いつかそれは、身を滅ぼしかねない
十二月もそろそろ終わり。大晦日である。冷たい風が隙間から入り込んでくる中、私は和室に設置されている炬燵に入りながら、紅白を見ていた。最近流行りの曲や、演歌が流れており、それをぼうっと眺める。
一人……退屈だなぁ。
綺羅羅と金次は実家へ帰っているし、五条先生達は年末で忙しそうであった。そうなれば必然的に一人な訳で。私はたった一人で炬燵に入っている。ニーゴのみんなと通話するという選択肢もあるにはあるが、それぞれの家族と一緒に年越しを楽しむだろう。
「……って、一人で紅白見てもね。ガキ使でも見ようかな」
そう思い、リモコンを持つ。去年の大晦日はどうしていただろうか。もう一年も前の事なんて忘れてしまったが、良い思い出でない事は私のこれからの予定を考えれば分かる。
明日朝一で屋敷に向かい、祖父と共に東雲家へ挨拶に来た人への対応をしなければならない。それを考えると今から憂鬱で仕方がない。
何故年明け早々屋敷に顔を出さなければいけないのか。そんな時間あったら絵でも描きたい。締切はまだ先だが、それでも早く描くに越した事はない筈だ。 もういっそ部屋に戻って絵の続きでも描こうか。
……いや、そんな気力は今ない。正しくは部屋に戻る気力の話だが、暖房を付けたとてあんな寒々しい部屋に数時間居座って絵を描く事なんて出来ない。けれど絵を描きたい欲がどんどん溢れてくる。
「……我慢してスケッチブックだけでも持ってこよ」
意を決して、私は炬燵から出た。冷たい空気が温まっている足が冷やされ、思わず体が震える。
廊下に出ると、尚の事寒さが身を襲った。薄暗い廊下の窓からは、雪景色が窺える。そう言えば昼から雪が降っているなと今思い出したのだ。私は白い息を吐きながら、窓に張り付いて外を見る。黒い闇の中に白い雪がチロチロと降っている光景はどこか神秘的であった。
……最後に雪合戦したのは、いつの頃だっただろうか。
彰人は……勝負ってなったら真剣に戦いそうだ。お父さんはそんな姿をスケッチして、お母さんは暖かい飲み物を入れて家の中で待っていそう。
私は──。
……思いつかない。けれどきっと、私も彰人と一緒に遊んだのだろう。そんな様子が、簡単に脳裏で想像が出来る。
「……くだらないな。今更そんな事考えたって」
家族が仲良く団欒している姿を想像して、辞めた。もう来ないであろう未来を想像する程、滑稽なものもない。私は動かしていた脳味噌を一旦止めて部屋に向かった。
♢
「うー……寒い」
部屋からスケッチブックと画材を取って、急足で和室に戻り炬燵に入る。悴んだ足先がだんだんと暖かくなっていく。その感覚が、心地良く、思わず机に突っ伏してしまった。
此処に戻って来るまで、矢張り誰ともすれ違わなかった。こんな寂しい寮は初めてであり、少しだけ心細くもある。元から人が多いとは言えなかったが、それでもここまで静かな事はなかった。それはきっと、二人が居たから。
寂しいなんて、思う暇がなかった。
そんな思考に耽っていると、未だ付けられていた紅白から、次の出演者の名前が語られた。
『次は初出演のASRUNの皆さんです!』
その言葉と共にASRUNのメンバーが袖からこちらのカメラに向かって愛想を振り撒きながら手を振っていた。ASRUNは私でも知っている。今人気沸騰中の国民的アイドルグループだ。特にセンターである桐谷遥は私の一つ年下だと言うのに私より立派に芸能活動をしている。
横目で紅白を見ながら、スケッチブックを広げた。一番最後のページには今回Kが作ったデモを元に作られたラフが描かれている。女の子が水の中で苦しそうに藻がいているイラスト。Amiaと何回も何回も話し合い、漸く方向性が完成したのだ。
「……でも、なんか違う気がするのよね。もうちょっと動きがあっても良いのかしら。それこそアニメーションとか……いや、それはまた違う技術が必要になってくるし……」
そんな事をぶつぶつと呟きながら、私は描いたり消したりを繰り返す。煽り、俯瞰。斜めや後ろ姿。色んな構図を描いたが、それでも納得のいく構図は描けなかった。一体何がダメなのか。何に対して納得をしていないのか自分でも理解が出来ていない。
