をそれっぽく動かすだけでもできちゃうけど』

 

 そこで切って、Amiaさんは大きく息を吸う。まるで何か覚悟をするように。大切なものを、拾い上げるように。

 

『ボク達がKの曲を聴いて感じたことは、もっともっと複雑で……Kの曲を聴いたから生まれた気持ちもあって、だからその……うまく言えないんだけど……ボク達二人がちゃんと考えてる事を合わせないと、MVがチグハグになっちゃう気がしたんだ』

 

 確かにそうだなと、納得している自分がいた。先程私はAmiaさんに解釈を聞いたが、きっとそれだけでは足りない。もっともっと二人で話し合わなければ作品の摺合せが出来やしない。

 

 私に足りなかったのは、それを考えつく頭。一人で作品を仕上げる訳では無いしねと反省する。

 

「うん、そうだね。誘ってくれたKの為にも──良いMVにしなくちゃね」

『うん……あ』

 

 何かに気付いた様に、Amiaさんは声をあげた。

 

『なんか、いつの間にかタメ口になっちゃってましたね。すみません』

 

 あぁ、そう言えば話しに熱中し過ぎていつの間にかお互い敬語を忘れてしまっていた。

 

「もうこのままで良いんじゃない?」

 

 別に私達の遣り取りを呪術師の誰が見ている訳でもない。金次だって綺羅々だって私にタメ口である。今更兎や角言うつもりなんて、私にはなかった。

 

 そんな私の心が伝わったのか、『そうだね、このままでいっか』とAmiaさんこ朗らかに言った。

 

 

 

 

「なんか、最近楽しそうだね、絵名」

「え、そうかしら」

 

 呪霊を祓い終えたのを確認していると、瓦礫の上で座っている綺羅々がそう言ってきた。

 

「そうだよ。前までは虚無って感じだったけど、最近は鼻歌とか歌っちゃったりさ。どうしたの?」

 

 どうやら私は随分分かりやすい性格らしい。最近はKさんの曲を描くのが楽しく、毎日はログイン出来ずとも、移動中の車の中とか訓練の合間、休み時間。空いた時間全てを使って絵を描いていた。けれどそれを二人に喋るのはどうにも気恥ずかしく、隠れる様にして描いていた。

 

「まあ、ちょっとね」

「ちょっとって何ー? この私に隠し事?」

「どの綺羅々よ。邪魔なんだけど」

 

 そう言って私の腕に引っ付く綺羅々。血や泥で汚れているからあまり引っ付いて欲しくない。綺羅々の服を汚してしまうし。

 

 けれどそうか、顔に出てしまっていたのかと思うと少しだけ恥ずかしいような、なんと言うか。

 

「で、どうなの? 何があったの?」

「……今は言えないけど、暫く経ったら言ってあげる」

 

 私の言葉に「えー」とぶう垂れる綺羅々。けれどそれ以上は聞いて来なかった。それが少しだけ嬉しかった。

 

 けれど、そうか。私にとってあの空間は思ったより癒しになっていたのか。楽しいとは思っていたが、それでも自分が思っているより浮わついているのだろう。綺羅々でも分かる程だ。出来ればこの時間が少しでも続けば良いなと思わずにはいられない。

 

 まぁ、始まりがあれば終わりもあるもので。この曲を完成させたら私達二人は製作から離れる事になるのだろうが。それでも完成するのが待ち遠しかった。ずっと続いて欲しいのに、終わりが楽しみだなんて矛盾している。

 

 汗を拭いながら瓦礫を降りていく。それに続くように綺羅々も立ち上がった。下では伊地知さんが待っている。こんな所で駄弁っている暇はない。早く帰って報告書も書かなければ。

 

 報告書か……面倒臭いな……。でも書かない方がもっと面倒な事になるからな。

 

「そうだ、この後暇? 服買いに行こうよ。ほら、Dear Ribbonの新作」

「うわ……行きたい。でもごめん。これからもう一つ任務があるから」

「えー。また? もう今月入って何回も複数個任務掛け持ちしてんじゃん。過労で死ぬよ?」

「……大丈夫よ。心配しないで」

 

