暗闇。暗闇。その中に光る輝き。それはまるで童話の中。
そうして迎えた人形展当日。私はいつも通り任務を熟し、伊地知さんが運転する車の中で軽く昼食を摂っていた。シンプルなレタスとハムのサンドイッチ。先程コンビニで買ったものだ。この具材の量でこの値段とは、物価高も馬鹿にはできない。この先の日本は大丈夫なのかと不安になる。呪術師の収入も一般会社よりは貰えているとは思うのだが、それでも命を賭して戦っている代償には到底足りない。
「このままご友人との集合場所に向かわれると言うことで宜しいのですね」
「うん。お願い伊地知さん。迷惑かけるね」
「滅相もございません。五条さんの無茶振りより数倍マシですので」
⋯⋯何だか闇を見た気がする。伊地知さんも苦労をしているんだなぁ。
サンドイッチを一口食べ、外を見る。高々と聳え立っているビルがまるで映像の様に目紛しく流れていく。
行きたくないと思いつつ、それでもニーゴの皆んなと遊びに行けるのは何だか楽しみではあった。まぁその後には憎くて憎くて堪らない祖父との会食があるのだが。まったく、祖父一人で行けば良いものの何で私を巻き込むのか。
⋯⋯会食の事を考えるのは止めとこう。折角この後皆んなと会えるのに台無しである。あの三人とは楽しい気持ちで会いたい。
そう思うのだが、矢張りああ言う薄暗い所は苦手である。楽しみではあるも足が重くなる。いくら二年間呪霊を祓い慣れていると言っても自ら進んで呪霊に会いたいとは思わない。それは全呪術師の総意であろう。誰が好き好んで呪霊に会いに行きたいと思うか。例え四級で勝てると分かっていても何があるか分からない。一瞬の油断で命を落とすこの世界。呪霊なんて居ない方が良いのだ。
──何て、そう言ってしまえば呪霊を生み出している人間をも否定するようなものだ。正しくは負の感情が流れて生み出される〝呪い〟がなくなれば良い。そう言いたいのだ。
けれども人間が極小でも呪力を持っている限りそれは夢物語であり、願っても叶わない願望だ。いくら私が東雲家の血筋だとしてもこればかりはどうしようもない。その願いを叶えてしまうのなら人間を皆消滅させて一から作り直す。即ちノアの方舟のような事をしなければならなくなる。それは私の望む未来ではない。
「────、……」
伊地知さんに言おうとして、止めた。どうせ言っても困らせるだけだし、それに私は東雲の人間だ。この発言を弱音と認識されたくはない。けれど聞きようによっては本当に弱音に聞こえてしまう恐れがある為このまま口を閉ざす結果になってしまったのだが。
それから私はサンドイッチを食べ終え窓を見る。地理的にもう少しで待ち合わせ場所に着く頃合いだろう。三人に会う前の任務であまり怪我をしなくて良かったと心から思う。
♢
「あ、絵名! こっちこっち!」
「そんな大きな声を出さなくても聞こえてるから、瑞希」
遅れてはいない。けれども奏、瑞希、まふゆの三人はもう集合場所に着いおり、私が着いたのが最後らしかった。まだ5分前だと言うのに皆んな早いものだ。私だったらギリギリまで寝ていたいのだが。
私は手招きしている瑞希を横目に車へ顔を覗かせる。
「それじゃあ伊地知さん。また後程」
「行ってらっしゃいませ。絵名様。帰りは近くの有料駐車場に停めておきます」
それだけ言い残して、伊地知さんは会釈をしながら車を発進させた。私はそれを見送りながら溜息をついた。多分伊地知さんはこれから五条先生の所に向かうのだろう。五条先生に無理難題を押し付けられている伊地知さんが不憫に思い、私は去って行く車に手を合わせ武運を祈る。頑張れ、伊地知さん。私もこの後の会食を頑張るから。
それから私は三人が待っている場所へと小走りで向かった。今日は雲のない晴天であり、強い日差しが眩しく私の頭上に降り注ぐ。あまりの眩しさに目を細める。この日差しは、少しだけ嫌いだ。
「お待たせ。それじゃ行こ」
「⋯⋯もしかして絵名ってお嬢様?」
先程黒塗りの車から出て来たのが不思議だったのだろう。瑞希は目を白黒させて驚いたようにそう言った。
お嬢様──か。まぁ確かに形式上ではそうなるのだろう。実際に私は東雲家の令嬢と言われているし。けれども伊地知さんが東雲家の専属使用人と言われれば当然それも違う。
