呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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この寂しく苦しい想いは、一体どうしたら良いのか。


第七十二話 雪の独白

 自分なんて何処にも居ないと、朝比奈まふゆは思っていた。否、今でも思っている。だって、探しても、探しても、探しても、探しても。結局自分なんて何処にも居なかったのだから。ただ手探りで暗闇の中を探していっても、それでは時間が無駄に過ぎていくだけであった。そんな心の余裕は、今のまふゆにはなかった。

 

 親の期待に応えるべく、ずっと努力をしていた。皆の羨望を守るべく、完璧を演じていた。けれどもそんなメッキはすぐに剥がれるもので、いつしか周りの期待がまふゆにとっての重石となっていったのだ。

 

 別に周りが悪いわけではない。ただ自分が、肯定しすぎたのだ。肯定しすぎて、受け入れすぎて。そしてその器は限界まで膨張し、破裂した。その空っぽの器には、ただ罅だけが走っていたのだ。これが自分で選んだ末の道だったのなら、自分は一体何処で間違えてしまったのだろう。なんて事を考えても今では一切分からないのだが。

 

 何も感じない。嫌なことも、楽しいことも。まるで自分が意思の無い人形のように思えて気持ちが悪かった。

 

 けれど、母親によって己の大切なシンセサイザーが捨てられそうになった時は流石に堪えたが。まふゆのシンセサイザーは、今リビングにある。母が言うには、父に頼んで業者に持って行って貰うのだとか。学校から帰ったまふゆは、リビングの机に乱雑に置かれているシンセサイザーを、ただ見ていることしか出来なかった。

 

「いらないでしょう?」そう言った母の声は、本当に淡々としていた。まるで子からどうしてお母さんは私のお母さんなの? と聞かれたみたいに。当然でしょと言わんばかりに平然と。

 

 まふゆは、何も言えなかった。今更お母さんに意見なんて、言えなかったのだ。まふゆにとってあのシンセサイザーが大切だとしても、母にとってなんの価値もないものなのだろう。どころか娘の勉強の邪魔になるがらくただと、思っている可能性もある。

 

 まふゆの母は、どこか差別的意識を持っているように思えた。口ではどれも素敵だと言っておきながら、言葉の端々にどちらの方が優れているかとか、そう言う優先順位が垣間見える。幼い頃から目を逸らしていたのだが、今はそうもいかない。目を瞑っているばかりでは前すら歩けないのだから。

 

 ──まふゆも、あのシンセサイザーが本当に自分にとって大切なものであったか、今では疑問だ。大切だったら何がなんでも手放しはしない。母に逆らってでも己の手に戻していただろう。けれどもそう出来ないと言うことは、自分にとって然程どうでも良いものだったと言うことだ。

 

 だけれど、どうしてか忘れられない。行き場の無い手が、シンセサイザーを探している。捨てても良い筈なのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろうか。

 

 まふゆはずっと曲に固執している。なんの曲を聴いても、何も感じないと言うのに。また、絶望するだけだと言うのに。

 

 いつしか、感情が分からなくなっていた。したいことも、嫌なことも。そして終いには味すらも感じなくなってしまったのだ。自分を表す色があるとしたら、それは正しく何の色もない透明だろうと、まふゆは思うのだった。皆各々自分と言う軸を持っているのに、自分がとても不安定な存在だと感じてしょうがない。

 

 まふゆは、看護師になりたかった。困っている人の役に立ちたい。もっと身近で手助けが出来ればと、そう思った。けれども、そんな想いは両親に届かなかった。確かに看護師も素敵な仕事だが、折角医療系の道に進むなら、医者を目指してみてはどうかと。そう言われたのだ。父も、母も、それは大層嬉しそうに言っていた。

 

 最初は、それでも良かった。両親がそう期待するのならそれが一番正しい道なのだと、信じて疑っていなかった。周りですら、まふゆが医者を目指すと知り、まふゆにぴったりだと、持て囃した。まふゆ自身も、周りが喜んでくれる事が嬉しかったのだ。

 

 けれども段々と、それが辛くなっていった。

 

 母が勉強の合間にと買ってきてくれたショートケーキを食べた時、驚く程味がしなかったのだ。けれどそんな事を言える訳もない。まふゆは母がこれを美味しいと言っているのなら、これは美味しいのだと、自分に言い聞かせた。例えレストランの料理も母親の料理も味かしなくとも、それは味付けの問題ではなく、少しだけ疲れているだけなのだと、まふゆはそう無理矢理自分を納得させていた。

 

 そう目を逸らしても現実は残酷なほどに事実を突き付けてくる。

 

 クラスの人達に勧められたのだ音楽を聴いても、何も心を動かされない。明るくて楽しい曲と言う事実だけは分かるのだが、まふゆ自身は何も感じられないのだ。それだけじゃない。まふゆはいつしか自分のしたいことや好きなものが分からなくなっていった。

 

 自分は、何が好きだった? 何が、したかった?

