呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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 動物園に行った記憶は定かではないが、パンダは初めて見た


第五十七話 パンダ、邂逅

 今思い返しても、私は動物園に行った事がなかった。記憶から抜け落ちている可能性もあるが、それでも私や彰人の性格上、あんまり動物の居る所へは行かなかっただろう事が容易に想像が出来る。

 

 だから動物なんてこれまで触れて来なかったし、抑も触れた所で一体どう言う対応したら良いかが全くもって分からないのだ。

 

 そう、今目の前にパンダが居たとしても──。

 

「お。先輩たちじゃねーか」

「喋ったー!」

 

 もう日も暮れた夜空に、私達三人の声が鳴り響いた。

 

 

 

 

「いやぁ、そんな驚かれるとは思ってなかったわ。悪い悪い」

「…………」

 

 パンダは行儀良く椅子に座りながら、そんな事を言う。私達三人はそれを訝しげに観察していた。

 

 病院から返った私達は、寮に戻る前に一度校舎に戻って綺羅羅の忘れ物を取りに来たのだ。その時、一年の教室に誰かが居るのが見えた。その図体は大きく、人間とは思えない。私達は侵入者だと判断し、身を隠しながら相手の様子を伺った。そして月明かりに見えた姿は、私達の想像を遙かに凌駕するものであった。

 

 ──パンダであった。

 

 肉食目クマ科の列記としたパンダ。上野動物園に居そうなくらいにパンダ。私達はまさかの姿に間抜けにも口をあんぐり開けて呆然と立ち尽くしてしまった。

 

 そして、最初の場面に戻る。

 

 最初はぬいぐるみか何かだと思った。けれどパンダの毛並み、眼球、口内を見ても、それはただのぬいぐるみではない事は一目瞭然であった。では本当にパンダだとしたら、どうしてパンダが二足歩行で歩き、人語を喋れているのだろうか。

 

 ……呪霊? いや、それは有り得ない。呪術高専は()()の結界によって未登録の呪いの気配がしたら警報が鳴るようになっている。今の所何も反応がないと言う事は、このパンダも呪術高専の関係者だろう。

 

「……で、お前は何者だよ。何で彼処に居たんだ」

 

 ドスの効いた声で、金次はパンダに問いかける。警戒しているのだろう。その顔は眉間に皺が寄り、剣呑そのものであった。

 

「来年此処に通うからな。その為の視察だよ。ま、オープンキャンバスみたいなものさ」

 

 それを言うなら学校説明会ではないだろうか。と言う言葉を、私は飲み込んだ。

 

 ……来年?

 

「パンダちゃんが……私達の後輩?」

「そう。だから宜しくな。()()

 

 そう言ってパンダは笑う。動物の表情は読み取るのが難しいとは思っていたが、意外にも読み取れた。他の動物ではそうもいかないだろうに。

 

 いや、今のは思考の放棄だ。現実逃避と言っても良い。まず最初に問う問題は、彼が一体何者なのかと言う事だ。ただのパンダなら呪術高専には通えない。まず抑もただのパンダだったら喋れないし二足歩行なんて出来ない。

 

 来年からと言う事は、彼が入学を認められたのは確かだ。では矢張り呪術高専関係者か……?

 

 私がそんな事を考えていると、大きく音を立てて談話室の扉が開かれた。見ると其処にはサングラスを掛けた五条先生が立っていた。

 

「あ、居たー。ダメでしょー勝手に抜け出したら」

「勝手じゃねーもん。きちんと許可は取ったし」

 

 五条先生の言葉に、外方を向くパンダ。その姿に、五条先生は「一体誰に? 学長は知らないって言ってるよ」と子供に言い聞かせる様にそう言った。こうして見ると、五条先生も確かに教師なんだなと感心させられる。私達にもそう言うことやって欲しいのだが。

 

「……其処ら辺の蟻」

「それで言い逃れ出来ると思ったらただの大馬鹿野郎だよ」

 

「ま、別に良いけど」と言いながら、五条先生はパンダの横に座る。先に話を切り出したのはパンダの様子を慎重に見ていた綺羅羅であった。

 

「ねぇ五条先生。この子の正体って、一体何なの?」

「あれ? パンダ言ってないの?」

「言ったぜ。来年後輩になるって」

「説明してんじゃん」

「それだけじゃ分かんないって言ってんの。何で肉食目クマ科のジャイアントパンダが人語喋って二足歩行してんのって聞いてんの」

 

 五条先生の言葉にそう返したのは私であった。今迄黙って話を聞いていたのだが、それでも求めていた解が出て来ず、痺れを切らしたのだ。どう考えても納得する答えが見つからない。

 

「絵名は欲張りだなー。そんなんじゃモテないよ」

「一言余計だし。別にモテなくても良いし」

 

 それは本心なのだが、それでも何だかそう言われるのは腹が立つ。男に対して興味もないし、恋愛なんてする暇もない。けれどモテないと言う言葉は直球の悪口であろう。それを許容出来る程私は出来た人間ではない。

 

