「──碧さん、バイトしたいんだけど......」
「......防犯ブザー付けてくんなら許してやる」
そんなわけで、バイトを始めた。
もちろん葛藤がなかった訳じゃない。
完全初対面の人には耐性が出来たとはいえ、今でも少し忌避する心がない訳じゃないし、バイト先であるライブハウスにはちょこちょこヤンチャしてるタイプの大人も来るからビクつく毎日だ。
それでも始めたいと思ったのは、福田さんとの会話がきっかけ。
それは顔を合わせてから2度目の日、全員を交えた練習。
「んー、ちょっと走っちゃってるかもな。
アイコンタクトでもなんでも、合わせてこう!」
やっぱり4人、別の楽器で合わせるとなればまるで勝手が違ってきて、慣れない状況とも慣ればミスも増えてくる。
長田さんも中尾さんもミス自体を責める、という事はする人たちじゃないとわかってはいるが、それでも自分の中で積もっていくものはあり、行き詰まりを感じているのが現状だ。
休憩の時間も弦を触り体に覚え込ませようと詰めていたとき、目の前に差し出された手の中には未開封のミンティア。
見上げれば福田さんだ。
立ち上がって受け取れば見上げられる側になり、何故か肩を掴まれてまた座らされると、ギターを触る指を指して彼は言う。
「お前のそれ、独学だろ?」
『まあはい』と返せば、やはりと言った表情。
確かに基礎的なところはお父さんから教えてもらいこそしたが、それ以降は全て自分で覚えたもの。
さすがにコードとかはネットを見て覚えたが、弾き方自体は自分なりに磨いてきたものだ。
「指の動きがガチャついてるとき、なんとかしようとするから走ったりするんだ。
まずは落ち着いて、最後までやる事を意識してみろ。あとは下向き過ぎだな、合奏で指揮者見なかったら怒られるだろ、それと同じ。
呼吸を合わせる為には目を合わせて、目を合わせたら次は音を合わせる。
言うより慣れろ、ではあるけどな。
見て学びたいんならライブハウスでバイトでもしてりゃ、ステージで誰かが勝手にライブしてるとこ見ればいい。
......なんだよ、その目」
「いや、カッコいいなって......」
「......そうかよ」
そっぽを向いてしまった彼に感謝をしながら、そういうやり方もあるのかと弦に触れる指先へ感覚を集中させる。
確かに自分だけでは限界もある、見て学ぶという行為の大切さは一度、身をもって知っておくべきか。
「あれ、玲央嬉しそうじゃん?
耳真っ赤だし、口角上がってっぞー」
「長さん、言わなくていいって......!」
「えっ何が嬉しかったんですか!?」
「クソガキまで参戦してくんなって!」
そんなこんなで、ライブハウスで働かせてもらっている。
何が都合がいいかって、ここで働いていると社割で音楽スタジオが少し安く借りられるのだ。
店長が同じだからこそのお得感、というやつ。
「お待たせしましたー」
お客さんにドリンクを渡せば少ししてライブが始まり、暇になった時間を使ってはバンドの演奏を見ながら、指先でその動きを真似しながら良いところを掠め取っていく。
......セカイでやるギターと、いまバンドでやっているギターの明確に違うのは、悪いところを明確に直してくれる人がいる、と言うところだろうか。
だからこうやって正しい道を選べて、失敗の中に恐怖ではなく、次へ繋げる希望をしっかりと見出せる。
周りに経験者のいる不安、それと安心感。
スケール感はまるで違うけれど、ほんの少しだけ花里さんの気持ちがわかったような気がした。
「カルピスください」
「あっ、はい」
ライブ中に飲み物を買いに来るなんて珍しい。
顔をあげてぎこちない笑顔で接客しようと思えば、カウンターを挟んで向こう側にいる顔に、思わず体が硬直する。
「......?」
一瞬。
ほんの一瞬、それだけしか固まらなかった身体が、振り向いてプラコップにサーバーから飲み物を入れ始めると同時に小さく震える。
