まるで祭囃子。それはなんだか楽しそうだった。
ね「お久しぶりでございます。絵名様」
「そうね。
ご丁寧に態々乗っていた車から降り、ご丁寧に頭を下げたのは、綺麗な金髪を七三に分けた通称大人オブ大人と言われている七海建人であった。
そうか、七海建人はこんな顔をしていたのか。少しは思い出せそう──な気はするが、矢張り気がするだけで全く彼との遣り取りは思い出せないでいたのだった。
日記によると私と健人(日記で私が彼の事をそう呼んでいた。どんな遣り取りをしていたが全く思い出せないが)が出会ったのが去年初夏。私がまだ高校一年生の時であったらしい。
……どうしよう。本当に覚えていない。彼がどんな人間だったか、どんな術式を使うのかも記憶の何処を探しても見つからなかった。
そんな私の心情を見透かした様に、健人は「安心してください」と抑揚の無い声でそう言った。
「絵名様の容体は家入さんから聞いております。貴方が私の事を覚えていないのはから想定済みです」
「………………」
少しだけ、拍子抜けであった。泣き叫んだり、責められたりするなんて事は無いだろうとは思っていたが、それでも少しだけ寂しそうな顔をされるのだろうとは高を括っていた。けれども目の前に居る健人はそんな素振りは一切見せず、ただ淡々とこれからの任務について補助監督と話し合っていた。
なんだ、それじゃあこっちが逆に寂しくなってしまうではないか。どうしようと心臓の音が煩かったのも、どんな人か不安がっていたのも、全て私だけであったのか。
「あーあ。怒らせちゃったのかな?」
「いや、あれはマジで何の感情もない顔ね」
コソッと、横に居た綺羅羅か耳打ちをする。
今回の任務は私と綺羅羅、そして健人の三人だ。金次は今日はお休み。きっと今日もまたパチンコスロットに行っているのだろう。良い加減彼のギャンブル狂をどうにかしたいと思うのだが、偶に私も金次に巻き込まれてパチンコを打っている時があるため何も言えないが。
然し今は任務中。そんな下らない事に労力を裂くのは私も本意ではない。
溜め息をつきたい気持ちを抑え、私は補助監督が開けてくれたドアから車内に乗り込む。健人は助手席へ。綺羅羅は後部座席の左側。そして私は右側。まぁ、私からしたら慣れた構図であった。
発進する車と共に、景色が移動する。それを見て、私は健人に聞かれない程度に溜め息をつくのであった。
♢
「──っと。これで最後だね。楽勝楽勝」
呪霊を祓い終わり、額の汗を拭いながら綺羅羅がそう言った。そんな綺羅羅を見て眼鏡を掛け直しながら「油断はいけませんね」と健人が一言。
「戦場では油断した者から死んでいくのですよ」
「分かってるよう。でも意外に早く終わったね。どっか遊びに行こうよ」
分かっているのかいないのか。綺羅羅は私に抱きつきながらそんな事を言った。
……そう言えば綺羅羅は確か男だったなと、密着した体の感覚でそう思い出した。普段女装しているから忘れがちだが、それでも生まれ持った骨格は誤魔化せない。まぁ、だからと言ってどうしようと言う事もないのだが。この呪術界ではイカれた人間が多数存在している。それを考えれば綺羅羅なんてまだマシだ。いろんな人が居る。それだけで終わる事なのだ。
まぁ、好いている相手が居る中で異性に抱きつくのは如何なものかと、思わない訳ではないが。良かった。私が良識のある人間で。これが碌でもない人間だったのなら悲惨な事になっていたに違いない。
横目で綺羅羅を見る。綺羅羅は「何処に行こうー」とスマートフォンで行き先を探している。あぁ、遊びに行く事は決定しているんですね。まぁ良いんですけど。問題はないんですけど。
私がぼうっとしていると、健人は此方へ歩いてきて顔を覗かせる。
「大丈夫ですか? 体調は」
「へ? あー……うん。大丈夫。何処も問題ないよ」
私は己の体の様子を見ながら首を縦に振った。うん。大丈夫。いつもの頭痛も、気持ち悪さも感じられない。
