呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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第九話 崩れた球体

 球体に、意思はない。人間を取り込み、食す。それだけの為に行動していた。稼働──と言った方が正しいだろうか。目の前に人間が現れたら自動で取り込む。それに際限は無い。まるでそうプログラムされているかの様に。ただ食べる。それだけだった。

 

 初めは小指程の大きさであった。しかし何十年と人々の感情が流れ落ち、その受け皿となっていた球体は徐々に肥大化してゆき、凡そ成人男性並みの大きさになってしまったのである。

 

 此の旅館は、素晴らしかった。従業員の接客は勿論、設備、清潔感。どれを取っても完璧であった。他の追随を許さない程に。

 

 完璧だった。

 

 完璧すぎた。

 

 それが球体の発現理由であった。

 

 数多の感情が行き交い、まだ帰りたくないと咽び泣く。その依存にも似た、薬物にも似た快適さに、人々は魅了され、永久に此処に居たいと望んだ。然し始まりがあれば終わりがある様に、行きがあれば帰りがある。後腐れ、余韻、心残りを残し、人々は帰っていく。それもまた負の感情。無数の感情を喰い尽くし、巨大化した。

 

 三十年前である。三十年前、球体は何も喰わず、空虚な時間の中に居た。然し心霊スポットと言う事もあり、また呪いが集まる。

 

 そして、今日遂に人間が来た。肉付きも良く、若くて張りのある女。これ迄の人間は旅館に来ても球体迄辿り着く前に断念していた。そんな人間にすら、球体は何の感情も(いだ)かなかった。けれども今回は違った。一目見た瞬間、取り込んだ瞬間、内から何かが沸き上がってきた。美味い。こんな美味たるものを初めて食べた。そう思った。

 

 いや、人間なんてどれも同じ味だ。然し三十年。この三十年は気の遠くなる程に長く、人の味を忘れてしまった球体は、その味を鮮明に感じることが出来たのだ。

 

 然し、それだけ。

 

 産まれて初めて、球体は感情を手に入れた。けれどその感情も、全て粉となって消え失せる。

 

 歪みの無い球体が、突如変形する。宛ら粘土の様に歪むソレは最早球体とは呼べない。口なんて何処にも無いと言うのに、劈く様な悲鳴が辺りに木霊する。山全体に響き渡らんとするその金切り声は恐らく山の麓迄届いていただろう。勿論、直ぐ側に車を止めている伊地知達の耳にも。

 

 そうしてその歪みは段々と大きくなっていき、軈て布でも裂くかの様に上から下へ破れていく。何が起こっている──と思う間もなく、球体、いや、球体ではなくなったソレは無惨にも真っ二つに割れた。

 

 その爆発音にも似た衝撃波は、伊地知と八郎の元にも届いていたのだった。

 

 

 

 微かに開いてる口から、赤い液體が溢れ落ちる。口内が鉄の味で満たされ、私は慣れないその味に顔を顰めた。苦しい程に締め付けられる心臓を余所に、それでも何とか此処から出ようと思考を巡らせる。

 

 どうする。相手の姿が認識出来ない異常、私に成す術はない。けれども此処で泣き寝入りして死ぬという選択肢も皆無である。あの二人の助けも期待出来ない。かと言って此の儘進み続けても埒も開かない。

 

 何か無いか。何か、球体を打破出来る術は。

 

 ズキンと、頭が痛くなる。考え過ぎ故か、身体が衰弱している所為か。どちらでも良いが、この頭痛は少し邪魔である。痛みの波と共に私の苛立ちもどんどんと蓄積されていった。

 何故思い付かない。何故見出だせない。そうしなければ、打開策を見つけなければ此処から出れ無いと言うのに。死んでしまうかもしれないのに。

 

 身体が熱くなる。密閉されているからかどうにも此処は窮屈である。風でも吹いていないと窒息死してしまいそうだ。

 

 ──風?

 

 痛みで支配されていた私の脳味噌が、霧が晴れた様にスッキリと晴れ渡る。

 

 あぁ、そっか。風だ。空気だ。まだそれが有ったじゃないか。今迄あまり使った事が無かった為に頭にも無かった。

 

 今思い出して良かった。此が一分でも遅かったら私の体はもう球体に呑み込まれていたかもしれない。

 

 ──私が操れるのは何も物体だけではない。気体、液体。其処にあるのならなんでも操れる。尤も、私も己の力を全て把握している訳ではないのだが。

 

 目を閉じ息を吐く。頬に当たる空気を感じ取れ。球体の内部。風は無いとはいえ息が出来ていると言う事は酸素は有る筈である。その空気を、気体を、酸素を感じ取れ。酸素は目に見えないからこそ肌で感じ取るしかないのだから。

 

 静けさにキンッと耳鳴りがなる。風の音も、木が軋む音も、何も聞こえない。今私が感じているのは此処に漂う空気だけだ。

 

 頬を撫でる感覚。

 

 これだ。

 

 私はその感覚を逃す前に、全身に呪いを巡らせ、外に解き放つ。これが呪力だとするなら簡単だ。その呪力を極限まで流し込め。

 

