呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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自分はどんな死に方だろうと想像した事がある。想像して、そしてやめた。きっとろくな死に方じゃないから。


第五十三話 追悼

 その日は、秋空に似合わぬ晴天であった。私は窓に頭を預けながら過ぎゆく街並みを見ていた。横では祖父が真顔でまっすぐと前を見ている。それを顔を向けずに目線だけ動かし見ていた。祖父は今、どう思っているのだろうか。

 

 先日、本家の方から電話があった。

 

 鳳財閥の会長、鳳楽之助が亡くなったと。

 

 楽之介さんと言えば、確かえむちゃんのお爺さんだった筈である。今でも連絡を取り合っているえむちゃんから話は聞いていたが、まさか亡くなるだなんて。

 

 前に会った事が──ある様な気がするが、それでも思い出す事は出来ない。鳳楽之介さんがどんな顔だったのかも、覚えていない。どんな人だったかも。だから亡くなったと聞いても驚きはしたが、悲しさはやってこなかった。

 

 おじいちゃんは……祖父は、どう思っているのだろう。確かに二人の間には殺伐とした空気が流れていた。けれども二人とも同じくらいの歳の筈である。付き合いはそれなりに長いと聞く。何も思っていない筈はないのだが。祖父の表情は依然として読み取る事は出来なかった。

 

「もう時期到着いたします」

 

 運転手の言葉に、祖父から視線を外して窓の外を見る。えむちゃんは、居るのだろうか。きっと居るのだろう。楽之介さんに兄妹の中で一番懐いていた筈だ。

 

 なんて、声をかけたら良いのだろうか。分からない。けれど恐らくきっと、えむちゃんは今、絶望の淵に立たされているのだろう。そんなえむちゃんに対する言葉が、どうしても出てこなかった。

 

 車が右に曲がり、駐車場に入る。どうやら式場に着いたようだ。

 

 駐車場には沢山の車が停められていた。中には黒塗りの高級車もある。流石は日本有数の鳳財閥。名のある政治家までも式に来ていた。

 

 そんな様子を呆然と見ていたら、突然、祖父側の扉が開かれた。祖父は何も言わず車から降り、私もそれに倣い車の外に出た。秋の冷たい風が喪服の間を通り抜ける。葬式だから制服で良いと思ったのだが、東雲の使用人が迎えと同時に高級感のある真っ黒い喪服を用意したものだから仕方なく着替えたのだった。制服も黒だし、丁度良いと思うのだが。まぁ、理由はまた〝東雲だから〟と一蹴されるのがオチなのだろうけれど。

 

 葬式場は一般の施設とは違い、和風建築の建物であった。庭に咲いている真っ赤な彼岸花が辺りを彩っている。そう言えばもうそんな季節だなと、私はぼんやり考える。

 

 祖父の後を三歩離れた感覚で着いていく。もう少し速く歩きたいのだが、もう歳だからだろうか。祖父の歩幅は思ったよりも小さく、私の歩行速度も必然的に遅くなる。けれど祖父より前に出る事は許されなかった。女は男より前に出てはならない。吐き気がする程の男尊女卑。いつの時代だと嘲りたい思いで一杯だ。

 

 中に入ると、尚の事空気の重たさが体に刺さる。当たり前だ。あの日本最大規模のフェニックスワンダーランドを築いた人間がこの世から去ったのだから。

 

 人々の目が、突き刺さる。私達が通る道には、モーゼの海の様に人が割れていく。この場にはまるで私達に触れたらいけないかの様なその視線に、私は居た堪れずずっと下を向いていた。人並みには承認欲求はある方なのだが、この視線はあまり好きではない。

 

「東雲八郎様。絵名様。お待ちしておりました」

 

 そう声がして振り返ると、そこに立っていたのは中太りの男性だった。誰だろうか。見覚えはあるのだが、何処で会ったか思い出せない。

 

「幸之介か。この度はご愁傷であったな」

「どうも。遠くからのご足労、痛み入ります」

 