それにしてもそんな事まで健人に筒抜けなのか。最近のプライバシーはどうなっているのだ。個人情報もあったものではないではないか。
……いや、もしかしたら健人自ら聞いたのかもしれない。
記憶を無くしてまた改めて出会ったのだが、その数時間だけでも七海建人と言う人物を知るには充分な時間だった。
品行方正。冷静沈着。社会の推も甘いも知ってきた真っ当な大人。それこそ全人類が目指すべきであろう人間である。私も叶う事なら是非健人のような人間になりたいと願うばかりだ。
「安心しました。無理はせぬよう、お願いします」
「はいはい」
私の言葉に、健人は微かに眉間に皺を寄せる。恐らく私が本当に分かっているのか疑っているのだろう。まぁ実際に分かってはいるが無理をするなと言うのは無理な話だ。
私を誰だと思っている。東雲家の人間だ。無理をしなければいけない立場だ。出なければ命を賭して戦っている呪術師のみんなに対してあまりにも不誠実である。
そんな話、心配してくれている健人には言えない事だけれど。
健人は私と話し終えると補助監督の所へ行き何やら話している。恐らくこの後の事やら報告の事だろう。働くのは嫌いと言っておきながらそう言う所はしっかりとしている。それが健人が他人から頼られる所以なのだろう。
この腐った世界の中でも彼らの様な真っ当な人間もいるものだ。まぁピンからキリまで。そう言う事なのだろう。尤も彼らはこの呪術師界の中でも希少な分類に分けられるのだろうが。
……私は、どうなのだろう。他の人みたく性格は悪くない──と思いたいが。それでも他人が己の事をどう思っているから全くもって不明瞭であり、人によっては考えても無駄だと考える人も居るだろう。実際五条先生がその類の人間である。
ただ私はそうではない。他人から嫌われれば悲しいし、どう見られているかも多少なりとも気にしてしまう。この人目が人一倍集まる東雲家に居れば当然ではあるが。まぁ、それでも人並みくらいだろう。私は所詮普通の人間。五条先生や家入さん、金次や綺羅羅みたいにイカれた人間にはなれない。いや、イカれたい訳では決して無いが。
「……あ!」
「うわ! 吃驚した! もう、急に大声を出さないでよ」
「ごめんごめん」
私の肩に顎を乗せてスマートフォンを見ていた綺羅羅の大声に鼓膜が破れそうになりながら、私は顔を顰めながらそう言った。そんな私に本気で謝罪の心があるのか無いのか分からない謝罪をする綺羅羅。そんな彼に溜め息をつくしかなかった。幸い鼓膜は無事であり、犠牲になったのは私の神経だけなので、まぁ許す。
それより何事だと綺羅羅のスマートフォンを覗き見る。其処には近くの私立高校である神山高校のホームページが映し出されていた。
「えっと……なになに? 『神山高校文化祭、KAMIKOUN FESTIVAL! 皆さんを楽しませる出店やイベントが盛り沢山! 是非お越しください!』? ……何これ」
「良いじゃん楽しそう! 絵名、一緒行こうよ!」
神山高校と言えば、都内でも比較的新しい学校な筈だ。その為校風は割と自由寄りであり、渋谷などを通ると色とりどりの髪色や自由に制服を着崩している生徒とすれ違う事もしばしばあった。
成る程、その学校が今日文化祭なのか。全く知らなかった。まぁ自分と関係ない学校の行事なんて普通は知る由もないのだが。
「……偶には良いかもね」
「よっしゃ! なら今すぐ行かなきゃ」
「伊地知さーん! 車出してー」と、私の返答を聞いたや否や綺羅羅は伊地知さんに駆け寄りながらそう言った。
……本当に、綺羅羅は元気だなぁ。少し羨ましい。私なんて今少し任務をしただけなのに帰りたい疲労感が体に纏わり付いていると言うのに。これが若さと言うやつなのだろうか。いや、私も綺羅羅と同じ歳なのだが。
まぁ、それでも遊びに行ける時には行かなければ。
♢
都内で真新しく、綺麗な学校と言うのは矢張り人気なもので。予想通り神高の文化祭は来場者や生徒、教師などでごった返していた。本当に、目が回る程には。
