呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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鉄槌を下すのは、神か、それとも──。


第五十二話 666

『最近雪忙しそうだね』

『うん。ほら、文化祭が近いから』

『あー、大変そうだねー』

 

 そんな雪とAmiaの話が聞こえる。

 

 そうか、もうそんな時期なのか。確かに中学時代、この時期に文化祭があった様な気がする。気がすると言うのは、シンプルに覚えていないからだ。然しSNSではフォロワーが文化祭だ何だと投稿しているため、この時期で間違い無いのだろう。

 

『もしかして雪って、文化祭実行委員だったりするの?』

『ううん。でもクラス委員長やってるから色々忙しくて』

『うへー、大変だね。無理しちゃダメだよ』

『うん。ありがとう、Amia』

 

 そんな遣り取りを聞きながら、私は片手間にお茶を飲む。

 

 文化祭……か。

 

 うちは絶対にそういうの無いだろうな。たった三人しかいないし、そんな時間ないし。きっとこの調子じゃ運動会すらもないのだろう。というか、呪術高専に学校行事自体あるのかどうかも怪しい。

 

 けど、学級委員長って文化祭の準備も手伝わなければいけないのか。それは雪も大変だなと、少しぼんやりと人事の様に考える。私自身学級委員長などという人の中心に居なければいけない役職とは無縁だったもので、雪の苦労はわかってあげられない。

 

『Kとえななんのところも忙しい?』

 

 ふと、Amiaが此方に話を振る。話しかけられるとは思っておらず、思わず私は吃驚してコップを落としそうになったが、何とか持ち直して大惨事にならずに済んだ。

 

『わたしは通信制だし、そう言うのはないかな。多分、あったとしても参加しないと思う。文化祭に参加している時間があったら作曲したい』

 

 そう答えたのはKであった。半分驚きと、半分納得。確かにKの様に生活の大半を作曲に割いている人間が素直に学校行事に参加する訳がなかった。

 

『へー。Kって通信制だったんだ。なんか意外でもないかも』

『うん。出来るだけずっと曲作っていたくて』

 

 Amiaの言葉に、Kは頷く。聞き様によっては悪口になってしまうぞと言うAmiaに向けての叱咤は、敢えて飲み込んでおこう。Kも気にしてなさげだし、ここで自ら空気を悪くする発言も避けたい。

 

 然し何というか、Kは本当に期待を裏切らない。その作曲に対しての熱量と執着は心の底から尊敬に値する。

 

 尊敬と、羨望と。

 

 私も叶うならずっと絵を描いていたい。それこそ、通信制や夜間制でそれ以外を絵を描く時間に充てたい。そう思う程、私は絵に飢えていた。

 

 だからこそ、ここで絵を描けるのは本当に恵まれている。

 

『K、作曲に熱中するのは良いけど、無理しちゃ駄目だよ。前だって寝るの忘れて倒れていたじゃない』

『う……き、気を付けるよ……』

 

 雪の言葉に、Kは気不味そうに答えた。あぁ、矢張り倒れた事があるのかと思うと同時に、それは私も耳を覆いたくなる言葉であった。まぁ、何かに熱中するのは何も悪い事ではない……と、思いたい。そもそも私は寝不足で倒れるなんて事はあまりない。体がそんな風に出来てしまったと言えばもうそれまでなのだが、もう、これは慣れである。

 

『えななんの学校は文化祭何するの?』

「へ? あぁ、うちはそう言うのは無いかな?」

『えー! ないの!? 珍しい!』

 

 まぁ、確かに珍しくはある。呪術を扱う学校なんて、この世で二校くらいしか無いだろう。そんな事、言える訳はないのだが。

 

『えななん一体どんな学校に通ってるの……? 不思議なんだけど』

「身バレはNGです」

 

 そう言って話を終わらせる。これ以上は話してはいけない事まで口にしそうである。

 

 守秘義務というものがあり、必要に応じて呪霊の事を喋っても良いのだが、基本庇護対象である比術師には呪術の情報を伏せておかなければならない。

 

