もし、希望を持って良いのなら。
「あれ、金次しかいない」
「あ? 悪いかよ」
朝ごはんを食べようと食堂に行くと、おにぎりを食べている金次は眠そうに私を睨み付けていた。私自身も朝が弱いと言う事もありそんな態度の金次に怒る気力もなく寮母のおばちゃんに鮭定食を頼んで金次の前に座る。焼き鮭と味噌汁の香りが鼻腔を擽る。
「綺羅羅は?」
「あいつは朝早くから任務。補助監督に叩き起こされてたわ」
「うわ。想像出来る」
そんな遣り取りをしながら、私は手を合わせた。
「いただきます」
──化け物!
「…………」
故鳴村での一件以来、食事をすると必ずあの出来事が脳裏を過る様になった。人を殺した感覚。それがどうしても忘れられなかった。生きている生物を殺すと言うのは人間には残酷すぎる。今では治ってきたのだが、一口何かを食べれば胃から迫り上がって全て戻してしまう。けれどそれを誰かに話す訳にもいかず、一人孤独に耐えていたのだった。
何で私がこんな思いをしなければいけないのだと誰にでもなく責めた。それは私が人を殺したからだと自分の中の自罰が答えた。その繰り返しで、もう責める事すらも疲れて思考を放棄してしまった。
けれど、それでも思い出してしまうのはどうしてだろうか。
「どうした。腹減ってねぇのか?」
「へ? いや、食べるわよ。少しぼうっとしてただけ」
金次の言葉で我に返り、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。しまった。こんな間抜けな姿を晒すべきではなかったのに。
平常心を保つかの様に、私はご飯にありついた。鮭の塩味が美味しく、私の脳味噌がもっともっととそれを求めた。
どれだけショックでもご飯は美味しく感じるのか。
「……なんかあったのか?」
「へ? いや、何でも無いわよ」
ギクリと体が跳ねる。図星であるが私の口から出て来たのは誤魔化しの言葉であった。そんな私の言葉に、金次は何か訴えるかの様な目線を私にぶつける。それから逃げるように口に沢山白ごはんを頬張った。勢いで飲み込んでしまったからか喉に詰まり急いで水を飲む。間抜けな姿を隠そうとしたのだが、逆に無様な姿を晒してしまった様である。
咳き込みながらも何とか落ち着き、息を吐いて背凭れに体重を預ける。
思い出すは昨晩の事。いや、日を跨いでいるから今日と言うべきであろうか。Kさんと雪さんに一緒に活動しないかと言われた時の事であった。あれから私はずっと考え、考え、考え、そして結局結論が出ないまま朝を迎えてしまったのだった。いつの間にか寝ていた私の体は休息を摂ったとは言えず、怠さが体の芯まで回っている。
そんな私に呆れたのだろうか。金次は大きく溜息をついた。
「な、何よ」
「お前さ、その癖やめろよな」
「何の癖よ」
「一人で勝手に抱える癖」
はたと、目を丸くする。けれども金次はおにぎりを食べながら話を続けた。
「そりゃ、お前の一人で解決したいっつー想いは尊重するし、熱を感じるけどよ。お前の場合、それが〝常〟じゃねーか。そんなもんずっと続けてりゃ熱は冷めて来るぜ」
「でも、金次達に話しても、迷惑をかけるだけだし」
それに、簡単には相談は出来ない。相談する。それは即ち弱さを曝け出す事と同義である。それは東雲と言う立場である以上、許されない事だ。
「でも、実際こうして食が進んでねー訳だろ? そんなんで任務に集中出来んのかよ」
「……何が言いたいのよ」
まるで私が任務に支障をきたすかの様な物言いであるが、私はこれまで任務に失敗した事など片手で数えられるくらいしかない。だからこそ金次の言うそれはあまりにも納得出来ないものであった。
──けれど。
「………………」
きっと、そうでは無いのだろう。それは金次の顔を見れば分かった。これでも一応、他人の顔色を見ながらあの屋敷で生きて来た身。誰がどう思っているかなど、顔を見れば大体の事は分かる。
多分、心配をしてくれているのだろう。柄にもなく、本気で。
金次は顔は怖い上に未成年でパチンコを打っている不良である。けれどもその本心は仲間想いであり人情家だ。一度仲間と決めた者にはどんな事があろうとも見放さない。そんな優しい男の子。
それを知っているからこそ、金次の心配は、失礼ながら少しだけ嬉しかった。
仲間だと、思ってくれているのかと。