 私の言葉に、五条先生は「甘い!」と声を荒げる。その声に吃驚して体をビクつかせた。見ると五条先生は立ち上がっており、拳を突き上げていた。

 

「……何?」

「若人の青春はね、少ししかないの! 興味が無いとか、そう言っている場合じゃないでしょ! 友情! 恋愛! 勝利! これが高校生の鉄則だ!」

「聞いた事ないわよそんな言葉! どこのジャンプよ!」

 

 五条先生の言葉を聞いて、私は机を殴りながらそう突っ込んだ。然し、確かジャンプの三原則は努力、友情、勝利だった筈だ。きっと五条先生の後付けだろう。前までジャンプは読んでいなかったのだが、金次や五条先生が読んでいる影響で、私も読むようになっていた。

 

 ……そんな事、彰人が見たら笑われるだろう。まぁ、笑われたら一発ぶん殴るつもりではいるが。

 

「……って、違う! 話逸らさないでよ! それは一体何って聞いてんの!」

 

 ハッと我に返り、五条先生によってどんどん話がズレて行くのが分かった。私も私で逸らされるとついその方向に向いてしまうのは悪い癖である。

 

「しょうがないなー。ほんっと。絵名ってばせっかちなんだから」

 

 やれやれと言った風に、五条先生は首を横に振る。その様子に苛つきながらも、これ以上話の腰を折る事もしたくなかった為、言い返しそうになった感情をグッと堪える。どうして五条先生はいつもこうなのだろうか。折角強くて格好良いのに、勿体無い。

 

 まぁ、他人の評価なんて、それこそ五条先生の興味から外れているのだろう。

 

 ──本当に、私と大違いだ。

 

「パンダはねぇ、夜蛾正道が作り出した最高傑作の呪骸なのさ!」

 

 そう言って五条先生はパンダの方に手を伸ばし、目立たせる様にしていた。

 

 ……呪骸?

 

 呪骸とは、確か呪いで作られた人形の事だった筈である。内に呪いを宿し、自立出来る人形。と言うのを習った記憶があった。

 

「ほら、入学式の後、学長と面談した時に襲ってきた人形。あれと似たような物だよ」

「………………」

「あ、憶えてないか」

「……ごめん」

 

 五条先生の言葉に、私は項垂れた。この記憶障害の所為でその記憶も曖昧だ。もう学長と何を喋ったかすらも最早覚えていない。毎日付けている日記を見れば分かるだろうか。いや、分からないだろうな。こんな面倒くさがりな私がそんな細かな事を書いている筈がないじゃないか。

 

 溜息を吐いて背凭れに体を預ける。何だか最近本当に自分の記憶について悩む回数が増えた様な気がする。自分でも過去の記憶を戻せる様に頑張っているのだが、どうもうまくいかない。何ならどんどん記憶を無くしてしまっている。最近は、記憶をなくす速度が加速している様な気さえしている。

 

 私の記憶は、いつ戻るのだろうか。というか、抑も取り戻せるのだろうか。

 

「おいおい悟ー。俺を其処ら辺の呪骸と一緒にすんなよ。俺はハイパーパンダだよ」

「いやハイパーパンダって何だよ」

 

 胸を張りながらそう言うパンダに、五条先生は冷静に突っ込む。五条先生の事を呼び捨てに呼んでいると言う事は、昔から五条先生の事を知っているのだろうか。

 

 ……昔からの仲、か。

 

 だとしたら、私の事も知っているのだろうか。私も五条先生と遥か昔に会った事がある(らしい)。だから五条先生の昔を知っているのなら、私の昔を知っている可能性もゼロではない。

 

 目線を動かし、パンダの方を見る。何とか記憶を探ってみるも、矢張り記憶の引き出しからはパンダを見つける事は出来なかった。

 

「そう言えば、パンダちゃんの名前って何なの? まだ聞いてなかったね」

 

 そう言って顔を上げたのは、今迄スマホを触っていた綺羅羅であった。先程迄は興味津々と言う感じであったのに、途中から興味をなくしたのか、綺羅羅はずっとスマートフォンを眺めていたのだ。

 

「名前? 普通にパンダだぜ」

「……他にないの?」

「おう。パンダ」

 

 その言葉に、私達三人は目を合わせる。他に何か付けようが合った筈だが、夜蛾学長は何を思ってパンダをそのままパンダと名付けたのだろうか。まぁ、紛らわしくなくて逆に良かったと言われればそうだが。然し例えるとしたら私に『人間』と名付ける事と同じだ。それは……嫌だな。

 

「……じゃあ、パンダ君だ。私は東雲絵名。宜しくね」

 

 色々言いたい事はあるが、それでもそれを飲み込み、手を差し伸べる。パンダ君はそんな私の手を握り返す。その瞬間、私の掌に柔らかい何かが当たる。

 

 ……肉球だ。パンダ君の柔らかい肉球が、私の掌に当たっている。今迄動物と言うものにあまり触れ合って来なかったから忘れていたが、そうだ。動物の肉球はこんなにも柔らかく、気持ちが良いのだ。

 