 

 周りに合わせて自分を変え、求められたものを提示していった結果がこのザマである。

 

 その時だった。ある音楽に出会ったのは。自分が何者でもないと悟ったその日、まふゆはとある曲に惹かれた。それはサムネイルも何もない。歌詞もないその曲は、何も感じないまふゆの心を大きく揺さぶったのだ。まふゆは、一心不乱にその曲を聴いていた。それこそ、時間を忘れてしまうくらい。それがKの曲であったり

 

 どうして彼女の曲はこんなにも心を揺さ振るのか。まふはどうしても分からなかったのだ。

 

 だから、まふゆも曲を作った。曲を作れば作曲者の意図が分かると思ったのだ。そうすれば、何故自分がこんなにも揺さぶられているのか理解が出来ると。

 

 それが、まふゆが雪として曲を作り、ニーゴに入った起源であった。このまま曲を作り続ければ、何かが見つかると思ったのだった。

 

「けど、やっぱり何も見つけられなかったよ」

 

 まふゆはそう言って、膝を抱え、横で歌っているミクに投げかけた。ミクは黙って、まふゆを見ている。けれどそんなミクを見ても、矢張りまふゆは何も感じなかった。

 

「本当の想いは……最初から、わかってた。私は、ただ、消えたいんだ」

「まふゆ、それは……」

「確認できて、良かった。これで、楽になれる」

 

「だからもう……いいよね」と、まふゆは膝に顔を埋める。まふゆはもう、希望を持てなかった。

 

 今迄だって、何も膝を抱えて蹲っていた訳ではない。自分を見つけようとあらゆる事をしてきた。その度にこれじゃないと落胆し、絶望してきた。

 

 もう、疲れたのだ。希望を持つ事も、探す事も。だから消えるしかないと、そう思ったのだった。これから先、諦めずに探したとてもしまふゆが望むものがなかったのならと考えると恐ろしい。そんな希望に押し潰されるのなら、このまま来てた方が幾分かだ。そう思ってしまう程にまふゆは切羽詰まっていた。

 

 OWNとして曲を作っていたが、シンセサイザーを取り上げられた今、どうすることも出来ない。曲を作って自分を探すことも出来ないのだ。

 

 もう、消えるしかない。このセカイも、夢も、希望も、一緒に活動するメンバーだって要らない。こんなに取り上げられるなら、最初から欲しくはなかったと、まふゆは締め付けられる胸を抑え、また深く膝に顔を埋める。もうぐちゃぐちゃの頭では、何も考えられなかった。

 

 それこそ、今目の前に居るミクが此方を心配そうに見ている事に気付かない程に。

 

 その瞬間、この二人ではない誰かの声が、セカイに響く。それはどうやら、雪を呼んで居るようであった。その呼び掛けるような声は、絶望の海で溺れているまふゆの耳にも、しっかり届いていた。

 

「……き……! ゆ……き……!」

「……来た。あの子達が……来てくれた」

 

 ミクはそう言って立ち上がり、一点を見つめる。まふゆはミクに倣い、その方向に顔を向けた。その向こうには奏と瑞希が此方を探して辺りを見渡しているのが見えた。ニーゴのイラストレーターである絵名の姿は何処にも見当たらない。どうやらこのセカイには瑞希と奏だけが訪れたらしい。

 

 どうして、邪魔をするのだろうか。私は消えたいのに、どうして関係ない外野が口を出して阻害する。どうせ何も救ってくれないのに。そんな諦めにも似た感情が、呆れと共に溜息が出た。

 

 今更救って欲しいだなんて思っていないのに。期待しても、意味ないのに。

 

「ミク……あなたが連れてきたの?」

 

 まふゆの言葉に、ミクは首を横に振った。ミクでないとしたら、彼女たちが自らまふゆに会いに来た事になる。それがまふゆにとって鬱陶しかった。

 