 幸之介……耿之介。はて、誰であったか。ちっとも思い出せない。

 

 思い出そうと頭を抱えている間にも、二人は何やら業務的な会話をしていた。引き継ぎはどうするかとか、資金の話とか。今この場で話さなくても良いではないかと思うが、それでも私は黙って話を聞いているしかなかった。えむちゃんは、今この場にはいないのだろうか。せっかくだから一眼でも顔を見たいのだが、この人数だ。きっとえむちゃんも忙しいのだろう。

 

 あぁ、喉が渇いた。お腹も空いた。朝早くに寮を出て一度本家の方に戻ったから起きてから何も口にしてない。どうせならコンビニでも寄ってと言えば良かったかな。……いや、言える筈がない。そんな事を言おうもんなら祖父からの嫌味、説教が始まるだけだ。祖父は自分の立場に誇りを持っているのだろう。コンビニやファミレスなどの所謂庶民が口にする様なものに否定的であった。東雲の人間たるものそれらしいものを食せと。ありがた迷惑この上ない。

 

「そういえば、絵名様」

「は、はい!」

 

 急に話を振られ、思わず背筋が伸びる。祖父の方から冷たい視線を感じるも、私の思考は幸乃介さんに向けられた。

 

「えむが向こうの蓮の間に居ます。よければ顔を見せてやってくれませんか」

「勿論です」と言う前に、その言葉を遮ったのは他の誰でもない。祖父の言葉であった。

「ほほう。〝東雲〟の人間に、歩いて会いに行けと。そう言っておるのか」

 

 その言葉に、胸がドクンと跳ねた。

 

 勘弁して欲しい。こんな所で権力を振り翳さなくても良いだろう。今日は鳳楽之介さんの大事なお別れの場なのだ。

 

 然し私の思いとは裏腹に、幸之介さんは困った様に笑った。

 

「申し訳御座いません。娘は父にとても懐いて居ましたからまともに歩ける状態ではないのです。ご理解いただけないでしょうか」

 

 私は目を見開いて幸ノ助さんを見る。こんな風に、誰かが祖父に意見をしている場面はあっただろうか。いや、私の知る限りでは、ない。あったとしても、口を開いた瞬間、その人はこの世に存在しなかっただろう。

 

 跳ねる心臓を抑えながら、恐る恐る祖父の顔を見る。祖父の顔は先程とは違い、全ての感情が削ぎ落ちたかの様な、車の中以上に感情が分からない表情をしていた。

 

「──はっはは。お主も言うようになったな。良かろう。今だけは見逃してやろう。行ってこい。絵名」

「は、はい……」

 

 ホッと胸を撫で下ろしながら、そそくさとその場から離れようとする。

 

 良かった。大変な事態にならなくて。あの祖父でも時、場所、場合を考えられる脳味噌はあったようだ。なんて、そんな事本人には絶対に言えないが。

 

「絵名様」

「……はい」

 

 まだ何か。と言う雰囲気を醸し出しながら、幸之介さんの方を振り向く。やっとこの地獄の空気から抜け出せると思ったのに、どうして私を引き止める必要がある。

 

 けれど、私の思考は全て吹っ飛んでしまった。幸之介の顔を見たら、そんな事、言える筈がなかった。

 

「えむと、仲良くしてくれて、有難う御座います」

 

 あぁ、そう言えば幸之介さんはえむちゃんの父親であったなと、今になって思い出した。

 

「……いえ」

 

 ──友達ですから。と言う言葉は、言えなかった。

 

 きっと、それは許されないのだろう。東雲と対等な存在を、祖父は許すはずがない。

 

 だから私は、肯定もせず、否定せず、笑うのであった。

 

 

 

 

「えっと、蓮の間は……ここか」

 

 長い廊下を歩き、蓮の間を見つけた。流石は鳳財閥ともう一度言わせて貰おう。本家程ではないにしろ、それでもこの広大な敷地を歩くとなると少しだけ面倒だ。

 