「おい。そろそろ離せよ。聞いてんのか? ……全然聞いちゃいねぇ」

 

 無言で肉球を触る私を、呆れながらパンダ君は見る。良いだろう。このくらい。私だっていつでも動物の肉球を触れる訳ではないのだから。

 

 そんな私に対して、「ずるいー! 私も!」と綺羅羅は伸し掛かる。私は重さで机に突っ伏してしまった。

 

 ……重い。然しそんな事を言ったら綺羅羅が怒ってしまう事は目に見えている。私だって女の子だ。その心は誰よりも分かっているつもりだ。

 

 『重いんだよ! クソ!』

 

「………………」

 

 徐に、彰人の悪態を思い出してしまって、密かに殺意が湧いてしまう。私だってわざと彰人に伸し掛かった訳ではない。階段で躓いてしまい、不慮の事故で彰人の上に落ちてしまっただけだ。それだと言うのに、そんな言われようはあんまりであろう。その後プリンを買いに行かせたからその時は許したが、いまだに根に持っている事は確かで合った。

 

「そうだ。なぁパンダ。お前ゲーム出来るか?」

「あ? あんまりやった事はねぇが、教えて貰ったら出来るぜ。俺は出来るパンダだからな」

 

 金次の言葉に再度胸を張るパンダ君。少々自分の力を過信し過ぎではないだろうかとは思うが、それでも人語を話す事が出来て、しかも二足歩行。そんな動物が知能が高くないわけがなかった。

 

 金次はパンダ君の言葉を聞いて、したり顔で笑う。

 

「よし、パンダ。俺らと一緒に徹ゲーするぞ」

「えー。嫌だよ。夜更かしはお肌に悪いんだぞ」

「獣が何言ってんだ。ほら、俺の部屋行くぞ。負けた奴は罰ゲームな。五条さんもするだろ? 勝てば絵名の金で甘いもん食い放題だぜ」

「じゃあ行こうかな」

「ちょっと待ちなさいよ! なんで私が負ける流れになってんの!?」

 

 二人の言葉を聞いて、思わず立ち上がる。確かにゲームと言う物はあまりして来なかった人間だが、それでもそんな事を言われる筋合いはない。と言うか金次だって私のゲームスキルを直で見た事がない筈である。

 

 然し、一概に勝てるとは言えない。ゲーム歴は圧倒的綺羅羅と金次の方が長く、五条先生に至っては、あれはもう天才だ。例えこれまでゲームをやっていないくても感覚で絶対に出来る。五条悟とはそんな人間だ。もうどうかパンダ君がゲームが下手糞でありますようにと願うしかない。

 

「そうだ。硝子も呼ぼうよ。確かあいつまだ居たはず」

「お、良いじゃねーっすか。呼びましょ」

 

 そんな様子を見ながら、私は皆の後を着いて行く。賑やかになりそうだなと、そう思いながら。

 

 

 

 

 後日談である。

 

 結局私達は日が昇るまでゲームをし続け、いつの間にか眠っていた。朝日が昇っていたのは覚えているのだが、それからいつ眠りについたのかてんで覚えていない。

 

「……あんたら、どれくらい覚えてる? 金次がスター状態で突っ込んで来た所まではお燃えているんだけど」

「奇遇だな。俺もそれくらいで記憶がねぇ」

「私も……金ちゃんと絵名が取っ組み合いの喧嘩した所までは覚えてるんだけど……」

 

 三者三様。然し誰も彼も何も覚えていないという所は共通していた。

 

 皆消えた記憶。そして今も尚私の頭を襲っている頭痛。これは確実に──。

 

「二日酔いだぁ」

 

 三人の声が一斉に重なる。それと同時に、私達は洗面所で項垂れる。歯ブラシに付けている歯磨き粉が、シンクに垂れた。

 昨晩、五条先生の誘いで、意外にも家入さんが来てくれたのだった。それだけだったら別に構わないのだが、あろうことか家入さんはお酒を持って来ていた。

 

 それからが地獄であった。水と間違え私達三人がお酒を飲んでしまったのだ。一瞬は戸惑った家入さんと五条先生であったが、何を思ったのか、後半ら辺にはお酒を勧めていた。お酒を飲み、ゲームをして。そしてスター状態になった金次に体当たりされ──の所で記憶がぷつりと切れたのだった。それが私だけであったのならいつもの記憶障害で話が片付くのだが、今回は綺羅羅と金次も共に記憶が抜け落ちている。だったらもう、それは二日酔いに他ならない。

 

 溜息を吐き、しゃがんでいた体制から起き上がる。そしてうがいで口の中の泡を流し、タオルで顔を拭いた。眠い。寝落ちしたものの、睡眠時間が圧倒的に足りない。普段の生活でもあまり寝れていないのに、これ以上睡眠時間が削られたら溜まったものではない。

 

 ……けれど。

 

「ねぇ金ちゃん。次はどんなゲームしよっか」

「あー。桃鉄とかどうよ。絶対絵名最下位だぞ」

 

 そんな二人の様子を見て、たまには良いかもと、思ったりもした。

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