呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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尊敬されたいとは思っていないけれど。それでも先輩としての威厳は必要だろう。


第六十六話 敬い

 それは私が任務から帰ってきた時の事であった。時刻は夜の十一時を回っており、こんな遅い時間、もう夜ご飯は良いかと思っていながら自室に戻る途中、なにやら男子棟から騒がしい声が聞こえてきたのだ。一瞬綺羅々と金次が何かゲームでもしているのかと思ったが、それにしては声が複数人分聞こえる。

 

 首を傾げながら、私は声のする方へと向かった。場所は矢張り金次の部屋であり、中から笑い声が聞こえる。私はゆっくりと、音を立てずに扉を開けた。

 

「だー! また負けた!」

「お前ギャンブラーを自称しておきながら運わりーな」

「いや、こいつの場合運っつーかゲームスキルじゃね?」

「もう真希ちゃん、パンダくん! 金ちゃんのこと悪く言わないでよー!」

「……なんか凄い仲良くなってんですけど」

 

 其処には楽しげにゲームをしている一年生三人と、そして悔しそうに拳を握りしめている金次とそれを慰めている綺羅々が居た。

 

 ……私の居ない間に、一体何があったのだと言うのだろうか。

 

 あの新入生歓迎会の時に感じた殺伐とした雰囲気とは裏腹に、彼ら五人はゲームをしながら談笑をしているのだった。その光景に、思わず私はため息をついた。

 

「おう、絵名お帰り」

「おかえりー」

 

 私の帰宅に気付いた金次と綺羅々は片手間にそう言った。

 

「この短時間でこんなに仲良くなるだなんて、一体どうしたの?」

「いや、ただ午後の訓練で少しばかり締めただけよ」

「締められてねーし。ぶち殺すぞ」

 

 私が任務に行っている間に色々あったのだろう。彼等は軽口を叩ける程には仲良くなっていた。社交性があるパンダくんと狗巻くんは兎も角、少々気難しそうな真希ちゃんも一緒になってゲームをしているのは意外ではあった。

 

 本当に、何をどうしたらそんな仲良くなれるのだろうか。是非とも二人にご教授願いたいものである。

 

 ……少しだけ、羨ましいな。

 

「お前もやるか? マリカ」

 

 コントローラを差し出す金次。本当は心置き無く皆とゲームをしたいが、そのままコントローラーを金次に押し返した。

 

「遊びたいのは山々だけどね。ごめんだけど明日朝早いの。それにサークルの絵も描かなきゃいけないし」

「えー、またー?」

 

 そう言ってぶうたれるのは綺羅々であった。まぁ確かに最近は任務やニーゴの作業で二人に全く構ってやれていないような気がする。

 

 ……いや、何を母親みたいな事を言っているのだ。私は別に彼らの母親ではないし、彼らも彼らで私が居なくとも楽しくやれるだろう。ほら、今みたいに。私達は常にベッタリの親友なんて柄ではないのだから。

 

「高菜」

「あ、狗巻くん。どう? 楽しくやれてる?」

「しゃけ」

 

 ソファに座っていた狗巻くんが私の傍に近寄り、顔を覗き込む。改めて見るまでもないが、矢張り狗巻くんの顔は綺麗だ。驚く程に長い睫毛、良く手入れされた眉毛、キメ細かく白い肌。そして何より、菫色の瞳。綺羅々の時も感じた事だが、女である私を差し置いて女以上に綺麗な顔立ちをされるとなんだか立つものがある。腹とか。

 

 と言うか、私だって顔では負けていない筈である。私と彼らの何が違うと言うのだろうか。睡眠不足? いや、それだったら今夜更かししてゲームをしている彼らも同じだ。

 

 考えても分かる筈のない事を考えても虚しいだけだとふと気付き、再度溜息をつく。私だってスキンケアは出来る限りしているのだけれど。

 

「……明太子?」

「あぁ、ごめん。ぼーってしてた」 

 

 まあこんな事、馬鹿正直には言えないのだが。

 

