呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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新学期、新生活、変わる日常と変わらぬ地獄。


第六十五話 それぞれの変化

『可哀想な子』

 そんな声が、辺りに響く。

 

 誰の声だ? 分からない。けれども何処かで聞いたことのある様な、そんな声であった。

 

 此処は何処だろうと辺りを見渡しても、ただ先の見えぬ暗闇が広がっているだけであった。

 

 ──呪霊の領域? それにしては呪いの気配がない。

 

『馬鹿だね。そんなことも分からないなんて』

 

 あなた誰?

 

 先程から聞こえてくる声に、そう問いかける。けれど私の声は口から出る事はなかった。その代わりに出てくるのは絶え絶えな息だけ。

 

『可哀想。本当に可哀想。孤独で、滑稽で、愚かで無様。助けを求めたいのに、鎖に縛られて叫ぶことすら許されない。苦しくなあい? 悲しくなあい? 大丈夫。私に身を委ねれば全て無くなる。悲しくもないし、苦しくもない。幸せでしょう?』

 

 その声と共に、何かが私の頬に触れる。そのまま、私の顔は上に上げられる。

 

 目に映ったものは────。

 

 

 

 

「──────!」

 

 身体がビクつき、飛び起きる。勢い良く入ってきた酸素に吃驚したのか、私の肺はズキズキと痛んだ。息切れで肩を上下させながら辺りを見渡す。目に入ったのは私が寝ているベッドを囲む様に下がってる真っ白いカーテンであった。

 

 此処は、何処だ?

 

 私が疑問に思った直後、カーテンは音を立てて開かれた。

 

「……起きた?」

「家入さん」

 

 顔を向けると、家入さんが少し焦った様に私を見ていた。此処に家入さんが居ると言うことは、医務室だろうか。

 

 どうして私は此処に居る?

 

「あんた、また任務後にぶっ倒れたんだよ」

「…………えぇ……」

 

 家入さんの言葉を聞いて、思わず右手で目を覆う。確かに直近の記憶では、呪霊を祓った映像が流されている。

 

 しくじった。そう言うしかない。怪我はまだ良しとするが、気を失うのは話が違う。これではまた迷惑をかけてしまうだけではないか。ただでさえこの業界は怪我人が多いと言うのに、私が何時間もベッドを占領してしまっては元も子もない。

 

 すぐに起き上がろうとして、けれど起こしたとたんにベッドへ勢い良く倒れる。

 

 ……あれ。前にもこういうことあったような気がする。

 

「ったく。私も大概だけど、あんたもちゃんと休みなよ。最近、ろくに寝てないだろ」

「……毎日一時間くらいは仮眠取ってるんだけど。一瞬で疲れが取れる術とかないわけ?」

「そんなものあるわけないだろ」

 

 そう言って、家入さんは優しく私の頭を小突いた。

 

 まぁ、分かってはいたが。そんな都合の良い術があったのなら、他の術師が多用している筈だ。それがなく呪術師が死んだ魚の目をしているのは、そう言うことなのだろう。私だってあったら使いたい。

 

 溜め息を吐きながら、天井を眺める。暫く見ていなかったこの白い天井。けれど二年に上がった瞬間にお世話になるなんて、何処か恥ずかしい。

 

「あんたもう二年生だろう。そんなんで一年に示しがつくわけ?」

「う……わ、分かってるわよ」

 

 今考えていた事の中心を射られ、思わず狼狽える。こんな調子では、後輩に怪我をするなと注意もできない。「お前こそ怪我してんじゃねぇか」と突っ込まれたとしても、それに反論する材料を、私は持ち合わせていなかった。

 

 身体の怠さに鞭を打ち、私はベッドから立ち上がる。足を捻ったのだろう。地面に着けた足が鈍く痛んだ。けれどそんな痛みは私にとって慣れ親しんだものであった。いや、親しんだは可笑しいか。決して私はそんな痛みを歓迎していない。それでも慣れと言うのは恐ろしいもので、痛みに対して何も感じなくなってしまったのだ。

 

 痛覚は確かにある。けれど今更叫んだり、泣いたりすることはなかった。昔の私からは考えられない変貌である。

 

 ……昔?

