先を進む貴女に、どうか光を。
親友である愛莉から連絡が来たのは、本当に久々の事であった。
連絡があった時に驚いたと同時に嬉しかったのだ。この溢れていく記憶の中、大切な存在である愛莉を忘れる事なく覚えていられた事が嬉しくて、安心した。
♢
都内のファミリーレストラン。其処はいつもニーゴで打ち上げをしている場所とは違うファミレスであり、私も初めて訪れた場所であった。中は思ったよりも広く、人も少ない。時刻がもう夜が遅いと言う事もあるのだろう。私は愛莉より先に席に付きドリンクバーを頼んでジャスミンティーを喉に流していた。
『少しだけ話したいことがあるの。明日の夜あたりに時間を少しだけ貰えないかしら』
そんな文面が突然昨晩に送られてきた。此方としては愛莉と会って喋れる何て願ってもない話だが、本人にとっては恐らく重要な話だろう。雑談なんてしている時間はあまりなさそうだ。
また、何かあったのだろうか。中学の時とは違って毎日顔を突き合わせる事が出来なくなった今愛莉の変化をこの目で見守る事が不可能なのだ。いや、中学時代も毎日の様に会っていた訳ではないのだが。それでもそれ以上に私達二人は会って会話する時間が極端に減ってしまったのだった。
何で記憶を失い続けている私がこんな細かく中学時代を覚えているかと言うと、その時に書いていた日記を久し振りに読み直したのだった。家入さんに勧められて書き始めた日記なのだが、これがどうも便利であった。まぁ便利と言っていても最近までその日記を読み直す事は無かったのだが。ただ愛莉と会うにあたり記憶の齟齬があったらいけないと、引き出しの奥底から日記帳を引っ張り出したのだ。ただ想定外だったのが過去──中学時代の私は己の記憶障害を軽く見ていたのか適当な事しか書いていなかったのが最大の盲点だった。今過去の自分に出会えるのならぶん殴って日記の重要性を一から百まで説いていた事だろう。それでも付け焼き刃だと思いつつ、読まないより遥かにマシだろうとその和紙より薄い内容の日記を隅々まで読み込んだのだった。
──それはまるで、物語を読んでいるかのような感覚であった。自分の事なのに、自分ではないかのような、不思議な感覚。これは本当に私が感じた感情だったのか今では知る由もないのだが。
ただ分かるのは中学三年の半ばから。私が記憶を無くし日記を書く以前の記憶は本当にまっさらだ。その話題が今日出ない事を心から祈るばかりであった。
ジャスミンティーを一口飲み、辺りを見渡す。深夜と言うのもあり人がひじょうに非常に少なく、居たとしても何らかの作業をしている人か読書をしている人ばかりで雑談をしている人間は殆ど見受けられなかった。だから愛莉も此処を選んだのだろうか。辞めたとはいえ元アイドル。注目をされてしまっては折角落ち合って会話出来る時間もなくなってしまう。私だったら完全個室の対談向けである飲食店を知っているのだが其処は矢張り学生ではあまり手が出せない料金なのだが。私がいくらそんな事を言った所で愛莉が此処を指定した以上他の所なんて提案は出来ないのは変わりない。
周りを見る流れで店内の壁に掛けられている時計に目をやる。時刻は二十二時。日を跨いで一時からまた任務が入っているのだが、まぁ、その時間には話は終わるだろう。
……いや、少し待て。冷静に考えてまだ十六歳の少女をこんな真夜中に一人で出歩かせるのは少々──否、かなり如何なものだろうか。呪術界に身を置いていて感覚が麻痺してしまいそうになるが、普通の女の子が夜外を出歩くなど危険極まりないのだ。
そう思うと居ても立っても居られず勢い任せに席を立った。それを見計らったかの如く出入り口の扉が音を立てて開かれ、顔を覗かせた愛莉と目が合った。私は行き場の無くなった感情をどうする事も出来ず下手くそな笑みを浮かべるしか無かったのだった。
♢
「ごめんなさいね、こんな夜中に呼び出して。道中は大丈夫だったかしら」
「私は全然大丈夫。愛莉はどうだった? 変な人に後を付けられなかった?」
「平気よ。心配してくれてありがとう」と、愛莉は困ったように笑った。その笑みを見てホッと息を吐く。良かった。思い詰めている感じでは無さそうだ。
私はジャスミンティーを、愛莉は緑茶を一口喉に流し込み互いに息を吐く。疲れていたのだろう。愛莉が手にしているグラスに入れられた緑茶はもう容器の半分位しか入っていなかった。私のグラスはまだ半分以上入っていると言うのに。
さて、どうしたものか。此方から話を振るのも構わないのだが、愛梨にも心の準備と言うのもあるだろう。不躾にあれこれ踏み込むべきではない。そんな事は分かっているのだがこの何とも言えない無言の雰囲気に耐え切れる様に私は人間が出来ていない。
あと五分経って何も言わなかったら此方から吹っかけよう。そう心に固い決意をした瞬間、愛莉は意を決した様に口を開く。
「わ……私、ね。アイドルを……つ、続けてみようって思って……」
「…………へ?」
愛莉の言葉に理解が追い付かず、変な声が出てしまった。
何だって? 何て言った? アイドルを、続ける?
