だからせめて、どうか、祈りを。
「ただいまー」
「おかえり。今日は早かったね」
「本当にねー。あー、疲れたー」
談話室にて、私はそう言いながらソファに寝転がった。テレビでは、ニュースの速報をやっている。綺羅羅はそれを見ていたのだろう。リモコンが綺羅羅の目の前に置かれていた。
珍しい事もあるものだ。
私は寝返りをうち、横になりながらテレビを見た。画面の向こうでは、アナウンサーが政治などを討論している。……あ、今パネルで出ている議員、この前屋敷に来た人だ。なんだ。なんか不祥事でも起こしたのだろうか。
まぁ、今更気にしても私には一切関係がないのだけれど。ただ、祖父はどうだろうか。あの議員と関わりがある祖父は少なからず何かしらの影響が出そうだが。
……いや、それはないな。関わった議員が不祥事を犯したとしても、その程度で崩れる程、東雲家は脆くない。どころか踏み台にしかねないであろう。切り捨てるか、はたまた助けて恩を売るか。何方も有り得るのが、東雲八郎と言う男であった。
それから私達はぼうっとニュースを見ていた。ニュースの話題は次々変わり、遂には番組最後のコーナーである天気予報に移っていた。この寒空の下、薄手で安いコート一枚で放り出されるなんて、アナウンサーと言う職業は大変である。
明日の天気は晴れかと思いながら、そろそろ部屋着に着替えるべく、私はソファから立ち上がった。けれど私の足は、スタジオで暖かそうに座っているアナウンサーの言葉で制止させられた。
『速報です。元『
「──は?」
思わず振り返ってしまった。テレビから聞こえた衝撃の発言。その言葉が、私の脳内に繰り返し反響する。
桃井愛莉が、脱退?
愛莉が?
信じられず、私はテレビを食い入る様に見た。その様子に綺羅羅はとても驚いた様子で私の事を見ていたが、今はそんな事はどうでも良い。
その瞬間、私の携帯に一つの着信が入る。今誰かと電話している暇はないのにと内心苛立っていたが、着信の主を見て、私は弾かれた様に部屋を出た。後ろから綺羅羅の声が聞こえる。なんて言っているのだろうか。けれども私は振り返る事なく、寮を飛び出していた。
♢
「愛莉!」
「あ……絵名」
寮近くの公園。其処のベンチに愛莉は座っていた。真冬だと言うのに薄着である愛莉の鼻は痛々しく赤くなっていた。
愛莉の傍に駆け寄り、息を切らす。寮から此処迄走って来た為、思ったより体力を削ってしまった。この後に任務がなくて本当に良かった。
──いや、今はそんな事関係ない。
膝に手をやり、俯いていた顔を上げる。此方を困惑した表情で見る赤色の目と私の目が交差する。
なんて、言えば良いのだろうか。抑も呼び出された経緯は脱退の事で合っているのだろうか。いや、合っていなくとも話題には出すつもりではいるのだが。それでもまずは愛莉の話を聞かなければ。
オロオロしている私を見て、愛莉は突然くすくすと笑った。
「あぁ御免なさい。つい。だってあまりにも絵名が百面相しているものだから、可笑しくって」
そんなに表情に出ていただろうか。私は自分の顔を触りながら自分を落ち着かせる。そうだ。私がこんなんでは、愛莉は話せるものも話せないではないか。
愛莉は深呼吸するように息を吐いて、横にズレる。座れと言うジェスチャーなのだろう。ベンチを優しくタシタシと叩いていた。それに倣う様に、私は愛莉の横に座る。先程まで愛莉が座っていたからだろうか。少しだけ暖かみがある。
座って暫く、無言の状態が続いた。何か言わなければいけないだろうが、それでも考え得る限りではどう言葉を選んでも愛莉の地雷を踏んでしまう気がしてならない。だったら愛莉が喋るのを待とうかとも考えたが、呼び出した等の本人は依然として無言を貫いていた。
……どうすれば良いのだろうか。ずっと黙っていると、寒さが身を襲うばかりだ。このまま時間だけが過ぎて行ってしまうと、それこそ時間の無駄である。
直球で聞く? けれども愛莉にとってそれが聞かれたくない事だとしたら? もっと他に話があったとしたら? それだと愛莉の話したい事が何も話せないのではないだろうか。ではこのまま愛莉が喋るのをずっと待っておく? それこそいつ喋り出すかも分からないこの状況では凍え死んでしまうだろう。割と真面目に。比喩表現なしで。
「……あぁ、もう面倒臭い!」
考え過ぎで頭がパンクしてしまう前に、私は感情のまま叫び、立ち上がる。そんな私の様子に、愛莉は吃驚したように目を見開いて私を見る。
