隣に居てくれる事が、こんなにも────。
話し合いを重ねた末、乙骨憂太は五条先生のクラスで面倒を見ることになった。本来なら私と同じ学年の年齢なのだが、呪術のいろはも分からない彼が急に二年に編入したところで付いていけないのが目に見えている。自身に掛かっている呪いを解くにあたり最初から呪術と言うものを学んだ方が本人の為になると結論付けたのだった。
まぁ、結果としては秘匿死刑の保留なのだが。それでも上々だろう。何かの間違いで人一人が死んでいたかもしれないと考えれば良い結果には変わりあるまい。
「ごめん、五条先生。色々と迷惑をかけてしまって」
「へ? ああ構わないよ」
ミルクティーを飲みながら、五条先生は本当に気にしていないかのようにそう言った。本人は本当に気にしていないのだろうが、それでも私の心には罪悪感と言うものがこびりついていたのだ。
本来なら私が言わなければいけない事なのに、私は自分が与えられた責務を果たせず五条先生に全て任せてしまう結果になってしまった。
まだまだ未熟である。私はまだ大人に頼らなければいけない程に頼りなく、そして弱いのだ。情けなくて思わず涙が出そうになる。どうして私はこうも弱いのだ。精神的にも、そして肉体的でも。いくら一級に昇格出来たからと言って人に頼ったままでは何の意味もない。私は、強くなければいけないのに。
零れそうな涙をグッと堪える。涙を流すなんて言語道断。私はその意気のまま、五条先生に向き直る。
「本当に有難う、五条先生。五条先生のお陰で乙骨くんの秘匿死刑を保留に出来た。お礼を言わせて」
「…………まぁ僕にかかればチョチョイのちょいだよ。そんな事で感謝を伝えるなんて絵名も変わっているね」
「そんな事でもないでしょ。五条先生が彼処で代替案を提示してくれなきゃ乙骨くんも死んでたし。五条先生の功績は称賛されて然るべきものだよ。じゃなきゃ私が嫌だ」
腕を胸前で組みながら私は五条先生に対してそう力強く言った。当然である。功績への賞賛はその恩恵を受ける私達は五条先生に最大級の感謝をしなければならない。特に私なんかは五条先生に数え切れない程の恩がある。本当に、数えだしたらきりが無い程には。
まぁ、実際には何をしてもらったかは覚えていないのだが、それでも何かしてもらったらと言う感覚だけが依然、私の心の中にこびりついている。それが本当に良い事なのか悪い事なのか今の私には分からないが、それでも恩を全て忘れ去るより遥かにマシだろう。
「……何から何迄、頼りっぱなしだね」
「なぁに。心配要らないさ。絵名もいずれは僕みたく完璧超人スーパーティーチャーになれるはず……だよ」
そう言いながら五条先生は口角を高々に釣り上げていた。どうしてだろう。目元は包帯で見えない筈なのに五条先生のドヤ顔が見て取れた。どうしよう。不覚にも五条先生への感謝を後悔した自分が居る。確かにドヤ顔して良い功績を挙げている筈なのに。
「ま。任せなさいな。僕の元へ預けてくれれば必ずや乙骨憂太に掛かっている呪いを取り祓って見せますよ
「…………それ、気分良くないから止めて」
五条先生の言葉に怒りや不快やらが沸沸と湧いて出て思わず顔を顰めながらそう言った。
……様付けで呼ばれるのはなんだか気分が良くない。まるで実家を思い出してしまうから。
思い出す記憶もとうに無いと言うのに、その感覚だけが呪いのように私の心へ巻き付いて離れない。だったら振り払ってそんな心に巻き付いている蔦をちょん切れば良いのにとは思うのだがどうもそれが厄介で身動き一つ取れないのだ。
まるで呪い──いや、罰だ。
これは記憶を無くしてしまった私への罰だとも言うのだろうか。なんて、そんな事ある訳ないのに考えてしまう私は、きっともう手遅れなのだろうか。
溜息をつき、私は五条先生とは逆方向へ足を向けた。「どっか行くのー?」と私の背中へ疑問をぶつける五条先生に対して私はただ片腕を挙げて手を振るだけにした。伝わるだろう。あまり突っ込んで来ないでと言う意思表示が。
窓の外を見る。時刻はもうすっかり夜であり窓の向こうは暗闇が広がっていた。その窓に反射している私の顔は、矢張り疲れ切ったかのような窶れた顔をしていた。
「………………酷い顔」
