少なくとも、私と彼女達が違うのは分かっていた。
『……よし。あとはアップするだけだね』
Kの声が響き、私は溜息を吐きながら背凭れに体を預ける。何回もリテイクをし、漸く完成したのだ。今回はだいぶ時間が掛かった。
『よっしゃー。終わったー!』
解放された様に、大声でAmiaがそう言う。私はそれを聞いて、漸く終わったのだと実感をした。
『ふふ。お疲れ様。今回凄く頑張ってたもんね』
『雪ー。ほんっと雪ってば優しいんだからー』
朗らかな雪の言葉に、Amiaは嬉しそうに返す。その言葉がどれくらい本当なのか分からないが。
時間はもう夜の三時。窓の外はもう闇に包まれていた。部屋の中は暖房が付いているが、それでも上着を着なければ凍えてしまいそうだ。夜になれば尚の事。私は息を吹きかけ、悴んだ手を温めた。
「それで、次のデモはもう作ってるの?」
『えー? えななん気が早いなー。もう少しくらい感傷に浸っても良いじゃん? それにそんな急かすなんて、Kがかわいそー』
嫌味の様に返すAmiaに、思わずまた溜息が出そうになる。分かっている。Amiaが冗談で言った事は。だから私はあまり強い言葉は使わず、Amiaに返した。そんな軽口までもが、私にとっては癒しの一時なのだ。
……別にマゾという訳ではない。
「別に急かしてる訳じゃないわよ。人聞きの悪い。ただ確かめただけじゃない」
『えー? 本当かなー? もしかしてえななんって陰険?』
「……Amia。これ以上言ったら本気で怒るからね」
そんな私の言葉に懲りたのか、『ごめんごめん。冗談だってば』と笑いながら返答する。普段ならそんな態度、すぐに頭に血が上り怒鳴りつけるのだが、何故かAmiaにはそんな気が起きなかった。確かに簡単な軽口はお互いに叩くが、それでも本気で怒るだなんてしたことがない。それはきっと、私がその遣り取りを少なからず気に入っているからなのだろう。
私達の遣り取りに、雪は『まぁまぁ』と嗜めていた。Amiaは兎も角、私はそんな事を言われる程子供ではない。今のだってAmiaが言い出さなければこんな言い合いはしなかったのに。抑もこれは言い合いの内に入るのだろうか。
──言い合いか。直近で喧嘩したのはいつだっただろうか。綺羅羅と金次も、意外と喧嘩しないしな。金次とは……関西に行った時に少しだけ口論になっただけだな。彰人との掛け合いは数には入るまい。他の術師なんて私に反論しない。
だからこんな風に堂々と同じ立場で言い合えるのは貴重である。
「……そう言えば、雪とAmiaの所の文化祭はどうだったの?」
ふと、そんな事を口に出す。もう十一月。世間の高校は既に文化祭は終わっているだろう。
『楽しかったよ。うちのクラスはお化け屋敷をやったなぁ』
「へぇ、いいなー。私のところはそんなの一切ないから羨ましいよ」
『ふふ。でもうちの学校は進学校だから、生徒の行事に対する意欲があまりないんだ』
それはそれでどうなんだ。内申点が欲しいのなら行事も一生懸命にやった方が良いだろう。
……なんて、新学校でもない私が言っても無駄か。ぶっちゃけ呪術高専なんて学力は関係ないしな。この前の期末テスト、中間テストなんて二人ともとんでもない点数を叩き出して補修になっていたし。私自身も、人に教えるってこんな難しい事なんだなと再認識したのだった。
『というかえななんの学校文化祭ないだなんて、クラス内で暴動起こらないの?』
「いや……うちの同級生はそういうの全く興味ないからな……。抑も暴動起こせる人数もいないし」
綺羅羅と金次を思い出して、苦笑いを浮かべる。彼らは文化祭、修学旅行などの行事は興味なさそうだ。まぁ、あったらあったでそれなりに楽しむのだろうが、なくても別に困らない。そんな人間達だ。だからこそ気兼ねなく接せていると言う節もあるのだが。
抑も人手不足が常の呪術界で修学旅行や文化祭をやる暇なんてないのだから。私だって毎日の様に任務に駆り出されていると言うのに。
