呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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初めて会ったあの子は、冷たい目をしていた。


第六十話 生意気

「合わせたい人?」

「そ。僕の弟子みたいなものかな」

 

 前を歩く五条先生の背中に、そんな疑問をぶつける。五条先生に弟子だなんて、俄には信じ難い。どんな癖の強い人間なのだろうか。

 

 年も越して、今は二月。雪が深深と降る中、私達は人気のない道を歩いている。私は先を行く五条先生の背中を、恨めがましく睨みつけた。この後任務なのに、どうして五条先生と歩いているのだろう。

 

 なんて事を正直に言える訳もなく、私はこうして五条先生の言いなりとなり後ろを歩いているのだが。それでも腹の虫はどんどん渦巻いていく。後でクレープ奢ってもらおう。そうしなければ釣り合いが取れない。

 

 白い息を吐きながら、私は街の様子を見る。音も、何もかも雪に全て吸収されるため、辺り一面は異様な程に静かであった。その幻想的な風景を、ただ私は静かに眺める。

 

 年を越しても、私の日常は変わらなかった。いつも通り任務に行って、いつも通り空いた時間に絵を描き、そして他の呪術師に媚び諂われる。そんな時間が、私の日常とかしているなんて信じたくはなかったが、それでも信じなくとも現実は変わらない。私は心のどこかでその現状を諦めていた。

 

 ただニーゴや金次と綺羅羅と一緒に居る時間が、唯一の救いである。

 

「着いた。此処だよ」

 

 動かしていた足を唐突に止め、五条先生は右方向を見る。私もそれに倣い同じ方向を向くと、そこには長い階段が続いており、その向こうには大きな石造りの鳥居が威風堂々と鎮座している。合わせたい人間は、此処に居るのだろうか。

 

 階段を登っていく五条先生。それに倣い、私もその後を追う。と言うか抑もどんな人に会うのか事前に教えて欲しいものだ。当日、しかも唐突に言われても何も準備が出来ないではないか。心持ちとか。

 

 けれど、前みたく気が進まない訳ではなかった。呪術師をやっていれば必然的に知らない人と出会う機会が増えてくる。それを考えれば、呪術師を始めた当初よりはだいぶ慣れてきた。それが良い傾向であるかは分からないが。

 

 階段を登り切り、見えたのは大きな本殿であった。東雲邸よりはないが、それでもその大きさは威厳を放っている。けれども、まず最初に見えたのは、犬を引き連れている少年の姿であった。白い犬と、大きな犬。けれどもその体躯は犬と言うより、狼と呼称した方が幾分か説得力がある様な気もした。

 

「や、恵。早いねー」

「五条先生が遅いだけですよ。待ち合わせは十四時だった筈っすよね」

 

 少年の言葉を聞いて、私はスマートフォンで時間を確認する。見れば十四時十分。大幅に──と言う訳でもないが、それでも寒空の下で待つには充分にしんどい時間である。十分は短いようで、待たされる本人からしたら相当長いのである。

 

 なんだろうか。別に私の所為ではないのに罪悪感が伸し掛かる。

 

「……まぁ良いや。で、その人は?」

 

 五条先生に何を言っても無駄だと言う事は理解しているのだろう。溜息を吐いて話を締め括る。そして次に彼の意識が向いたのは、五条先生の横に居る私であった。急の視線に、思わず体が少し跳ねた。

 

「東雲絵名。あの東雲家の後継だよ」

 

 五条先生の言葉に、少年は目を見開く。当然だろう。一介の呪術師では話すどころか顔を見る事すら許されない東雲家の人間が、今目の前にいるのだから。

 

 けれども、それは今どうでも良い。

 

 私は先程以上の不快感を表に出し、五条先生を強く睨み付ける。

 

「五条先生。その冗談は笑えないんだけど」

「……ごめんごめん。でも、冗談じゃないかもしれないでしょ? 今の絵名だったら」

「…………」

 

 何も言い返せなかった。五条先生の言う通り、今のままでは東雲家の当主にされかねない。どうにかしてその事態から脱却したいが今の所何も解決策が思いつかない。いっその事私が当主になった暁には東雲家を解体しようか。意外とみんな逞しく生きていけるのではないだろうか。

 

 ……いや、そうだとしてもそれが最善とは言えない。逆恨みした関係者に背後から刺される未来が容易に想像出来る。

 

「で、こっちが伏黒恵くん。来年度で中学三年生。一応禪院家の血筋だよ」

「禪院……って、御三家の?」

 