……まぁ、分かっていた。人が多い場所には想いが集まる事は。そして負の感情であればある程、呪霊が発生することも。今は呪霊は発生していないが、文化祭が終わって数ヶ月経ったらまた悍ましい呪霊が出てくるだろう。それを祓うのは他でもない私達である。
それについてはあまり文句はない。適材適所。非術師に呪霊が祓えないのなら、その力を持っている私達が祓うしかないのだ。まぁ、偶に理不尽に思う事はあるけれど。
「大丈夫ですか、絵名様 人混みに疲れてしまったら遠慮なく申し付け下さい。すぐに休憩所を用意させましょう」
「平気。ありがとう、健人。けど学校の人達に無理をさせたら駄目だからね」
そんな心配はないが。それでも念を押す。
さっき分かった事だが、神山高校の理事長は学校設立当時東雲家に世話になったようで、私が此処に来ると知ったや否や挨拶をしてこようとしたらしく、それを「私が任務後で疲れている上、今は友人とプライベートで遊びに来ているから」と、健人が断ってくれたのだ。なんて出来る人間なんだ。私がもし何かしらの偉い人だったのなら何かしらの賞を挙げている所だ。何なら健人の為にそういう受賞を作ってやる。
まぁそんな冗談は置いといて。私が何よりも意外に思ったのは、残業嫌いを自称している健人が、私と綺羅羅に付き合ってこんな人の多い場所に来てくれた事だった。誘う前に断られるかと思っていたが、本人は二つ返事で了承をしてくれた。曰く「東雲家のご令嬢を誰が居るかも分からない人間が大勢居る場所へ護衛なしで行かせられない」らしい。過保護と言うか何と言うか。まぁ着いて来てくれるのはありがたいので文句はないのだが。それでも本当に良いのだろうかと言う不安は拭い切れない。
「絵名! 彼処に綿飴が売ってる! 行こう行こう!」
「ちょ……! そんな引っ張んないでってば!」
私が悶々と考えていると、綺羅羅が突然手を引っ張り走り出した。幸い私達は日々鍛錬を怠っていないので人に当たる心配はないのだが、それでもスレスレの部分はあっただろう。
人を潜り抜けた先にあったのはカラフルな色をした屋台が建っていた。その屋台には「1年B組わたあめ」と書かれていた。その名の通りわたあめを売っており、然し普通のわたあめではなく熊やら兎やらのファンシーなわたあめを置いていた。鼻腔に甘い匂いが届き、確かに私の腹の虫が煩くなった。わたあめ如きでお腹が膨れるわけないだろうに、私の脳が、腹が、口が、わたあめを一心不乱に欲している。
「……買う?」
「…………しょうがないわね」
そしてその欲求に──負けた。
別に良いだろう。食事制限をしている訳でもないし、食べた分、動かざる負えないのだから。
私は注文をしようと前へ出る。へぇ、いろんな形があるのか。うーん。この猫、気になる。これを写真に撮ってピクシェアに上げたら沢山いいねがつくのではないだろうか。それにしても凄いクオリティだ。これはもうプロレベルではないだろうか。こんな綺麗な形の動物にられるだなんて、作った人間はどんな器用な人なのだろう。
そう私が吟味していると、頭上で「絵名さん?」と聞いた覚えのある声が聞こえた。驚きのあまり顔を上げると、其処には見覚えのある青と水色のツートーンカラーで染めた髪を持った少年が私を見ていた。
「……冬弥くん!?」
「お久しぶりです。絵名さん。まさか来てくれていただなんて」
驚きのあまり呆然とする私に、冬弥くんは優しく微笑みそう言葉を投げかけた。
驚いた。あぁ本当に。いや、でも冷静に考えればこの神高には確か彰人も在学しているのだった。だったら冬弥くんが居てもなんら不思議ではない。
しまった。すっかり忘れていた。然し忘れるばかりで思い出せもしない記憶を沢山持っている私がこう顔を見て思い出せたのは不幸中の幸いだろう。そう言えば以前私は冬弥くんの記憶を無くしてしまい悲しい想いをさせてしまったばかりだ。二度もそうならなくて本当に良かった。
「あ! あの時の少年! あのー……ゲーセンで助けてもらった……」
