その場所は確かに、夢のような所だった
「フェニランに行こう!」
そう高々に叫んだのはファッション雑誌を読んでいた綺羅々であった。この際何故綺羅々と金次が私の部屋に居るのかと言う疑問は投げ掛けないでおこう。何事かと思い後ろを振り向いて顔を上げると綺羅々は雑誌を片手に仁王立ちをしている。それを私と金次は口を半開きで見ていた。
また始まった。私は溜め息を付きながら椅子を回して身体ごと綺羅々の方へ向く。綺羅々が唐突にこんな事を言うのは今に始まった事ではない。今迄もこんな事は幾つもあった。だから綺羅々の今の様子も、もう慣れっこだった。
「何でフェニラン?」
「ほら、二年に上がってから私達何処にも遊び行けてないじゃん? 今日は皆休みだし思い出作りに丁度言いなって」
「………………」
此処で断ったら冷たい人間なのだろう。確かに綺羅々の言う通り今日は三人非番の日だ。綺羅々の言い分も分かる。けれども非番で何も予定が無いからこそニーゴのイラストを進めたかったのも事実だ。
遊びに行きたい気持ちもある。けれどもそれ以上に目の前のスケッチブックを埋めたいと、そう思ったのだ。
「俺は別に構わねぇぜ」
「やったー。金ちゃん大好き!」
そう言って綺羅々は金次の頬に口付けをする。その見慣れた風景に、私は再度溜め息を溢した。金次は本当に綺羅々に甘い。惚れた弱みとはこの事だろう。綺羅々が一方通行に好意を寄せているのかと思っていたが、案外、金次からの想いも軽いものではないかもしれない。
それにしても、金次も行くのか。だったら尚更断り辛くなったぞ。決して私は同情圧力に屈する人間ではないのだが、それでも周りの雰囲気を悪くしない為に敢えて周りに合わせると言う事は学んできたのだ。まぁ、断ったところで仲が険悪になる間柄ではないのだが。
何が問題か。それは綺羅々の誘いが〝特別断りたいと言うものではない〟と言う事だった。別に嫌ではない。ただ遊園地と絵を描くのだったら断然後者の方が優先順位が高い。
私がうーんと唸っていると、立っていた綺羅々が態々椅子に座っている私の下までしゃがみ、所謂上目遣いになる構図で私を見上げた。
「絵名……駄目?」
「……………………」
私も甘い。綺羅々にこんな顔をされたら断る気持ちが一切消えてしまったのだから。
♢
私の記憶ではフェニラン──フェニックスワンダーランドと言う遊園地には行ったことがなかった。いや、記憶を取り戻せば家族で行ったことがあるのだろうが、それでも今目の前に広がっている光景は新鮮で衝撃が勝った。初めて来た。そう、身体が叫んでいるのだ。
「ひゃっほーう! 久しぶりに来たフェニラン!」
「人多いな」
そう綺羅々と金次が喋っている中、私は一人胸を踊らせていた。散々断る理由を探しておきながら今になってはしゃぐなんて、まるで子供だ。
けれど、空気感と言うのだろうか。愉快な音楽、楽しげな人々、そして友人と来ているこの状況。その全てに当てられ私は今舞い上がりそうな程に興奮している。こんな姿を表に出したら祖父に東雲家の恥だと言われそうだ。それに二人にも囃し立てられるに違いない。何とか仮面を張り付けて平常心を保ってはいるのだが、それでも気を抜くと口許が緩みそうだ。
……いや、逆に此処ではしゃがない方がこの場に相応しくないのか?
