呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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第八話 呪い

 走って扉を開けて、また走って扉を開ける。そんな事を続けているうちに、自分が何処に居るのかすら解らなくなってしまっていた。

 

 いや、何処でもない。此処は何処でもないし、何処にもない。此れが現実世界だとするのならこんな無限にも似た内部の説明がつかない。どれだけ進んでも、扉を開けても行き止まりに行き着かない。

 

 襖を開けて、扉を開けて。同じ行動を何回も何回も何回も何回も。正直言って気が滅入りそうだった。

 

「も、もう駄目……」

 

 膝から音を立てて崩れ落ちる。膝の痛さすらも気にならない程、私は疲れた果てていた。元来運動を全くしていない私が此処まで走れたのは、何かの奇跡なのかもしれない。出口処か行き止まりすらない此の空間は、最早旅館では無い。出口の無い、永遠に続く迷路だ。

 

 あれから球体には遭っていない。彼奴を見つけて叩けばどうにかなると思っていたのだが、その肝心の球体に遭遇する事はなかった。運がないだけなのか、彼奴が敢えて隠れているのか。

 

 深呼吸をして、心を落ち着かせる。こう言うのは焦っていてもしょうがない。一旦落ち着いて初めから考えよう。

 

 三十年前、白田間旅館は廃業した。原因は従業員や旅行客の失踪。二十人以上の人間が行方不明となり、経営困難になった此の旅館のオーナーは夜逃げ同然に店を畳んで姿を消した。

 

 では、その行方不明者達は一体何処に?

 

 考えるまでもない。あの球体に飲み込まれたのだ。あの禍々しくて気持ち悪い、この世の全ての恐怖を凝縮させたような歪みの無い球体に。

 

 今の私の様に。

 

 窓を叩き割れれば良いのだが、けれども私が移動しているのは部屋から部屋にであった。廊下ではない。部屋の横にまた部屋があり、そのまた横に部屋がある。それは厨房であったり寝室であったり、はたまた事務室でもあったり。何か法則性を見出だせれば良かったのだが、生憎と私の頭は出来が良くない。弟の様に器用であったならばこんな脱出ゲームにも似た場所なんて直ぐに抜け出せるのだろうが。まぁ、言うて彰人も赤点常習だが。

 

 再度辺りを見渡す。私が居るのは和室の部屋だった。掛け軸や生けている花はまるで最近まで管理されていたかの様に真新しい。畳も荒れ一つなく、机の上も埃一つ無い。この様子からこの空間はあの旅館ではない事が分かる。

 

 ……いや、白田間旅館ではあるのだろう。尤も、それは三十年前の話だが。

 

 恐らく此の旅館は、三十年前と同じだろう。三十年前から何も変わっていない。時間が、進んでいないのだ。ずっと変わらず、綺麗のまま。

 

 恐らく、部屋はループしているのだろう。この部屋だって、何回か通った事があり、身に覚えがありすぎる。何かしら法則性があるのだろうが、とてもではないが私の貧相な頭ではそれすら打開する策が思い浮かばない。こう言う時に伊地知さんが居てくれたら頼もしいのだが、それも期待出来はしないだろう。

 

 と言うか、やっぱり無理ではないか? 私一人で呪霊を祓うのは。いくら昔から呪霊が見えていたからといっても、たったそれだけだ。それ以外は何もない。それを解っているのか、伊地知さんは入る前、呪霊の等級を大まかに説明してくれた。

 

「呪術界では、力に応じて下から四級、三級、二級、一級、そして特級と分けられています。そしてその呪霊の等級により、その同等の術師が任務に当たります。簡単に説明すると、通常兵器が呪霊に有効と仮定した場合ですが、四級は木製バットで余裕三級は拳銃があればまぁ安心。二級は散弾銃でギリギリ、一級は戦車でも心細い。そして特級はその中でも異質であり、クラスター弾でも絨毯爆撃で同レベルとなっております」

「……はぁ」

 

 前半は私も何とか理解しようと身を乗り出さんとばかりに聞いていたのだが、然しそれでも後半は何を言っているのか解らず何が何だが解らなかった。唯一理解出来たのは数字が小さくなれば反比例して強さが上がっていくと言う事だけだった。

 

 特にクラスター弾とか絨毯爆撃なんて聞いたこともない。授業ですら習った事が無いのに。

 

「特に特級は世界でたった三人しか存在しません」

「え。それってどれくらい凄いの?」

「単独で国家転覆可能な程には」

「ヤバイじゃん! 怖い怖い! じゃあ何? 私らが今生きてんのって、その人たちの気紛れってこと!?」

「そうなります」

 

 そうなりますじゃないわよ──と怒鳴らなかった私を、誰か褒めてほしい。単独での国家転覆が出来るって……しかもそんな人間がこの世に三人もいるだなんて。安全大国日本は何処に行った。こんなんじゃ夜も眠れやしない。

 

「ん? じゃあ呪霊にも特級ってあるのよね」

「はい。当然ながら」

「じゃあなんで今迄世間に知られなかったの? そんなのが跋扈してたら何処かしらで話題になってそうだけど」

 

 私が今迄見てきたのは立ち尽くしているか人間にへばり付いているかのどちらかで、そんな攻撃的な呪霊は見た事がない。仮に居たとしても他に霊感がある人間が見たら問題になっていたのではないか?