 それから私は五人と簡単な遣り取りをし、「夜更かしも程々に、早めに寝なさいよ」と言い残して金次の部屋を後にした。そう言えば金次の部屋は行ったことがなかったような気がする。いや、もしかしたら行ったことがあるのかも。私の記憶の断片程、信用できないものはなかった。

 

 廊下を歩きながら、窓の外を見る。廊下の灯りによって外は思ったより見えず、只々私の顔を反射させているだけで外の様子は全くと言って良い程見えなかった。

 

 ……最近、あまり寝れてない。

 

 確かにいつも寝ているか寝ていないか分からないくらいの仮眠なのだが、最近はそれすらも出来ていない。

 

 正直に言って、疲れた。叶うことならこのままベッドに入って朝まで惰眠を貪りたいのだが、残念な事にニーゴのイラストが滞っているのだ。まぁ、睡眠を削ってでも絵を描けるのだから良しとするか。

 

『お疲れ気味ね。私が変わってあげようか?』

 

 ふと、声が聞こえる。その声は綺羅々でも、真希ちゃんでも、家入さんでも、況してやニーゴの誰かでもなかった。

 

 深く沈んだ、けれどもあどけなさの残る女性らしい声。その声は初めて聞いたのにも拘わらず、私はその声に聞き覚えがあった。

 

 ゆっくりと反射している窓を見る。

 

 私の横には着物を着た茶髪の女が立っていた。その顔は、私に良く似ていた。

 

「────!」

 

 勢い良く振り返る。其処には誰も居らず、ただ空虚な廊下が続いているだけであった。

 

「……ほんと、疲れてるみたい」

 

 自分の目を右手で覆いながら力なくそう言う。まさか、幻覚、幻聴が起こってしまうまでになってしまうとは。

 

 気を紛らわせる為に、私は音楽配信サービスを開く。何か良い曲はないだろうか。

 

 下にスクロールをしていくと、ふと、真っ暗なサムネイルが視界に入る。再生時間は2分ちょっと。見るからに怪しそうなその動画。けれども裏腹に再生回数は20万回再生を突破していた。チャンネル名はOWN(オウン)と書かれている。

 

「………なに、これ」

 

 それは、突き刺すような、棘のある曲だった。どこまでも冷たく、全てを拒絶している。Kの曲は暖かみがあるのだが、この曲にはそんなのは一切無かった。

 

『周りに抑圧されて、したいことも出来なくて。いつしかしたい事も分からなくなって……消えたいって思って。それは、途轍もなく苦しいんじゃないかな』

 

 ふと、雪の言葉が思い出される。何故この曲を聞いて雪を想像したのかは分からない。私は頭を振り、余計な思考を捨てるように、部屋へ歩き出した。ただ一つ、OWNの曲を聴きながら。

 

 

 

「お前、ただの一級じゃねーだろ」

「……何の話?」

 

 潮風が吹く中、私と真希ちゃんは千葉のコンテナターミナルを歩いていた。真希ちゃんは片手に大きな呪具を担いでおり、見るからに重そうだ。けれど真希ちゃんは軽々と涼しい顔で持っている。きっと私が持ったら手ごと地面に埋もれそうだ。

 

「お前は今まで会った一級術師と違う。少なくとも、禪院家に居る一級とは似ても似つかねーよ。お前、一体どんな戦い方をしたらそんな呪力になるんだよ」

 

「まさか──」と口にして、また口を噤む真希ちゃん。どうやらその先を言ったら私の地雷を踏み抜くと言う事を悟ったらしい。それはまったく、懸命な判断である。もしその先を口にしたら任務どころではなくなってしまう。

 

 今回の実技。それは一年と二年、一対一でそれぞれ任務に行くと言うものだ。パンダくんと綺羅々。狗巻くんと金次。そして私と真希ちゃん。振り分けは五条先生であり、先生曰く「組んだら面白そう」と言う理由でこの振り分けになったらしい。根が適当だからか、今更そんな五条先生の適当さを目の当たりにしても何も思わなくなってしまった。慣れとは怖いものである。

 

「──別に、いっぱい訓練して、いっぱい任務に行っただけ。真希ちゃんは私を買い被りすぎだよ」

 