 確か五条家、加茂家と並ぶ呪術師御三家の一つである筈だ。血筋……と言う事は、分家か何かの子だろうか。

 

「そ。そして恵は禅院家相伝の術式を持ってる。これがそうだね」

 

 そう言いなが、五条先生は犬の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。けれども犬は鬱陶しそうにするどころか嬉しそうに尻尾を振っていた。

 

「相伝って事は、十種影法術?」

「さすが絵名。ちゃんと勉強してるね」

 

 それは勿論。御三家の相伝術式を覚えなければ、冷たい部屋から出してもらえなかったのだから。その記憶は一生忘れないだろう。私が東雲家を嫌悪しているのは此処から起因しているからかもしれない。

 

 それにしても、禪院家か。一回祖父と行った事があるが、それはもう酷い所だった。東雲家がクソ貯まりだとしたら、禪院家はそれ以上の腐った蜜柑だろう。特に一回話した事のある禪院直哉とか言う男は、私が東雲家の人間だと分かった上で此方を見下した態度を取っていた。男尊女卑の世界で女が自分より上の立場になっているのが許せないのだろう。

 

 いや、逆に言えば東雲家の人間に対してああも酷い態度を取れると言うのはある意味度胸があるのか? それとも私より自分の方が強いと確信してのそれなのか。どちらにしろあの男に嫌われているのは確かだ。まぁ、嫌われていようが好かれていようがどうでも良いのだが、それでも舐められた態度を取られるのは腹の虫が収まらない。いつもなら食ってかかるのだが、祖父の手前、無駄な争いは避けたかった。あそこで文句を言いたい気持ちを抑えられた私を逆に褒めて欲しい。

 

 あぁ、思い出したらまた腹が立ってきた。五条先生の弟子だから禪院直哉の様な人間ではないだろうが、禪院の人間と言うだけで身構えてしまう。

 

「……初めまして」

「あぁ、よ、宜しくね」

 

 そう言って手を差し出す私を、伏黒くんは一瞥して、目を逸らした。まるで私となんて仲良くしたくないかの様に。

 

 ……どうして禪院の人間はこうも偉そうな人間が多いのだろうか。もういっその事一回ぶん殴ってやろうか。そうすれば大人しくなるだろうか。

 

 いや、それは辞めておこう。それでは恐怖政治を行っている祖父と同じになってしまう。それは私の望む未来ではない。でも呪術師をやっていれば、もう暴力で支配したか方が手っ取り早い気もすると言う感情が芽生えて来ているのも事実である。特に個性豊な人達が集まった呪術師を統率するのなら、尚の事。まともな職種ではないからこそ、まともな人がいない呪術師。それを統率すると言う事は、それは即ち自らもイカれた頭にならなければいけないと言う事だ。例え私が当主になったとしても、それが出来るとは到底思えない。

 

 込み上げる怒りを抑えながら、私は震える手を引っ込めた。大丈夫。私は年上。大人な対応が出来る女。大丈夫。大丈夫。この子はまだ中学生。子供相手に大人気ない事はしない。こんな生意気なガキにキレる程、子供じゃない。

 

「うんうん。仲良くなれそうだね」

「これを見てそう思うのなら、脳心外科の受診をお勧めするわ」

 

 五条先生の言葉に、小声でそう言う。流石に握手を拒否されて仲良しとは言えないだろうし、言わないで欲しい。

 然しそんな私の気持ちを無視するかの様に、五条先生は笑う。

 

「仲良くなれるよ二人は。で、今回恵には絵名の任務に着いてって貰います」

「はぁ!?」

 

 あまりの衝撃に、私は思わず大きな声を出してしまう。

 

「聞いてないんだけど!」

「言ってないもん」

「言いなさいよ! そんな大事な事!」

 

 五条先生の飄々とした態度に、眩暈がする。適当な人だとは思っていたが、まさか此処までとは思っていなかった。もしかしたら五条先生の所為で伏黒くんが捻くれてしまったのかもしれない。それを思うと何だか同情心が芽生える。その証拠に、伏黒くんの表情が歪んでいく。

 

 苦労しているんだなぁ、この子も。

 

「ちょっと来なさい」

「いてて。耳引っ張らないでよ。で、何?」

 

 伏黒くんに私達の声が届かない場所まで移動して、五条先生に耳打ちをする。

 

「嫌なんだけど。私の任務に誰かが居るの」

「えー。絵名そう言うの気にするタイプだっけ。大丈夫でよ。足手纏いにはならないから」

「足手纏いよ」

 

 私は五条先生の言葉に、即答した。 

 