 

 私が首を捻っていると、伊地知さんは表情を無くす。まるで感情が抜け落ちた様に。然しその中に、微かな真剣さが見て取れた。

 

 ドキリと、心臓が跳ね上がる。

 

 然し口を開いたのは、伊地知さんではなく、今の今迄退屈そうに煙管を咥えていた祖父だった

 

「特級は厄介だが数はそう多くない。それに見つけ次第対処しているからなぁ。尤も、それも多くの犠牲有ってこそだが」

 

 そう言って、祖父は煙管を口から離し息を吐く。白い息がまるで狼煙の様に空へゆらゆらと上がっていった。

 

 特級。きっと私が考え得る以上の強さなのだろう。比べるのも烏滸がましいが、私程度では手も足も出ないどころか、腕を動かした瞬間、殺されるかもしれない。

 

「じゃあ、私も等級が与えられているんですか?」

「……いえ、まだ絵名様はどの等級も振り分けられておりません」

「あぁ、昨日来たばかりだもんね。そりゃそっか」

 

 私の言葉に、伊地知さんは言葉の代わりに笑みを返した。

 

「じゃあ、今回の呪霊の等級はどれですか? やっぱり初めてだから四級とか?」

「………………」

 

 回想終了。

 

 あの後結局等級は教えて貰えず、伊地知さんは終始下手くそな笑みを浮かべていた。その時は笑みの真意に気付いていなかったが、今なら漸く分かる。詳しく解らないが、現状だけなら分かる。

 

 あれは低く見積もっても、四級などではない。呪術師のレベルが高いと言う可能性も棄てきれないが、それでも、少なくともあの球体は決して木製バットで片付けられはしない。そんな問題を優に越えている。二十人以上を飲み込んだ呪霊が木製バット一つで片付けられて良い筈が無い。そんなこと、あってたまるか。

 

「でも本当に綺麗な部屋ね。人気だったのも頷けるわ」

 

 調べによると、白田間旅館は日本でも有名な旅館だったらしい。当時のままだとすると、普段から余程綺麗にされていたのだろう。だからこそ、白田間旅館の廃業は世界を轟かせた。今の今迄語り継がれる程に。

 

 ふと、カレンダーを見る。柱に掛けてあるカレンダー。旅館が製作しているのだ物だろうか。月日と共に滝の写真が添付されていた。恐らく旅行者向けのお土産目的なのだろう。

 

「えぇっと、何々? 1988年5月8日……本当に古いわね、昭和じゃない」

 

 年を見て、驚愕する。そうか、三十年前と言えばよくよく考えてみれば私はまだ産まれていないどころか、両親もまだ子供の時代だろう。

 

 そんな時代に、球体が現れたのだ。

 

 ……何故、球体が現れたのだろう。確か伊地知さんが言うには、呪霊は本来負の感情が流れ出て、それが具現化された存在……だった筈。

 

 だったら、どんな負の感情なのだろう。何が流れて、あの球体が現れたのだろう。

 

 怨恨? 嫉妬? 怒り? 悲しみ?

 

 色んな感情を思い浮かべて、けれど何れも違うと棄てていく。何だろうか、一体何が足りない。私は一体何を見落としている?

 

「──駄目だ、考えすぎて頭痛くなっていた」

 

 悲鳴を上げる頭を抱えながら、元々ある座椅子に腰かける。質感も其のままの様で、心地の良い感覚で座ることが出来た。流石高級旅館とでも言おうか。

 

 あれからどれくらい経ったのだろう。もう軽く一時間は越えているかもしれない。もう走り過ぎて足も痛くなってきた。

 

 寂しい。誰か一緒に居て欲しい。孤独で仕方がない。

 

 彼等は──二十年前行方不明となっていた人達はこんな気持ちだったのだろう。孤独で、寂しくて、どうしようもなくて。お腹が空いても怪我をしてもずっとこんな訳の分からない場所に閉じ込められて。

 

 正気で居られる筈が無い。

 

 少ししか此処に居な私ですら気が触れそうなのに。

 

 蹲り膝を抱えていると、喉に違和感が走る。其のまま大きく咳き込んだ。これでもかと言う程大きな咳だった。思わず顔顰め、喉の痛さに嗚咽が漏れた。

 

 ──違和感。

 

 咳をする度、胃から何かが迫り上がってくる感覚。最初は胃液かと思ったが、然しそれにしてはどうも鉄の味がする。

 

「……え?」

 

 手に付いていた、真っ赤な液體。思考が停止し、それが血たど気付くには少しの時間を要した。

 

 それを皮切りに、次から次へと大きな咳が私の痛む喉からまるで逃げる様に出て来る。私の身体を拒否している様に。

 

 どう言う事だ? 身体が、衰弱している?