 息を吸って、そして吐く。衝動に駆られて此処迄来たのだが、いざ目の前にすると、何を言って良いのか分からない。下手な慰めは傷を抉る事になるだろう。けれど何も言わないと言うのもまた何か違う。

 

「──あぁ、もう。考えてても埒が明かないわ」

 

 そう呟いて、大きく息を吸って、声を出した。

 

「えむちゃん、居る? 私、絵名だけど」

 

 少しだけ、圧のある声だっただろうかと、言ってから少しだけ後悔をした。

 

「──絵名さん?」

 

 えむちゃんの、少しだけ落ち着いた声が聞こえる。その声はどこか落ち込んでいる様な、元気のない声であった。それを聞いて、あぁ矢張りかと少しだけ同情にも似た感情が湧いて出る。それに気付いて、そんな事を思うものではないと、即座に己を叱咤した。

 

 えむちゃんが出て来たのは二分くらい経った時だろう。障子から覗かせたえむちゃんの顔は確かに笑顔だったが、それでも目の下は赤く腫れていた。泣いていたのだろう。少しだけ鼻を啜っていた。

 

「来てくれたんですね。ありがとうございます」

「ううん。今回は、御愁傷様でした」

 

 そう言って私は少し、首を落とす。本家に来てから、お辞儀と言うものが下手になってしまった。これではいけないと思うのだが、段々と東雲に染まって来ている自分がいるのだった。

 

 そんな私に気付いたのだろう。えむちゃんは苦笑いをするだけで何も言わなかった。そんな顔をさせたい訳ではないのに、気を使わせてしまっている自分が嫌になる。

 

「少し、歩かない?」

「え……?」

「あ、もし体調が悪かったら断って良いのよ。ただ本当に散歩するだけだから」

 

 焦ったように私はそう言った。歩こうかとは言ったものの、えむちゃんの体調や気分を考えていなかった。こんな状態だ。幸ノ助さんもまともに歩ける状態ではないと言っていたのに。

 

 けれど私の思いとは裏腹に、えむちゃんは「ううん。歩きます」とへにゃりと笑みを見せた。その顔を見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 それから私達は廊下や庭を歩いた。恐らく式がもう直ぐで始まる為、そう遠くに行けないが。

 

「絵名さんは、八郎様と来たんですか?」

「そうよ。おじいちゃんと一緒。でも車の中では何も喋らなくてね。ほんっと気不味かったわ」

 

 そこまで言って、しまったと口を噤む。今えむちゃんには祖父の話題はあまり宜しくないのではないだろうか。いやでも、今の話題を出したのはえむちゃんだし……。

 

 そんな事を考えていると、えむちゃんはクスクスと笑った。その笑みは決して取り繕いなどではなかった。そして少し顔を落として、立ち止まった。

 

「おじいちゃん。目の前で遠くに行っちゃったんです」

「え……」

 

 遠くに……とは、逝去の事だろうか。まぁ、今の状況考えればそれしかないだろう。

 

「そう。ちゃんと見届けられたんだね」

 

 今の時代、家で最期を望む人間も少なくない。自分が生まれて育った大切な場所を最期に選ぶと言う考えは、分からなくもない。家族だって、きちんと本人の死に目には立ち会いたいだろう。楽ノ助さんも、きっとそう思ったのだろう。

 

「はい。けど、おじいちゃんが此処からいなくなった時、キューって胸が苦しくなったんです。覚悟はしてたつもりなんですけど……どうしても涙が止まらなくて。晶介お兄ちゃんも、慶介お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、みんな今ではキリッとしてるのに、あたしだけずっとメソメソしてて……でも、止められなくて」

 

 そう言って、えむちゃんは大粒の涙を目から次々に溢れ落とした。私はえむちゃんの顔を少しだけ覗き込むだけで、何も声が出ない。

 

 気持ちが分かる──だなんて、簡単に言えない。私はまだ、大切な人が亡くなる感覚を経験していない。そんな私が下手に同情なんてしてみろ。えむちゃんは慰めさせてくれるだろうが、他でもない、私自身が許せないのだ。