 私の言葉を信用していないのか、綺羅々は未だ不機嫌な顔をしている。そんな顔をされても困ると言うものだ。私だって綺羅々や金次と一緒にショッピングや食事に行きたい。けれどしょうがないじゃないか。任務は私の意思で入れている訳じゃないし、そもそも私が行かなければ他の人に面倒が行ってしまう。そうなるくらいなら私一人が我慢した方がましである。

 

「じゃあ私も行くのやーめた」

「え? 綺羅々だけでも行ってきなよ。行きたかったんでしょ?」

「そうだけどぉー」

 

 そう言った綺羅々は口を尖らせてもじもじしている。私はそれを見て首を捻った。何でだろうか。行きたいのなら行けば良いものを。私に気を使う必要なんて無いと言うのに。

 

「だって、絵名と行きたかったんだもん。絵名と一緒じゃないと意味ないよ」

「………………」

 

 何だろうか。何だか罪悪感が急激に襲ってくる。仕方がないとは言え、少々冷たい物言いだっただろうか。

 

「ごめんって。また時間作るよ」

「いいよ。無理しなくて」

 

 怒らせてしまっただろうか。

 

 そう思い少しだけ後めたさを感じながら綺羅羅の顔を覗く。けれど私の杞憂とは裏腹に綺羅羅の顔はどこか穏やかであった。

 

「……綺羅羅?」

「別にさー。今行かなくても良いじゃん。今日行けなくても明日でも、明後日でも、来月でも。来年……は流石に待てないけど、それでもいつか行ければ良いじゃん?」

 

 そう言って綺羅羅は笑った。

 

 また、次に……。

 

 ──またね。いつかまたあそぼ。

 

「────っ!」

 

 鋭い痛みが、脳を襲う。

 

 また、この痛み。最近は無かった筈だが、どうもその期間が開き過ぎて尚の事痛みが増している。この痛みは思い出すきっかけの痛みなのか。それともまた忘れる予兆なのか。

 

 ……いや、前者は無い。どんどん忘れていく事はあっても思い出した事なんてこれっぽっちもない。では矢張り忘れる予兆か……。

 

「絵名? 大丈夫?」

「へ? あぁ、大丈夫心配しないで」

 

 心配そうに手を伸ばす綺羅羅の手をゆっくり払う。考えても仕方がない。今すぐに戻るものでもないだろうし、変に焦っても逆効果だと家入さんも言っていた。

 

 そういえば今月の検診まだ行っていなかったなと、スマートフォンの予定表を見る。沢山の予定の中に『定期検診』と書かれており、少しだけ安心した。良かった。私が忘れていただけで検診の予定は組み込まれていた。

 

 ……まぁ、検診したところで思い出す事は出来ないのだが。意味の無い事とは分かっていつつも検診に行っているのは心の何処かでもしかしたら戻るかもと希望を捨て切れないからか。

 

 未だ眉を歪めて此方を伺う綺羅羅。そんな目から逃げる様に先を歩く。

 

 綺羅羅と金次には、私の記憶の事はまだ言っていなかった。言ってしまったら、芋蔓式に私の弱みが露呈してしまうかもしれない。それがどうしても許せなかった。

 

 東雲家たるもの、弱みを他に見せてはならない。祖父からずっと言われていた言葉だ。祖父の言葉に従うなんて天地がひっくり返っても嫌なのだが、それでも染み込んでしまったものは、埋め込まれてしまったものはどう足掻いても拭い取る事は出来なかった。抗おうと踠けば踠く程その沼に沈んで言ってしまう。それがどうしても嫌だった。

 

 まるで血は争えないと笑われている様な、そんな侮辱的感覚。

 

 ズキンと、今度は腕の傷が痛み出した。先日呪霊に付けられた切り傷。その鋭い痛みが波となって襲う。そう言えば反転術式もまだ進展は無いと五条先生が言っていたのを思い出した。私自身も手掛かりを探しているのだが、それでも何も見つけられない。それどころかそんな捜索すら飛び越える程に体が傷だらけになっていってしまっている。

 

 反転術式を使えるのが先か、私の体が崩れるのが先か。

 

 そんな沈んだ考えを巡らせていると、私のスマートフォンに通知が入る。見ると先日ダウンロードしたナイトコードからの通知であった

 