『クラスの人数何人くらいなの?』
「私含めて三人」
『三人!? 少な!』
突然のAmiaの叫び声に鼓膜が破れそうになる。ヘッドフォンを付けている為、耳を塞ぐ事は出来なかった。
確かに驚く人数だろう。十何人と言う数ですら驚かれるのに、その倍少ないのだから。私だって同級生の人数を五条先生に聞いた時驚いたものだ。まあ冷静に考えれば呪いが認識出来て尚且つ呪いを扱える人間が沢山居る筈が無いのだが。なんなら三人でも多い方が。実際二年三年は居ないみたいだし。
「そんなもんよ」
『えー。そんな少ない人数で学校やっていけるのかなー?』
Amiaの言っていることは尤もだ。義務教育の中学校と違い、高校は自由選択。確かに公立等はあるが、それでも生徒が少ない学校を存続させるメリットなんて、日本にはこれっぽっちも無い。
──それが、普通の高校だったのなら。
都立呪術高等専門学校は表向きは宗教系の私立校を装っているが、実際は名の通り都立であり、公費で運営されている。だからいくら生徒が少なかろうと、この呪いが蔓延っている限り呪術高専は廃校にならないのだ。
「どうでも良いでしょ。そんなこと。私の知ったこっちゃないわよ。そんな事より、K。デモは出来てるの?」
話題の逸らし方が、少々わざとらしかっただろうか。けれどこれ以上は何も言えない。呪術規定に抵触してしまう。呪術師の元締めが一番に違反してしまうなんてどんなギャグだろうか。
Kは一言『ごめん……』と呟く。
『まだ出来てないんだ。だからもう少しだけ待ってて欲しい』
「分かった。遅くなっても──とは言えないけど、Kの納得出来るまでは待つよ」
『って言ってー、今回もギリギリまで修正してたのは誰ですかー? 人の事言えないぞー』
Kへと発した言葉に、Amiaは悪戯っぽくそう言った。……喧しい。と思ったが、本当の事なので何も言えない。それでも私にはあまり時間がない。いつ死ぬかも分からない身としては一つでも多く絵を描いていたいのだ。明日だって三つ任務が入っているし、もしかしたらナイトコードにログインが出来ないかもしれない。
スマートフォンを開いて明日の予定表を見る。午前と午後に任務が終わった後、病院に検診に行かなければいけない。其処は呪術師の息が掛かっている為何も隠す必要はないのだが、それでも見知った医者じゃないのは些か警戒心が湧き出る。
『じゃあ、私そろそろ落ちるね。学校もあるし』
『あ、そっか。じゃあボクも寝なきゃじゃん。じゃあおやすみー』
そう言って雪とAmiaはログアウトする。残ったのは私とKだけ。二人の間に沈黙の時間が流れる。
……気不味い。別に私はKと仲が悪い訳ではないが、それでも二人で喋った事がないのは確かだった。しかもKはストイックと言う言葉じゃ良い表せない程に作曲に集中している。そんな空気の中、私はKに喋りかける事は出来なかった。
この気不味さは知っている。例えるなら祖父と使用人と車に乗った時の様な、そんな感じ。
私も落ちるか……? いや、気不味いながらもまだ絵は描いていたい。
「……私は、まだ少し描いていくね」
『うん。なんかあったらチャットで教えてね』
そう言ってKはミュートにした。私からの声は聞こえるが、私からKの声は聞こえない。なんだか一緒にやっている感じがしない。
……雪だったら気の利いた言葉をかけられるのだろうか。けれどその雪ももう寝てしまっていた。
「まあ良いや。描こ」
自らを納得させる様に口にして、ペンタブに向かう。買った最初は使い方が理解出来ず齷齪していたと言うのに、人間には〝慣れ〟と言うものがある。今ではなんの躊躇もなく扱えている。
外はまだ夜の帳を下ろしている。私の意識は目の前の絵に沈んでいった。
♢
「絵名様。そろそろお時間です」
私の意識を浮上させたのは、補助監督の一言であった。絵から目線を外し、扉を見る。扉の外には人の気配。そしていつの間にか明るくなっている外。どうやら集中している間に朝になってしまっていた様だった。
