矢張り呪術師にはまともな人間はいなかった。
「と言うわけで、今から新入生歓迎会を始めまーす!」
五条先生の大声と共に、私、綺羅々、金次の手に持っていたクラッカーが音を立てて放たれる。
新学期が始まり、二年に上がった私達には当然ながら後輩が出来た。新入生は三人。
──いや、正確には二人と一匹である。
私の目の前には威風堂々と立っているパンダが居た。
本当に入ったのか、パンダくんは。呪術高専に。前に後輩になると言っていたが、本当の事だったとは。疑っていた訳ではないが、いざ校舎内で巨大な二足歩行をしたパンダを見るとどうしてもこれは現実なのだろうかと疑いたくなる。
そして二人の内の一人は先日に会った狗巻くん。彼は五条先生をしらーっとした目で見ていた。狗巻くんはノリが良いが、時と場合によるらしい。高専の制服姿はなんだか新鮮で、そわそわしてしまう。
「……テンション上げてよ」
「上げろつったって、どう上げりゃ良いんだよ」
五条先生の言葉にそう返したのはもう一人の新入生、禪院真希であった。
禪院家は御三家の一つであり、御三家の中で尤も男尊女卑が蔓延った一族であり、性別だけでなく、生まれ持った術式で自分の人生が決められてしまう程私の目から見ても信じられない程どす黒い家であった。
彼女の事は一方的に知っていた。まぁ、一方的に知っているだけで、彼女の方が私を知っているのか疑問だが。
──いや、知らないと言うのは無いだろう。不本意だが私は東雲家の人間だ。呪術界の頂点に立つ人間を、呪術師──御三家の人間なら知らぬ筈はない。けれども結局私達は喋った事はなく、今この場で初めましてであった。
「まずは自己紹介からだね。はい。棘から順番にどうぞ!」
「高菜ー」
「うーん、何も分からない」
狗巻くんの言葉に、五条先生は頭を搔きながら困ったようにそう言った。確かにおにぎりの具だけで喋っていたら分かるものも分からないだろう。私は前から知っているため彼の事は解るが、それでも綺羅々と金次には難しいだろうと思い横目で二人を見る。けれども案外二人は面白そうと言う風に狗巻くんを見ていた。
「もしかして呪言師か? 始めてみた。珍しい」
「狗巻棘。狗巻家の末裔」
狗巻くんの言葉では解り辛いだろうと私が説明に回る。こう言うのは一年担任である五条先生の役目ではないのかとは思うが、五条先生にはそんな素振りは一切見えなかった。
私の言葉に目を丸くする金次。確かに今の呪術界では呪言師は衰退の一途を辿っている。その中でも狗巻家は呪言師の家系であり、御三家や呪術師の家系が相伝の術式を持った子供を切望としている中、狗巻家は
本当に、呪術界の中で異端な存在だ。
「へぇ、狗巻家。始めて見た」
まじまじと、綺羅々は狗巻くんを見る。狗巻くんは気不味そうに身を剃らした。綺羅々は確かに正真正銘性別は男なのだが、パッと見は美人な女の人だ。二人が並ぶと何だか絵になり、それを見て少しだけムッとした。何故そう思うのかは分からないが。
「……こら、綺羅々。狗巻くんが困ってるでしょ」
私は溜め息を吐きながら狗巻くんと綺羅々を引き剥がす。まぁ、先輩として後輩を助けるのは当然な訳で、何も可笑しな事ではない。
そんな私を見て、綺羅々は何かを悟った様に目を見開き、その後ニヤリと悪戯っ子の様に笑った。それはなんの顔だ。そう言うのではないと思うぞ。多分。
「じゃあ次はパンダ! どうぞ!」
「パンダだ。宜しく」
「ちょっと待て。名前以外に色々説明しろ。何で獣畜生がこんな所に居るんだよ。上野動物園に帰れ」
そう言って禪院さんは親指を何処か明後日の方へ向けた。言葉遣いは粗雑だが、言っている事は分かる。私達もパンダくんを始めて見た時に似たような気持ちになった。今でもパンダくんの生体は謎である。
「帰れつったって、俺の帰る場所は此処だぜ、禪院」
「私を名字で呼ぶな。殺すぞ」
冷たい空気が、教室内を包む。
今年の一年は個性が強い人が多いようだ。私達──と言うか私達三人の内二人も問題児だが、それとは違う雰囲気がある。私達は昭和の不良。彼女達は──何だろうか。やくざの様な雰囲気である。