 呪霊は基本、人間の『負』の感情が流れ出て、それが具現化したものである。『負』の感情が増幅しないように比術師から呪霊の正体は黙っている必要がある。違反してしまえば最悪秘匿死刑だ。まぁ、場合によっては喋っても良いのだから、そこら辺はガバガバな気がしないでもないが。

 

 その時、私の携帯に一つの着信が入る。見ると高専本部からであった。内の熱がゆっくりと冷めていくのを感じる。

 

 一言断りを入れ、ミュートにする。本当は出たくはないが、それでも出なければもっと面倒臭い事になる気配を感じた。

 

「……もしもし」

『夜分遅くに失礼します。絵名様。仕事でございます』

 

 その一言だけで充分だった。それを聞いただけで私は電話を切り、椅子に深く腰掛けた。夢見心地から、強制的に現実へ引き戻されたかのような気分である。

 

 ……酷い気分だ。

 

 けれど、そうも言ってられない。私は引っ込めたい気持ちを抑え、私はミュートボタンを解除した。

 

「……ごめん! これから用事出来ちゃって、抜けます!」

『ええ!? 今から!? もう夜中だよ?』

 

 Amiaの主張もご尤もである。と言うか私も思う。何ならAmiaからも言って欲しい。この時間はもう寝る時間だぞと。

 

「だからごめん、K。絵は絶対に間に合わせるから」

 

 そう言って誰に見られるでもなく、けれど誠心誠意の意を込めて手を合わせて謝罪する。そんな私を責めるでもなく、Kは穏やかに返した。

 

『大丈夫。えななんの納得できるものを作ってくれれば、それで良いよ』

「…………」

 

 それは暗に「時間は掛かっても良いが、クオリティは落とすな」と言っているのだろうか。優しい声をして案外肝が据わっているのかもかしれない。

 

 けれど、まぁ、それだけ期待をしていると言う事なのだろう。それはこれ以上にない程嬉しい限りである。

 

『お前なら特級にも勝るだろう』

 

 ──家の期待より、何倍も嬉しい。自分が大切にしているものが認められる、肯定されると言うのはどうしてこうも暖かい気持ちにしてくれるのだろうか。

 

 それから簡単な遣り取りをして、私はナイトコードを閉じる。本当はずっと描いていたい。けれど、そう言う訳にもいかないのだろう。私は羽織っていたカーディガンを脱いで、制服に着替えるのだった。

 

 

 

 

「あれ? 絵名、なんか怒ってる?」

「別に」

「あっそ。なら良いけど」

 

 五条先生のそんな適当な返事に、少しだけ腹を立てる。けれど今更そんな事で怒っても無駄だと言うことは分かっているので、溜め息を吐くだけでそれ以上は何も言わなかった。別にこれは五条先生が悪い訳ではないのだから。

 

 何処の会社だったか分からない廃墟のビル。私達二人はその中の様子を見ながら補助監督が買ってきてくれた暖かいお茶を飲んでいた。昼間はまだ暑いが、夜中はだいぶ肌寒い。

 

 何でこんな事になったのだろう。今頃私はニーゴでの活動で絵を描いている筈だったのに。何で私は廃墟の向かいにある廃ビルの屋上で担任とお茶を飲んでいるのだろう。これがまともな高校だったのなら未成年保護法に引っかかるのではないだろうか。そうなれば五条先生はきっと塀の中に行ってしまうのだろう。

 

「なんで急に任務なの? 私眠いんだけど」

「この任務を担当する人が急に死んじゃってさ。それで絵名に回ってきたって訳さ」

「……それ、例の着物の女?」

 

 私の言葉に、五条先生は口角を上げて笑う。

 

「知ってるんだ。その噂」

「家入さんに聞いた。それ以上は何も」

 

 この反応から見るに、恐らく私の予想は当たっているのだろう。

 

 別に東雲だからと言う訳ではないが、それでも一、呪術師としてスルー出来る問題ではない事は確かであった。実際に実害が出ているのなら、尚更。

 

 かと言って私自身何が出来ると言う訳はないが。もう少し私に力があったのなら、自力で見つけ出して祓う事が出来るのに。

 