しまった。本当は四時くらいで終わる予定だったのだが、四時はもうとっくに過ぎており、もう六時半であった。
これはもう、車の中で仮眠するしかないかな。
「分かった。今行く」
そう叫んで伸びをする。数時間ずっと机に向かっていたからか体の節々が悲鳴を上げる。伸びをした時のこの気持ち良さは一体何なんだろうか。
『あ……えななんもしかして落ちる?』
「…………え?」
ヘッドフォンからKの声が聞こえ、ゆっくりパソコンを見る。画面を見ると、Kのアイコンがログイン画面に映し出されていた。もしかしてKはあれからずっとログインして曲を作っていたのだろうか。私も言えた事ではないが、もう少しKは自分の事を大事にした方が良い様な気がする。
しかし、困ったぞ。もし今の補助監督の声が聞こえていたのなら、何か言及されても可笑しくはない。
「……今の、聞こえてた?」
『ううん。ボソボソとは聞こえたけど、内容までは何も……もしかして聞いたら駄目だった?』
「いや、駄目な事はないんだけど……」
モゴモゴと、何だか言い淀んだかの様な言葉になってしまった。駄目な事はない……いや、駄目なのだが。しかもニーゴの皆んなには補助監督や術師から『様』付けで呼ばれている所は死んでも見られたくない。
彼女達の前では、『東雲』の私ではなく、一、人間の『えななん』として接したい。
この場所だけだ。呪術師も東雲も関係なく私が私で居られる場所は。だからこそ今の場面を聞かれると非常にまずいのだ。
『えななんの聞かれたくない事は聞かないよ。安心して』
「K……」
Kの気遣いに、思わず感銘を受ける。もしかしたら興味がないだけかもしれないが、最早それでも良かった。私の奥深くに踏み込まないその気遣いが、私にとっては嬉しかった。
……まぁ、一番の理由は三人を危険に巻き込みたくない、という事なんだが。
「じ……じゃあ、私落ちるね。Kも、早く休んでねよね。疲れていると良い作品なんて作れないんだから」
『う……。わ、分かった』
私の言葉に、Kは言葉に詰まった。恐らくまだ作曲しようとしていたのだろう。まぁ、ここで私が苦言を呈しても画面の向こう側だからどうすることもできないのだが。
私は「じゃあ、25時に」と一言言って、ログアウトする。外で待たせている補助監督さんに悪いなと言う想いを抱えながら、すぐに制服に着替える。新しく新調した新品の制服。多くの任務を共にしてきた私の相棒は、先日遂にボロボロに破けてしまったのだ。断腸の想いで新調の申請を出して、昨晩に五条先生から渡されたのだ。高専生には良くある事らしく、新調する時も基本無料で交換してくれた。それが唯一の救いであった。
着替えながら、飲料ゼリーを口に加える。本当は食堂に言って何かご飯を食べたいが、補助監督が外で待っている為、そんな時間はない。これで腹はあまり膨れないが、栄養は摂れるだろう。
一気にゼリーを吸い込み、空になった容器をゴミ箱に投げ捨てた。そして最低限の隈隠しのファンデーションを顔に塗り、外へ出る。外では補助監督さんがスマートフォンを見ながら壁にもたれかかっていた。
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
「いえ。滅相もございません。では行きましょうか」
そう言って、補助監督は私の前を歩く。その後を歩きながら、私は小さく欠伸をする。今になって眠気が少しずつやってくる。もしかしたら車の中で爆睡を漕いてしまうかもしれないと、そんな予感がした。
♢
「で、なんであんた達まで検診に着いてくるのよ」
「えー、成り行き?」
「別に良いだろ。減るもんじゃねぇし」
夕方の、十七時前。午後の任務終わりに検診に行こうとした私に着いてきた綺羅羅と金次に向かい、溜め息混じりにそう言った。一度寮に戻ったのが間違いだったのだ。