横目で二人を見る。二人はパンフレットに描かれた地図を見ながら何処に行こうかと話し合っていた。
「うーん。まずはフェニックスコースターじゃない? その後はメリーゴーランドに乗って、フェニーくん・イン・ザ・ナイトメアにも行きたい!」
……知らない語録が次々と出てくる。いや、メリーゴーランドはそのままだし、フェニックスコースターも名前的にジェットコースターと言うことは分かる。けれど最後の〝フェニーくん・イン・ザ・ナイトメア〟だけはどうにも分からない。一体何のアトラクションなのだろう。
まぁ、今考えた所で綺羅々と金次に着いて行ったら自ずと分かることだ。その時の楽しみだと思っておこう。
私は二人の後を歩きながら辺りを見渡す。そう言えば祖父がフェニランの入場者数が年々減っていると言っていたが、まぁ確かに人が多いとは言えない。確かにこの状態がずっと続けば経営も危うくなるだろう。
企業には大抵スポンサーと言うものがある。そのスポンサーの望む利益が出せなければ企業の存続が危うくなる。最悪倒産する可能性すらあるのだ。
……此処は東京に住んでいれば誰でも知っている程に有名で夢がある遊園地だ。記憶がない私ですらもその名を聞いている。それだけ色んな人間を笑顔にしていると言うこと。そんな遊園地が未来で無くなってしまうのは何だか寂しい。
「……まぁ、今考えてもしょうがないか」
企業の営業方法は私が考えた所でどうにかなる問題でもない。いくら東雲家の人間だろうと私はまだ高校生。ビジネスが何なのか良く分かっていないのだ。
ただ少しだけ──えむちゃんの事が気になるだけ。
ぼうっと歩いているのが悪かったのだろう。考えながら歩くのはあまり良くないと分かっている筈なのに、その所為で前方不注意の末人とぶつかってしまったのだ。
「うあ! ごめんなさい!」
「わ! こっちこそ……って、あぁ! 絵名さん達!」
「……え? えむちゃん?」
目の前には此方を驚いた顔で見ているえむちゃんの姿があった。
どうしてえむちゃんが此処に……? と思ったが、よくよく考えればフェニックスワンダーランドは鳳財閥──そう、えむちゃんの家族が経営をしているのだ。だからえむちゃんが此処に居ても何ら不思議ではない。
……けれど少しだけ不思議なのが、まるでキャストの様な服を着ていると言うことだった。
「よう、久し振りだな。元気そうじゃねぇか」
「秤さん! それに綺羅々ちゃんも! お久し振りです!」
そう言ってえむちゃんは勢い良く頭を下げる。久し振りに会ったが、相変わらず元気で礼儀正しい子である。入学して来た三人が敬いの〝う〟の字も無い子達だからかえむちゃんの良い子さが余計に胸に来る。その純粋なえむちゃんに癒され思わず頭を撫でる。するとまるでわんこの様に目を細めて嬉しそうに笑った。
……うん。流石末子だ。長子の心をグッと掴んでくる。
「お前も遊びに来たのか?」
「ううん。あたし此処のワンダーステージでショーキャストやってるんです。今日の夕方にショーをやるので今の内に練習をしてるんですよ」
金次の言葉にえむちゃんはそう言う。
ショーか。そう言えば前情報で知っていたがフェニランではショーが人気と聞いた。そのショーキャストか。確かにえむちゃんに似合う。
「じゃあ此処で駄弁って居るわけにもいかないね。ごめん」
「いえ! 久し振りに三人と会えて嬉しかったです! それじゃあ、私は此処で! 良かったらショー、見に来てくださいね!」
そう言いながら、えむちゃんは物凄いスピードで走り去っていく。最早音速と言って良い程に速く、後に砂埃が立っていた。そのえむちゃんの背中を見て私達は呆然と立ち尽くすしかなかった。
……もしかしたらえむちゃんが呪術師になったら一級まですぐに駆け上がるのかもしれないと、そう思ったのだった。
♢
それから私達は色んなアトラクションを楽しんだ。ジェットコースターだったり、メリーゴーランドだったり、観覧車だったり。途中で遭遇したフェニックスワンダーランドの公式マスコットキャラクターであるフェニーくんの着ぐるみを発見し写真も撮った。コーヒーカップなんて金次の力で限界の限界まで回しまくって綺羅々と、回した本人である金次が三半規管が乱れて気持ち悪くしていたのだ。勿論私も三半規管をやられて目が回っていたのだが、それでも二人よりはマシだったろう。