「言いたい事があるのならさっさと、簡潔に話しなさい! 今こうやって黙って寒空の下にいるのが時間の無駄! ほら、早く喋らないと私帰っちゃうからね! はいいーち。にーい。さーん……」
「あぁ待って! 話す! 話すから!」
焦ったように、愛莉は私の言葉を制止する。その様子を見て、私は溜息を吐きながら愛莉の言葉を待った。最後の情けだ。次で十秒以内に口を開かなかったら喋るまで愛莉を家に帰らせない。絶対に。寒いと言ってももう知らない。
一瞬困惑した表情を見せ、けれども決心した様に、愛莉は口を開く。
「……私、アイドル辞めるんだ」
「知ってる。さっき速報で流れてきた」
「あはは。流石絵名、情報が速いわね」
「今回は偶々よ。偶々テレビでニュースをやってて、それで知ったの。私にも相談してくれても良かったんじゃない?」
拗ねた様に、私は愛莉の方を見る。これは本音だ。少しくらい頼ってくれても良かったのにと、心の底から思っている。そして、それは今現在も変わらない。
頼って欲しい。助けが必要であったら、なりふり構わず手を伸ばして欲しい。私はその手を、全てを振り払ってでも掴みに行くのに。
「ごめん。でも、こう言うのは一人で考えた方が良いって思って。だって、絵名だって大変そうだし、私の今後に関する事だから……」
「馬鹿」
間髪入れずに私は愛莉のほっぺを両手で挟む。私の手は冷たかっただろうか。けれども我慢してもらおう。私どころか誰にも相談しないで勝手に決めた罰だ。これくらいは許されて良い筈だ。
「あんた、私が愛莉に相談されて、嫌な顔すると思う? 嫌な顔で手を振り払って、遠くに行く人間だとも?」
「そ、そんな事、思ってないわよ! けど、けど……」
「そうね。あんたから相談されたら、私は喜んで自分の事の様にクソ程悩むわ。さっきみたく走って愛莉に会いにくるくらいにはね」
そうだ。愛莉から相談されて、私が嫌な顔をする筈がない。なんなら絶対に今やっている作業や任務を放り投げて愛莉に会いに行く。例え伊知地さんに止められたとしてもだ。
それくらい、私は愛莉の事を大切に思っているのだ。それくらいは愛莉に伝わっているかと思ったのだが、甘かった。今度から電話する回数を増やすか? そうすれば私が如何に愛莉の事を親友として信頼、大切に思っているかは伝わる筈である。
愛莉は「そんなの、悪いわよ」と、少し申し訳なさそうな顔をする。
どこか申し訳ないのだろうか。私がしたくてすることだ。何も愛莉が気に病む必要なんてこれっぽっちもない。
「どこがよ。あんただって大切な人が助けを求めたら何がなんでも助けに行くんじゃない? それとおんなじなんだけど」
私の言葉に、愛莉は顔を上げる。愛莉の真っ赤な瞳と、私の栗色の瞳が交差をする。その時今日初めて、愛莉と目が合った様な気がした
そうだ。愛莉は困っている人を放っておく人間ではない事は確かであった。だから私も愛莉の助けになりたいし、相談にも乗りたい。愛莉がそう言う人間だと分かっているから、私だって我武者羅に手を差し伸べない訳にはいかないではないか。
それが意外にも、嬉しかったりするのだが。
「……ありがとう、絵名」
「お礼の言うのは、全て話してからにしなさい」
私の言葉に、「ふふ、そうね」と、漸く笑顔を見せた。その姿に、思わずホッと胸を撫で下ろす。先程も私が走って来たのが面白かったのか笑っていたが、それでも今の様な朗らかな笑みではなかった。
「……私が『QT』を脱退した事は知っているわね」
「うん。それも聞かされてなかったけどね」
「ごめんって……。元の事務所では私はバラエティアイドルとしてしか求められてなくて、辞めたの」
「…………」
知っている。
愛莉が事務所からバラエティアイドルとしか見られていない事も、愛莉がそれを嫌がっていたのも。けれど私はそんな愛莉に、何も言ってあげられなかった。任務で忙しいって言うのもあった。けれども、それ以上になんて声を掛けたら良いか分からなかったのだ。もし選択肢を間違えて、愛莉から絶交されてしまったら? そう考えると震えが止まらない。
……結局、私は自分が可愛いだけだ。もし何も渋らず話を強引に聞いていたら、今とは違う未来があったかもしれない。
いや、それはないか。いくら東雲家の人間だからと言って、出来ない事はある。もし出来たとしても、愛莉はそれを嫌がるだろう。誰かから与えられた慈悲に馬鹿正直に喜ぶ程、桃井愛莉は単純な人間ではないのだから。