 

 何を偉そうに。昔の私なんて、思い出せないと言うのに。

 

「家入さん。今何時?」

「え? もう日を跨いで一時前だけど……」

「やっば、遅刻じゃん。有り難う、家入さん。私もう行くね」

 

 そう言い残し、私は急いで医務室を出て行く。私の背中に何か声をかけられた様な気がしたが、遅刻による焦りでその言葉が私の耳に届く事はなかった。

 

 

 

 

「ごめん! 遅れた!」

 

 部屋に帰りパソコンを開いてナイトコードにログインすると、もう私以外のメンバーは皆ログインをしていた。

 

『あ、遅刻魔えななんだー。遅いよー』

「ごめんって。少し忙しかったの」

 

 数週間ぶりのナイトコード。そこにはいつもと変わらずの空気が広がっていた。いつもは鬱陶しく想うAmiaの冗談も、今はなんだか微笑ましく想える。

 

『えななん最近忙しそうだね。大丈夫? ちゃんと休めてる?』

「あー……大丈夫。バリバリ元気だよ」

 

 雪の言葉に、本当の事を言いそうになって、止める。こんなこと非術師の三人に言える訳がなかった。

 

 Amiaと雪の声を聴きながら、ペンタブを用意する。絵は描いていない訳ではなかったが、それでもペンタブを使って絵を描くのはなんだか久しぶりの様な気がした。今時絵はスマートフォンで描けるとは言っても、私の手には筆の方がしっくり来た。

 

 そう言えばKの声が聞こえないが、大丈夫だろうか。来ていない……なんて事はないだろう。だって画面にはKのアイコンが映し出されているのだから。

 

 私がそう思っているのに応える様に、ヘッドフォンから無機質な声色のKの声が聞こえた。

 

『えななんも来たことだし、続きをやろう。えななん、さっき全体チャットに新曲のデモを送ったから確認してくれる?』

「分かった。絵を描く前に聴いてみる」

 

 その言葉を最後に、皆各々さぎょうに入る。それを見て、私はチャットに貼られているオーディオを再生した。

 

 ほの暗く、叫んでいる様なその曲は、私の鼓膜に届いた瞬間に身体全体に染みて、胸が苦しくなる。

 

 どうしてこんな曲が作れるのだろう。どうしてこう、人間の心に響く曲を作れるのか。まだ歌詞も付いていないと言うのに、まだデモ段階だと言うのにこれで完成形と言われても信じそうな程にこの曲は完成されていた。

 

 これに、雪の歌詞と、私の絵と、Amiaの動画が加わる。それを考えると内から沸き上がる感情が抑えられない。早く描きたい。この曲を聴いた感情を、今すぐに紙に描き起こしたい。

 

 この曲は、どういう絵が良いだろう。私はこの曲を聴いた時、暗い海の中、苦しくて踠くが、足に鎖が巻き付いて息が出来ない情景が頭に思い浮かんだ。Amiaは、どう感じたのだろうか。

 

 私だけの解釈で描き進めるのはどうかと思い、Amiaに対して口を開こうとする。けれど先に口を開いたのは、Amiaの方であった。

 

『そう言えば、ボク高校に進学したよ!』

 

 えっへんと、胸を張る様にそう言う。

 

 そう言えばAmiaは確か私の一個下だったと思い出す。当然、私も進学したのなら、Amiaも進学するのは当たり前か。

 

『おめでとう、Amia。受験頑張ったんだね』

『有り難う雪。ま、実際のところ試験は問題なかったんだけど、出席日数がさ。あーあ。こんなことなら真面目に授業出れば良かったー』

 

そう言ったAmiaだったが、その声色からしてあまり反省の色が伺えなかった。

 

 ……出席日数が足りなくなるだなんて、どれだけ授業をサボっていたのだろう。まぁ、私自身呪術師と言うこともありしょっちゅう授業を休む事もある。呪術高専だから許されているが、もしこれが普通の学校であったらとっくの昔に私はもう落第生扱いだろう。

 

 抑も呪術高専は午前が座学。そして午後が実習となっている。その分授業も駆け足な上、授業数も少ないため夏休みや冬休みを返上して補習も当たり前であった。尤も、私は普段から勉強を欠かさずにしていたためそれで困った事はないのだが、一番頭を抱えていたのは三人の中で一番学のない金次であった。呪術高専は特殊な機関であるが内情は他の学校と変わりなく、勿論試験は普通にある。期末試験で赤点を取れば当然補習なのだが、その度に彼奴が必ずと言って頼るのが私であった。確かに人に教えるのは復習になるのだが、金次の場合、その土俵にも立てていなかった。

 

 彼は、中学を一年留年している。初めそれを聞いた時、あまり驚かない自分が居たのに気が付いた。素行の所為だろうかとも思ったが、彼の場合、学力の所為も否めない。まぁ、どちらにしろ彼の学力が大幅に遅れを取っているのには変わりないのだが。

 

 まったく。呪術関連では驚く程頭が回ると言うのに。どうして勉強になるとてんで駄目になるのだろう。地頭は悪くない筈なのに。

 