『動画出来たよー! 送っておくから見てね!』

 

 その文章と共に一本の動画が添付されている。そうか、もう出来たのか。

 

 Amiaの仕事は早いもので、私は納得する絵を描くのに数日を有したのに、Amiaが動画を作成したのはたったの一日。昨日作り出して、今日の午後出来たと言う。帰ってから観ようとは思うのだが、今すぐにでもこの動画を再生したい衝動に駆られる。

 

 落ち着きなさい。東雲絵名。これからまた次の現場に行かなければいけない上に今この場には綺羅羅もいるのだ。軽率な行動は死を招く。

 

 綺羅羅に見られない様にポケットにスマートフォンを入れる。幸いにも綺羅羅は此方なんて気にしておらずぼうっと歩いているだけであった。

 

「綺羅羅はこれからどうするの?」

「どうしよっかな。ご飯食べて帰りたいけど、ここら辺美味しいご飯屋さんあったっけ」

「近くに美味しい焼き鳥屋さんがあるみたいよ」

「えぇ、昼に焼き鳥かぁ。どうせなら夜に食べたいなー」

 

 昼も夜も変わらない様な気がするが。それを言うのは流石に野暮であろう。

 

 昼食の話題が出たからか私のお腹は静かに悲鳴を上げた。今日もコンビニでおにぎりかな。何処かで食べに行く時間もないし、おにぎりだったら片手で食べれる。けれどずっとコンビニのご飯ばかりを食べていると飽きるもので、たまには別なのも食べたいと人知れず思う。

 

 けれど結局今日もいつも通りなのだろうと、肩を落とすのだった。

 

 

 

 

「ふー。これで任務終了」

 

 呪霊が消滅したのを確認し、男は汗で濡れた額を拭った。今宵は月が明るく照らしており、男はその月明かりを頼りに帰り支度を始める。本日の任務は低級呪霊の駆除。文字だけ見れば簡単な任務だった。実際に男も苦労はしておらず、帰ってご飯でも食おうと頭の隅で考えていたのだった。

 

 けれど、男は晩御飯どころか明日の朝日を拝む事も許されなかった。

 

 ふと、まっすぐ見据えた向こうに、着物を着た女性がベンチに座っていたのだ。

 

 可笑しいなと、男は首を傾げる。辺り全ての住民は避難した筈なのに、どうしてまだ人が居るのだ。気配も、何も感じなかった。

 

 女が振り返る。男は女の顔を認識した。男と女の目が交差する。その瞬間、男の顔は押し潰されたかの様に地面と同化した。思考する暇もなく、男の生涯は幕を閉じたのだった。

 

 一人残された女は死体を見て一人笑みを浮かべる。それは何を意味するか。それは男が死んだ今、誰も知る由はなかった。




番外編 Happy Halloween


「trick or treat!」

 そんな風に玄関先で叫ぶのは、魔女の仮装をした綺羅羅であった。

 なんだ。今日はハロウィンかと、今更乍らに思い出した。考えてみれば街中はカボチャやら幽霊の飾り物が多かった──様な気がする。良く周りを見ていないから分からないが。しょうがないだろう。今日は朝から晩まで任務詰めだったのだから。

 溜息を吐きながら頭を抱える。そうか。だから最近呪霊が多かったのか。考えてみれば分かる事なのに、どうしてかその思考が一切思い浮かばなかったのだ。きっと主にハロウィン仮装が怖いと言っている子供たちの負の感情が流れ出て呪霊を増幅させたのだろう。だから五条先生も、私も、綺羅羅も金次も健人も家入さんもみんな忙しかったのか。

 ハロウィン。なんて忌々しい行事なのだろう。

「おーい。trick or treatって言ってんじゃん。お菓子がなければ悪戯しちゃうゾー」
「良いよ。出来るものならね。因みに私もお菓子を要求するわ。勿論、なければ悪戯」
「………………」

 私の言葉に押し黙る綺羅羅。どうやら己はお菓子を用意していなかったようだ。爪が甘い綺羅羅だ。自分が要求するのなら自らもお菓子を用意しなければいけないと言うのに。どうせイベント事にカッコつけてお菓子を強奪しようと言う魂胆だろう。綺羅羅の事は見え見えである。

