呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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第六話 早朝、旅館にて

「起きてください、絵名様」

「此処の家の人達は問答無用で毛布を剥ぎ取るんだ」

 

 頭上から聞こえてくる女中の声に、私は突然に寒さに投げ出された身体を丸めながらそう言った。そんな私を、女中は冷めた目で見下ろしていた。

 

「ノックもしましたし、声も掛けました。然し其れを無視していつまでも寝ていたのは絵名様では御座いませんか」

「……勘弁してよ。昨日寝たの遅かったんだから」

「関係ありません。起きてください」

 

 そう言って今度は下に引いている蒲団をひっぺがす。その力のまま私は壁に投げ出された。外をよく見るとまだ日の出もまだであった。月の光を背負い、女中の顔は青白く反射している。

 

 本当に、勘弁して欲しい。

 

 昨晩の事である。祖父と話した後、何故か内にある興奮が押さえきれずその儘の勢いでスケッチブックを取り出しその鉛を紙に押し当てた。二ページ、三ページと私は止まる事無く描き続けた。意識が無くなるまで、ずっと。畳の上に散乱している絵を見ると、勢い任せに描いたからかパーツも構図もバランスも滅茶苦茶だ。然し、何故だろうか、今迄描いたどの絵より手応えがあった。まぁ、こんな絵でも絵画教室の講師である雪平先生に見せたらだいぶな酷評を貰いそうだが。

 

「早く準備を御願い致します。迎えの車が用意出来ていますよ」

 

 そう言ったかと思うと、女中は私の様子を見るよ余裕もなく部屋を出て行く。月明かりが障子で遮られ、部屋の中がまた暗くなる。

 

 ……準備?

 

 私が頚を捻っても、私に答えを呈示してくれる人間は存在しない。ただ寒々しい空気が流れるだけだった。閉め切らず風が部屋の中に入ってきて、私の身体は芯から震え上がる。

 

「って、まだ朝の四時じゃない。通りでまだ暗い訳だ」

 

 携帯の電源を付け、時間を確認する。時刻は四時二十分であり、世間ではこの時間を夜中と言う。然しまぁ、私には他に選択肢も残されていないわけで。眠気が醒めてしまった為、観念する様に起き上がる。

 

 車って言ってたから、外に出るのだろうか。こんな時間に? こんな寒いのに?

 

 そう考えると準備をする手が遅くなる。寝巻きを脱ぐ事すらも億劫だ。

 

 ポコン、と、スマホの通知がなる。

 

「……また女子高生の自撮り」

 

 若しかしたらと、期待した。然しその期待は虚しくも空振り、地面に無情に落ちて、潰れた。通知の内容は昨日同様、女子高生の自撮りであった。こんなキツい加工、私の方が可愛い……とまでは言わないが、それでも私の方が可愛い加工が出来る。そう思った。

 

 こんなもので、こんな簡単に〝いいね〟を稼げるのか。それだったら、私の絵はどうなるんだろうか。

 

 自分のアカウントに移行すると、フォロワーは依然として0。投稿した絵も、いいねは全くと言って良い程付いていない。

 

 こんな簡単だったら、私の絵は、苦労は、どんなに愚かで、虚しい事だろう。血反吐を吐いた作品より、指先一つで作れる作品の方が価値があると言うのなら、私が絵を描く意味は──。

 

「……早く準備しよ」

 

 考えていた思考を強制的にシャットダウンし、まだ荷解きが済んでいないキャリーケースを開ける。此の儘考えていたら、とんでもなく恐ろしい結末を向かえる。少なくとも、私にとって取り返しの付かない事態になりかねない。そう本能的に思った。

 

 まぁ、心の健康の為に考えない事も大切である。現実逃避も時には大切だ。

 

 ──そんな事を考えても、この問題は解決しない事を、私は心の何処かで気付いていた。こんな事、問題を先延ばしにし、己で己の頚を絞める事も。然し私は考えることが嫌で、億劫で、矢張り目の前の問題から目を反らしている事に気付かない振りをしていた。

 

 

 

 

「御早う御座います、絵名様」

「あ、伊地知さん」

 

 寒さに耐えかね此の儘ふて寝してしまおうと言う欲を抑え、せめてもの抵抗で暑さのあるコートを羽織外に出た。然し、それが失敗だったのだろう。誰か一人でも連れ立って行けば良いものの、私は愚かにもたった一人で外に出てしまったのだ。結果私はこの迷路の様な東雲邸を数十分彷徨う形になってしまったのである。

 

「伊地知さんが迎えに来てくれれば良かったのに」

「え!? も、申し訳御座いません……!」

「冗談。其処迄迷惑かける訳にはいかないし」

 

 私の言葉に、伊地知さんは酷く狼狽える。別に責めている訳ではないのだが、どうしてか伊地知さんは全ての物事において怯えている嫌いがある。昨日の祖父の件と言い、恐らく伊地知さんは中間管理職で苦労をしているのだろう。