理解出来ていないものは、描けやしない。けれど私は止まる事が出来なかった。
描かなきゃ。描かなきゃいけないのに。
今迄はこんなゆっくりした時間に絵を描く事はあまりなかった。だからこの時間は貴重なわけで。時間は沢山ある筈なのに、まるで何かに急かされている様に、焦りが絵に出てしまう。そうなれば必然的に構図が破綻してしまう。こんな絵を描きたい訳じゃないのにと何度消して描いてもまた似たような構図になる。
「Amiaに相談でも──って、Amiaも家族と過ごすかもしれないし、邪魔しちゃ悪いわよね」
スマートフォンを手に取りAmiaに連絡をしようとしたところで、やめた。AmiaにもAmiaの家庭がある。折角の年末に邪魔をするのは気が引ける。
けれど集中力も切れてきてしまい、気を紛らわす為にナイトコードにログインする。過去のチャットで何かヒントを掴めればと思ったのだが、私の目に止まったのはログイン中になっているKの名前であった。
……一人で絵を描いている私が言うのもなんだが、こんな時まで曲を作っているだなんて、Kは本当に作曲に人生を捧げているのだなと、心の隅で感心する。
「K、お疲れ様」
『あ、えななん。お疲れ様』
通話をオンにして、私はKに喋りかける。Kの声色は本当にいつも通りで、思わず笑みが零れる。
「今日くらいゆっくりしてればいいのに」
『そんな訳にはいかないよ』
『私は、作り続けなきゃいけないし』言うKの声は、先程までの穏やかな声とは違い、真剣味を帯びていた。その声を聞いて、息を飲む。
あぁ、Kは本当に、作曲に人生全てを捧げているのだ。それはどれ程過酷で、辛い事なのだろう。
何が彼女をそこまでさせるのか。今の私には分からなかった。けれども何かに急かされ作らなくてはいけないと言う気持ちは、少しだけ解るような気がした。私もいつ死ぬかも分からない身としては焦らずにはいられない。
だからだろうか。そんな焦りが生じて描けなくなってしまっているのは。
「これじゃ、本末転倒ね……」
『えななん? なんか言った?』
「へ? い、いや、なんでもない」
声に出ていたようで、私は咄嗟に誤魔化す。こんな事を言われたとて、Kを困らせるだけだ。反省反省。
『そういえば、えななんは大丈夫なの? 家族とかと過ごさなくて』
「私? 私は寮暮らしだし、他にする事もないのよね」
本来は例年通り実家に帰って任務が死ぬ程入れられるが、五条先生や学長の口添えもあり、三十一日は休みを貰ったのだった。いつも任務で走り回ってくれているからと言っていたが、それ以上に五条先生の方が忙しいのではないだろうかと、そう思う私も居た。
けれどもこうも暇だと逆に任務を入れておけば良かったかなとも感じる。まぁ、五条先生や夜蛾学長の厚意を無碍にしてしまう訳にもいくまい。そう言った心持ちで、この休みを承諾したのだった。
『寮暮らし……か。実家には帰んないの?』
「家は……そうね。少し帰り辛いかも」
Kの言葉に、私は思わず言い淀んだ。
家に帰ると言っても、私は中学三年に上がってすぐ屋敷の方へ移り住み、それから一切家に帰るどころか連絡すら取っていない。彰人とは月に一回連絡するかしないくらいで、それ以外は本当に関係を絶っていると言っても過言ではなかった。
──お前に、画家になれる程の才能はない。
もう思い出せない父の言葉。けれどもその何かは確実に私の心に杭を打っている。
けれど、それよりも。
父よりも恐ろしいのは、母であった。何をされたか、最早思い出せないけれど、母を思い出すと、頬が痛くなる。左の頬。それはまるで殴られたかのような痛みだった。
「でも、一年経つのは早いわよね。あっという間」
『そうだね。私もずっと曲を作っていたから時間が経つのは早かったよ』
急な話題変換にKは気付いているのはいないのか。けれどもKは話を戻す事なく、私の言葉に返答していた。
ふと、テレビを見る。もうとっくの昔にASRUNの出番は終わっており、番組を進行しているアナウンサーと芸能人が何やらカウントをしていた。時計を見るともう二十三時五十九分。どうやら年越しのカウンドダウンをしているらしい。
「K。もうそろそろ年明けるよ」
