呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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踏み込んだ先にあるのは、一体何があるのだろう。


第六十二話 違和感

「お疲れー。遅くなってごめん……って、あれ。雪しか来てない」

 

 伏黒くんとの任務が終わり、また他の現場にも複数箇所行っていたらいつの間にか0時を超えており、急いで帰って来たのだ。けれどもログインした時には雪しか居らず、AmiaとKはまだログインしていなかった。まだ25時にはなっていないのだが、Amiaは兎も角、Kがログインしていないのは少しだけ可笑しい。

 

『あ、えななん。お疲れ様。そうなの、まだ二人が来てなくて』

 

『でもまだ時間前だし大丈夫だよ』と、雪は穏やかに笑う。私はそんな雪に適当な返事をしながら、ペンタブを起動した。どうしようか。先に作業をしてしまおうか。けど描く前にAmiaに相談したい事もあるし。

 

 悶々と考えながら、入れてきた紅茶を飲む。勿論、カフェイン入りの。こうでもしないと疲労で倒れそうだ。

 

『そう言えばログイン久しぶりだよね。大丈夫?』

「へ? あぁ大丈夫。逆にごめんね、毎回来れなくて」

 

 雪の言葉に、申し訳なさで項垂れる。私だって毎日でもナイトコードにインしたいのだが、任務もあるのでそうはいかない。何なら泊まり込みで任務もある。あぁ、私が呪術師でなければ毎日絵を描けていたのかな。

 

『勿論、それは良いんだけど、無理してない? なんか最近忙しそうだし……』

「まぁ……確かに忙しいけど。大丈夫よ」

 

 本音は大丈夫でない程疲れているのだが、雪に……と言うか、ニーゴの皆にはそんなことは言えない。仮に「呪術師がー」なんて言っても頭を打ったと思われるだけである。私だって非術師の立場だったのなら精神病院を紹介を進めていたに違いない。

 

 まぁ、抑も呪術師には規定により非術師に呪術の存在を明かしてはならないとなっているため、どちらにしろ喋れないのだが。

 

 背凭れに体重を預けて伸びをする。すると体の節々が悲鳴を上げた。伏黒くんとの任務では無傷で済んだのだが、その後の任務では擦り傷まみれになってしまったのだ。

 

 ……家入さんの治療は素晴らしいものだが、こんなに絶え間なく傷を付けられていれば世話がない。いつか私の体にガタが来てボロボロに崩れ去るのではないだろうか。

 

 なんて。

 

 私よりも忙しく、苦しい思いをしている呪術師も居るのだからそんなのは甘えだ。今こうして絵を描けているのだから、それで良しとしよう。

 

 そうとでも考えなければ心が壊れそうだ。

 

『無理だけはしないでね? えななん』

「それはあんたもでしょ」

 

 雪の言葉に、私は呆れながらそう言った。

 

 私にとっては何気ない一言であった。けれども雪の何かを刺してしまった様で、ヘッドフォンの向こうからは何も聞こえなくなってしまった。

 

 何か、気に障る事を言ってしまったのだろうか。

 

『何で……そう思うの?』

「何でって……学校にも通って、部活もして、学級委員長もして、更に予備校にも通ってるんでしょ? 本来ならこんな所──なんて言ったらKに失礼だけど、こんな時間まで歌詞を書いている時間があったら体を休めた方が良いと思うけれど」

 

 我ながら、自分で言っていて失笑しそうだ。私の発する言葉が全てブーメランとなり自分に返ってきそうだが、私の場合は立っている世界が違う。

 

 無理をしなければいけない場所だ。そしてそれは、雪が立っている場所とは違うのだろう。雪は、自分を甘やかすのを許されて良い筈だ。

 

 そうでなければ、あまりにも報われない。

 

『……私は大丈夫だよ。勉強も、将来の為にやってるし、みんなが喜んでくれるのなら、それで正解なんだから』

「………………」

 

 そう言う雪の言葉からは、感情が読み取れなかった。いや、感情がない訳ではない。ただ、押し殺していると言う方が正しい。

 

 内に湧き上がる怒りをどうにか抑えようと、逆に無感情になってしまう。

 

 それは私にも覚えがある。

 

 けれど、覚えがあるからと言って私とは決定的に違うものがある。

 

「それは、雪がしたい事なの?」

『…………』

 

 何も言わない。それが何を意味するのか、分からない程私は愚かではなかった。沈黙は肯定の意と同義と言われているが、此処迄綺麗な程の沈黙と言う名の肯定は、今迄の人生であまり見た事がなかった。

 