 私は己の頬に張られているガーゼを撫でながらそう言った。反転術式を使えないからだと言っても、この無数の傷を負っているのだから、私は決して特別強いと言うわけではないのだろう。いくら一級と名を売っていたからと言って。

 

 この傷は、この欠けた耳は、勲章でもなんでもない。ただの恥だ。

 

「さて、こんな私ですが。それでも学生一任務に行っていると言う自負はあるわけで。真希ちゃん。この無数の呪霊を、どう祓う?」

 

 私はこのコンテナターミナルの中で一番大きいコンテナを親指で差しながらそう言った。

 

 此処は元々数え切れない程の呪霊が蔓延っていたのだが、数年前この呪霊の討伐を任された呪術師が殲滅は無理だと判断し、せめてもの抵抗でこのコンテナに全て封印したのだ。

 

 強さは然程なく、どれも四級、三級の雑魚ばかり。けれどもどうしても数が多い。五条先生だったら一瞬で祓えるのだろうが、どうしても等級は四、三級。優先順位が下がってしまい、今の今まで放置されていた訳だ。それが何故私達に振り分けられたのか。それは分からないが、五条先生の事だ。私達二人で祓えると判断したから与えられた任務なのだろう。

 

 真希ちゃんは目を鋭くしてコンテナを睨む。前々から思っていたのだが、禪院家は全体的に目元が似ている。鋭い三白眼。けれど目が小さいと言うわけでもなく、美しさがあるのだ。中身は残飯のように腐り果てているのだが、顔だけは申し分ない程良いのだ。真希ちゃんもそれを受け継いでいるらしい。こんなこと、本人に言えるわけはないのだが。嫌いな身内に似ていると言う言葉程、憎くて呪いたいものはないだろう。

 

「一体一体じゃなく、まとめて祓う」

「正解。それが出来れば理想的だね。じゃあそうするためにどんな作戦でいけば良い?」

「……私がまず単身で突っ込んで、バラけた呪霊を絵名が祓う」

「…………不正解」

 

 先輩をつけなさい。と言う言葉を飲み込んだ私は我ながら偉いだろう。ここで話を逸らしてしまっては時間の無駄だ。

 

「突っ込むんだったら、私だね」

「あ? 最初に入るのは近距離の私だろ」

「それは数が少ない上に敵が強かった時には有効かもね。だけど今回は数は多いけれど、どれも低級。単体では三級術師の足元にも及ばない雑魚ばかり。けど、それすら霞ませる程の〝数〟」

 

 数の多さは戦闘に於いて重要だ。いくら私でも、単体ではあの数には勝てないだろう。今回真希ちゃんが居てくれて良かったと、心から思う。

 

「最初は私が中に入って、粗方一気に祓う。真希ちゃんは十秒くらい経ったら入って来て残りの呪霊を祓って」

「あ? それだとお前の負担がとんでもねぇ事になんじゃねぇか」

「……実を言うと、私の術式では真希ちゃんをも巻き込んでしまう可能性があるんだよね。だから此方の方が私的には都合が良い」

「うし。行ってこい」

 

 そう言うや否や、真希ちゃんはコンテナの中に私足で蹴り飛ばした。私はその勢いのまま、中に転がっていく。

 

 …………あの生意気一年。後で絶対に締める。

 

 即座に起き上がり、顔を上げる。無数の目が、私を捉えている。聞いていた通りの数だが、いざ目の前にするととんでもない圧があった。

 

 けれど、それだけ。そんな圧は私が呪術師になってから慣れる程浴びてきた。

 

 それに彼らが私を捉えているのなら、私も同じく彼らを捉えている。

 

 目を瞑り、そして開ける。その瞬間、一塊になっていた呪霊が捻れて破裂する。

 

 ──矢張り駄目か。視界全体で術式を発動出来れば良いのだが、今の私には視界の中心部分しか術式が使えない。もっと精進しなくては。

 

 走り出す。意外にも呪霊たちはその小さい体に似合わず足が遅いようで、私から触れられても反応遅く攻撃をしている。

 

 十体目に触れたところで上へ飛び上がり、指を鳴らす。すると今度は内側からまるで風船のように破裂した。 

 

「爆火《ばっか》──『(ぜん)()(ない)(れつ)』」

 