 これは紛れもなく、本心である。

 

「術式は知っていてもどれくらいの強さも分からない。見学させるにしても、共闘させるにしても、上手い連携が取れるとは限らない。と言うか十中八九混乱する。そんな中で守って戦える程、私は器用じゃないわよ」

 

 綺羅羅や金次などの〝強さ〟を知っている人間だったらまだ私も一緒に戦える。けれど殆ど初めまして状態で任務に連れて行くのは、あまりにも無責任だ。

 

 もし、彼を死なせてしまったら? 怪我させてしまったら? それこそ、私は責任の取りようがない。彼の親御さんになんて謝罪をしたら良いのだ。確かに謝罪はする。けれどもそれ相応の代償を支払える代償を、持ち合わせていなかった。

 

 それくらい、人の命は重いのだ。だから易々とその命を預かれはしない。

 

 けれども五条先生はそんな私の心情などお構いなしかの様に「大丈夫でしょ」とあっけらかんとしていた。

 

「絵名強いし。恵も強いよ。きっと大丈夫」

「──だから、そんなの分かんないって……!」

「僕のお墨付きだとしても?」

 

 五条先生の言葉に、ハッとする。

 

 五条先生は最強だ。それは誰もが認める程。それこそ、祖父ですらも五条先生には勝てないだろう。呪術師総出で五条先生に挑んだとしても、結果は目に見えている。想像もしたくない。

 

 そんな五条先生が、私に伏黒くんが着いてきても大丈夫だと、言い切ったのだ。五条先生が予感や想像で物を言う性質ではない事は私でも分かる。だからこそ、先生の言葉には説得性があった。

 

 けれど、本当に良いのだろうか。説得性があるにしろ、五条先生は別に未来視を持っている訳ではない。どうなるかなんて、その時になってみないと分からないのだ。もし五条先生の予想が外れて伏黒くんを怪我させてしまったら? そう思うと素直に首を縦には振れない。

 

 ……それと同時に、思い出した。これは嘗ての私と酷似していた。

 

 冥冥さんや、健人と任務に行った時、彼らはどう思ったのだろうか。ちゃんとした、分別のある大人である。きっと私と同じ事を考え、私以上に考えたのだろう。考え、想い、そして最後には私が着いてくる事を許した。

 

 その心は、何を想っていたのだろうか。何を想って、私と共に任務に行ったのだろうか。自信があったのだろうか。私の様に怪我をさせてしまうかもしれないと言う心配すら、していなかったのか? 

 

 いや、それはない。確かに彼ら二人はそれくらい、他人を守りながらも戦える程に強いが、それでも葛藤はあったのだろう。今の私の様に。

 

 葛藤した。数分は経っただろう。二人の視線が、針の様に刺さる。けれどもそれすら気にする余裕もない。

 

「…………………………………………………………………………………………………分かった」

 

「長い沈黙だね。でもまあ、了承してくれて嬉しいよ」

 

 五条先生にしてやられた感はあまり否めないけれど、苦渋の決断であった。私は溜息を吐いて頭を掻く。どうせ私が拒否をした所で五条先生は押し切るつもりであっただろう。癪だが、先生の提案に乗るしかない。

 

 どうせこれから先後輩が出来れば今の様な状況がやってくる。後か、先か。だったら今受け入れた所で何も変わらない。何も思わない訳ではないが。

 

「ただし、条件がある」

「何すか」

 

 私は振り返り、今度は伏黒くんに向き直る。伏黒くんは怠そうに私を見ていた。

 

「危ないと感じたら私を置いてでも真っ先に逃げる事。自分第一に考える事。そして何かあったら私を呼ぶ事。勝手な判断は許さないから」

 

 そう言って、私は腰に手を当て伏黒くんを見下ろす様に顎を上げた。これが最低限の条件。これで伏黒くんを守れるとは思ってはいないが、それでも言わないよりはマシだろう。

 

 伏黒くんは驚いた様に目を見開く。何をそんなに驚いているのだろうか。まさか私が伏黒くんを置いて先に逃げる薄情者に見えたのだろうか。だとしたら心外だ。私にだって人を守らなければと言う庇護心は持ち合わせている。年下だったら尚の事。

 

 五条先生は何を思ったのか「ね、僕の言った通りでしょ」と、伏黒くんの肩に手を置きながら得意気に笑っている。言った通りとは、五条先生は一体伏黒くんに何を吹き込んだのだろうか。

 

 話もそこそこ、私達二人は五条先生と別れ、任務先に向かった。雪はいつの間にか止んでいたのだった。

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