そう言うしかなかった。私には否定する意見をも奪われていたのだ。
「落ち着いた?」
「……うん。ごめん、迷惑掛けて」
「別に良いよ。体調不良はしょうがないし」
力無く項垂れているまふゆの額に手を遣る。熱は……無いみたいだ。日頃の疲れが貯まっていたのだろうか。けれどもそれだとしたらこの突発的な変化はどう結論付ければ良い。
脳裏にあのマリオネットが過る。まふゆはあのマリオネットを指差して「気持ち悪い」と言っていた。原因があるとすればあの人形だろうか。
気持ち悪い……か。何故まふゆはあの人形を見て気持ち悪いと言ったのだろう。一件ただの人形なのだが、まふゆにはそれが違う物に映ったとか? 世間には人形恐怖症なるものが存在する。まさかまふゆもそれに当たるのだろうか。
いや、それはない。だとしたら最初から人形展になんて来ないし、抑も他の人形に対しても拒絶反応を起こす筈である。それがないのだとしたら、矢張りあのマリオネット単体に原因があるのか。
横目でまふゆを見る。落ち着いたと言っているが、それでも依然と顔色が悪い。この調子だとまふゆに原因を聞くと言う事も出来そうにない。思い出して悪化でもしたら大変だ。記憶を辿る事が本人にとって毒になる事もある。それは私が良く知っていた。
さて、これからどうしたものか。まふゆの具合が悪い以上、此の儘観覧を続ける訳にはいかない。けれどまふゆを一人帰らせるのも不安が残る。
「まふゆ。まふゆはあの人形に何か感じたの?」
「奏!?」
ついさっき余り深堀をするのは良くないと自重した所だ。けれどもそんな私の杞憂を悠々と飛び越えたのは今日まふゆを一番近くで見ていた奏であった。
……大丈夫だろうか、そんな質問されて。
「どうしてあの人形を、『気持ち悪い』って思ったの?」
「それは……分からない。ただ、気持ち悪くて……」
私の想像通り、思い出して語っているまふゆの顔は段々と険しく、けれども弱々しくなっていった。
そんな奏とまふゆの間に入ったのは先程からまふゆに対して一番の介抱をしていた瑞希であった。
「ねぇ奏。よくわかんないけど、まふゆ体調悪そうだし、その話はまた今度にしようよ」
けれども奏はまだ不安そうな、何かを必死で渇望している様な顔をした。きっと奏も焦っているのだろう。まふゆを救う手掛かりが今眼の前に転がっているのに、それを掴めないもどかしさ。奏の表情からそう読み取れた。
そんな様子を見て私は居ても立っても居られず、奏が座っている右隣に座った。
「奏、焦る気持ちは良く分かる。けど、今焦って答えを出しても、それは本当の答えじゃないと思う。確かにまふゆの心を動かしたのがなんなのか、もしかしたらこの中にあるかもしれない。けど、そう言うのは案外すぐには見つからないものだよ。ゆっくり、まふゆの事を知っていけばいい。それに心を動かしたものだったら、まふゆだって感覚を憶えている筈。だから、今はまふゆに問い詰めるより、まふゆを休憩させてあげる方が得策だと、私は思うな」
「……わかった。ごめん」
…………うーん。あんまり響いてなさそう。まぁ、この先は奏とまふゆの問題だ。私がしゃしゃり出るものでもないだろう。
取り敢えずこのまま解散と言うことで、各々家路に着くことになった。瑞希がまふゆを駅まで送ろうと申し出たのだが、まふゆは一人で帰れるからと、断っていた。きっと、一人で考えたい事でもあったのだろう。私だってまふゆを家まで送り届けたいのは山々だが、これから会食の予定が入っている以上、好き勝手動けないのだ。
私は三人を見送った後、外のベンチに腰掛け伊地知さんの迎えを待つ。先程まで晴天だったのに、空には灰色の雲が覆われていた。空気的にもうすぐ雨が降るのだろう。じめじめした空気を感じながら、私は手鏡で己の髪を直す。
もうすぐ会食だ。身支度を綺麗にしておかなければ祖父に何てどやされるか分かったものではない。私は落ちていく気分を何とかしようと奏の曲をイヤホンで流したのだった。
♢
「いやぁ、八郎様とそのご令孫と会食が出来るなんて夢みたいです。ささ、呑んで下さい」
「はっはは。お主も口が上手いのう」