 二人と目が合う。まふゆの拒絶する視線とは裏腹に、二人はまふゆを見て心底ホッとしたように口角を上げて此方へ走ってくる。

 

 どうして、そんな表情をするのだろうか。分からない。けれどまふゆの心の中にぼうっと、何か暖かいものが広がった。これはなんだろう。

 

 考えても分からないものが今日一日で何度も起こり、まふゆはいい加減、気でも狂いそうであった。

 

「……なんで、また来たの。私は、ひとりにさせてって言ったでしょう?」

「わたしの曲を聴いてほしい。だから会いに来た」

 

 奏は、間髪入れずにそう言った。その言葉に、まふゆは首をかしげる。

 

 曲? 今更なんだ。 何を聴いても、何も感じないと言うのに。

 

「わたしの曲じゃ足りなかったって、雪は言ってた。だから、もう一度作ったの。今度こそ、ちゃんと雪を救える曲を」

 

 矢張りかと、まふゆは呆れる。Kは、何も分かっていない。Kの曲を聴いて心を動かされたのは最初の曲だけ。あとは本当に、驚く程に何も感じなかった。そんなKの曲が今更自分の心に届くなんて、まふゆは到底考えられなかった。

 

 まふゆは静かに首を横に振った。

 

「……もう、必要ない」

「雪」

「しつこい」

 

 あまりにしつこく此方へ訴え掛ける奏の言葉に、まふゆは怒鳴るようにそう言った。その言葉は、どこか震えていた。それだけまふゆの心は荒んで、歪んで、不安定に揺れ動いていた。触れて欲しくないのに、ベタベタと遠慮なしに触ってくる彼女たちが、心底鬱陶しかったのだ。

 

 自分にとって救いとならない人には、なんの用もなかった。基よりニーゴには自分を見つける為に入ったのだ。それが無意味だと分かった以上、まふゆがニーゴに居る意味も、メンバーと話す意味もない。まふゆは、吐き捨てるようにミクに言った。

 

「ミク、追い出して」

「…………」

「ミク、聞こえないの? ……早くこの二人を……」

 

 まふゆはミクを見る。ミクは真顔でまふゆを見ていた。その目からはなんの感情も読み取れない。その異質な両目の色が違う瞳に、まふゆは思わずたちろぐ。ミクはそんなまふゆを見て、漸く重たい口を開いた。

 

「聴いて。この曲を、聴いて」

 

 初めてまふゆに逆らったミクを見て、思わず目を見開いた。

 

 今迄ミクがまふゆに対して逆らったことなど一度だってなかった。このセカイはまふゆによって作られたものであり、ミクはまふゆの為に存在している。だからミクは基本的にまふゆの意見に対して否とは言わない。まふゆはそれを充分に理解しているからか、今回のミクの態度に驚きを隠せないでいたのだった。

 

「ミクまで……なんなの?」

「お願い、雪」

「──うるさい! 私はひとりで消えたいの! もう放っておいて!」

 

 耳障りに鼓膜へ入ってくるその声に、まふゆは耐えきれず大声を出した。

 

 どうして、手を差し伸べて来るのだろうか。これ以上希望を与えないでほしい。でないと、そのあまりに眩しい光に、目が潰れそうになるから。

 

 まふゆはまるで駄々っ子のように、奏の手を振り払う。

 

「こんなの……いらない!」

「…………っ!」

 

 その拍子に、奏の手からスマートフォンが離れる。このままでは奏のスマートフォンが地面へ衝突し、壊れてしまう。そしたら奏はこのセカイから帰れなくなってしまう。

 

 けれど奏のスマートフォンが地面へ落ちる事はなかった。地面へ落ちる直前、誰かの手によってスマートフォンは死守されたのだった。

 

 思考が追い付かないまま、まふゆは顔を上げる。そこにはもう一人のメンバーが呆れた顔でまふゆを見ていた。

 

 その人物は、まふゆが勝手に親近感を抱いていた人物であった。彼女もまた、周囲によって自分を殺していた。けれどもそんな運命の中、僅かに残った『自分』をなくさぬように大事に抱えている。そう感じたのだ。

 

 まるで吹けば消える蝋燭のように。彼女は消えかかっている火をずっと守って歩いていた。

 

「……なんで、えななんも来たの?」

「あんたに一言文句言いに来たの」

 

 そう言って、得意気に笑う。その声は紛れもなく、ヘッドフォン越しに聞いてきた声であった。

 

 






そろそろ番外編を書きたいのでアンケートを募集させてください!

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