びっくりした。びっくりした。びっくりした。
その単語だけが頭の中を埋め尽くして、空間を埋め尽くす熱気とはまた別の何かが体から汗を引っ張り出す。
「お待たせしましたー」
「......ありがと」
飲み物を受け取り、その女性が雑踏に紛れて見えなくなると同時。
震えが大きくなり、膝に力が入らなくなって手で支えなければ立てないほどに崩れ落ちる。
バレなかったのは九死に一生。
「おおっ、大丈夫か?!」
「店長...... 早退って大丈夫ですか......?」
宮益坂の制服を着たアレは幼馴染だ。
できる事なら顔を合わせたくなくて、偶然様子を見にきた店長に無理を言い、裏口から店を出る。
未だ震える足、周りを見回して誰もいない事を確認して安堵の息を漏らし、アスファルトに視線を落とせば──
「──お客さま、下を向いてはステージが見えませんよ」
「ひっ......」
ライブハウスのすぐ横、階段の上から降りてきたのは、頬にうっすらと残った傷跡を持つその幼馴染。
「まさかこんなとこでバイトしてるとは思ってなかったけど、いつ立ち直ったの?」
「う......」
「ふぅん、まあ、言う気がないならそれでも良いけど」
顔が近づいてきて、目線がこちらの耳に止まる。
その指が触れたのは髪の奥にある耳の、軟骨を貫通して取り付けられた古臭い安物のピアス。
同じものが彼女の右耳にも取り付けられていて、見せつけるように耳に掛かるショートヘアを手でどかす。
「懐かしいよね、コレ。
昔これを持ってきて、啖呵切って穴開けて......
あーあ、それが今じゃこんな怯えてさ。
──あの頃みたいに『ごめん』って言ってみなよ」
言葉ひとつ返せず、ただ、怯える。
やってしまった事があり、それを思い出せば、僕は何をされても文句を言う事はできない。
蛇に食われるのをカエルがじっと待つように動けずにいれば、急に服の襟を掴まれて引っ張り寄せられた。
誰かと思い見上げれば、そこにはスーツ姿の中尾さんが凛とした姿勢で双葉ちゃんの方を見ている。
「申し訳ないんだが、俺のところのメンバーなんだ、そんなに脅かさないでやって欲しいんだが...... 」
「......ふぅん。
まーいいや、またね」
彼女いなくなってもまだ動けず、震えたままの僕を見かねたか、中尾さんは米俵かのように担ぎ上げるとそのまま静かな感じのカフェへと連れてきて、そのまま椅子に座らせる。
「喋れるかい?」
「あ、う、はい......」
まだ震えはあるものの、幾らかの安堵感が身を包み、ゆっくりと呼吸も落ち着く。
......仕事帰りだったのだろうか、それならば恥ずかしいところを見せた上に助けられてしまった。申し訳なさでいっぱいになっていれば、中尾さんは気にする様子もなくカレーをオーダーしてお冷に口をつけた。
「......浮気?」
「してないです! ......浮気を疑われるような関係でも、なかったですし......」
「それなら俺は追求しないよ。
隠し事の一つや二つはあるのが人間だ、俺も長田も玲央もそうだから。
たまたま見かけただけなのに、さあ話せって言うわけにもいかないだろう?」
大人の余裕ってやつだろうか。
その気遣いがありがたい一方、その心に頼り切りでは前に進めないのでは、という疑問も心の中に生まれる。
いつかは乗り越えなきゃ行けない事、というのはいっぱいあって、バンドを続けていく以上、それを彼らにも伝えなくちゃいけない時っていうのは絶対にあるわけで。
──それなら、僕はこの時から逃げちゃいけないんじゃないかと思う。
「中尾さん」
「ん?」
「聞いてもらえますか?」
「......ああ、いいよ」
一瞬お互いに笑顔を交わし、一度手のひらを見てから目を閉じる。
蘇るのは血まみれの手とハンマーの記憶。
「僕は──