誰に聞こえるでもなく、私にしか聞こえない声量で、ポツリと呟いた。その声は静かな廊下に響き渡り、軈て吸い込まれるようにして消えていった。
♢
五条先生と別れてやってきたのはセカイだった。何から用があった訳では無いが、なんだか胸部分の凝りが取れず、少しばかりセカイを借りてゆっくりしようと思ったのだ。
……なんだか他人の居場所を勝手に占領しているみたいで気が引けるのだが。
「それにしても、やっぱり此処は何も無い所ね。今度私のキャンバスでも置いてやろうかな」
「良いんじゃない」
「……………………」
最早驚きもない。そうだ。此処はまふゆのセカイであると同時にミクのセカイでもある訳で。だったら私の後ろに音も無くミクが立っているのも自然だと言えよう。逆に言えば私の方が不法侵入で捕まる恐れがあるのだ。まぁこんな非科学的な場所を警察が信じてくれるとは限らないのだが。
……呪術師辺りは信じそうだ。
「ごめんミク。勝手にセカイに入っちゃってこれ、お詫びのクッキー。良かったら食べて」
「クッキー?」と首を傾げて私から渡された袋を手にするミク。初めてクッキーを見たのだろうか。いや、そんな筈はない。だとしたらあまりにも無知すぎる。
私の心配は無用だったようでミクは少しだけ口角を上げて「ありがとう」と優しく笑った。
「ごめんミク。暫く此処を貸してくれない? そんなに長くは居ないつもりだけど」
「良いよ。絵名の気が済むまで居て」
「ありがとう。迷惑をかけちゃうね」
「迷惑じゃないよ。それで、何があったの?」
そう言ってミクは聞く姿勢に入る。その姿を見て、私は少し思い悩む。
これはあまり喋ってはまずい悩みである。現実世界の人間では無い為口外する心配は無いのだが、そんな話ではない。
悩みを相談出来る程、私はまだミクに対して心を開けていないのだ。
私の悩みはおいそれと他人に喋っては行けない。それこそ一番距離の近い金次や綺羅々にも相談するなんてことはない。巻き込みたくないと思いつつ、実はもしかしたら東雲家なのに誰かに悩みを相談する奴と思われたくない……のかもしれないが。
それにミクはまふゆの為に存在している。私なんかがミクに頼ってはいけないような気がするのだ。
「……何でもない。ただ少しだけ考えたい事かあって。邪魔にならない用に端の方で座っとくから」
そう言いながら私はミクの頭に手をポンッと置きながら移動をする。ミクは何か言いたげな顔をしていたが敢えて私はそれを無視して背を向けた。ミクもまた、そんな私に対して何を言うでもなく後ろを着いて行き、そして私が座った右隣へと腰を掛ける。
……なんだ?
「……ミク、どうしたの?」
「どうもしないよ。ただ、隣に居るだけ。まふゆが辛そうな時そうしてた」
そう言ってミクは私の肩に頭を乗っける。
……こうやって、ミクはまふゆの心を繋ぎ止めていたのか。
悩みを聞くだけじゃない。ただ黙って寄り添う。隣に居るよと語り掛ける。独りじゃないと肩を抱く。それだけで相手は充分な時もあるのだ。現に今の私はミクが横に居るだけでさっきまで荒んでいた心が澄み渡る様な気がしてきた。
気がするだけかもしれないが、それでも何も感じないよりかはマシだろう。
然し……良いのだろうか。まふゆの為の存在を、まるで我が物顔で使ってしまっているこの状況は誰がどう見ても横取りした風に移ってしまうだろう。
況してや他の三人よりこのセカイに来ていない私が、その恩恵を受けるなんて言語道断。甘ったれも良い所である。そう考えると今こうしてミクに寄り添って貰っている自分があまりにも恥ずかしい存在の様に思えて仕方が無かった。けれど肩を貸してしまったが為に此処から身動きが取れない結果となってしまった。
観念したように私は背にある壁へと体重を預ける。無理矢理に起きてミクを怪我させるのは私の望むものではないし、それがまふゆに知れたらどんな目に合うか分かったものではない。
「……ねぇ、絵名」
「なぁに? ミク」
ポツリと呟くミクに、私は短くそう返す。
「辛かったら、いつでも来て良いからね」
まるで私の心を見透かした様な言葉であった。その言葉があまりにも暖かくて、優しくて。今にも声を上げて泣き出してしまいそうになった。