「じゃあ絵名、今から買いに行ってよ」
「はぁ? 巫山戯ないでよ。朝から働き詰めで今帰ってきたばかりだって言うのに」
「えー」

 綺羅羅を小突きながら、私は靴を脱いで部屋の中へ入る。まぁ綺羅羅とて本気で言っている訳ではないので強くは言わないが。それにしても綺羅羅は元気だな。綺羅羅も今日任務だった筈だが。良くそんな元気があるもんだ。そう言えば 金次はどこに行ったのだろう。まだ任務から帰って来ていないのか。

 それにしても疲れたなぁ。もう今すぐ着替えてベットに横になりたい気分だ。けどその前に家入さんの所に行って手当をして貰わなければ。こんな夜更けにお仕事を頼んでしまうのは些か気が引けるが、それでもほっといて傷口が膿んでしまうよりだいぶマシである。

「……だからその猫耳とってくれない?」
「あ、バレた」

 バレバレである。と言うか何故バレないと思ったのか甚だ疑問だ。

 私が悶々と考え事をしているうちに、綺羅羅は私の頭に茶色い猫耳を付けていた。彼女に遊ぶ元気があったとしても私はもうそんな元気はない。手当して、お風呂入って寝る。もうそれだけだ。ご飯は……お腹は空いたがもう明日の朝で良い。最早何かを摂取する事すら面倒臭い。

「じゃあさ、家入さんにお菓子貰おうよ。それぐらい持ってるでしょ。あの人も」
「えーどうだろう。あの人甘い物苦手だから分かんないよ」
「だとしてもおつまみ系は持ってるんじゃない? 酒飲みだし。あの人」

 確かに持っていそうではあるが。
  
 私は再度溜息を吐いて「行くなら早く行こう」と歩き出す。正直言って此処でずっと立っているのもしんどい。早く家入さんの所に行って綺羅羅にお菓子を渡させて、一刻も早く眠りにつきたい。

 けれどまぁ、少しくらいは綺羅羅につきやってあげようかなと、少しだけ思うのだった。

「お? 帰って来たのか絵名」
「あ、何だ。帰って来てたんだ金……次……」

 後ろから聞き馴染みのある声が聞こえ振り返ってみると、そこにはまるでフランケンシュタインの様な格好をした金次が立っていた。背丈もあり、堅いも良い為その姿が妙に雰囲気があり、私は思わず後に倒れてしまった。倒れる最中、金次もそんなイベントを楽しむ人間だったのかと思いに馳せるのだった。





「trick or treat!」

 三人の声が一斉に重なる。部屋の中には此方を驚いた様に目を見開きながら見ている家入さんが椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。休憩中だったのだろうか。部屋の中は消毒液の匂いで満たされている。私はこの匂いは嫌いではなかった。

 家入さんは此方をしっかりと認識した後、まるで幼子を見るかの様な顔で笑った。

「何だお前ら、ハロウィンか。元気だな」
「約一名元気じゃねぇ人間がいるがな」

 そう言って私を指差す金次。確かに怪我を沢山している猫耳つけた女はお世辞にも元気そうとは言えないだろう。今だって目を開けるのでやっとなのだから。

 私は勝手にフラフラと歩き、そして患者様の椅子に座る。座った瞬間、一気に疲れが体を遅い、まるで私の足に鉛が付けられたかの様な重さを感じた。家入さんはそんな私を見て苦笑いを浮かべる。

「寝るなよ。まずは手当してからだ」
「わかってますよー。その前にtrick or treat。お菓子頂戴」
「ちゃっかりしてんじゃないよ」

 今度は私が小突かれた。弱い力で小突かれ、私はその部分を摩る。まるでそれは母の様な仕草であった。

 私の母は、一体どんな感じだったか。もう今更思い出す事は出来ない。ただ感覚として、とても優しい人物だったと認識している。もしかしたら違うかもしれないし、私の想像で合っているのかもしれない。それは実際に合わなければ分からない。会えるかどうかは別として。