私の様子が変だと察して、愛莉は眉を下げ慌てた様に弁明をする。
「その、ごめんなさい! 絵名に止めるって言った後にこんな事言うのも変だって思ったんだけど、絵名には言わなきゃって思って……。一貫性が無いって事は自分でも分かってる。でも……でも!」
そう言う愛莉の手を勢い良く掴む。愛莉は怯えた様に目を瞑って俯いた。
「──良かったじゃん! え、ほんと!? 夢じゃない!? 愛莉がアイドルをまた始めてくれるだなんて嬉しい!」
私の言葉に、愛莉は驚いた顔をして私の顔を見る。当たり前だ。私が愛莉を否定する言葉を吐くと思うのか。嬉しくて飛び跳ねる事はあれど否定し突き放すなんて事はしない。どころか私は心の何処かで愛莉がアイドルを続ける事を願っていたのだ。勿論アイドルを辞めると言う決断は尊重するつもりであったが叶う事なら愛莉の望むアイドルになって欲しいと、そう思っていたのだ。それは私のエゴでしかない為本人には黙っていたのだが、まさかこんな形で叶うなど思ってもみなかった。
愛莉は私の興奮した様子を見て安心した様に笑を零す。愛莉がどんな返答を想像していたが知らないが、それでも私は今本心での言葉でしか喋れない。だってそのくらいに胸が一杯なのだから。
「そんなに喜ぶことかしら」
「そりゃそうよ。だって嬉しいじゃない。大切な親友がまた夢を追い掛けられるんだから。これ程幸福な事は他にないよ」
「もう絵名ったら、大袈裟なんだから」
そう言って困ったように苦笑する愛莉だが、その奥底にはなんだか穏やかなものが滲んでいた。私もまた、机に肘を着きながら愛莉を見る。
最近の事は分からない。もしかしたら直近で見たかもしれないのだが、愛莉のこんな嬉しそうな顔を見たのは久しぶりの様な気がした。一体何に触発されてアイドルを続けようと思ったのか。あの絶望の淵に立たされていた愛莉を、誰が救いあげたのか。その人物を考えると妬けてくるが、それでもまた愛莉に夢を追い掛ける勇気を与えてくれた事に対する感謝の方が大きかった。
私では、そんな事は出来なかっただろうから。
興奮する気持ちを落ち着かせる為にまたジャスミンティーを喉に流す。ジャスミンティーの程良いサッパリした味が口内に広がり一息ついた。
「それで、なんでまたアイドルを始めようって思ったの? どう言う心境の変化?」
「心境の変化──って言う大それたものじゃないわよ。ただ……素直で愚直な後輩が出来て、素敵な出会いがあっただけ。その子達のお陰でまた頑張ろうって思えたのよね。きっと、あの出会いがなければ私は今でもウジウジと悩んでいたに違いないわ」
そう言って愛莉は遠くを見詰める。その瞳は一体何処を──何を見ているのだろうか。何があると言うのだろうか。
私には到底分からない。けれどきっとその先には希望があるのだろう。それくらい、願っても良いではないか。愛莉は今迄努力して、我慢してアイドルを続けようとしていたのだ。その分幸せにならなければ絶対に可笑しい。
「ソロアイドル? それともグループ?」
「グループで活動しようって思って。ほら、直近で『ASRUN』の桐谷遥と『Cheerful*Days』の日野森雫が引退したじゃない。その二人と、さっき話したアイドル初心者の後輩と私も含めて計四人で活動しようって思って」
「え!? あの日野森雫と桐谷遥!? 国民的アイドルじゃない! ……て言うか二人ともアイドル辞めてたんだ。全然知らなかった」
「あら絵名にしては珍しいわね」
