それはあまりにも、違いすぎた。
「じゃあ、これで今日の検診は終わりだ」
そう言って家入さんは書類を纏める。それを見て私はホッと息を吐いた。一時間にも及ぶ定期検診。こんな事をして何の意味があるのだろうかと疑問せざるを得ないが、それでも家入さんの考える事だ。きっと何かあるのだろう。
伸びをしながら、外を見る。様々な和風建築が眼前に広がっており、危うく此処が東京である事を忘れてしまう。まぁ、東雲邸もこんな感じではあるのだが、それでもどうしてか慣れなかった。
「最近、楽しそうだね」
「……そんなに分かり易いですか?」
自分の顔を押さえながら、立ち上がる家入さんの言葉にそう返す。綺羅羅にも同じ様な事を言われたが、そんなに私は分かり易いのだろうか。別に意識して表に出している訳ではないのだが、それでもこう何度も突かれるとどうも恥ずかしい。
「分かり易いさ。前まで死んだような顔をしていたけど、最近は何だか活気が戻ってきた様な気がするしね。何があんたをそこまで変えたのか、興味があるね」
「べ、別に何もないですよ。家入さんは考えすぎです」
そう言って外方を向くけれど、恐らく家入さんにはお見通しなのだろう。此方を見ながら愉快そうに笑っていた。私は家入さんの目から逃げる様にスマートフォンで時間を確認する。珍しく今日の任務は五時に終わり、今は夜の六時。外はもう薄暗くなっていた。夏に比べると随分暗くなるのが早くなった。
「あ、そう言えば」
「何です? 家入さん」
首を捻った私に、家入さんは砂糖をミルクをふんだんに入れたコーヒーを渡しながら「最近の噂知ってるかい?」と言った。
「噂?」
「呪術師の間で言われている噂だよ。ほら、最近術師の殉職が増えてきただろう? それが少し怪しいって言われててね。何でも死ぬ直前、着物を着た女が必ず現れるんだと」
「そんな俗っぽい噂、呪術師内でも流れるんですね」
コーヒーを飲みながら呆れた様にそう言った。そんな噂、中学校小学校以来聞いた事がなかった。噂なんて、矢張り人間であれば誰でも好きなのだろうか。
「悪いけど、聞いた事ないですよ」
「だろうね」
そう言いながら、家入さんも私と同じくコーヒーを飲む。私も毎日の様に現場に赴いているが、それでも着物を着た女性なんて見た事はなかった。こんな平成の世にそんな女性居るとは到底思えない。
……いや、探せば居るだろう。趣味で着物を着ている女性も居るかもしれないし。
けれど、そうではないのだろう。噂になっているくらいだ。きっと人間ではないのだろう。人間だとしたら術師を殺せる人間だ。歩いていたら一発で分かりそうなものである。
だとしたら、呪霊……だろうか。
「未だ呪霊か呪詛師か分かっていないらしいよ。しかもまだ〝噂〟程度で証拠もないし、窓も認識できていないからね。上層部も全体に注意喚起出せずにいるんだと」
「あ、だから何も聞かされていないのか。上層部も大変ね」
証拠も何もなく、噂だけが歩いているこの状況。それは何処か学校の七不思議の様な雰囲気を感じさせた。けれど火の無い所に煙は立たず。何かそれを決定打になる出来事があったはずだ。
「五条先生も知ってるんですか?」
「知ってるみたいだよ。けどあいつは何考えてんのか分かんないからさ。それを何処まで重く捉えてるのか。そもそも噂自体、ただの〝噂〟だからね」
「けど呪術師の噂って、何だか信憑性があって怖くない?」
「まぁ、それはそうだね」
家入さんの言葉に、私はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。
「コーヒーご馳走様。もう行くね」
「あぁ、待って。もう一つ」
そう言って家入さんは私に一枚の紙を渡してきた。
「……何ですか? これ」
「紹介状。東雲家の息が掛かっている病院があってね。今度から其処に行きな。記憶障害を研究している人間だから私より腕は立つ」
「そう言う事早く言ってくんない!?」
何なら検診を始める前に伝えるべきである。何故今なのだろうか。
けれどまぁ、冷静に考えれば家入さんの言っている事も納得である。家入さんは唯一他人に反転術式を使える人間。こんな一時間もの長い時間を私一人だけ独占する訳にはいかない。