にこにこにこにこ。私は上手くもない笑顔を張り付けてその場を遣り過ごす。目に見えたお世辞と胡麻擂りに反吐が出そうだ。けれどもそんな事を顔にも態度にも出せる訳もなく、私は引き攣った笑顔を顔面に張り付けている。
髙梨楼玫と彼は名乗った。その名は私でも聞いたことがあり、確か宮城の県知事をやっている筈だ。つい先日もニュースで見かけた。そんな政治家が私達に頭を垂れている。テレビの中での威厳はどうしたと問い質したくなるが、まぁ、私からしたらこんな光景は見慣れたものであった。
政治家だけではない。日本の上級セレブ、財閥ですらも私達東雲家に媚び諂うのだ。その光景を幾度も目の当たりにし、幾度も反吐が出そうになる。
「絵名様もその年で一級術師だとか。天才と言う言葉は貴女の為にあるようなものです」
「はは、どうも……」
どうせ思っていない癖に。そう思い、注がれたシャンメリーを口に含んで飲み込む。見るからに高いそれはきっと美味しいのだろうが今の状況では味を感じる暇もない。
都内の高級料亭。私達は其処の個室を予約して食事をしていた。呪術師を始めるまで高級料亭なんて縁も縁もない私であったが、それでも聞いた事がある三ツ星の料亭だ。まさかそんな所に来るだなんて、過去の私は信じないだろう。尤も、それは望んだ形では無いのだが。
……早く返りたい。折角任務がないと思った矢先のこれである。こんな会食は今に始まった事ではないが、それでも何時まで経っても慣れないのである。
いくら高くても、上質な食材を使っていようが金次と綺羅々と食べた唐揚げの方が美味しい。B級だが何だか分からないお肉を食べながらあの食事が恋しく感じた。まぁ、そう思っても表では美味しいと言う表情をしなければいけないのだが。まったく。笑顔を作り過ぎて筋繊維が千切れそうだ。
「さて、今回はどんな用件でこの会を開いたのだ。まさかこの儂を呼び出しておいて何も無いとは言わせんぞ」
「言わずもがな。会食どころかこの様に顔を合わせる事すらいくら金を積んでも叶わないと言われる貴方方をお呼びさせて頂いたのは他でもありません。受けて欲しい依頼が御座いまして」
髙梨知事の言葉に、作業的に動かしていた手を止める。
依頼? 態々東雲家に?
「実は仙台市内の高等学校に呪霊の様な存在を観測いたしまして。それを是非とも祓って欲しいのです」
「ほう。呪霊か。して、何故儂らなのだ? 地方の呪術師でもよかろう」
祖父の言う通りだ。高専の呪術師でなくても地方で活躍している呪術師も充分な強さを持っている。態々私達が赴かなくともその場で完結出来そうではあるが。
然し私の想像とは裏腹に髙梨知事は肩を竦める。
「意地悪は止してください、八郎様。貴方様も分かっておいででしょう。〝アレ〟は最早地方の呪術師のみならず一級呪術師ですらも手出しが出来ぬモノとなっています。それこそ、
「………………」
その言葉に、祖父は何も言わなかった。髙梨知事の言う通り、祖父はその呪霊の事を知っているようであった。
何だ。知っていたのか。だとしたら何故私にそれを言わなかった。最初から説明してくれればこんな風に無駄な遣り取りをせず本題に入れたのに。まったく、無駄な時間を過ごしてしまった。
「それをうちの絵名に祓えと?」
「話が早くて助かります。最早あれは我々では手出しが出来ぬのです。そこで是非とも貴方様方のお力添えを所望したく存じ上げます。金はいくらでも積みましょう」
「ふん。金で儂らを動かそうなぞ愚の骨頂じゃな。我々東雲家にとって金は最早鉄屑、紙屑同然の物じゃ」
……まぁ、東雲家の総資産を考えればそう言われても頷ける。今更何処かから莫大な資金を貰ってもそれは東雲家総資産の十分の一にも満たないだろう。それだけ東雲家の財力は有り余っていた。
「然し……うむ。良いぞ。その依頼を受けようではないか。勿論報酬は貰うが」
「は。感謝いたします」
祖父の言葉に、髙梨知事は深く頭を下げる。政治家ですらも頭を下げさせるなんて、本当に家は地位が高いのだなと改めて感じた。まぁそれで調子に乗ったりは絶対に出来ないのだが。
……ん? なんか聞き流してはいけないものを聞き流してしまったような気がする。祓う? 私が?