『え……あ、本当だ。気が付かなかった』
「Kは年越しだろうがなんだろうが作曲一番だからね」
『うん。沢山の人を救う為には作り続けなきゃいけないから』
そう言ったKの声は、まるで挨拶でもするかの様な声色だった。
相変わらず、高尚な願いだ。沢山の人間を救うだなんて、言葉では簡単に言えるが、実の所いざ実行に移すとなると途方もないものだろう。私だって呪術師をやってはいるが、そんな想いで呪霊を祓った事はない。そう想う余裕もなく、日々生き抜く事で手一杯だ。
けれど、どちらかと言えば救える人間は一人でも多い方が良いのは確かである。私が呪霊を祓った先にあるのが非術師や術師の安寧であったら、それで良い。私が呪術師をやっている動機なんてそんなものだ。
まぁ、第一の動機は己の記憶を戻す事なのだが。そこが私のゴールだとしたら、人々の救済はそのついでだ。
Kの事は尊敬している。けれどもそれと同時に嫌になる。
己の愚かさ。結局自分の事しか考えられない自分に。呪術師は腐ったみかんが多いと聞くが、もしかしたら私もそれに染まっていってしまっているのかもしれない。
『あ……年明けたね』
「へ? あ、本当じゃん。テレビに出ている人達は元気ねぇ」
『えななんは何を見てるの?』
「紅白。でもあんまり知らないアーティストばっかりでさ。Kとこうやって話している方が幾分か楽しいわよ」
『そっか……あけましておめでとう』
「うん。おめでとう」
Kの言葉を聞いて、私も同じように返す。やっぱりこういうのは仲の良い人とフランクに返したい。明日は一日中、肩肘はって色んな人の挨拶を聞かなければいけないのだろうか。いけないのだろう。去年もそうだったし。
「雪とAmiaは来るかな? なんも言ってなかったけれど」
『どうだろう。でも、来そうな感じはあるね』
「ふふ。確かに」
Kの言葉に、私は笑みが溢れる。来なさそうでもあるのだが、なんだかんだ言って二人は25時にはナイトコードにログインしそうである。確信はないが、予感がする。
「……Kは、家族とは過ごさないの?」
年を越して、少しだけ浮ついていたのかもしれない。柄にもなく踏み込んだ話題を口にした。気付いた時には遅く、口は塞いだものの、それは全て口に出ていた後だった。
失敗した。こんな踏み込んだ事を聞くつもりではなかったのに。家族の話題は一般的にデリケートな部分でもある。私だって親の事を聞かれてもなんと答えたら良いか分からない。本家の事なら尚更だ。
無言の時間が流れる。それは確かに私の失言を浮き彫りにさせた。
「ご、ごめんK! 答え辛かったら答えなくて良いから!」
『う、ううん大丈夫。答えられない訳じゃないから』
一呼吸置いて、Kは口を開いた。
『うちのお母さん、去年亡くなってるんだ。お父さんも少し前から入院してて。だからうちには誰もいないの』
「…………」
矢張りあまり踏み込んではいけない話であった。
これは……私の事情より深いのではないだろうか。私は両親との不仲だが、Kは片方は他界してしまい、もう片方は入院。残されたKの心情を考えると、胸が苦しくなる。
苦しくなるも何も、今現在苦しい思いをさせているのは私なのだが。
「……それは、Kが救済にこだわっている事と、何か関係があるの?」
もう、ヤケであった。踏み込んでしまったのならもう踏み越えてしまえという、最早開き直りである。もし相手が私であったのなら、変に気を遣われるより何倍もマシだ。だったらもう踏み込んで聞いてくれとなる。
まぁ、それは私自身の見解であり、相手がそうとは限らないのだが。然しそれを言ってしまえば、世の中何も出来ない訳で。結局は自身が同じ立場だったらを考えた方が無難ではある。
もし私が考えられる立場になって、果たして相手が私の立場の事を考えられるかは甚だ疑問ではあるが。こんな特殊な立場だし。自分でも己の立ち位置がどんなものなのか理解しきれていないのだが。
少し間を置いて、Kは答える。その声は怒りは孕んではいなかった。
『そう、だね。私は自分の父親を私の所為で壊してしまった。だから今度は誰かを救える曲を作り続けなければならない。そうしたら……もしかしたらお父さんが、目覚めてくれるかもしれないから』