 

 段々と身体の力が抜けて、畳の上に音を立てて倒れ込む。視界が歪み、咳と血が絶えず繰り返し口から出ていく。畳には赤い花が咲き誇った。息とすら呼べないほどの空気を、狭くなった喉から無理矢理出す。ヒュッヒュッと、喉から音がなり、その度に鉄の味をした液體を外に吐き出した。

 

 そう言えば、彼等は何処に行ったのだろうか。この空間が三十年前で止まっているのなら、外と時間経過が狂っているのなら、存在していないと可笑しい。

 

 そうか。そう言うことか。

 

「……クソ!!」

 

 そう叫びながら床を強く叩く。こうしている間にも、私の生命はずっと吸い取られている。叩いた拳ですら、折れたように痛い。

 

 此処はきっと、彼奴の腹の中だ。この全てが球体の内蔵で、きっとこの症状が消化活動なのだろう。そうしてこの肉体の生命活動が終了して、初めて肉体を取り込む。

 

 法則性なんて、初めから無い。有ったのは残酷な事実と、どうしようもない現実。こんな悪夢の様な、物語の様な環境で言っても喜劇にもなりはしないが。

 

 これが解ったからと言って、私にどうすることも出来ない。此処から出る手段も、持ち合わせては居ない。あの球体を見た時から、死は確定していた。それを認識した。それが私の敗因であり死因だ。

 

 あの二人は、何処まで知っていたのだろう。知っていても、知らなくても納得が出来る。然しそれを理解した上であの二人を許せる程、私はそんなに大人ではなかった。

 

 正直に言えば、言って欲しかった。一緒に来て欲しかった。助けて欲しかった。けれどもそれを言ったところで、もう誰にも届きはしないのだが。

 

 あぁ、此処で死ぬのか。大体、今迄呪術どころか運動も碌にしてこなかった分際で、呪霊を祓おうだなんて夢のまた夢、御伽噺にもならない只の戯言だ。自分が、物語の主人公にでもなったつもりか。

 

 目を閉じる。もう、終わりにしよう。例え受験に合格して家に戻ったとて、どうせ私の居場所なんて無いのだから。

 

『あなた、名前何て言うの?』

 

 ──誰だ?

 

ノイズが走る。誰かが、此方を見ている。これは、何だ?

 

 幼い男の子。手には何故かスケッチブックを持って此方に笑いかけている。知らない筈なのに、その笑みを見て、目頭が熱くなる。

 

 誰だ。思い出せない。

 

 思い出せないで良い筈──なのに。

 

 思い出したところでどうしようもない私の妄想──な筈、なのに。

 

 どうでも良いのに。

 

 どうして、こうも胸が苦しいの。暖かい筈なのに、どうしてか胸が締め付けられる。

 

 罪悪感、絶望、寂しい。会いたい。そんな感情が一気に襲ってくる。けれどその少年は、依然として私に笑みを向ける。然し口を開くことはなかった。

 

 御免なさい。御免なさい。

 

 知らない、こんなの。解らない。どうして私がこんな感情になるのか。

 

 けれど、それはいつかの夢と似ていた。

 

 誰だっけ。優しくて、暖かくて、菫色の綺麗な瞳をした──。

 

『約束』

 

 内から、沸々と何かが沸き上がる。熱く、身体が火照り、手に力が籠った。

 

 そうだ。まだ死ぬ訳にはいかない。家に居場所があろうが無かろうが関係ない。

 あぁ、腹が立つ。呪霊にも、有無も言わさずこの世界に私を投げ入れた両親にも、呪霊の事を何も言わなかった二人にも、何も思い出せない私自身にも。そして呪霊を生み出している全ての人間にも。

 

 我ながら、理不尽である。然しそんなことを考えている余裕なんて私には全く無かった。

 

 これは明確な〝怒り〟だ。殺意と言っても遜色はないのかもしれない。全てに向けているこの感情は、いつしか球体に全て向けられていた。

 

 只の丸い物体の癖に、何私を飲み込んでんのよ。気色の悪い。

 

 そうして私は怒りのまま──呪いを放った。

 

 私の邪魔する奴は。全員死ね。

 

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