今日のご飯を決める。それは当たり前の事であるが、幸せなことなのかもしれない。
お久しぶりです。親知らずでダウンしてたら1ヶ月ばかり経っていました。
「遅ぇよ。いつまで待たせるつもりだ」
「ごめんって。色々あったの」
廊下の端に設置されている長椅子に腰掛けながらそんなことを言う金次に対して、私は少し濁しながらそう答えた。あの少女の事は、あまり言わない方が良いだろう。
あれから病室の前まで荷物を運び、何なら帰りも運ぼうかと申し出たのだが、それは申し訳ないと断られたのだ。私自身も金次と綺羅羅を待たせている為食い下がりはしなかったが、帰りの荷物は大丈夫だろうかと、少しだけ心配になった。そこはまぁ、看護師さん達がどうにかしてくれる事を祈るしかない。
「あれ、綺羅羅は?」
ふと、この場に一人足りない事に気付く。金次の横に必ず──と言う訳ではないが、それでも金次の隣に居たがる綺羅羅の姿が、何処にも見えなかった。
先に帰ったのかな?
「飲み物買って来るってよ」
「あぁ、そうなの? てっきり先に帰ったのかと思った」
私の言葉に、金次は「ばーか」と一蹴する。
「お前を置いてなんて帰んねーよ」
「金次……」
「折角の財布が無くなるからな」
「帰るわ」
金次を無視して、私は出口へ向かう。金次は「冗談だよ」と言って私の後を追ってきた。それは知っている。私だって金次の言葉を本気で間に受けた訳ではない。売り言葉に買い言葉。そんな遣り取りは日常茶飯事であった。それどころか先程の素直な言葉に気持ち悪さを覚えるくらいであった。
金次はあんなことは言わない。絶対に。
私は携帯を取り出して綺羅羅に電話を掛ける。こんな広い所で迷子になってしまったら洒落にならない。
ワンコール、ツーコール。スリーコール。そして四回目のコールに入ろうとした所で、繋がった。電話越しの綺羅羅はいつも通りの軽快な調子である。
『もしもしー? 検診終わった?』
「うん。今どこに居る?」
『一階の……自動販売機が沢山ある所』
自動販売機が沢山ある所……か。私が知っている限り、確か其処は一番隅の、此処からかなり遠い所である。
何で態々そんな所まで?
「……分かった。すぐ向かうから待ってて」
そう言って電話を切り、元来た道を引き返す。診察室の向こう側に件の自動販売機がある。私は真っ直ぐと、廊下を歩いた。金次も私の後を付いて歩く。この病院は他の所と違い、軽やかに歩く事が出来る。
この病院には呪霊が一切居ない。呪術師御用達の病院という事もあり、この病院には強力な結界が貼られている。だから此処には呪霊が入り込む事も、発生する事もない。例え呪霊が入り込んでもすぐに呪術師が祓いに来るだろう。
「他の所は呪霊が多いよな。それに比べて此処は良いなぁ。快適に歩ける」
「そうね。ずっと此処に通院しようなか」
金次の言葉に私は頷く。確かに此処は快適に過ごせる。何なら住めるくらいだ。
いや、住めるは流石に言い過ぎだろうか。けれどそう思う程に、他の病院とは違っていた。全ての病院や施設が此処の様に快適であれば良いのにと想わざるを得ない。
まぁ、人間が居る限りそんな事は有り得ないのだが。
人間の負の感情が流れ出て、呪霊を作る。呪いが強ければ強い程、負の感情が多ければ多い程、呪霊は強さを増し脅威となる。人々が恐怖している物ほど、強大な力を得るのだ。私が対峙してきた呪霊達も元は人間から作られたものだ。そしてその殆どは非術師の負の感情によって具現化されている。
だからこそ、非術師には呪霊の存在を隠す必要がある。これ以上被害を出さない為に。
でも──。
「ねえ、金次」
「あ? なんだよ」
「────ごめん。やっぱりなんでもない」
言いかけて、止める。それは多分、それは恐らく、聞いていい事じゃない。少なくとも、私の口からは。
自分でも、面倒臭いとは思っている。けれどそれほどまでに東雲という立場が重いのだ。昔なら名前に縛られずそんなのは関係ないと言わんばかりに突き進んでいただろうが、今ではそうはいかない。
呪術師をやってきて、分かってしまった。それだけではダメだと言う事に。私自身に何の権力もない。けれど東雲と言う名前を冠しているだけで、殆どの人は恐れ、慄き、従う。まるで恐怖政治だ。その姿を、私は中学三年に上がってからずっと見てきた。見続けて来た。それが東雲家の普通と刷り込まれるくらいには。
だったら二人に相談すれば良いだろうと思われるかもしれないが、それは出来ない。