 対して綺羅々は大層要領が良いようで、あまり勉強をしている様子もないのだが、試験の結果は毎回八十点を越えていた。あの複雑な術式を使い熟しているのだから当然か。

 

 まぁ、一学年三人しか居ないため順位なんてものは存在しないのだが。

 

『そう言えばえななんの同級生って三人しか居ないんでしょ? 今年何人入って来たの?』

 

 私が二人の事を悶々と考えていると、そう、興味津々と言うようにAmiaが聞いてきた。その言葉に、私は思わず画面を見る。

 

「……あれ、私、そんな事言ったっけ」

『言ったよー。まさかあれ嘘だったの?』

「え……っと、いや、嘘じゃない。確かに三人だよ」

 

 額を左手で押さえながら、そう言う。

 

 いつ言ったのか、本当に覚えていない。まぁ、その時の私が言っても良いと判断したのなら、問題ないのだろう。

 

「今年も三……人だよ。結構マイナーな学校だからね。こんなもんよ」

 

 棘くんと真希ちゃんとパンダくんを思い出して、そう言う。正しくは二人と一匹なのだが、そんなことを当然言える筈もなく、三〝人〟と数えるしかないのだ。

 

 マイナー……か。確かにマイナーだろう。けれど呪術高専に入学する為には一般の公募はしておらず、推薦か、家系のよる入学が主であった。中には呪霊は見えるが術式を使えない人間が自ら門を叩く事もあると言う。本当に呪術師は多種多様である。

 

『マジでえななん何処に通ってるの……? 謎なんだけど』

「詮索はNGです」

 

 踏み込まれそうになって、壁を作る。まぁ、ネット上の知り合いに個人情報を提示する事程恐ろしいものはない。ここは適当に話題を遮る方が無難だろう。抑も呪術師の事なんて馬鹿正直に言える訳がなかった。

 

『えななんの言う通りだよ、Amia。そんなぽんぽん何でも聞いちゃったらえななんが困っちゃうよ』

 

 まるで子供に言い聞かせるかのように、雪は優しくそう言った。

 

 雪は……いつもと変わらず優等生だ。

 

 いつもと同じなのに、矢張りどこか違和感がある。今目の前に居るのは本当の雪なのだろうか。もしかしたらこれは偽物の雪で、本物はどこかに潜んでいるのでは──。

 

 そこまで考えて、馬鹿らしいと己に一蹴する。そんな子供染みた事、本当にあるわけないだろう。漫画やアニメの世界じゃあるまいし。まぁ、そんな空想の世界の様な場所に居る私が言っても説得力の欠片もないのだが。

 

 ──逆に今迄が偽物で、今が本物だったり──なんてね。

 

「雪は────」

『ん?』

「……雪は、今年も学級委員長なの?」

 

 口をついて出た言葉は、そんななんでもない普通の質問だった。もっと他に聞くことがあるだろうと己に叱咤するのだが、AmiaやKが居る手前碌な事は言えなかった。下手したら雪の地雷を踏みかねない。雪のタイプは、怒ったら怖いのだ。当然恐怖で言えば祖父や母の方が上回っているのだが、それはそれ、これはこれ。あまり人間を怒らせたくはない。

 

 そんな私の言葉に、雪は『そうだねぇ……』と口をつく。

 

『確かに学級委員長には推薦されて承けたけど、上手くできる自信はないよ』

 

 そう力なく言っているのだが、声の抑揚が余り無く、その本心は窺えない。

 

 落ち込んでいる風に聞こえたのだろう。Amiaは元気付ける様に『大丈夫だよ!』と声を張った。

 

『雪賢そうだし、優しいし。きっと出来るよ!』

『Amia……。うん、そうだね。頑張ってみるよ』

 

 Amiaの言葉に少しは勇気を貰ったのか、雪は明るくそう言う。一瞬私と雪の間に流れていた重たい空気は一変。Amiaの介入により瞬く間に明るくなった。Amiaが喋るだけで辺りの空気が軽くなるのは、最早才能だろう。称賛されて然るべきだ。

 

 けれど、今思うとニーゴのメンバーは何かしら抱えている人間しかいない。各々口にして言わないが、雰囲気で分かる。若者だから葛藤や焦燥感はあれど、三人はそれとはまた毛色が違った。まぁ、私も言えたことではないが。

 

 肘を付きながら、悶々と考える。相手の事は何一つ分からない。けれど、どうにかして心を軽くすることは出来ないだろうか。そう考える事は、果たして傲慢なのだろうか。

 

 部屋に時計の針の音が響く。まぁ、今そう考えても明日の朝には忘れているのだろうけれど。

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