「……ねぇ、金次。仲良くなりたい人がいるけれど、その人は自分とは生きている世界が違う人で、もし関わったら相手を危険な目に合わせてしまうかもしれないってなったら、金次はどうする?」
「あ? 何だ急に」
「もしもの話よ」
最後の一口を食べ終わり、コップに注いでいるお茶を少しだけ飲んだ。お茶の仄かな苦味が口の中に広がって、鮭定食の塩味を消していく。
まぁ、もしもでは無いのだが。それでも、私としては勇気の要る言葉であった。あまり人には弱さを極力見せたくない私がここまで言うのは、きっと友達だからだろう。
金次は少し考える素振りを見せ、しかしあっけらかんとこう言った。
「別に、普通に仲良くなれば良いんじゃね? 可能性ってだけで、別に悪い事でも無いんだろ?」
唖然とした。私が数時間悩んで悩んで悩んだこの問題を、この男は最も簡単に導いてみせたのだ。
ここで「はいそうですか」と受け入れてしまえばこの話は早く終わるのだが、私の中に湧いて出て来たものはそれとは裏腹の疑問達であった。
「で、でも、もしかしたら怪我を負わせるかもしれないのよ? 任務もあるし、他の友達みたいに常に連絡を取り合える状況じゃないし、それに私だっていつ死ぬかも分からない身。もし急に私から連絡が途絶えたら、相手が悲しんじゃうかもしれないじゃない……」
段々と、声が小さくなっていく。私がずっと考えていた事。ずっと、答えを出せずにいた問題。きっと彼女達は私と関わってしまったら酷く悲しい思いをしてしまうだろう。それがどうしても嫌だった。悲しい思いなど、してほしくない。
私なんかの為に、悲しんでほしく無い。Kさんと雪さんはどうか分からないが、Amiaは一緒に動画を作った仲だ。それくらいは分かってしまう。きっとあの子は友人になったら誰より泣くだろう。そんな子だ。
それくらい、優しい子なのだ。だからそんな子を悲しませる事は、他でもない私がしたく無いのだ。
「でも、〝可能性〟だろ? 別に今すぐに危険に晒される訳じゃねーし。それを言ったらこの世界全員明日生きてるか分かんねーんだぜ。そんな〝もしも〟ばかり考えてたら日が暮れちまうぜ。もうちょっと単純に考えろ」
そう言って軽く私の頭を小突く。微量の痛みが額に響く。けれどその痛みはどうしてか不快ではなかった。
……良いのだろうか。そんな単純に考えて。
確かに金次の言っている事は理解が出来る。けれど、良いのだろうか。
本当に、良いの?
「──金次」
「あ?」
「有り難う」
「……お礼はパチンコ代で良いぜ」
「ばーか。あんたには駅前の定食屋で充分よ」
そう言い残し、私は食堂を出た。
何が正解だなんて今の私には全く分からない。何なら一生答えが出ない可能性だってある。
けれど。
もし願って良いのなら──。
♢
パソコンの前で、深呼吸をする。結局あれから五日程期間が空いてしまっていた。仕方がないだろうと、言い訳をさせて欲しい。何故なら金次と話した数時間後に、五条先生から東北への出張を言い渡されたのだから。帰って来たのはたった数時間前である。逆に帰って来て早々話をしようとする私をどうか褒めて欲しい。
私の所為じゃないと……思いたい。まぁ、彼女達にしてみたら関係ない事なのだろうけれど。
大きく息を吸って、そして吐く。思ったより、緊張をしている。というか初めて作業をした時より何倍もの緊張が私の胃を襲っていた。一応椅子に座る前に胃薬は飲んだのだが、それの効き目がどうも薄いように思えた。
もう直ぐ午前一時。時計の針がまるで死刑執行までのカウントダウンを刻んでいる音に聞こえて思わずクッションで耳を覆う。あの音は、あんなに恐ろしかっただろうか。
「って、逃げてちゃ駄目よね。ちゃんと向き合わなくちゃ」
そう言って音を立てて己の頬を強く叩く。けれど先の戦闘で負傷した口内に歯が当たってしまい、思わず身を屈めて震える。何故私はこうも後先を考えられないのだろうか。
いや、それはいつもかと、少しだけ笑った。後先考えずに突っ込んで、金次が助けに入って、二人が喧嘩してそれを綺羅羅が諌める。いつもの構図だ。
そうだ。うだうだ考えるのは、私らしくない。自分がどうしたいかを最優先に考える。それが東雲絵名であろう。
午前一時。私は震える心を取り払い、入室ボタンを押した。ルームにはKさんと雪さん。そしてAmiaの名前が並んで表示されていた。その名前を見て、緊張が増すと同時に、少しホッとする自分も居た。