「えぇ、覚えていますよ。お久しぶりです」
私以上に驚いていたのが私の後ろでわたあめの形を選んでいた綺羅羅であった。
……あぁ、なんか嘗て冬弥くんも似たような事を言っていたような……いないような。
「あの時はありがとー! すっごい助かっちゃった!」
「いえ此方こそ。お役に立てて何よりです」
「本当だよー。てか絵名と……その、冬弥くん? はなんで知り合いだったの? あの時お互い名乗ってなかったじゃん」
うぐ……と言う言葉を口にしてしまいそうなくらいの言葉に、私は思わず顔を背けた。いや、普通に弟の友達だったと言えれば良いのだが、如何せん綺羅羅は呪術師。私の本家はそれの元締め。気軽に家族構成を他人に漏らして良いのかと躊躇してしまうのだ。
「絵名さんの弟と俺が友人なんです。だからその流れで」
然しそんな事冬弥くんが知るわけもなく。なんの誤魔化しもなく全ての情報を息をするように口から出してしまったのだった。
まぁ、言うなとは言ってないし、冬弥くんに対して何の文句もないけどさ。
綺羅羅の視線が私に刺さる。何かを言いたげな顔だ。まぁ分かる。綺羅羅が言いたい事は本当に手に取るように分かる。
「──そっか! いやぁ、そんな偶然もあるもんだね。私吃驚しちゃった。あ、ねぇねぇ冬弥くん! 私この兎のわたあめ欲しいな! 絵名は猫にする? 猫が良いよね。猫にしよう! へい大将! 兎と猫のわたあめ一つずつ!」
幸い綺羅羅に突っ込まれずに済み、その代わりとでも言うようにマシンガントークを繰り広げる。私はその勢いに負け、出来上がったわたあめをこの手に押し付けられた。
……居酒屋やラーメン屋じゃないんだから、大将は違うと思うのだが──と言う今の状況とは的の外れた反論はこの際しまっておこう。
それから私達はその場から逃げるように、再度綺羅羅に手を引かれてその場を後にする。
「あ、冬弥くん!」
去り際、私は腕を引かれながらそう叫んだ。
「彰人の事、宜しくね!」
それは全然姉らしい事も出来ない私からの、精一杯の姉らしい言葉であった。その言葉を聞いた冬弥くんの優しい笑みは、きっと忘れる事はないのだろう。
綺羅羅に手を引かれ、連れて来られたのは人気のない角であった。まぁ、内容はわかっているのだが。
「──ちょっと、絵名! 不味くない!? 聞いてないんだけど、弟が居るって話!」
「私だって言おうかどうか迷ったし! でもこんな話気軽に出来る訳なくない!?」
そう、呪術界に置いて長男と言うのがどれ程重要な事なのか。彰人に呪霊が見えるかどうか分からない。けれどもし呪霊が見えて尚且つ術式が使えたら……考えるだけでも悍ましい。こんな汚い世界、彰人には絶対知られたくないし知って欲しくない。
「けれど、弟様の存在を本家が知らない訳ないでしょうし……。今迄何もなかったのなら問題ないのでは?」
そう口にしたのは今迄黙っていた健人であった。何故冬弥くんと喋っている時気配を消していたのか問い糺したいが……この際もうどうでも良い。
「そんなのだめ。もし私が死んだら彰人に危害が及ぶかもでしょ? そうならない為に出来るだけ彰人はこの世界から離しておきたいの」
心配のし過ぎ……と言う人もいるかもしれない。けどあの家に一年間住んでいた私だから分かるのだ。
漸く、彰人は夢を見れたのだ。目標を見つけれたのだ。だからせめて、今の生活が壊れるような事は絶対に避けたかった。
「……まぁ、それが絵名の命令なら私達は従うしかないよ。大丈夫。心配しなくても他の呪術師には弟くんの事は喋らない。約束する」
「えぇ、星さんの言う通りです。貴女様が望むなら、私は絵名様と弟君を守り抜きます」
……命令なんて、本当はしたくない。けれどそれで彰人が守れるなら何でも良かった。
私はその二人の言葉に肯定するように、深く頷いた。
遠くで人の声が聞こえる。その声はまるで祭囃子のようであり、その中に彰人の声が混ざっていないかと、願うばかりであった。