「………………」
思ったより、重い話だった。
口ぶりからして、父親は意識不明なのだろう。それも心因的の。
なんだろうか。なんだか身に覚えがあり過ぎるぞ。私の場合、失ったのは意識じゃなくて記憶なのだが。それでも他人事とは思えないその言葉に、私は頭を抱える。
なんで私はあんな話題を口にしてしまったのだろう。本当に後悔しかない。
「……でも、まぁ。寂しい時は此処にくれば良いんじゃない?」
『……え?』
「私は常に居れる訳じゃないけど、雪も、Amiaも。25時にはどっちかいるんじゃない? そりゃ根本的な解決にはならないけれど、それでも少しの寂しさも紛れるんじゃないかな」
苦し紛れの言葉であった。これでKを励ませるとは思ってはいない。けれども何も言わないよりはマシだ。さっきは変な気遣いは無用と考えていたが、流石に何かフォローを入れなければいけないと、思い直したのだ。
けれど、私の言葉は意外にもKに響いた様であった。
『そっか……ありがとう、えななん。なんだか喋り過ぎちゃったね』
「良いんじゃない? 喋りたい時に喋らなきゃ。じゃなきゃいざという時に喋れなくなるわよ」
それは、こればかりは本心であった。
私の様に肝心な事を押し殺してしまっては、言葉が出てこなくなってしまう。私の場合、それすら許されない立場であったから。だから己の言葉を発する事を許されるKには、是非とも好きに喋って、好きに生きて欲しい。
もし私がこの状況で好き勝手発言したらどうなるか。
…………いや、想像するのは辞めておこう。悲惨な状況になるのは目に見えている。私も、周りも。それを考えたら多少なりとも気持ちを押し殺した方が賢明に思えた。
私の発言は、私だけのものではないのだから。私に東雲と言う名前が冠されてる以上、それは呪術師界に影響を及ぼす。それが分からない程、私は子供ではなかった。
呆然と考えていると、ぽこんと、スマートフォンから音が聞こえる。見ると雪とAmiaのアイコンが同時に映し出されていた。
どうやら私とKの予想通り、二人あ25時手前にログインして来たのだった。
『明けましておめでとー! いやぁ、今年もよろしくね!』
「新年早々元気ね、Amia」
『ふっふふー。何処かの誰かとは違ってまだ若いからねー』
「それだとKや雪にもババアって言ってるからね」
『あれ? そうだっけ』
Amiaの元気な声を聞き、私は思わず笑みが溢れる。二人が来て、漸くいつもの空気に戻ったかの様だった。特にKと二人っきりは気不味いなどとは考えてはいないが、それでもニーゴは四人で集まった時の方が息がしやすい。
『えななんとKはいつからログインしていたの?』
「私がログインした時にはもうKはいたからな……十一時ごろじゃなかったかな? 私がログインしたのは」
『私は……七時だったな』
『それって夜の? 朝の?』
『流石に夜だよ……』
Amiaの言葉に、Kは少しだけ面倒臭そうに返す。いや、Amiaの言っている事は理解が出来る。Kが朝だろうが夜だろうが時間構わず作曲をしている。だから朝の七時からログインしてますと言われても、この場にいる全員は首を縦に振って納得するだろう。そう思うくらい、Kには信頼と実績があった。
「そろそろ作業した方が良いんじゃないの? もう25時よ」
咳払いで会話を止め、私は時計を見遣る。時刻はもう夜中の一時を指しており、一瞬部屋に戻って作業しようかとも考えたが、それでも炬燵の快適さを手放せず。もうアナログで良いやと落ち着いてしまったのだ。
『あ……確かに、もう時間だね。じゃあ作業を始めようか』
『はーい』
『私は歌詞の調整をするね』
Kの言葉を合図に、私達は一斉に自分の作業へと移る。私も同様、まだ白紙のスケッチブックに向かう。
今なら、良い絵が描けそうだ。
この一年、本当に色んな事があったが、それでも私達は変わらず曲を作り続けるのだろう。曲を作って、歌詞を書いて、動画を作って、絵を描いて。そうして作り出した作品で、人を救う。
私の目指す場所はそこではない。けれどもその道中にあるものが人の救済だとしたら、きっと幸せなのだろうと、私は目の前の絵を描きながら、そう想うのだった。