 

「そう言えば伊地知さん、昨日はあれから見なかったけど、どうしてたの?」

「あぁ、別件の仕事をしていました。挨拶も無しに申し訳御座いませんでした」

「いや、それは大丈夫だけど、別件の仕事なんて、やっぱり忙しいの?」

「そうですね、有り難い限りです」

 

 仕事が忙しくて有り難いと言う感覚は、分からない。私だったら忙しくなると文句の一つでも言いたくはなるが。

 

 然し、好きなものだったら嬉しいと言う感情が出るのだろうか。絵で生計(たつき)を立てられれば何れ程嬉しい事だろうか。父の様に成れれば、何れ程──。

 

『お前に、画家に成れる程の才能はない』

 

 うるさい。そんなのやってみなくちゃ解らないじゃない。

 

 沢山努力して、頑張って、本当に本当の精一杯。其処迄したら私だって画家に成れるかもしれないじゃないか。未来の事なんて誰にも分からない。だからそんな未来だってきっと、私にだって。

 

 ──本当に成れるの? 私が?

 

 ピクシェアで見向きもされない私が、コンクールで大賞も獲れない私が、本当に?

 

 そう思った直後、頭を振る。駄目だ。こんな考えでは、出来るものも出来なくなる。そんな事を考えている暇はない。今だって外に居る時間すら惜しいのに。自身の無さは軈て絵に影響すると雪平先生も言っていたじゃない。

 

 私は大丈夫。大丈夫。

 

 ……本当に?

 

「絵名様、如何致しましたか?」

「え? あぁ、いや、何でもないです。と言うか、これから何処に行くんですか? こんな朝早くに」

 

 誤魔化す様に、話題を変える。と言ってもこれが元の本題であり、私の知りたい事である。こんな朝早くに呼び出される覚えも筋合いもない。可能な事ならあの迄泥の様に眠っていたかった。それを無理矢理起こされたのだ。それ相応の理由があって然るべきだろう。と言うか、そうでないと私が嫌だ。

 

 伊地知さんの返答を待つ。然し伊地知さんが私の問いに答えてくれる事はなかった。

 

 足音が響く。石段に反響する足音は全てを跳ね返し、辺りの空気を冷たく染め上げた。

 

 空気が、変わった。先程迄の冷たい空気より更に冷たく、鋭く。まるで全身に針先を向けられている様な、そんな恐ろしさ。空気だけで人をも殺せそうな程に圧迫されたこの雰囲気は、私は良く知っていた。

 

「おお。早いなぁ。結構結構」

 

 そんな言葉と共に登場したのは、祖父だった。威厳のある袴姿で、然し年寄りと言うには老い耄れた雰囲気がまるで感じない、どころか若者すらも凌駕する程の姿勢の良さ。立ち姿だけで解る、彼の強さが。

 

 出逢ってから常々思っていたのだが、強い人間は居るだけで解る。能ある鷹はなんとやらと言うが、祖父の場合、隠していてもその強さは滲み出てしまうのだろう。

 

「御変わり御座いませんか、御当主様」

「あぁ、問題ないぞ。身体の様子も上々。正に散歩日和と言うやつじゃな。それにしても

、儂も腕が訛ったものじゃのう。歩くだけで気配を悟られるなど。これでも若い頃は一世を風靡したものだ。もっとも、今でも現役のつもりだがな。然しこれだと引退も視野に入れんといかんかな」

「お戯れを、御当主様。喩え全国の軍隊が束に成ろうと、貴方様は誰一人として勝てやしないでしょう」

「はっはは、言いよる」

 

 なんもまぁ、目に見える様な接待である。見ているだけで吐きそうだ。一見すると、まるで噛ませ狗の会話だが、然し説得力があった。全世界の軍隊が束になっても勝てはしない。成る程、確かにそれは納得出来る。

 

「さて、そろそろ向かおうか。早くせねば日が昇ってしまう」

 

 そう言って、「はっはは」と不敵に笑う。その笑みは矢張り気持ちが悪く不快的であった。

 

 

 

 体感的には十分程度だっただろう。実際は東雲邸から三十分程経った頃合いだ。着いた先は殺風景とした廃墟だった。元は旅館だったのだろう。落ちた看板は色褪せて、錆びて、可哀想な程に朽ち果てていた。薄暗い風景で助長され、その雰囲気は恐ろしかった。

 

 車から伊地知さん、私、祖父の順で降り、外の冷たい空気が肌を刺激する。四月でもまだ肌寒い。

 

「ねぇ、此処何処なの? 何だか凄く暗くて怖いんだけど……」

「旅館跡地ですね。三十年前に廃業になり取り壊す事も出来ず、この状態らしいです。今では若者が度胸試しで訪れる事もあるそうですよ」

「こんな所で肝試しって、馬鹿じゃないの? 頭イカれてるでしょ」

 