私の事を何だと思っているんだ。任務やニーゴの活動をしていると最近のニュースを把握するのを忘れてしまいがちなのだ。言い訳だと分かっていつつも保身の様に振り翳してしまうこの癖を、そろそろどうにかしなければと思うのだった。
然し……あの日野森雫と桐谷遥か。流石に後輩迄は分からないけれど物凄い人物達とアイドルをする事になったのか。いや、愛莉も負けず劣らずの大人気アイドルだったのだが、それでもあの二人は私にとっては最早雲の上の存在であった。私は一頻り驚愕した後放心した様に脱力をした。
愛莉は凄いな。ちゃんと自分で考えて,ちゃんと自分で決めて進んでいるのだから。アイドルをまた一から始めると決める迄どれ程の葛藤があったのだろう。きっと私如きでは想像も付かないくらいに悩んだに違いない。また同じ扱いをされるのではないか、今度もアイドルの自分を否定されるのではないか。そんな不安はきっとあった筈だ。それでも、全ての不安や恐怖をかなぐり捨てもアイドルをしたい。そう思ったのだろう。なんて高潔で高尚な決断。あまりの眩しさに目が潰れてしまいそうだ。
それにしても、愛莉の言っていた〝 後輩〟とやらは一体どんな人物なのだ。話を聞く限りアイドルを辞めた三人がまたアイドルを始めようと決意したその中心に居そうな感じはするのだが、如何せんその尻尾を掴む事は出来ない。曰くアイドル初心者と言っていたから情報も何も無いのは当たり前なのだが。
あの国民的アイドルの三人が動かされたのだ。きっと誰よりもアイドルに向いている子なのだろう。そう、思うことにしておこう。
……羨ましいだなんて思わない。愛莉も、他三人も色んな葛藤の末に出した結論なのだ。それを羨んでしまってはその葛藤や努力や苦悩を無視することになってしまう。努力している人間へ向ける妬みや羨望程、滑稽なものはない。だったら自分も同じくらい──それ以上に努力すれば良いだけの話なのだから。
……けれど、その努力すらも許されない立場にいる人間は!一体どうしたら良いのだろうか。
自分勝手も許されない。下手したら誰かの命が消えてしまうかもしれない。そんな世界に居る人間はどうすれば良かったのだろうか。
「まだどうするか決めて無いんだけどね」
愛莉の声で我に返り机を見ていた顔を上げる。愛莉はまるで愛おしいそうに目を細め、もう空になったコップを手にしていたストローで持て余していた。
「事務所に入ろうかと思うんだけど、勿論三人とも前の事務所に入るって訳にもいかないし。まぁ、まずはそこからだけどね。でも泣き言を言ってられないわ。うちにはまだまだ育てなきゃいけない後輩が居るんだもの」
「さっき言ってたアイドル初心者の?」
「そう。頑張り屋さんの良い子なのよ。元々アイドル志望の子でね、今迄五十回オーディションを受けては落ち続けている子なんだけど、それでもめげない不屈の精神を持っているわ」
「五十……。凄い精神力ね」
思わず目を見開いてしまう。
五十回。言葉にするのは簡単だろう。けれどもその数は途方も無い時間を有していたであろう事は容易に想像ができる。忍耐がある──なんて言葉では到底言い表せない程に彼女の精神は常軌を逸している。
……これは愛莉の事を抜きにしても敬意を示さなくてはなるまい。
「じゃあ尚更四人で頑張らなくちゃね」
「あったり前よ。どんな逆境が来ても余裕で跳ね返す気持ちでアイドルを始めるわ。なんだってうちには強靭な精神力とストイック、天性の美貌を持った人間が三人居るのよ。誰にも負けっこないわ」
そう言って、愛莉は眩しく笑う。その笑みは矢張り何にも変え難い程に眩しく、私は再度目を細めてしまったのであった。