「遅くなって申し訳ありません。えななんです」
『えななんさん。来てくれて良かったです』
『えななーん。声聞けて嬉しいよ! 何年振りかなー』
「ちょっと、そんなに経ってないでしょ。適当言わないで」
そんな雪さんとAmiaの声が、ヘッドフォン越しに聞こえる。その声がだいぶ久しぶりに思え、思わず感傷に浸ってしまいたくなる。けれど直ぐに首を振って口を開いた。
「お待たせして申し訳ございません。やっと、答えが出ました」
『……応えを、聞かせてください』
真剣味を帯びたKの声は、ヘッドフォン越しでも分かるほど緊迫していた。その空気が電波を伝って伝染し、思わず私の背筋も伸びる。
「……先日もお伝えしましたが、私は一身上の都合により毎日はログイン出来ません。どころか何日も出来ない場合があります。絵も遅れるかもしれないし、自分の納得がいくまで描き直したり、先延ばしたりする可能性だってある。けれど、それで構わないと仰ってくれるのなら、三人と一緒に活動がしたいです。私を、仲間に入れて下さい」
「お願いします」と、画面越しに深々と頭を下げる。その姿は相手三人には見えない。けれども頭を下げるのは、この三人と活動がしたい。曲を作っていたい。絵を描いていたいと心の底から思っているからなのだろう。
絵が描ければそれで良いと思っていたが。絵が描ければ何処でも良いと。然しAmiaと一緒に動画を作っていく内に、K達の曲を聴いている内に、此処でないと駄目だと、そう思うようになっていったのだった。
それが成長か、後退か今のままでは分からない。一緒に活動する事が正しい事なのかも。
けれど、その思いを抱えてぐるぐると考え続ける方がよっぽど時間の無駄だ。
考えている暇があったらまずは動く。その場で立ち止まって考える事は勿論大事だが、それでも答えが出ない場合、それは足踏みと化する。だったら動きながら答えを探した方が有意義であろう。
──いや、それは飾りつけでありカッコつけだ。そんな難しい話ではない。
私が、彼女達と一緒に居たかったのだ。正しいか間違っているを飛び越えて、私は彼女達と一緒に居る未来を夢見てしまったのだ。
夢見てしまったら、もう止められなかった。
『……えななんさん』
そんな静かな声に、私はビクつく。こうは言ったものの、彼女達から入らせないと言われてしまったらそこでおしまいな訳だが。そしたらもう、泣くかもしれない。
『これを、まず観てくれませんか?』
そう言ってKさんが添付したのは一本の動画であった。疑問に思いながらも再生ボタンを押す。そして流れて来たのはいつぞやの曲であった。
私とAmiaが一緒に動画を作った、あの曲。
壮大な音楽と共に、私とAmiaが作った動画が綺麗に流れてくる。激しい曲。けれどもそこには微量の怒りと、優しさが。
あぁ、やっぱり。
Kの曲は好きだなぁ。
『わたしはこの完成品を観た時、今までに無い衝撃を受けました。わたし一人だけじゃ表現しきれなかったものを、二人は汲み取って、それ以上にして持ってきてくれる。それが分かった時、居ても立ってもいられなかったんです。だから、私達の曲にはえななんさんの絵が必要なんです』
『だから──』と、Kさんは言葉を続ける。
『これから一緒に頑張っていきましょう。この四人で』
「────!」
その言葉は、今までに無い程に嬉しかった。泣きたくなるくらい。震えるくらいに。
「──はい! 宜しくお願いします!」
目に貯まった雫を拭いながら、力強く頷いた。
もう、引き返さない。未だ何が正解なども分かったいない。けれども此処に居て頑張りたいと言う気持ちが本物なのだとしたら、私はこのナイトコードでずっと絵を描いていたい。描き続けていたい。そう思うのだった。
『いやー。一時はどうなることかと思ったけど、ハッピーエンドで良かったよー』
「その節はご迷惑を……」
『ふふ。気にしないで下さい。ところで、この四人で活動するってなると名前をいつまでも『K』にしとくわけにはいけませんよね。どうする? K』
『う……そう言うのまだ何も考えてなかった……』
「沢山の人の目に触れさせたいんだったら、覚えやすくてインパクトがある名前が良いわよね。何が良いのかしら」
『うーん。ナイトコードに集まって曲を作るサークル……これはまた難しいねぇ』
『……あ、こう言うのはどうかな?』
思い付いたかのように、Kは言った。
『──25時、ナイトコードで。』