……正直言って、楽しかった。それこそ日々の疲れや悲しさや苦しさを一時的にでも忘れられる程に。フェニックスワンダーランド。名の通り不思議の国に来たかのような錯覚を憶えたのだ。
周りの雰囲気に飲まれながらチュロスを一口食べる。バニラの甘さが口内に広がり心を満たしていく。うん。矢張り甘いものは嗜好だ。
私がチュロスに舌鼓を打っていると、何やら視線を感じる。何事かと思い周りを見ると、周りの家族連れやカップルが此方を怪訝な顔で見ているのだ。一瞬何故そんな顔をされているのか理解できなかったのだが、考えが追い付いた瞬間すうっと私の中の何かが冷めて行くのを感じた。
「おい。止めとけ」
「……まだ何もしてないじゃん」
「いいや、してなくても分かる。お前、周りの人間に噛み付こうとしてんな」
「しないし。ただ文句言うだけだし」
「一緒の事じゃねぇか」
そう言いながら金次は私の後ろ襟を猫の様に摘み上げる。金次にそう言われては私は何も言えず、ただ口を尖らすしかなかった。
視線を感じて、分かった。この視線は私にではなく、私の友人。つまり綺羅々と金次に向けての視線だった。だから腹が立ったのだ。私の大事な友人に対してそんな目を向けると言うことは、私に対して喧嘩を売っているに等しい。私は内で冷める夢見心地と同時に沸き上がってくる怒りと言う名の熱を感じて周りの人間に対して一言言ってやろうと一歩歩みを進めたのだが、それは金次によって止められてしまった。
納得はしていない。けれどその目を向けられた金次達が対立を望んでいないと言うのなら、私が噛み付ける筈がなかったのだ。
ぶうたれながら項垂れる。さっきまでの浮かれた気分は何処へやら。私の中には不快感が湧き出て支配していった。
「気にすんな。いつもの事だ」
「気にするななんて無理があるでしょ。友達が悪く見られてんのよ。腹が立つに決まってんじゃん」
そう言って溜め息をつく。こう言うの理屈ではない。こんな所で問題を起こせばフェニランに行こうと誘ってくれた綺羅々に迷惑をかけるし水を差す様な事になる。けれどこう言うのは理屈ではない。友人を馬鹿にされたと言う事実が私の感情を支配していく。
私の内心を知ってか知らずか、綺羅々は私の背中を押す。
「ほら。そろそろワンダーステージでショーが始まる頃でしょ? ワンダーステージは一番奥のステージ何だから早く行かなきゃ椅子が埋まっちゃうよ」
「綺羅々…………。うん、そうだね」
彼らが何も言わないなら、私も何も言えない。私は綺羅々に押されながら歩く。
ワンダーステージに着いたのは十分経った頃であった。私が腹を立てていた所から随分と遠くにあり、改めてフェニランの広さを感じた。一体此処は東京ドーム何個分なのだろう。話は変わるが、施設の広さを説明するにあたり良く東京ドームの個数で説明される事があるが、よくよく考えれば普通の人間ならば東京ドームの広さなんて知らないし、何個分と言われたところでピンとこないだろう。因みに東京ドームの広さは四万六千七百五十五㎡である。広さを単位で理解していても私自身も何個分と言われてもあまりピンとこないのだ。
さて、話は随分逸れたが無事にワンダーステージへと辿り着いた私達は驚愕の表情を浮かべた。其処は先程までの愉快で広々とした世界とは違い、奥を入り組んだ場所にあり、まるで外れの様な静けさを纏っていた。けれども陰鬱とした空気とは違い、例えるのなら秘密基地の様なワクワクさがあった。
「此処がワンダーステージか。良い感じじゃねぇの」
「ほんと。スケッチしたいなぁ。なんでクロッキー帳持ってこなかったんだろう」
「遊園地でも絵画脳だねぇ、絵名は」
まぁ、それは否定しない。時間があればずっと絵を描いていたい。そう思う程に今の私は絵を描く事に飢えているのだ。
ワンダーステージには私達の他に家族連れが多く、子供達は目を輝かせて今か今かと開演を待ちわびていた。それを横目に、私達は後ろの方へ座る。前の方は子供に譲って上げよう。
さて、えむちゃんはどんなショーを見せてくれるのか。
それから五分経った後だろう。人もわたしたが来た時より増えており、客席も埋まっている。意外と人気なんだなぁと思っていると、ステージから焦った女の子の声が聞こえてくる。何事かとと思いステージの方を見ると、西洋風の装いをしたえむちゃんが困ったように辺りを見渡している。
……何だ?