「色んな事務所に移籍したわ。けど、どの事務所も同じ。私をバラエティアイドルとしか見ていなかった。歌って踊る私なんて、誰も必要としてくれなかった」
「…………あ」
愛莉の姿が、何かと重なる。
その気持ちは、痛い程分かる。私もそうだった。
絵を描く私は必要とされず、呪霊を祓う事だけを求められた。そして、それは今も続いている。
けれども、私には求めてくれる人間が出来た。私の絵を必要だと、凄いと褒めてくれる人達が。
救われた気がした。自分の絵を認めて貰うのがどれだけ嬉しいか。けれど、愛莉にはそんな人達はいなかった。
みんな、泥に塗れる愛莉を面前に晒し、笑い物にする。それがどれ程辛い事なのか、私には計り知れない。今も愛莉はその事で苦しんでいるのだろう。
自分の望んだ姿は遥か遠く。手を伸ばしても届かない。愛莉の苦しみが全部分かるとは言えないが、それでもその苦しみだけは、理解が出来た。
「愛莉」
「何?」
「私は、愛莉がどんな選択をしても応援するから」
そう言って、私は愛莉の手を握る。その手があまりに冷たく、すぐに抱きしめたかった。
愛莉の望んだ言葉ではないだろう。けれど、今の私にはこれが精一杯だった。
アイドルをする愛莉を見ていたい気持ちは当然ある。けれども続けて、苦しい思いをするくらいなら、逃げても良いのではないかと、同時にそう思うのだった。
芸能業界は、私が思っているよりも汚い世界だ。呪術師をやっていればそれくらいは分かる。画面越しでは呪霊が見えない為気付かないが、それでも生で見れば夥しい程の呪霊がまるで大軍の様に蔓延っている。私も任務の一環で芸能事務所へ忍び込んだ事があるが、あれは気分の悪くなる程であった。
そんな中に愛莉を二つ返事で放り込める程、私は残酷にはなれなかった。
「……ねぇ愛莉」
私はそう言いながら、ポケットから取り出したものを愛莉に渡す。愛莉はそれを不思議そうに眺めていた。
「これは……。可愛い……! 猫のストラップじゃない!」
そう、愛莉に渡したのはピンク色の猫のストラップだった。少し、お呪いを施させてもらっているが。それでも猫好きの愛莉は余程気に入ってたのだろう。今日一番の笑顔を見せている。
「愛莉の苦悩を、全て理解出来るとは言えない。けど、これだけは覚えておいて。私は、愛莉の味方よ」
「…………!」
「今度愛莉を笑う人間が出たら私の前に連れて来なさい。そいつを死ぬより辛い目に合わせてやるから」
そう言って、私は笑う。私の言葉に、愛莉も笑った。
きっと、愛莉はまたアイドルを始めるだろう。何かに触発され、今まで以上に輝きながら。けれどもそれは私ではない。
私では、愛莉の希望になってあげられない。だから、せめて愛莉に降りかかる悪い物を全て祓う。だからこそのストラップ。
あれには呪霊を近づかせない呪いが掛けられている。東雲家が所有している呪物だ。これさえあれば、いくら引き付けやすい愛莉でも、暫くは安全に暮らせるだろう。
ふと、愛莉の上を見る。体に纏わりついていた夥しい呪霊達は、跡形もなく消え去っていた。
♢
「遅いんですけど」
「……ごめん」
気付かれずに部屋へ戻ろうと言う魂胆は、早くも玄関で潰えてしまった。
いつ頃から待っていたのだろう。綺羅羅はパジャマ姿のまま、寮の玄関で仁王立ちをしている。
「急に飛び出して行くから何事かと思ったし! 連絡は取れないし! かと思ったらこんな遅くに帰ってくるし!」
綺羅羅の怒声を、私は大人しく聞いている。今の時間は夜の十一時。こんな遅くまで心配をかけさせてしまったのだ。何も返す言葉がなくて当然であった。
「何度探しに行こうかと思った事か!」
「なんで探しに行かなかったの?」
「え? だって寒いじゃん」
さも当然かの様に、綺羅羅はそう言う。綺羅羅の中では、私と防寒だったら防寒の方が大きかったらしい。心配されたと言う自意識過剰が間違いだった。
……だとしたら、寒い中愛莉の為に走った私はさぞ偉いのではないだろうか。
私がそう呆然と考えていると、「お、もう帰ったか」と金次が廊下の奥から顔を出す。
「さっさと風呂入って食堂に行け。飯出来てんぞ」
「……うん。そうする」
けれど、何故だろうか。この空間が、嫌に安心するのは。この地獄の中でも、この空間だけは、私は幸福であった。
ねぇ、愛莉。私はどんな愛莉でも応援するよ。それが、どんだけ険しい道だろうと。
だから、いつか絶対に自分が笑える道を選んでね。
私には、出来なかった事だから。