けれど、涙は出なかった。目頭が熱くなるだけでそこから暖かい塩水は一向に顔を見せようとしない。それに気付いた時、先程迄の暖かさは一気に冷め、冷たい何かが私の体全体に回った。
あぁ、なんだ。とうとう私は泣くことすら出来なくなってしまったのか。あれだけまふゆに啖呵を切っていた私が馬鹿みたいではないか。
そんな私を、ミクは心配そうに見る。そんなミクに笑みを零し、また正面を向く。上手く、笑えていただろうか。笑えていただろうってそんな確信があった。
「……ミク、最近皆の様子はどう?」
無言の間を破り、そんな事を問うた。ミクは一瞬目を見開いたがすぐに考える素振りを見せ、口を開いた。
「まふゆは偶に苦しそうな顔をする時があるけれど、前みたいに消えたいって言わなくなった。奏はまふゆを救う為に曲を作ってくれてる。でもあんまり寝れてないみたい。瑞希は偶にセカイに来て一緒にあやとりをしてくれる」
「……へぇ」
意外とまふゆだけじゃなく皆んな見ているのかと、少しだけ感心した。
感心すると共に少しだけ安心した。ミクが見ていてくれるなら安心だ。このまま誰かが堕ちて行ってしまいそうになった時に繋ぎ止めてはくれないだろうか。
……なんて、それはミクに対して全てを丸投げしていると同義ではないか。この期に及んで誰かに擦り付けようだなんて、愚かにも程がある。
駄目だな、今日は。何をどう考えても悪い方にしか進まない気がする。こんなネガティブになったのはいつぶりだろうか……なんて、そんな事すらももう覚えていないのだが。
本当に悩ましい。もうこの際反転術式は諦めても良いからせめてこの記憶障害をどうにかしたい。今の所ニーゴの皆と接していてまだ支障は出ていないが、それでもいつか絶対にどこかしらでボロが出る。それ迄に治ってくれれば良いのだが。
……なんて、きっとそんな都合良くはいかないだろうけれど。
横目でミクを見る。ミクは何をするでもなくただ私の横に座っていた。
何で、ミクはこんな私にも優しくしてくれるのだろうか。ミクに、何のメリットがあると言うのだろうか。
いや、恐らくミクにはメリット、デメリットの考えは抑も持ち合わせていないのだろう。だから本気で相手の心配をするし、本気で相手の幸せを願う。なんて綺麗な心の持ち主なのだろう。
羨ましいくらいに、綺麗だ。そんな存在になれたらどれ程幸せな事だろうか。
「ねぇミク」
「……? どうしたの?」
口を開こうとして、閉じ、目を逸らした後また口を開く。
「………………何でもない」
結局私は、聞く事を止めてしまった。ミクの目から逃れるように目を逸らす。
こんな事、言える訳がない。言ったとしてもミクを怖がらせるだけだ。
……違う。こんなのは言い訳だ。私は結局自分の保身の為に口を閉ざしたのだ。そんな自分に対してこの上なく嫌悪し、消えたくなった。
ミクはそんな私を、矢張り心配そうな目で見た。
目を伏せながら、私は腰を浮かせて立ち上がった。このままでは駄目だ。今の私の精神状態ではミクに要らぬ心配をかけさせてしまう。いや、もう掛けてしまっているのだが、それでもそれ以上は流石に口説い。
「もう帰るの?」
「うん。帰ってニーゴの絵を進めなきゃ。横に居てくれてありがとう、ミク」
「ううん。それで絵名の心が晴れるのなら」と、ミクは私の言葉に首を横に振った。矢張り掛けてくれるのは優しい言葉。思わずその甘い言葉に理性を忘れて泣き付きたくなる。
けれど、それすら許されないのだ。東雲家の人間と言うのは圧倒的な力で他を平伏させ、畏怖と敬意の対象にならないといけない。そんな人間が他人に対して(ミクは人間ではなくバーチャルシンガーだと言うのはこの際置いておこう)弱みを見せるだなんてあってはならないのだ。
普段の私ならそんなものを取り払って自分本位に生きるだろう。けれども何故か最近は祖父の目が気になってしょうがない。
私が弱みを見せようとするもその度に祖父に見られているかのような気がするのだ。
そんな事はない。祖父が私の事を四六時中監視している訳がない。そんな事は分かっているのだ。けれど誰かに助けを求めようとすると手が震え、上手く息が吸えないのだ。
ミクを見る。ミクは依然として困り眉で私の方を見ていた。私は恐らく下手くそであろう笑みを浮かべながら『悔やむと書いてミライ』を停止した。