「雪。これは余計なお世話かも知れないけれど、周りに合わせるだけが正解な訳ではないからね。それは高潔な訳でも、高尚な訳でもない。ただの思考の放棄なのよ。自分で考えて、行動して、決断する。それが人間に与えられた、唯一の権利だからね。それを疎かにするだなんて、まるでまるで愚かだよ」

 

 そこまで言って、私は紅茶を一口飲んだ。

 

 考えて、行動して、決断する。それは人間の全ての行動に起因している。それを放棄してしまうと、それは最早人間とは言えないだろう。

 

 それでは、人形に成り下がってしまう。それは宛ら、マリオネットの様に。

 

「ま、私がこう言ったって、結局のところ決めるのは雪自身だしね」

 

 そうだ。私が雪にどうこう言ったって、最終的に雪がどうしたいのか決めるのは雪だ。

 

 ただ少し。雪のヒントになれれば良いと、思うだけである。

 

 ……自分で言っていて、少しだけ笑いそうになる。

 

 自分で決めて、行動する……か。

 

 それが許されていたなら、今私はこの場には居ないと言うのに。例え美術科に落ちても別の学校で普通の女子高校生として生きていたかもしれない。

 

 もし、私に術式がなければ──。

 

 そう考えて、私は辞めた。あぁ、駄目だな。ifの事なんて考えても仕方がないと言うのに、いつまで経っても偶像に縋り付いてしまう。そんなのは時間の無駄だと言うのに。

 

『……えななんは』

 

 ずっと黙っていた雪が、口を開いた。それは、少しだけ寂しげな、苦しげな口調だった。

 

『えななんは、画家志望だったんだよね?』

「そうね。今はもう、無理だろうけれど」

 

 確かに今でも絵は描く。けれどもそれが全て画家になる為にやっているかと言われれば、それは首を捻らざるを得ない。抑もこの呪術界(世界)で、呪術師をやりながら画家を目指すのは不可能に近かった。

 

 目指せるのなら、目指したい。けれども無理だと分かっているのなら、それは諦めるしかなかった。

 

『何で、無理だって思ったの?』

「美術科に落ちたからね。それで別の学校に入って、それが忙しいから諦めたの。将来多分、それ系統の仕事に就くと思うし」

 

 本当に、心の底から不服極まりないが。けれどもそれは私が幼少の頃から決められていた事なのだろう。

 

 だから、母も呪術高専に入れさせた。無理矢理にでも。きっとそれは恐らく穏やかな話し合いではなかったのだろう。

 

 もう思い出せないが、左頬の痛みがそれを物語っている。

 

 もう完治しているのに、ふとした瞬間鈍い痛みがあるのは何故なのだろうか。

 

『それで、えななんは良かったの』

「良くはないわよ。今だって悔しいし、出来る事なら今でも画家を目指したいわ。けれど──」

 

 そこで、言葉が詰まる。今自分で口にしてみると、意外にも未練がましくて驚いた。いや、自分でもまだ未練がある事は分かっていた。けれどここまでとは思わなかったのだ。

 

 手を伸ばせるのなら、伸ばしたい。けれどもいつも何かに弾かれるのだ。それは大抵外的要因であり、自分ではどうしようもない事であった。

 

「どうしようも、なかったのよ。……どうしようもないじゃない」

 

 そう言って、私は椅子の上で膝を抱えて顔を埋める。前の私なら、なりふり構わず全てを振り払って目的に向かって走っていたのだろう。けれども今の私には責任と言うものがのし掛かっている。

 

 もし私が呪術師を辞めてしまったら? 他の人間に危険が行くかもしれない。人手不足を常としている呪術界。一人抜けたのならその分の危険や死が呪術師や非術師に及ぶ。それを考えるとそう簡単に呪術師を辞めるとはとてもではないが言えない。

 

 それに──。

 

 

『無難に神高かな』

 

 

「………………」

 

 思い出すのは、彰人の言葉。その言葉と共に、何やらノイズの走った映像が流れてくる。ズキリと、頭が痛くなった。思い出そうとしても、矢張り何も思い出せない。こんなのは、もう慣れ切ってしまった。

 

 けれど、分かる。これは彰人との記憶だ。もう思い出せない記憶でも、私にとってとても大切な記憶だけは分かる。それはこの締め付ける胸はそれを証明してくれていた。

 

 彰人だけは、笑っていて欲しい。確かに生意気な弟だが、私の大事な弟には変わりないのだ。

 

 仮に私が呪術師を辞めたとして、今度は彰人に行くかもしれない。

 

 彰人には、歌を続けていて欲しい。その為なら、少しは頑張れた。

 

『……それは、苦しくない?』

「え……?」

 