「と言う事で頼んだぞ、絵名」
「………………はい」
疑問に思ったがそんな事は言える筈もなく、私は押し付けられたものを受け入れるしかなかったのだ。勿論言いたい事は山の様にあるのだが、それでも言ったところで無駄だということはこの二年で良く理解出来ていた。それに期限を損ねた祖父を宥めるのは相当骨が折れるのだ。まるで赤子の様だとも思ったのだがまだ赤子の方が良し悪しの理解が出来るだろう。
私は溜息をつきながら再度箸を口に運ぶ。綺羅々と金次と二人で食べたご飯の方が美味しいのは事実なのだが、それでも此処は高級和風料亭。味は確かである。けれどそんな事も霞んでしまうくらいに私の心は今荒れていた。
仕方がないと言えば仕方がない。東雲家に依頼するとなれば必然的に私が現地に赴くしかないだろう。祖父は呪術師でも老耄。そんな老人に戦場へ向かわせるのは酷などと言う話どころではない。最早老人虐待だろう。尤も私自身もそれ以上の扱いを受けているのだが。
問題は何故私に許可を取る間もなく祖父が私の事を決めているのかと言うことだった。普通は私に聞いてから依頼主に受けるか伝えるのではないだろうか。何故祖父はまるで自分が受けるかの様に頷いているのか。それが私には理解が出来なかった。
……なんて、今更言ったところで意味がない事を私は知っている。この男には常識が通用しない。例え此方が止めてと静止したとてそれを聞く訳がないのだ。だから恐らく、私は明日にでも宮城へ赴かねばならないのだろう。
東京から宮城か……。片道二時間くらいだろうか。ニーゴのイラストも描かなければいけないのに。まぁ呪術師は万年人手不足というのもあるのだろうが、それでも絶え間なく任務が続き過ぎではないだろうか。いくらニーゴの皆なに多忙と言うことを伝えていてもじゃあその多忙の理由は何なのかと突っ込まれたら何も言えない。呪霊を祓う為に古今東西に走り回ってますだなんて言ったとしても信じてくれないだろう。今は三人の気遣いで何も聞かないでいてくれているが、いつかは聞かれる日が来るのだろうか。
まぁ、当然の権利だ。任務の──いや、私の都合で遅らせて貰った楽曲も幾つもあるのだ。その待ってくれている人間に何も説明しないというのはあまりに不誠実だとも自分で思う。
本当に私は彼女達に迷惑をかけてばかりだ。
「さて、絵名よ。明日にでも宮城へ行ってくれるか?」
「……分かりましたよ」
どうせ拒否権なんて無いだろうと心の中で悪態をつく。今迄だって私が彼に逆らえたことなんてあっただろうか。
……分からない。私の性格上歯向かった事はあるかもしれないが最近の記憶ではまったくない。それだけ自己保身が強いと言うことだろうか。
自覚した途端に自己嫌悪が脳を支配する。優しく有ろうと自分なりに努力をしていたつもりなのだが、どうにも上手くいかない。他人の為に動こうとしても私の中にある保身が足を止める。出来るだけそれを見ないふりをしているのだが、ふとした時に自覚して死にたくなる。
そんな私の様子を気にも止めない感じに、二人はどんどん話を進めていた。結局会食が終わったのは日が跨いで、丁度夜中の二時になったところであった。此処は予約をすれば何時間でも開けてくれているらしく、日を跨いでも帰れと催促をされなかった。ずっと座って居たからか立ち上がった時に足に血が巡るのを感じた。
「あ、そうだ」
思い立ち、私は従業員の所に駆け寄る。遅い時間だからか客はあまり居らず、従業員も少しだけ暇にしていた。
「すいません、お土産を頼みたいんですが……」
「承知しました。すぐに御用意致します」
意外にも従業員は快く快諾してくれ、私は先に車の方に戻って待っていた。その間祖父と二人っきりであり、非常に気不味い思いをしたのだった。