そんな冷たい空気を壊したのは、意外にも五条先生であった。
「はいはい、喧嘩しないよ。ほら真希。自己紹介」
「チッ……禪院真希。苗字で呼ぶな」
舌打ちをしながらもそう言って名乗る禪院──いや、真希ちゃんは素直に名乗った。矢張り禪院家に嫌悪感があるのだろう。彼女は異常な程に苗字で呼ばれる事を嫌がっていた。
その気持ちは、痛い程に分かる。私も東雲家の血がこの身に流れてると考えると吐き気を催す。けれどもそんなことを言っても〝血〟は変えられない。受け入れる事は難しくとも、諦める事は簡単であった。彼女の場合、それは出来そうもなさそうだが。
そんな事を考えていると、先程まで静観していた金次が私に耳打ちをする。
「これはまた、扱きがいのある奴らばっかりだな」
「余計な事はしないでよね。彼らの強さは分からないけれど、これ以上呪術師を減らしたくない」
何かの間違いで彼らを殺してしまう訳にはいくまい。人手不足が常の呪術界。訓練の所為で術師が死んでしまいましたとなったら洒落にならない。その分の面倒が此方に降りかかるし、何よりも目覚めが悪い。誰かが死んで良しと思う人間性は持ち合わせていないのだ。
それにしても、この空気はどうするんだ。こんな殺伐とした雰囲気で歓迎会なんて続行出来るのか。無理だろう。少なくともお菓子を広げて雑談なんて空気ではない。例えお菓子を広げても終始誰も口を広げる事は無いだろう。そんな空気に耐えられる程、私の心は毛は生えていなかった。
横目で五条先生を見る。何かフォローをしてくれと内心叫んだが、当然そんな絶叫が届く筈もなく、先にお菓子を広げて口に目一杯含んでいる教師が其処には居た。
……何て男だ。言い出しっぺは先生だろうに、フォローするどころか会話を回す事すらしないなんて。
前ま迄なら怒って声を荒げていただろう。けれど今では最早怒りすら湧かず、ただただ呆れが溜め息となり口から出る。これが順応だと言うのなら、それは願ってもない、望んでもない能力だ。順応能力は人より低い私だが、こんなところで成長したくはなかった。
「つーか、私達だけ名乗るって変じゃねーか。お前らも名前くらいは教えろよ」
「そうだな。お前らが一方的に俺らの名前を知ってても意味ねーだろ」
「しゃけしゃけ」
「……あんたら、敬語くらいは使いなさいよ」
先程から思っていた事だが、彼等三人は先輩である私達に対して敬いの欠片もない。何を言っているか分からない狗巻くんは兎も角、真希ちゃんとパンダくんは依然としてタメ口を使っていた。普段ならタメ口程度で何も言わないが、こんな生意気な態度を取られては文句の一つも言いたくなる。
然しまぁ、彼等が言っている事も分かる為、溜め息を吐きながら口を開く。
「東雲絵名。宜しく」
「東雲──って、あの?」
肯定の意味を込めて、私は目を伏せた。本当は肯定なんてしたくはなかったのだが、否定するのも変なので、せめてもの行動だった。
そんな私の仕草に、真希ちゃんは目を見開く。東雲の人間である私の事を知っているかもとは思ったが、どうやら自意識過剰だったようだ。尤も、私自身表舞台に出てきたことがないため、当たり前と言えば当たり前なのだが。
然し、何だろうか。こう毎回同じような反応をされるとなんだか段々と慣れいってしまっている自分が居た。
呆れている私を他所に、真希ちゃん達三人は私達に背を向け、コソコソと小声で話していた。
「おい。もしかして私らめっちゃヤバイ事をしたんじゃねーか?」
「前会った時に気付けば良かった……。まさか殺されるなんて事はねぇよな」
「おかか」
聞こえているんだけどな。なんて言葉を飲み込み、再度私は溜め息を吐いた。どうして東雲と言う名前を冠しているだけでこんな反応をされなければいけないのだろう。
──なんて、それは今更だ。〝だけ〟じゃない事は、私が一番良く解っていた。
東雲と言う苗字は、それだけ大きいのだ。山よりも、海よりも。それこそ、自分が一番解っていると言っているが、私が理解しているより遥かに大きい。この思考すら、極小だ。