「あれれー? 勇者さん何処に行っちゃったんだろう……。あ、ねぇねぇそこの君! 私の仲間の勇者さん見なかった? こう……『ハーッハッハ!』て笑い声の!」
困った様子で辺りを見渡しているかと思うと、最前列に座っていた女の子に問い掛ける。女の子は疑うこともなく首を横に振った。
「そっかー。一緒に旅をしてたんだけどね、勇者さんはいっつもすぐどっかに行っちゃうの。その所為で私はいっつも勇者さんを探す羽目になっちゃう……。って、こんなことやってる場合じゃなかった! 早く勇者さんを探さないと! それじゃあ、またね!」
そう言って、また奥へ引っ込む。子供達は興奮しているのか、ひそひそと耳打ちをしたりそわそわしていたりする。
どうやらショーが始まったようだ。成る程。観客をも巻き込む芸風なのか。確かに効果的であろう。観客に話題を振ることで観客も劇の一部。共感力を出すことが出来るのだ。
十秒も立たない内に反対方向の袖から同じく西洋風の服を着て、傍らに剣を携えている少年が興奮混じりに走ってくる。
「ハーッハッハ! 此処の市場は色々あるなぁ! 林檎に野菜に焼き菓子まで! オレは好奇心が抑えきれんからな! 隅から隅まで見尽くすぞー!」
その言葉と共に、少年はステージを闊歩しだす。
どうやらこの劇は王道の勇者ものらしい。けれど展開が読めるわけではなく、突拍子もない演出、レベルの高い劇中歌、えむちゃんの全ての演出に対応できる身体能力。それから吃驚するくらいに訳の分からないストーリー。けれどちゃんと設定も一貫しており混沌としていないのが関心する。特に機械やロボットをを使った演出は珍しく、前に居る子供達もはしゃいでいた。
このようなパフォーマンスは精通していないからあまり解る方ではないが、この劇のレベルが高いのは分かる。然し何故こんな楽しい劇を出来る彼らがこんな奥に追いやられているのか分からない。
それから一時間くらい経っただろうか。劇に集中しすぎて時間を数えるのを忘れてしまったのだが、それくらい心の底から楽しめたのだ証拠だった。まさかの最後は魔王と和解して国に平穏が戻るかと思ったら魔王こそが探していたお姫様で、お姫様は悪の心を支配されていただけだったなんて、だれが想像できると言うのだろうか。一体この台本を書いたのは誰なんだ。
カーテンコールが終わり、皆一斉に立ち上がり役者である四人に対して敬意を評して拍手を送った。
「すっごかったねー! 面白かった!」
「ね。設定もぶっとんでたし、ギャグかと思ったら感動ものでジーンと来ちゃった」
拍手をしながら、私と綺羅々は耳打ちをしてそう話した。綺羅々と金次も楽しめたようで、強い拍手を送っている。
ふと、周りを見る。周りは満面な笑みを浮かべて楽しそうに笑っていた。此処には老若男女全ての人が居る。その人々が総じて笑顔になれると言うのは一種の奇跡に近いのではないだろうか。
……いや、奇跡などではない。彼らが心から観客を笑顔にしたいとそう願ったからこそ、その想いが観客に届いたのだ。それを奇跡と言う言葉一つで片付けてしまうのはあまりにも浅はかである。これは成るべくして成った。それだけの事だ。
劇も終わったし、さぁそろそろ帰ろうと皆各々立ち上がって出口へ帰って行く。その顔は矢張り笑顔で染まっていた。それを見て、私はもう一度ステージの方を見る。嘗て出会った時には楽しそうだけれどどこか寂しげにしていた。まるで一人ぼっちだと、そう言っているかのようであった。けれどさっきのえむちゃんは心から楽しいと言わんばかりにショーをしていた。
えむちゃんは、一緒にショーをしてくれる仲間に巡り会えたのだ。それがどれだけの幸福か、私は充分に理解をしている。だからこそ、私は心底嬉しかった。
願わくば、四人がずっとショーを出来ますように。そう祈るのだった。