二人は呪術師だ。私が何も考えずに下手な行動をしたのなら、恐らく二人にも危害が及ぶだろう。そうなるくらいだったら一人で抱えた方が圧倒的にマシである。
「そう言えば」
考え込んでいた思考が、金次の言葉によって引き戻された。金次を見ると、此方を見る事なく真っ直ぐと前を見て歩いていた。
「今日焼肉行かね。肉食いてぇ」
「えー。この前も焼肉だったじゃん。偶には別なの食べたい」
金次の言葉に、苦言を呈す。確かに肉は好きだが、こう毎回だと流石に胃もたれするし、何より飽きる。金次みたく筋肉があって運動する人だったら良いのだろうが、少なくとも私は連続で食べれない。
「えー。じゃあ何が良いんだよ」
「新宿辺りに新しいイタリアンのお店が出来たのよね。其処行きたい」
「……俺がイタリアンに行ける顔に見えっか?」
「大丈夫でしょ。其処ドレスコートないらしいし」
「そう言う問題じゃねえだろ」
金次の言葉を無視して、私はスマートフォンで先程言っていたイタリアンの店を調べる。此処から徒歩十分くらいの場所であった。ピクシェアでも話題になっていたし、一度は行ってみたいと思っていたのだ。こんな時でないとゆっくりと食事は出来ないから。
「綺羅羅にも聞いて決めようぜ。焼肉かイタリアン。綺羅羅が選んだ方に行く。それで文句ねぇな」
「分かったわ。絶対綺羅羅はイタリアンって言うでしょうけど」
そう言って私達二人は顔を見合わせ火花を散らす。この譲れない戦いに終止符を打ったのは、綺羅羅の意外な言葉であった。
♢
「中華が食べたい」
「えー! 綺羅羅は絶対イタリアンだと思ったのに!」
そんな叫び声が辺りに響き、道行く患者達や看護師達の視線が刺さる。咄嗟に口を閉じて、綺羅羅に耳打ちをした。
「ピクシェアで今一番話題だよ? 行かなくて良いの?」
「いやだって、それこの間一人で行ったし」
綺羅羅の言葉に、思わず後ずさる。まさか私の知らない間に綺羅羅が先に言っていたなんて。私も行きたかった。
私の落ち込んでいる姿を見て、金次は勝ち誇った様に笑った。何故彼はこんな顔が出来るのだろうか。勝った訳ではないのに。
「綺羅羅。焼肉はどうだ。肉食いてぇだろ」
「うーん。でも最近ダイエットしてて、お肉は控えてるんだ」
「は。ザマァ見なさい。あんただって断られてるじゃん」
「いーんだよ。次は絶対焼肉だし」
「何であんたはそんなにお肉が食べたいのよ」
呆れた様に、私は溜め息を吐いた。全く。健康優良児で結構な事である。そう言えば彰人も同じくらい食べていたなと思い出す。
記憶が無くなっても、そう言うものは覚えているものである。
「じゃあスーパーとかで各々好きなもの買って誰かの部屋で食べる? そう言うのも楽しそうじゃない?」
手を叩きながら、綺羅羅はそう言う。確かにそうした方がお互い争いがなくて平和的だ。
けれど、何だか負けた様な気がして複雑である。いや、何に負けたのかは分からないが。それでも意地を曲げられた様な、そんな気分である。
理解はしている。綺羅羅だって平和的解決を提案したに過ぎない。私だってこれは譲れない話ではないため、「そうね。そうした方が良いかもね」と後頭部を掻きながらそう言った。
「金次もそれで良いでしょ」
「別に良いぜ。絵名が突っかかるから俺もそれに対抗してただけだし」
「はぁ?」
金次と私の言葉と共に、戦いのゴングがなる。今の私の顔はあまり人にお見せ出来る様な顔をしていないだろう。綺羅羅は私達を呆れた様に見る。
「あんたが毎回毎回懲りずに焼肉って言うからでしょ? ギャンブルするなら新しい味も試してみなさいよ。ギャンブラーが聞いて呆れるわ」
「あ? 別にお気に入りのを何回食べたって良いだろうが。確かに俺は熱を愛しているがよ、それでも常に燃えてりゃ灰になっちまうだろうが。それぐらいその小さな頭でちったぁ考えろよ」
そう言って金次は私の頭を強く小突く。その指を掴んで、強く握った。折ろうと思えばいつでも折れるが、そうしない事を感謝して欲しい。こう怒っていても、自制心はちゃんとあるのだ。
「だいだいあんたはいっつも自分勝手なのよ! これだって思ったらすぐに行動しなければ気が済まないし、少しは後先考えたらどう!?」
「それはお前だって同じだろがよ! こっちがどんなに話そうとしても聞く耳を持ちやしねぇ! 俺が出会って来た中で一番の頑固者だお前は!」
「はぁ!? あんただって頑固でしょうが! いつも熱だなんだって、そればっかり! 少しは頭で考えて判断するって事をしなさい! この馬鹿!」