⋯⋯どう、言えば良いのだろうか。まあ隠す事もないか。呪術の事を言わなければ何でも良いや。
「学校の送迎の人。別にうちの人じゃない」
「お金持ちな事は否定しないんだ⋯⋯」
別に否定するものでもないし。けれども一般的なセレブとはまた違う。本当に説明が難しい立場だ。我ながら。
「て言うか早いね、皆んな」
「絵名が遅いだけだよ」
「はあ? まだ五分前でしょうが。あんたの時間感覚どうなってるわけ? イカれてんの?」
こちらを煽るようにそう言うまふゆに、私は身を乗り出しながら返した。どうしてこいつはこちらを煽るような物言いしか出来ないのだろう。もしまふゆに気遣いという機能が搭載されているのならメンテナンスに出すことをお勧めしたい。なんなら私が直してもいい。機械のイロハは分からないが。
「まーまー、どうどう」と、私とまふゆの間に入る瑞希。私達は瑞希に促されるまま、歩いて美術館へ向かう。前へまふゆ、奏。そして後ろに私と瑞希。まぁ四人も居るのだ。このまま並んで歩くのは迷惑以外の何者でもなかろう。私は二人の後ろ姿を見ながらため息をつく。
「まぁまぁ、まふゆだって素を見せてくれてるってことだし、良い事なんじゃない?」
「彼奴だって素の自分が分からないままじゃあれが素だとは分からないけれどね」
瑞希の言葉に、私はそう返す。
⋯⋯性格の本質なん自分でも分からない。皆それぞれの場面で相応の仮面を付ける。学校だったり、職場だったり、家だったり。その仮面を上手く取り替えて、外して。そうして生きていくのだ。所詮人間の内面なんて分からない。自分だろうが他人だろうが。身内だろうが。
だって、自分という揺るぎないものを持っていたら仮面なんて必要ないもの。だれしも自分の不確かな内面に自信が持てず仮面を付けるのだ。だからこそ、軽弾みにそれを〝素〟だと決めつけるのはあまり宜しくはないんじゃないかと私は思う。まぁ、私が思うだけで決して瑞希に押し付けようとは思わないが。
歩きながら、私は自分の足に意識を向ける。うん。足首も痛くないし違和感もない。これなら人形展で長時間歩いても問題ないだろう。本当に良かった。人形展の前に目立つ怪我をしないで。これも私が強くなったと言うことだろうか。だとしたら心底ホッとする。死んだら元も子もないのだから。
前では奏とまふゆが何か小さい声で喋っている。何を喋っているのか私には聞こえないのだが。
車の音や人の喧騒。電子黒板の音に選挙演説の声。これだけ人がごった返しているのは、今日が土曜日だからだろう。この熱気がいつかは呪いとなるのだろう。それを祓うのは他でもない私達呪術師。非術師を護る為に戦っているのだが、それが報われる事は一生ない。それを思うと虚しくなる為、そこまで考えて止めた。
隣の瑞希と他愛もない会話をしているうちに、気付けば人形展に辿り着いていた。其処は都内の美術館を借りているらしい。建物はそんなに大きくはないのだが、決して狭くはない。中はアンティークな人形が沢山飾られており、想像より煌びやかだ。その圧倒的な輝きに、私は思わず口を間抜けに開けたまま辺りを見渡した。
「舐めてた訳じゃないけれど⋯⋯想像以上に雰囲気あるね」
「だよねー! すっごい可愛い!」
四人の中で一番テンションが高いのは可愛いものが大好きな瑞希であった。瑞希は人形とかコスメとか洋服とかが大好きなのだ。それこそ、己に刺さった可愛いものを目の前にすると我を忘れてしまう程には。
まぁ、確かに瑞希好みらしい。特に壁際に飾られているピンクのドレスを着た球体人形は、瑞希の趣味ドストライクだろう。今の瑞希の服だってピンクを基調にしたゴスロリっぽいヒラヒラした服を着ている。目立つ目立たないかで言えば目立つほうではあるのだが、それでも瑞希に良く似合っており、何だかしっくり来ていた。それこそこの服は瑞希が着る為に作られたかのよであった。
我を忘れている瑞希は私達が居ることなんてそっちのけで先へ先へと進んでいく。私は瑞希が一人にならぬよう、後を追いかける。奏とまふゆは……二人で回るのだろう。だったら私は瑞希の手網を握っておこう。