色々言いたい事はあるけれど、それを飲み込み家入さんに渡された紙を受け取った。
「今度から此処に行けば良いのね。分かったそうするわ」
「話が早くて助かるよ。最後まで私が診ていたかったけどね、どうもそういかなくなった」
「分かってますよ。最近本当に呪霊が多くなってきたものね。家入さんも休める時に休んでくださいね」
「なるべくそうするよ」
そう言った家入さんの顔は何処か疲れている様にも見えたのだった。
静かな室内に、時計の針の音だけが繰り返し規則正しく響く。その音と共に私の心臓も激しく鼓動する。ピンっと張り詰めた空気は私の部屋だけでなく画面越しに居る三人の間にも流れている事は明白であった。
『……どう、ですか?』
先に沈黙を破ったのはAmiaであった。その声は何処か不安げで、消え入りそうな程にか細い。そんなAmiaが心配じゃないと言えば嘘になるが、私も私で思いの外緊張していた。
午前一時。私達は自分達の動画をKさん達に見せていた。私も見たが本当にAmiaの動画は目を見張るものがある。単体ではあまり上手いとは言えない私の絵でも、Amiaの編集技術にかかれば特別良い物の様な気がしてくる。
『……まさか、こんな風に表現してくれるなんて思わなかったな』
まるで独り言の様にKさんは呟く。
『すごく──いいと思いました。前のものも良かったですけど、それよりもっと』
その言葉に、私とAmiaはホッと胸を撫で下ろす。今の今迄緊張の糸を張っていたからだろう、安心したら汗が滝の様に流れてくる。
「良かったです。やったね、Amia」
『ううん。えななんのおかげだよ! 何回も描いてくれてありがとう!』
そう言ったAmiaの声は興奮気味であった。けれどその中に安堵も混じっており、思わず笑みが溢れる。
お茶を一口飲む。冷たいお茶が喉を通って初めて自分が喉が乾いていた事に気付いた。
『ふふ。お二人とも、凄く仲良くなられたんですね』
「あぁ……まぁ、作ってたらいつの間にか……」
雪さんの言葉に、思わず言い淀む。悪い気はしていない。どころか少しだけ照れ臭い感じもする。素直に返事出来たら良いのだが、中々そうもいかなかった。
『そう言えば調整入れたい場所とかってないですか? 色調とか、まだ変えられますけど……』
Amiaの言葉に、Kさんは首を横に振る。
『いえ、大丈夫です。このMVからは、お二人が曲を聴いて感じた事を、全力で表現してくれたんだと……そう感じました』
全力……ね。
その言葉に、数日前の話し合いを思い出した。二人が感じた事を話し合うとは良く言ったものの、実際に行われたのあただの感想のぶつけ合いだった。
あの部分が良かった。此処が良かった。など、まるでヲタクの様に声を荒げての話し合いは冷静に考えれば近所迷惑も甚だしい。此処が家だったのなら彰人が怒鳴りながらノックもせず入ってくるに違いない。良かった。寮で。左右には誰も居ないし、男子寮はそもそも階層が違う。
そう言えば、Amiaの家族は大丈夫だっただろうか。私は兎も角、Amia自身も途轍もない程の大声を出していたが、彼らは寝られただろうか。
『大変だったですけどね。特にえななん。ほんっとうに自分の意見は曲げないし。本当に頑固なんだから』
「はぁ? あんたが正直に話し合おうって言ったから私は本音で話してただけじゃない。それに頑固って言ったらAmiaもよ。私の絵はこうだからこのエフェクトがいいんじゃない? って提案したらこっちの方が良いって言って強行突破したのはどこの誰だったかしら?」
『えー? 誰だっけー。知らないなー』
そんな言い合いを続けていると、ヘッドフォンの向こうから二人分の笑い声が聞こえる。ハッと我に帰り、おずおずと身を屈める。
「す、すみません。勝手に喋っちゃって……」
『いえ、大丈夫です。本当に仲良くなったんですね』
Kさんの言葉に、思わず苦笑いを浮かべる。だいぶ恥ずかしい醜態を晒してしまった様な気がする。反省反省。これが祖父にバレた日には鉄拳が飛んでくるに違いない。
……この反応は、前もした気がする。