 

 では何を言うべきか。

 

 ──きっと、飾った言葉では何も響かないだろう。

 

「えむちゃん。それはきっと、悪い事では無いよ」

「え……?」

 

 えむちゃんは、困惑した顔を私に向けた。

 

「えむちゃんが涙を止められないのは、それだけ楽之介さん──おじいちゃんが大好きだったからでしょ? それは絶対に、悪い事じゃない。そんな事、あって良い筈がないわ。その証拠に、お兄ちゃん達とお姉ちゃんはえむちゃんの事を咎めた?」

 

 私の言葉に、えむちゃんは静かに首を横に振る。その姿を見て、私はえむちゃんの頭を撫でる。

 

 きっと、晶介さんも、慶介さんも、会った事はないがお姉さんも、みんな悲しい筈だ。けど鳳と言う名前は思ったよりも大きく、今は悲しい気持ちは後回しにして忙しさに追われているのだろう。

 

 その気持ちは、私にも分かるから。

 

「だから、今日はその三人の分まで、えむちゃんは悲しんであげて。沢山泣いて、お別れしましょ」

 

 そう言って、私はえむちゃんの涙を拭う。私が言える事は、此処までだ。これから先の言葉は、きっと親族の誰かが言うべきだろう。寄り添いは出来るが、踏み込みすぎては良くない。

 

「……絵名さ──」

「えむ。こんな所に居たの?」

 

 ふと、えむちゃんを呼ぶ声が聞こえる。誰だと思い振り向いてみると、其処には明るい髪をハーフアップに纏めた女性が立っていた。優しそうな、大人びてはいるが戯けなさを残した美人な女性。

 

「お姉ちゃん!」

 

 えむちゃんはそう叫ぶと、女性の元へ駆け寄った。成る程、あの人がえむちゃんのお姉さんか。確かに顔立ちはどこかえむちゃんと似ている。

 

「えむ、そちらの人は?」

「絵名さんって言うの! 八郎様のお孫さんだよ」

「八郎様って……まさか、東雲家の!?」

「うん!」

 

 えむちゃんの言葉に、お姉さんは驚いたように目を見開く。まあ、当たり前の反応か。

 

「自己紹介が遅れて申し訳ありませんでした。私、鳳ひなたと申します。この度はうちの妹がお世話になりました」

「東雲絵名です。こちらこそ、えむちゃんとは仲良くさせて頂いてます」

 

 そう言いながら頭を深々と下げるひなたさんに、私は手を差し伸べた。ひなたさんは少し戸惑った様な顔をしたが、私の手を握り返した。

 

「えむ。何か粗相はしてない?」

「ほえ? 絵名さんと私は仲良しだよ!」

 

 そう言って満面な笑みを浮かべる。「そう言う事じゃないんだけどな……」とひなたさんは困った様な顔をした。なんだかひなたさんが不憫でしょうがない。

 

「大丈夫ですよ。えむちゃんにはいつも元気を貰ってます」

「そ、それなら良いんですが……。えむ。仲良くして貰って良かったね」

「えへへ」

 

 えむちゃんの頭を撫でているひなたさんは、なんだか母親の様な顔をしていた。いや、姉妹の筈だが、えむちゃんが無邪気だからだろうか。

 

 楽之介さんは大切な孫や子供達に看取られて、きっと幸せだっただろう。

 

 最期……か。私の最期はどうだろうか。大切な場所で最期を迎えるのも悪くはない。

 

 けれど。

 

 ──呪術師に、悔いのない死などない。

 

 夜蛾学長の言葉を思い出す。真剣に捉えていたつもりだが、それでも最初の頃はまだ楽観的に捉えていた節がある。

 

 けれど、任務を続けていて気付いた。学長の言う通り、きっと呪術師は碌な死に方は出来ない。私は、納得の出来るしはやってこないのだろう。

 

 けれど、叶うのなら。

 

 大切な人の腕の中で死にたい。そう願うのだった。

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