「馬鹿は言い過ぎだろ! 別に呪術師は勉強出来てなきゃいけないなんて決まりはねぇだろうが!」
「その所為でテスト前いつも私に泣き付くのは一体何処の何奴でしょうかー!?」
「あー知らねぇ知らねぇ! なーんも聞こえませーん!」
「あんたねぇ……!」
「ちょっと! 煩いですよ! 病院の中なので静かにしてください!」
金次の耳を引っ張ろうとした直後であった。私達の言い合いに強制的に幕を下ろしたのは、自動販売機の前を通りかかった、ご老人を連れている若い女の看護師さんであった。我に返った私達は目を見開いて呆然とする。看護師さんは怒りながらその場を立ち去った。一緒に居るご老人は「若いってのは良いのう……」とモゴモゴと呟きながら、看護師さんに連れられて行った。
呆然とした顔のまま、私は金次と顔を見合わせる。金次も似たような顔をしており、何だかそれがとても可笑しく思ってしまって二人で同時に吹き出す。
「ちょっと……忘れてたんだけど……此処が病院って事……」
「おう……俺も」
「あ、やっと二人とも落ち着いたー?」
綺羅羅は長椅子に座りながらスマートフォンを見ていた。
……いや、止めなさいよ。何で我関せずと行った様子で一人長椅子に座って寛いでいるのだろうか。喧嘩した当人が言う事じゃないような気がするが、それでもここは友人として仲裁に入るべきであろう。少なくとも、金次と綺羅羅の二人が喧嘩した時は、私は間に入って仲裁をしたのだが。
「はぁ。早く帰ろ。お腹空いちゃった」
「賛成。何処のスーパー寄る?」
「高専近くの彼処で良いだろ。安いし、何より美味い」
「それは同意」
金次の言葉に頷きながら、私達はその場を後にした。此処から高専までは徒歩片道三十分くらいであり、高専御用達と言う事もあり、比較的近場にあった。勿論家入さんも医療の殆どを会得しているが、それでも身体は一つ。家入さんでは対処出来ない数が運ばれてくれば、この病院が手助けをすると言う事になっている──と、家入さん本人から聞いたばかりであった。
私自身も反転術式を使えれば良いのだが、抑も私自身が反転術式が一切効かない体になってしまった為にそれは望み薄となってしまっていた。
役立たずと言われればそれまでだ。東雲家が何だと言っておきながら、いつも私は肝心な所で躓いてしまう。故鳴村の件だって、私がもっと上手く立ち回れていたのなら、高橋さんを死なせずに済んだかもしれない。
今更考えても、もう後戻りも出来ないのだが。それでも心の痞えは、依然として私の心の中に残ったままであった。こんな私を見て、親友の愛莉はどう思うだろうか。
もしかしたら、幻滅するかもしれない。絵名はこんな人間じゃなかったと、拒絶されるかもしれない。
────化け物!
「──────!!」
想像をして、心臓が飛び跳ねる。こんなもの、想像するものではないな。愛莉が私の事を化け物と言う訳がない。あの子は私以上に、心の優しい子だ。世界中を笑顔にしたい。そんな事を本気で願っている少女だ。
そんな子が、私を拒絶する訳──。
……本当に?
「──な。──えな。──絵名!」
「へ? な、何?」
「もう、どうしたの? ぼうっとして」
綺羅羅の呼びかける声で、私の意識は現実に引き戻された。いつの間にか病院の玄関口に辿り着いており、自動ドアから吹き込む冷たい風が、私の体を冷やした。
「何? なんか考え事?」
「まぁ、そんなとこ」
私の誤魔化すかの様な言葉に「そっか」と綺羅羅は踏み込まずに返した。その気遣いが、堪らなく嬉しかった。
「それで、どうしたの?」
「今日の夜、お菓子やジュース買ってマリカしようって話」
「何の話かと思えば……」
所謂、『徹ゲー』と言うやつだろうか。ゲームは今迄触れて来なかったものだが、マリカくらいは知っている。ランダムマップで難しいコースを当ててしまって嘆いた事は覚えていた。
お父さんと、お母さんと、彰人と──。
もう三人くらい、誰かがいたような。
「それで? 絵名も参加するよね」
「……しょうがないなぁ。ちょっとだけしてあげる」
私の言葉に、綺羅羅は「やった」と嬉しそうに飛び跳ねた。
何か、思い出せそうなのだが、それでもすぐノイズが走った様に映像が荒くなる。最早私に思い出すなと、そう言っているかの様だった。
早く思い出さなければいけないのに。けれどそれとは裏腹に、私の記憶はどんどんと削られていく。そして気づけば、昨日食べたご飯すらも思い出せない事に気付いた。