『……ねぇ、K』
ふと、雪さんがKさんに語り掛ける。その言葉にKさんは頷いた。
『……うん。それで……実は、もう一つ話したい事があるんです』
そう言ったKさんの声は真剣味を帯びていた。それは何時ぞやの初めて会った日の様な、そんな真剣さ。
『Amiaさん、えななんさん。これからもわたし達と一緒に作っていきませんか?』
『──え!?』
私とAmiaの声が重なる。どうやらAmiaも吃驚していた様だ。
落ち着け。二人同時に混乱していたら話は進まない。
そう思い、私は三人に気付かれない様に小さく深呼吸をする。大丈夫だ。驚いたとは言え、両親から呪術高専へ通えと言われた衝撃には程遠い。
「一緒にと言う事は、この四人で活動をすると認識で間違いないでしょうか」
私の問いかけに、Kさんは首を縦に振った。どうやら私の認識は間違ってなかった様だ。
『はい。今回のMVを見て、確信しました。お二人は、わたし達の伝えたい事を感じ取って、その上他の人には簡単に出せない様な、強い想いを乗せてくれるって。だから、お願いします。二人の作ってくれたMVがあれば、もっと沢山の人に聴いてもらえる。そうすれば……誰かを救う事が出来るかもしれない。えななさんの絵も、Amiaさんの動画も、わたし達の曲を広く聴いてもらう
為に必要なんです』
画面の向こうでKさんが頭を下げているのが分かった。
随分高尚な目標を掲げているらしい。けれどその内部はとてもではないが綺麗なものとは言い難い。何か自罰的なものを感じる。
──私の絵が、必要……か。
そう言って貰ったのは、産まれて初めての事だった。その言葉は今迄貰ったどの言葉よりも嬉しく、思わずにやけてしまう己の口角を抑えるのに必死であった。
──けれど。
──化け物!
「……少しだけ、考えさせて下さい」
『……え?』
ヘッドフォンの向こうで、Kさんの戸惑った様な声が聞こえる。
私だって本当は二つ返事で了承したい。けれども現実問題そうはいかない。先述の通り私は多忙を極める身。こうしょっちゅうルームにイン出来る訳ではない。けれど一番のネックはそこではなかった。
彼女達と一緒に活動して、何か危険があるかもしれない。
オンラインだから安心という訳ではない。呪いに物理は関係ない。もし私に纏っている呪いが彼女達に行ってしまったら? そう考えると怖くてたまらない。
「御免なさい。近いうちにちゃんと返事をします。ですから、少しだけ待っていただけないでしょうか」
『……わかりました。ゆっくりで良いです』
「お心遣い、痛み入ります」
Kさんの気遣いにホッとする。ここで食い下がられたら少しだけ面倒だ。
『Amiaさんは、どうしますか?』
「えっ! えぇっと……は、入ります!』
『本当ですか? 嬉しいです』
そんな明るめな雪さんの声が聞こえる。それは少しだけ、業務的に思えた。
初日から感じていたことだが、雪さんは少々相手の事を考えすぎる傾向がある。自分の感情より、相手が何を求めているかを汲み取り、吟味して与える。確かにそれは評価に値する行動だが、それがいきすぎてしまうと自身の負担になりかねない。
まぁ、私も言えた事ではないのだが。
「……じゃあ、私はもう落ちます。おやすみなさい」
返答も聞かず退室ボタンを押そうとする。けれどそれはKさんの言葉に遮られた。
『えななんさん。待ってますから。だから、きっと答えを聞かせてください』
「……はい」
それだけ言って、今度こそ私は退室をする。パソコンがシャットダウンしたのを確認して、私は背凭れに身体を預けた。
どうして、出来ないって言えなかったのだろう。
危険と分かっていれば断るべきなのだ。けれど私は〝保留〟と言う形で終わってしまった。本当は、これきりで関係を絶つべきなのに。
どうして私は、この活動に未練を持ってしまっているのだろう。
このままあの三人と会わなければ、話さなければ三人の事なんて跡形もなく忘れてしまえる。それで良い。それで良い筈なんだ。
けれど──。
「なんでこう、やるせない気持ちになるんだろう」
下書きで描いた絵を見ながらそう呟く。まだ鮮明に思い出せる、Amiaとの思い出を思い出しながら。