 雪の言葉に、思わず顔を上げる。眼前には変わらず無機質な画面が映し出されているだけであった。けれども私の思考は、その向こうに居る雪に向けられていた。

 

『周りに抑圧されて、したいことも出来なくて。いつしかしたい事も分からなくなって……消えたいって思って。それは、途轍もなく苦しいんじゃないかな。少なくとも、私はそう思うよ』

 

 そう言った雪の言葉には、矢張り平坦であった。私に喋りかけている筈なのに、まるで私ではない誰かに喋っている様な、そんな感じがした。

 

 それは、一体誰の話なのだろうか。

 

 消えたい……か。確かに、そう想った事がないと言えば嘘になる。けれどもそう想う間も無く日々が目紛しく進んでいた事は確かであった。

 

 考える余裕もなく。考える権利も与えられず。

 

 いや、もしかしたら己で考えようとしなかったのかもしれない。考えてしまうと、死にたくなるから。絶望して、この背負っているものを振り払いたくなるから。

 

 不思議なものだ。呪霊と戦っている時は死にたくないと思っている筈なのに、心の何処かでは死にたいと思っているのだから。

 

「雪は、消えたいって想った事があるの?」

『さあ、どうだろう』

 

 そう言って、雪ははぐらかした。私も同じである。私達はたった一回だって、容量を得た回答をしていなかった。それは、心の距離があるからだろうか。

 

 相手がどう想っているのか知りたい。けれど踏み込んで欲しくない。身勝手で、愚か。それが今の私達であった。

 

 けれど、分かる。その気持ちは痛い程。

 

 分かるからこそ、私はこれ以上、雪に何も言えなかった。

 

 そんな何とも言えない空気を壊すかの様に、ヘッドフォンからポコンと、音が鳴った。見てみると丁度同時に、KとAmiaのアイコンが表示されていた。

 

『ごめーん! 遅くなっちゃったー……って、あれ。Kも同時? なんたる偶然』

『ごめん……寝落ちしてたらこんな時間になっちゃって』

 

 二人が喋ったと同時に、私達の周りに流れていた不穏な空気は一変して明るい空気が流れた。

 

『大丈夫だよ。それにK。寝落ちとかじゃなくてちゃんと寝てね。健康にも悪いし』

『う……ご、ごめん』

 

 雪の言葉に、Kは気不味そうに言い淀んだ。

 

 先程までの空気が嘘かの様に穏やかな空気が流れている。私はそれを見てホッと息を吐いた。先程までの話から逸らせて、安心した。

 

 あのまま話を続けていたら、何か余計な事を良いそうである。それこそ、踏み込んだ事を。

 

 私は煩く鳴っている心臓を抑える様に、紅茶を一気に飲んだ。いつの間にか、紅茶は冷めており、冷たい体を温める事はなかった。新しい紅茶を淹れてこようかとも悩んだが、KもAmiaも来たばかりなので、私は空のコップを机の上に音を立てて置く。

 

「……で? Amiaはどうして送れたのかな?」

 

 Kの遅れた理由は理解出来て情状酌量の余地はある。けれどもいつの間にか約束の時間より三十分程過ぎており、Amiaの様子から言って恐らく真っ当な理由ではないだろう。

 

 どうせ、アニメを見ていたからと言う理由だろう。そう言えばAmiaの好きなアニメが放送されると告知されていた気がする。

 

『いやぁアニメを見ていてさ。えななんも観てよー。めっちゃ面白いから』

「時間があったらね」

『えななんいっつもそう言って観てくれないじゃん。今度こそは絶対に観てよ。約束だからね』

 

 目には見えないが、胸を張りながら言っているAmiaの図が想像出来る。Amiaとは会った事はないが。それでも容易に想像出来てしまうのは私の想像力が豊かなのか。それともAmiaが分かり易いのか。

 

 どちらか分からないが。まぁ、どっちでも良いか。

 

『遅くなったけど、始めようか』

 

 Kの言葉に、私達は各々作業を始める。私はAmiaに絵の事で相談をしている最中、雪の方に少しだけ気を向けた。

 

 あれは、どう言う意図があったのだろう。何を、私に伝えたかったのだろう。

 

 考えても答えが出ないそれは、いつの間にか目の前の絵に全て意識が集中してしまった。

 

 

 

 

 今思えば、無理にでも踏み込んで話を聞けば良かったと、後悔する事になる。

 

 私が踏み込んで欲しくないくとも、雪がそうとも限らないのに。私は愚かな事にそれを理解出来ず雪の違和感を無視してしまったのだ。

 

 彼女達と私は遥に違う。それは私が一番良く分かっていたと言うのに。

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