「そうだね。今回も目撃情報があるね」

「ふーん」

 

 聞いた話だと、最初に被害にあった術師と一緒に来ていた補助監督がその姿を捉えたと言っていたが、その補助監督は幸運だ。女に気付かれずに生き残れたのだから。

 

 女からの被害が段々と広がっていき、漸く術師全体に注意喚起と見つけ次第の駆除が言い渡されたのだ。それを帰りのホームルームでまるで保護者へのプリントを配るかの様なテンションで言われた時は、三人で顔を見合わせたものだ。

 

「さて、そろそろ時間だね。いってらっしゃーい」

「帳は下ろしておくからー」と言って、五条さんは何処かへ消えた。

 

 ……こんな面倒な事を、私がやらなければいけない事なのか? 直前になって知らされて、あまり事情も知らない私が?

 

 廃ビルの中にいるのは呪詛師集団であった。団体の名称は『666(スリーシックス)』。呪術師や御三家から盗んだ呪具や呪物を非術師に多額で売り渡しているらしい。然しそんなものは直ぐに露見するもので。彼らは愚かにも東雲家の呪具も盗み出していたようで、祖父の怒りに触れた彼らは一瞬にして居場所や個人情報、周辺の人間関係までもプライバシーなど存在しないかのように洗いざらい調べ尽くされたらしい。

 

 そしてその面倒毎が私に回ってきたらしい。あぁ、件の女が術師を殺していなければこんな面倒な事をやらなくて済んだのに。

 

 ふと見ると、丁度玄関先から男が複数人、出てくるのが見えた。

 

 五人……いや、六人か。二人程大きな鞄を持っており、三人が二人を囲う様に歩いている。そして最後の一人は煙草を咥えながらその五人を先導するかの様に何の柵もなく歩いていた。恐らくあの荷物の中に呪具や呪物を一頻り入れているのだろう。

 

 私はそれを認識して、屋上から飛び降りる。意外にも滞空時間は長くは無く、瞬きした瞬間、私の足は地面に着いた。

 

 私の足音はそんなに大きくはなかった。けれど警戒が行き過ぎて過敏になっているのだろう。私の踵が地面へ付いた瞬間、一番後ろの男が私の方を振り返った。

 

「──呪術高専!?」

 

 私の制服を見て瞬時に気が付いたのだろう。男がそう叫ぶと、周りの男たちも狼狽えた様に構えた。鞄を持っている男がその鞄を開けようとする。恐らく中に入っている呪具を取り出そうとしたのだろう。私は瞬時に小刀を引き抜いて、男の手を切断した。

 

 一瞬の間が流れる。私はその間を待たず、手を切断した男を蹴飛ばして近くのゴミ箱に放り投げた。

 

「このクソアマ!」

 

 そう叫びながら、内の一人が私に飛び掛かる。手には先ほどまで持っていなかった銃を私に向けていた。懐に隠し持っていたのだろう。男は引き金を引く。弾丸が銃口を辿って放たれた。けれど私は弾丸を避け、右足を男の顎目掛けて蹴り上げる。

 

 危なかった。一瞬でも遅れていたら男が放った弾丸は私の脳みそを貫いていたかもしれない。

 

「う、うあぁぁ!」

 

 そう叫びながら、先導していた男を置いて、三人は走り去る。然し、私はそれを追いかけなかった。恐らくその向こうには五条先生がいるのだから。

 

「ちっ。腰抜けどもが。こんな小娘如きに怯えやがって」

 

 そう言っているが、男の足は子鹿の様に震えていた。

 

「……な、なぁ、少し話そうぜ」

 

 此方を振り返ったかと思えば、男は急にニヤリと、気味の悪い笑みを浮かべた。私はそれを肯定するでもなく、けれど否定もせず、動きを止めた。他に人の気配はない。攻撃をやめても後ろから不意打ちを喰らう事はないだろう。

 

「嬢ちゃんはさ、命と金、どっちが大切だと思う?」

「…………?」

 