教室でゆっくりしている二人に遭遇し、少し病院に行ってくると正直に伝えてしまい、今に至るのだった。まぁ、確かに私が二人の立場でも心配で一緒に行くと言っていただろう。そう考えると、無闇に二人を責められない。どころかありがとうと感謝するべきであろう。
けれど、強情なのか。私から出てきた言葉は照れ隠しという可愛い言葉では誤魔化されない悪態であった。そんな自分に、少し嫌気がさす。
「でも、吃驚したぜ。まさかお前が、その……何だっけ。かい……何ちゃらっていう病気を患っているとはな」
「〝解離性健忘〟ね。私だって吃驚だよ。でも、言うの遅くなってごめん。言おうとは思っていたんだけど、中々言い出せなくて……」
二人には、いつか話そうとは思っていたのだ。けれども中々機会がなく──と言うのは多分、言い訳に過ぎないだろう。私自身が勇気が出なかったのもある。
確かに二人は私が病気だからと言って拒絶する人間でないのは分かっている。けれどそれとこれとは話が別である。実際に口にして伝えるとなるとどうも言葉が出てこない。
「ま、仕方がないよ。私だって男って言うの凄く勇気言ったもん」
私の肩に手をやりながら、綺羅羅はそんな事を言う。
……そうか。可愛くて金次への態度を見て忘れてしまいそうになるが、綺羅羅は男性だった。まぁ、綺羅羅は綺羅羅だし、どっちでも良いのだが。
いや、呪術界ではそうもいかないのか?
「東雲絵名様。どうぞ」
名前が呼ばれ、振り向くと看護師がカルテを持ちながらこちらを見ていた。思ったより早く呼ばれたらしい。
「じゃあ、ちょっと言ってくるね」
「うん。頑張って!」
「早めに終わらせろよー」
「それは私ではどうしようもないでーす」
綺羅羅と金次に向かって軽口を叩きながら、立ち上がり診察室へ歩き出した。
♢
検診が終わったのは一時間後の事であった。意味があるのか分からない質疑応答、テスト、血液検査。私が〝東雲〟の人間だからか懇切丁寧に検査をしてくれたが、それでも波のように押し寄せてくる質問には辟易するのであった。
疲れが溜まっていたのだろう。角を曲がった時、ふらふらと歩いている人陰に気付かず、盛大にぶつかってしまったのだ。私は転けなかったが、相手の人は地面へ転がってしまっていた。
「わー! 御免なさい! 大丈夫ですか!?」
「あ……はい。大丈夫……です」
よく見ると髪の長い小柄な女の子であり、短パンから出ている足は白く、小枝の様に細い。もし私がこの足を少しの力を込めて捻ったら一瞬で折れてしまいそうな程に。こんなか弱い子を押し倒してしまったのかと、体の隅々まで冷たい感覚に襲われる。
ふと、視界の端に映ったのは大きな荷物であった。
……もしかして、荷物を渡しに来た人だろうか。それにしても顔色が悪い様な……。もしかしたら具合が悪いのかもしれない。
「あの……もし体調が優れない様でしたら、先生を呼びましょうか?」
「あ、いえ……ただの寝不足です。本当に、大丈夫ですから」
そう言って苦し紛れに笑みを作る。けれどその顔色の悪さでは説得力の欠片もない。
……どうする? 放っておくのもなんだか気持ち的には落ち着かない。けれど手伝おうにも待合室で二人が待っているかもしれない。
考えているうちに、女の子は思い荷物を引き摺りながら、よろよろと左右に行っていた。
──考えるより先に、体が動いた。
「これ、病室に運べば良い訳?」
ふらふらしている女の子から半ば無理矢理奪い、肩に掛ける。前までの私ならこの重さで上体が下がったのだろうが、今の私なら片手で余裕綽々と持ち上げる事が出来たのだった。
「え……で、でも、悪いですよ……」
「私が運んで無事にお家へ帰るか、病室に着く前に自分も病室へ寝込むか。どっちが良い?」
「……宜しくお願いします」
観念したように、女の子は頷いた。強引だっただろうが、それでも此処で倒れられるより何倍もましである。
そう言えば、この女の子の声は何処かで聞いた事があるなと、前を歩ながらそう考えるのだった。