「心配しなくても、別にそんな咎めたりなんてしないんだけど。あの人と一緒にしないで」
私の言葉に、彼等は疑いの目を向ける。まぁ、そう言われて素直に信じる馬鹿はこの呪術界には存在しないだろう。私だって祖父に対して最初はまだ話の通じる人間なのかと思っていたが、蓋を開けてみると人の心が有るのか疑いたくなる程の残虐非道な人間だった。そんな男の孫娘だ。彼等の気持ちは痛い程に分かる為、甘んじてその視線を受け入れよう。
それにしても、これだけ警戒されるだなんて、余程祖父は色んな所で傍若無人を働いていたのだろう。そのとばっちりが今まさに私に降り注いでいるのが不満でしょうがない。
「あの人っつーと、東雲八郎──様か?」
「………………」
「すっげー嫌そうな顔すんじゃん」
パンダくんの言葉に私は再度顔を顰めた。今日はいつもよりアイツの孫だと言う事実を突きつけられる日だ。
思考を逸らす様に、私は肘で金次を小突く。
「その話はもう良いでしょ。ほら金次。自己紹介」
「あ? あー……秤金次。趣味はパチンコ。金ちゃんって呼んで良いぞ」
私の言葉を聞き、何かを察したようで、金次は怠そうにそう言う。
東雲家の詳しい話は二人にはしていない。けれども思うところはあったようで、事情を察しながらも変わらず接してくれている。それがなんだか少しだけ嬉しかった。だからと言って問題が解決する訳ではないが、それでも一時の安然は与えられる。
それが、何よりの救いだ。
「パチンコって、お前幾つだよ」
「ふ。こう見えて中学をダブってるからな。心配すんな」
「心配しかねぇ言葉なんだが」
……中学留年は、私も初めて知った。と言うか義務教育中は余程の事がない限り留年は有り得ない筈だ。
なんて、金次に普通を求めたらいけない事は、この一年で良く理解は出来ている。そんな有り得ない事も、金次も前では普通になり得るのだろう。その証拠とでも言うように、真希ちゃんとパンダくんの言葉に、まるで悪びれる様子もない。
「じゃあ次は私だね。星綺羅々。こう見えても男だよ。宜しく」
「あ? お前のどこを見て男だよ。どこからどう見ても女じゃねーか」
まじまじと真希ちゃんは綺羅々を見る。分かる。その気持ち。私も度々女としての敗北を感じる事がある。初対面となると、衝撃も加わりとんでもないだろう。きめ細かい肌。大きな瞳。スタイルの良い身体。そのどれもが羨ましく、妬ましい。
まぁ、私自身彼等との初対面時は良く憶えていないのだが。一ヶ月前の事すら憶えていない私が、一年前の事など憶えている筈がなかった。
あれ。じゃあ──。
──何故狗巻くんの事は、忘れずに憶えていたのだろう。
「昆布?」
「へ? どうしたの狗巻くん」
狗巻くんの言葉に、ハッと我に返る。顔を上げると狗巻くんが心配そうに私の顔を見ていた。見た目こそ変わったものの、矢張りその優しさは変わっていなかった。
変わったものはある。けれど変わらずに残っているものも、たしかにあるのだ。
『──本当に?』
「──────⁉」
鋭い痛みが、頭を襲う。波打つようなその痛みに、私は思わず後ろによろける。何とか倒れる事は出来たが、思いっきり背中をぶつけてしまった。その音に、全員の視線が私に降り注ぐ。
「絵名? 大丈夫?」
「あー……大丈夫。いつものだから」
「家入さんとこ行くか?」
心配そうにそう言う綺羅々と金次に「大丈夫。もう治ったから」と笑って見せる。そんな私の姿を見て、二人は何かを言いたげに表情を歪めた。けれどこれ以上踏み込んでこず、身を引いてくれた。それは気遣いなのか、それとも踏み込んでも逃げると解っているからなのか。どちらにしろこれ以上こちら側に来られるのは私自身も避けたかった。
本当は痛みなんて治っていない。今だって脳味噌が破裂しそうな程に痛い。けれどもそんな事、この場に居るみんなに言える訳もなく、ただただ痛みに耐えるしかなかった。
風が吹く。もう二年生である。今年こそ何か手掛かりを掴めればと希望を持ちたいのだが、こんな状態で何か掴めるのかと、痛みに思考を邪魔されながら、静かに考えるのだった。