 静かだった室内が、途端にカタカタと音を立てる。花瓶もひび割れ、柱もミシミシと悲鳴を上げ、畳もバリバリと荒れ果てる。それはまるで此の世の終わりかの様な惨状であった。集中が途切れぬ様に、空気の感覚を忘れぬよう思考を全て肌に向かわせた。

 

 何も聞こえぬ筈なのに、何処か遠くの方から獣の鳴き声のような悲鳴に似た声が聞こえる。それは籠もっており、耳の奥に良く響いた。

 

 頭が痛い。身体中が怠い。いや何も考えるな。今は只集中しろ。頭痛とか、身体の衰弱とか、その()()()()で呪力を途切れさせるな。

 

 地面が大きく揺れる。地震とは比べ物になら無い程に大きい揺れであり、それは私が地を離れて飛び上がる程であった。思わず途切れそうになるが、それでも細い糸を辛うじて握るかの様に何とかしがみ付く。

 

 揺れは徐々に大きくなり、部屋の形が目まぐるしく変わる。食堂、大浴場、事務所、大広間、客間、まるでチャンネルを変えるかの様に瞬きした瞬間瞬間別の部屋へ移動している。いや、私が移動しているのではない。部屋が、変わっているのだ。自立を無くしエラーを出してしまった球体は、もう自分の元の姿を思い出すことも出来ないのだろう。

 

 そうしてやっとこさと言おうか、地面に罅が入り、其処から上に向かって広がっていく。

 

「ちょ……うわぁ!」

 

 先程とは非にならない程の大きな揺れを感じ、気の抜けた私は揺れに身を任せる形で後ろに倒れた。然しこの先に地面は無かった。尻餅も付かなかった。爆発音と共に割れた球体から投げ出された私は、宙を舞っていた。どうやら逆さで立っていた様であり、私の頭は床に向けて一直線へと落ちていった。

 

「ちょちょちょ! 待って待って……ぐえっ!」

 

 何とか咄嗟の判断で頭を抱えたが今度は背中をやられた。あまりの痛さに息も絶え絶えだが、然しそれでもこれは僥倖。外の空気を目一杯肺に送る。長らく球体の中に居た所為か、外の空気がいやに美味しく感じる。

 

 ──尤も、そんなことを言っている場合ではないのだが。

 

 最早球体という(てい)を無くしてしまったソレは歪に体をくねらせ禍々しい姿へ変化する。裂け目からは、泥だろうか。黒く泥々としていて粘り気のある液体が漏れ出ていた。腐臭が鼻腔を刺激し、思わず顔を顰め鼻を覆う。

 

 醜い。そう思った。これが、人間の負の感情。成れの果て。成る程。通りで不快な訳だ。

 

『ギィいいぃ……ヴぁああァあアアうぇエ』

 

 これは、言葉だろうか。そんな事を思わずにはいられない。耳を覆いたくなるような地を這う鳴き声。いや、声と言うのも何処か可笑しく感じる。

 

 ソレは姿形を変え、まるで獣の様な姿へ変貌した。依然として泥々とした液体は地面を汚し続けていた。

 

 四つ這いになり、それはまるで百獣の王の風貌をしていた。その成れの果てと言っても何も可笑しくはない。

 

『ウギギぎギィィィ……』

「もう何言ってるか解んないっての!」

 

 ソレは突然立ち上がり、前足を振りかぶって攻撃をしてきた。寸でのところでしゃがみ込み避けられたが、そのまま立ち尽くしていれば私の上半身と下半身はさようならしていただろう。その上上半身は壁に激突して原型を無くしていたに違いない。想像しただけで震える。

 

 今度は反対の手だ。まさか自棄になりこんな攻撃をしているのではないか。

 

 自棄なんて、この呪霊に思考が有るのかすらも怪しいが。

 

「っと! でかいから動きも鈍いわね!」

 

 次々と繰り出される攻撃を避けながら、何とか反撃の糸口を探る。いくら動きが鈍いとはいえあの巨大な腕に触れたら一溜りもないと言う事は戦闘経験の無い私でも分かる。

 

 だから、ソレから一切目を離さない。

 

 私の術式発動条件は()()()()()()()()()()()かのどちらかだ。しかも面倒臭い事に視界の方は対象の全体像を認識し、尚且つ見ている間は瞬きをしてはならないと、どう考えてもリスクの方が大きい術式である。

 

「ぅあ!」

 

 避けた所に瓦礫があり、体制を崩してしまった。このまままた更に下へ避ける事が出来れば良かったのだが、然し私が体制を立て直す前に呪霊の前足が私の胴体に直撃し、そのまま壁に叩き付けられる。上半身と下半身が真っ二つになることは無かったが、それでも身体中に走る激痛は耐えられそうもなかった。息も出来ず、目もチカチカして碌に前も見れない。

 

「が……は……ヒュッ」

 

 口に広がる鉄の味。赤い液體が地を染める。これ、もしかしたらどこか内臓が破れているのではないか。そう思う程の激痛に襲われた。

 

 然し、私はまだ理解が及んでいなかった。

 

 解っていなかった。

 