私はゆっくりと瑞希の背中を追い掛ける。すると少し歩いた先でピタリと瑞希は立ち止まった。
「ちょっと、先へ先へ行かないでよね」
「あはは。ごめんごめん。テンションが上がっちゃって。それより見てよこの人形。すっごい綺麗!」
「美術館だから静かに──⋯⋯って、わぁ」
美術館にも拘わらず大声を出している瑞希に対してそう言うも、目の前に座っている金髪碧眼の少女へ、瞬時にして目を奪われた。
一瞬、本物の少女かと思った。けれども陶器の様に撫でやかな肌、宝石の様に輝かしい眼球。そして絹の繊維の様にサラサラな髪。それを見てあぁ、これは人形だと理解したのだ。
「綺麗だねぇ。ボク一瞬人間かと思っちゃったよ」
「うん。私も。何でこの人形、こんな生きてる様に見えるんだろう。血色感?」
「うーん。目にもなんか工夫してるっぽいんだよね。光が入った時のキラキラ具合が⋯⋯」
「うーん」と、二人で首を捻りながら考える。この瞳は⋯⋯スイスプルードパーズだろうか。この反射からして本物の宝石を使っているのだろう。
小さいからだと言って宝石は宝石。宝石を使う余裕があったのか、それとも作品を作る為に妥協はしなかったのか。恐らく、後者だろう。この人の作品は何がなんでもこの人形を作ると言う情熱が感じられた。この人の作品だけではない。此処に展示されている作品全て作者の全てを注ぎ込んだのだろう。
今迄色々言っていたのだが、刺激的な感覚を受け何だかんだ来て良かったなと心のどこかで思うのだった。
ふと、視界の端に似た様な人形が展示されている。見ると同じ作者らしく、今度は金髪碧眼の男の子だった。まるで中世的な服を着ており、現実に居たら慄く程の美少年なのだろう。五条先生とどちらが美形なのかと頭の中で比較して、止めた。私の頭の中には悪戯っぽく変顔をしている五条先生が浮かんだ。その顔がなんだか腹が立ち人知れず舌打ちをした。私は別に五条先生の事が嫌いな訳では無い。一年の時にお世話になったし、五条先生なりに生徒と向き合おうとする姿は尊敬に値する。けれどもそれを持ってしても有り余る性格の悪さをしているのだ。
……あれはどうにかならないのか。折角最強なのに勿体ない。
二つの人形は別々に展示されているが、なんだか寄り添っているようにも見える。どころか双子のように対になっているみたいだ。もしかしたら本来は二つで一つなのかもしれない。だったら何故別々に展示されているのか。
運営のミス? だったら作者が指摘する筈だ。だったら敢えて離しているのか。
この作品を切り離す事に意味があるのか? それじゃあまるで──。
──いつか会いに行くから!
「──な。──えな。絵名! どうしたの? ぼうっとして」
「へ? いや、何でも……」
今何か思いだせそうな感じがしたのだが、もう忘れてしまった。折角記憶に近付けそうだったのに、損なことをしてしまったな。
そろそろ二人と合流しようと思い、辺りを見渡す。けれども視界に映る範囲に二人は居らず、ただ他の客が人形を見ているだけであった。
「……二人は?」
「え? 本当だ、居ない。どこに行ったんだろう」
シャンデリアの明かりで照らされている中、私と瑞希は二人を探す。広くは無いが入り組んでおり、探すのは一苦労かと思われた。けれども以外に二人を見つけるのは簡単であった。場所は御手洗に続く細い道。私達はそれを見て驚愕する。
なんとまふゆが胸を抑えてしゃがみこんでいるのだ。
まさか、呪霊の仕業か? そう考えついたら居ても立ってもいられず、すぐにまふゆの方へ走って行った。
「まふゆ、大丈夫? 私が分かる?」
「……え、な?」
見ると顔色が悪く変な汗も出ていた。
「はぁ……はぁ……人形……が……」
「人形?」
まふゆは震える手で人形を指差す。其処には糸で吊るされたマリオネットが展示されている。
「……気持ち悪い」
そう言うまふゆの顔は真っ青であり、息も絶え絶えだ。
……呪力の気配がないから呪霊の術式ではない。シンプルにまふゆが体調を崩しただけ? それにしてはまふゆの様子は異常に見えた。
それから私達は休憩所に向かい、まふゆを介抱した。その間まふゆの様子は変わらず、休憩所についた時も足元が覚束なかったのだった。