 家入さんは「なんか合ったかなー」と引き出しを開けて弄る。この人は食べ物を引き出しに入れる人間らしかった。というか私自身家入さんがお菓子を食べている姿は見たことがなかった。けれど口ぶり的に偶に何かお菓子は持っているのだろう。

「お前ら。飴やるから悪戯はやめろ」

 そう言って私達に飴玉を投げる。青いパッケージの飴。何の飴か。見たことがなかった。

「やったー! いただきー」

 そう言って綺羅羅は良く見ないで飴を口の中に放り投げる。そこまでは良かったのだが、暫くして綺羅羅は段々と真顔になっていく。

「どうだい。お味は」
「微妙。なにこれ」
「禁煙飴」

 まぁ、だろうと思った。この人がまともなお菓子を持っている筈がなかった。けれど味は微妙であったけれど、何とか食べれない事もない様で、コロコロと口の中で飴を転がしていた。それを見て、私と金次も飴を口の中に放り込む。

 ……うん。何と言うか、何とも言えない味である。これは、コーヒー味だろうか。けれどまあ、食べれない事もない。

「何だ微妙な反応しやがって。折角菓子やってやったのに」
「じゃあまともなの渡しなさいよ。なんでよりにもよって禁煙飴なわけ?」
「別に良いだろ? こっちだって禁煙頑張ってんだし」
「いや知らないわよ」

 何だか急に甘いものが食べたくなってきた。けどこの時間にお菓子を食べると確実に太る。いくら任務で死ぬ程動いているからと言ってそんな肌に悪そうな事は出来ない。

 そう思っていると、唐突に医務室の扉が開かれる。こんな時間に誰だと思って勢い良く振り返ると、そこには犬耳を付けた五条先生が立っていた。

「trick or treat! お菓子頂戴硝子」
「お前にやる菓子なんてねーよ」

 そう言って飴を口に入れる家入さん。今口に飴を入れていたのに、どうしてそんな堂々と嘘がつけるのだろう。もう1周回って清々しい。

 私達はそんな二人の様子を飴を舐めながら眺める。本当に彼らは元同級生な様で、二人の間に流れる心地の良い雰囲気はさながら友人のようであった。まぁ、本当に友人なのだろうけれど。

「あれ。絵名達も来てる。なになに? お菓子でもねだりに来たの? もう君達も子供じゃないんだからさぁ」
「この中で一番子供みてぇな事やってる奴に言われたかねえよ」

 秤の言う通り、この中で誰が一番子供っぽいかと言われればそれは絶対に五条先生であった。任務中はかっこいいのにと思っても、それを伝えてしまえばまた面倒臭い事になりかねない。人は調子に乗っているくらいが丁度良いと言うが、それでも彼は調子に乗せたら後が怠い。

 良く見てみると五条先生が持っている籠には沢山のお菓子が入っており、その中にこの間新発売されたポテチも入っている。きっと色んな人に強請ったのだろう。

「……五条先生。これ食べていい?」

 疲れていてもお腹は空くもので、お菓子を見た瞬間、私のお腹は悲鳴を上げた。夜中にお菓子は体に毒だと頭では分かっているが、それでも本能には抗えない。まぁ、一日位は平気だろう。

「良いよー。一人一つだからね」
「何にしよー。私ポッキーにしようかな」
「俺ポテチ」
「あー。それ私が狙ってたんだけど」
「お前は黙ってアルフォートでも食っときな」
「僕が承諾する前に集ってやがる」

 五条先生の言葉は聞こえないフリで、私達三人は先生が持ってきたお菓子を漁る。ポテチは金次に取られてしまった為、泣く泣くアルフォートを手に取った。美味しいけれど。アルフォートは美味しいけれどね。

 早速箱を開けて中を食べる。チョコレートとクッキーの甘さが同時にやってくる。

 それを食べながら、私はチラリと金次と綺羅々の方を見る。二人は互いにお菓子を分け合っており、それはさながら恋人のようであった。綺羅々に伝えたら飛ぶ程嬉しがるだろう。

 去年のハロウィンは任務ばかりで何も楽しめなかった。

 けれど今年のハロウィンは、少しだけ。ほんの少しだけ悪くははいなと、そう思ったのだった。
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