 急に何を言い出すのかと思えば、男はそんな言葉を口にした。

 

「俺はな、金の上に命があると思ってんだ。結局人間は金がなければ生きていけない。昔の戦争だって口では領土や食料問題で開戦しているが、結局のところ金に全て集結する。そうだ。金だ。金さえあれば何でも出来るんだ。けどそんな不景気の中、金を摂取するのが本当に難しくなってきた。お前らセレブ呪術師にはわかんねぇ事だろうがな」

 

 そこまで言って、男は息を吐いて、また口を開く。

 

「俺達がやってる事は立派な商売なんだよ。どんな形であれ、求めるものに与えるだけ。それの何が問題なんだ? お前らだって呪具や呪物が減ったところでまた作り出せば良いだけの話だろうがよ」

 

 そう言って男は口を大きく開けて下品に笑った。不快な笑い声が辺りに響く。

 

 ──けれどその大きな口はそのまま耳にかけて引き裂かれた。まるでナイフの様な鋭い切れ味で。

 

 私は一歩、近づく。内に湧き出た憤怒を漏らしながら。

 

「随分高潔な思想を持っているのね。私にはちっとも理解出来ないけれど」

 

 私の怒りが伝わったのだろう。男は震えていた足を遂に崩して尻餅を付いた。私は依然として、男を見下ろしていた。

 

 あぁ。きっと、この男を理解する事は、一生ないのだろう。

 

「貴方達が言っているのは、自分たちの行いに対する言い訳。自分を高潔な人間だと信じ込みたいだけの後付け」

 

 一歩。また一歩と男に近づく。そしてもう一歩前へ進んだ時、私の後ろから雄叫びが聞こえ、空を切る音が聞こえた。私はゆっくりと振り向く。意外にも、焦り恐怖は微塵も感じなかった。

 

 目と目が合った。その瞬間、男は頭から潰れ、地面に音を立てて血溜まりを作った。その正体は先程ゴミ箱へ蹴り捨てた男であった。確か右手を切断したと思うが、もうその原型すら無くなっていた。

 

 男の方をまた見る。男は恐怖で顔を強張らせていた。何故、この男がそんな顔をしているのだろうか。そんな顔をする資格なんて、ないと言うのに。

 

 男に一歩近づいた時、私の携帯に一本の着信が入る。見ると他の現場に赴いている補助監督さんからだった。

 

「もしもし。……そう。うん、わかった。ありがとうね」

「…………?」

 

 そんな私の遣り取りを、男が困惑した表情を浮かべた。

 

「あんたのお仲間。捕まったって。安心しなさい。まだ殺しはしないわ」

 

 この男達が全てではない。呪具を隠しているのは此処と、あともう八箇所。それも全国各地に散らばっている。東雲家は優秀なようで、全ての場所を特定し、そこに術師を送っていた。その結果全ての666のメンバーを捕縛する事が出来たのだった。悔しいが、こう言うところは認めざる負えない。

 

 ──本当に、認めたくはないが。

 

「あんたも馬鹿ね。まさか東雲に手を出すなんて。おじいちゃん、カンカンに怒ってたわよ」

「爺さんって──まさかお前、東雲の……」

 

 その言葉に、私は真顔になる。そうか。忘れてしまいそうになるが、私は東雲は呪術師にとって恐怖の対象だった。その孫となれば尚の事。

 

 男は遂に叫び声をあげ、駆け出していく。「あ、そっちは……」と言う私の呟きは男には聞こえなかったようだ。

 

 その瞬間、遠くの方で爆発音が聞こえた。恐らく、五条先生だろう。あの人のところに言ってしまうだなんて、本当に可哀想だ。

 

 男が落としていった煙草を拾う。まだ火の付いているそれを、私は咥えた。

 

 吸って、そして吐く。白い煙が夜空に向かって昇っていく。そういえば、ニーゴはどうしているのだろうか。もう、みんな落ちているのだろうか。Kは……きっとまだ曲を作っているのだろう。無理しないと良いけれど。

 

 そんな事を思いながら、煙草を足で消して、迎えに来ている車に向かうのだった。

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