 身体を震わせながら私は伊地知さんの裾を握る。そうでもしないと腰が抜けそうなのだ。

 

「それで? 忘れ去られた宿屋が何故今になって依頼が来たのだ?」

「はい。此処は来月鳳グループが買い取るらしいのですが、その前に此処の呪霊を一掃して欲しいと」

 

 鳳グループと言えな日本でもトップレベルの財閥である。数多の企業を展開しており、その中で代表的なのは都内で最大規模のテーマパークである『フェニックスワンダーランド』を抱えている。私も何度か行ったことがあるが、流石日本有数の企業と言うこともあり、その規模は目を見張るものがあった。

 

「ふん。鳳か……奴も物好きじゃのう。こんな寂れた宿を買い取るなど。もうくたばったかと思っておったがまだしぶとく生きていたのか」

「えぇ。然し楽之助殿はもう現役を引退され、今はお孫様の慶介殿と昌介殿が運営を引き継がれているそうです」

「ほう? そうか。確かに孫の方が話の解る奴らじゃからのう。期待は出来る」

 

 何やら話し込んでいるが、私にはさっぱり解らなかった。話の内容から言って、鳳グループと祖父は顔見知りらしい。尤も、そんな良好な関係ではなさそうだが。

 

 旅館を見上げる。壁は蔦で覆われており、窓硝子も無惨に割れている。暗くて中は見えないが恐らく相当荒れているだろう。蔦で覆われていない所はスプレーで落書きされている。不良達の溜まり場なのだろうか。地面にも煙草の吸い殻も落ちている。こんな事をする人間の気が知れない。そう思った。

 

「では絵名。最初の任務だ。此処の呪霊を祓ってこい」

 

 一瞬、思考が止まる。

 

 何? なんだって? あまりにもあっさり言うものだから無視しそうになったが、彼は若しかしなくとも私に呪霊を祓えと言っているのか? 今迄一度たりとも呪霊なんて祓ったことの無い私に?

 

 現状、言葉の真意に気付いた瞬間、私は考えるより先に口が勝手に開いた。

 

「いやいや、無理無理! 朝早くに連れ出すから何かと思えばこんな……無理に決まってるじゃない! 馬鹿じゃないの!? 抑も私呪霊なんて祓った事もないのに!」

 

 しまったかと思っても時既に遅し。口を自らの手で覆った時には全ての言葉が口から出きった後であった。然し、こればかりは許して欲しい。なんせ本家に来た翌日の早朝にまさかこんなとんでもない事を言われるなんて、誰が思おうか。

 

 確かに呪霊を祓わなければいけない事は重々承知である。私も祖父の話を聞いていた時点でそれは覚悟をしていた。

 

 然し、それでもだ。それでもそれは今ではない。決して今ではない筈である。抑もこういうのは訓練を積んでからではないのかと考えを巡らせるがも若しかしたらそれは私の途徹も無い勘違いなのかもしれない。そう思うと目眩に似た立ち眩みが襲う。

 

「ふん、お前の考えは解っておるぞ」

「え?」

「どうせ大方訓練してからではないのかと考えておったのだろう?」

 

 ギクリと、心臓が跳ねる。いや、こんなのは推理のうちに入らず唯私が解りやすかっただけだろう。然しどうしてか見透かされている様な、そんな気持ち悪さがあった。

 

「甘えるな。東雲家たるもの何時如何なる時もどんな強さの呪霊が来ようとも余裕で祓わなければならない。そうでなければ示しがつかんからなぁ」

 

 顔は笑っている。然しその声色は頭を地面に押し付けられている様な、そんな威圧感があった。

 

 押し付けがましい。そう思った。抑も私にとって此れは美術科を受ける間の過程でしかないのだ。いくら彼等を納得させる為に此処でも精一杯やるなんて啖呵を切ったと言っても、それでも東雲家を背負えと言われては堪ったものではない。

 

 それではまるで私が東雲家当主に成ると初めから決められているみたいである。

 

 それはなんだか、気に食わない。

 

 あぁ、本当に気に食わないし、腹が立つ。此処に居る呪霊も、こんな所に肝試しに来る奴等も、目の前で馬鹿にした様に笑っている祖父も。何もかも。

 

「……分かったわよ。行けば良いんでしょ? 但し無理って思ったら直ぐ帰って来るからね」

「なんともまぁ情けないのぅ。それでも東雲家の人間か?」

「お生憎様、私は東雲絵名よ。尤も、それは呪術師じゃなく一人の人間としてね」

 

 そう言って、祖父の顔を迷い無く見る。其の顔は先程までの余裕な笑みとは違い、表情の無い顔で私を見てた。目も口角も、眉も、何もかも何処から見ても何も分からない。

 

 けれども、だけれど、先程の様な不快感は無い。それより何処か愉快な気分にもなった。

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