 そんな思考をする暇なんて、無いことに。

 

「────ッ!」

 

 起き上がろうと上げた私の頭に、勢い良く前足が降り注ぐ。私の顔はそのまま地面へめり込み、板材の棘が、それを止めている釘が顔に刺さり思わず目を瞑る。そのお陰で何とか眼球に刺さることは避けられた。

 痛い。

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 死にそうな程に、身体中が熱くなる。いや、最早冷たいと感じる。

 

 どうして、私はこんなになるまで戦っているんだ。どうして私は、こんな処で這いつくばっているんだ。

 

 どうして──。

 

 音を立てて、私の体は宙に浮く。また吹き飛ばされたのかと目を開けるも、目の前はゆっくりと遠ざかっていく地面。顔を上げると呪霊が此方を見て大きく口を開けていた。腐臭は、先程とは非になら無い程に強烈になっていた。

 

 喰べるつもりだ。

 

 動作が、いやにゆっくりだ。胴体が大きいかだろうか。

 そうして呪霊は私の身体から手を離し、重力のまま私は呪霊の口へ落ちていく。

 

 ゆっくりだ。天井から離れる光景も、私が呪霊の方を振り返る動作も、何もかも。

 

「あ」

 これに呑み込まれたら、私は今度こそ彷徨う暇もなく死ぬのだろう。

 

 それはどうしてか──不愉快だ。

 

 ドンッと、大きな音を立ててソイツの鼻辺りに着地する。そしてまた腕に飛び移り、その躍動を使って顔面を触る。次に胴体、脚、尾。飛び跳ね、移り、次々に呪霊を触っていく。伊地知さんが言うには呪霊には〝核〟があるらしいが、私にはさっぱり解らない。

 

 然しまぁ、全て壊せば何処かにある核に当たるだろう。

 

 最後に地面へ着地し、呪霊の方を振り返る。呪霊は何が起こったのか解らないと言うような顔をしていた。

 

 呪霊の癖に思考が、感情があるのが尚の事腹が立つ。

 

 そうしてやっと事態に気付き、雄叫びをあげながら突進してくる。図体が大きいからか一つ脚を踏み締める毎に地が揺れた。私は呪霊から目を離す事なく、手を上に上げて指を鳴らした。

 

 瞬間。

 

 呪霊の体は捻れ、口から大量の液體を吐き出した。その液體は雨のように降り注ぐ。そして暫くの間のたうち回っていたが、最終的に地面へ倒れ、蒸発する様に消えていった。降り注いでいた液體も、跡形もなく。

 

 沈黙が流れる。

 

 終わった……のか?

 

 もう出てくる様子もない地面を見て、気が抜けた様に地面へ倒れ込む。お尻の痛さなど気にならない程に全身が熱い。体重を掛けている腕すらも力が入らない。

 

 そしてそのまま後ろに倒れた。目の前には荒れに荒れた木製の天井。先程迄黒い液體がへばり付いていたが今はもう何処にも見当たらない。ただ木屑が私の顔にパラパラと不規則に落ちてくるだけだ。私はそれらを払う気力も全く無くなり、ただ成すが儘であった。

 

 今、何時だろうか。割れた窓から日が入っているのだから、六時はとっくに過ぎているだろう。

 

 お腹空いた。いや、ご飯の前にお風呂に入りたい。汗をかいたからか身体中がベタベタだ。抑もこの服だって新調したばかりだと言うのにもう穴が何処其処に開いている。呪霊に勝ったと言うのに優越感の一つも沸かず、出てくるのは不満ばかりであった。

 

「お疲れ様です。絵名様」

「……伊地知さん。来てたんだ」

 

 いつの間にが頭上に居た伊地知さんが、私を見下ろしていた。眉を下げたその顔は何処か頼り無さげだった。

 

 言いたいことは山程ある。然し今の私は悪態をつく元気もない。

 

「絵名様」

「何?」

「もう六時半で御座います。早くしないと学校に遅刻してしまいますよ」

「………………」

 

 矢張り、悪態の一つを吐いた方が心の健康に良さそうだ。

 

 

 

 

 以外と時間を食ってしまった様で、結局学校に着いたのはホームルーム直前だった。こんな大事な時期に遅刻なんて、笑えない。

 

 ギリギリになって教室に入って来たからか、クラスメイトの視線が棘のように体に刺さってくる。親友の愛莉までもまるで恐ろしいものを見るかの様に私をまじまじと見る。

 

 ──いや、恐らく見ているのは私自身ではなく、私の身体に巻かれている包帯なのだろう。私の身体にはガーゼやシップ、包帯が沢山宛がわれていた。

 

「……絵名、今度はどうしたの? そんな沢山の怪我」

 

 眉を下げて、愛莉はようやっと私に喋りかけてくる。心配をしているのだろう。そんな顔を見ると、甘えたい欲が沸々と湧いてくる。然し、こんな事言えない。言える訳がない。言ったとしても、頭の可笑しい人間認定されて、クラスから──延いてはたった一人の親友すらも無くす恐れがある。

 

 誤魔化せるとは思えない。然しまぁ、こう言うしかなかった。

 

「転んだ」

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