 そう、詠唱する。今まではあまり術式を詠唱せずなんとなくでやっていたのだが、先日の訓練で日下部先生に言われたのだ。「お前は詠唱せずに術式を発動しているから威力が落ちているんだ。もっとちゃんと詠唱しろ」と。

 

 確かに面倒で詠唱は省いていたのだが、それよりもまずそんな余裕は私にはなかったのだ。まぁ、そんな事を口にしようものなら言い訳だと一蹴されるだろうけれど。

 

 そろそろ十秒経っただろうかと出入り口を見遣る。その瞬間、爆発音と共に真希ちゃんが中へ入って来た。そして瞬く間に物凄い数の呪霊を祓っていく。軽々と壁を駆け、オリンピック選手顔負けの跳躍で高々と飛ぶ。そして岩のように硬い呪霊の体を持っていた大刀で次々と祓っていく様子は宛ら魔王のようである。

 

 ……本当に、彼女の身体能力は凄まじい。私もこのくらい動けたら良いのだろうが、如何せん体質的に彼女を上回る事は無理そうだ。

 

 天与呪縛。それが彼女に与えられた(呪い)てあった。

 

 彼女は呪力が殆どない。それこそ、一般人よりも。けれどその代わりとでも言おうか。彼女に与えられたのは驚異的な身体能力であった。並外れた体力、身体能力、動体視力。それを呪術界では『フィジカルギフテッド』と呼んでいた。

 

 その特異な体質は稀であり、私の知っている中で天与呪縛を持って生まれた人間は片手で数えられる程であった。私としてはこのような貴重な人材は大切にしてなんぼだと思っているのだが、呪術界──特に彼女の一族である禪院家は呪いの扱えない者は人として扱われない傾向にある。

 

 簡単に言えば、呪力史上主義なのだ。誰がどう術式を持っているか。それが最も優先される。呪霊が祓えるかどうかは二の次なのだ。

 

 本当に、気持ち悪いったらありはしない。

 

 それから私達は次々に呪霊を祓っていく。私はなるべく真希ちゃんを視界に入れずに術式を発動する。

 

 ──やっぱり。

 

 私は一瞬だけ真希ちゃんを見遣り、ほくそ笑む。私の予想通り、真希ちゃんは私の作戦を理解してくれていたようだ。まぁ、私の術式は事前に話していたからその時に察しては居たのだろう。

 

 真希ちゃんは呪霊を中心に集めるように祓っていた。そして呪霊の数が二桁になり、凝縮されるように私の視界に収まると、真希ちゃんは飛び跳ね、コンテナから出ていく。それを確認して、私は口を開いた。

 

「形変──『(ねん)(ばつ)』」

 

 瞬間、コンテナがまるで空間が歪んだように音を立てて捻れる。四角いコンテナは歪に捻れ、空高く聳え立っている。その際に飛び散った瓦礫は雨のように地面へ降り注ぎ、煙は狼煙のように上がっていく。私は、それを空に浮きながら見下げていた。

 

 呪の反応が一切消えたのを確認して、地面へ降りる。

 

「真希ちゃん、平気?」

「……改めて見ると、ほんとにすげーな。お前の術式」

 

 呆気に取られている真希ちゃんに手を差し伸べながら、私は溜息をついた。心の底から否定をしたかったが、私自身この術式に助けられているのは事実であった。 

 

「真希ちゃんの身体能力も、目を見張るものがあったけどね」

 

 私の手を握った真希ちゃんを起き上がらせて、服をはたく。先程の攻撃で、服が少し汚れてしまった。

 

「それで、私の凄さを目の当たりにして私への態度を改めてくれる?」

「は。抜かせ。そう言うのは東雲家当主になってから言いやがれ」

「……言えてるわね」

 

 真希ちゃんの言葉に、素直に頷く。それは確かに、真希ちゃんの言う通りであった。その言葉を口にした真希ちゃんの顔は、顰めっ面であった。

 

 彼女の言葉にどんな意味を込められているのか、今の私には分からなかった。けれどただ一つ。その剣呑とした目には、少しの寂しさが見えたのだった。

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