消えぬ恐れの白き森   作:チクワ

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指摘をもらえなくなったら見限られたってことですから
貰えることがありがたい


Y:F

 

 白き森のセカイ。

 その中でもテントの置かれただけ、未整備で人1人が生活する程度の物資しかないような空間の中で、自宅から持ってきたブルーシートを敷き、空を見上げる女が1人。岡野双葉だ。

 胸元に抱かれたハスキーらしき風貌の獣、名前をハス太郎とするモノを何度か撫でては空を見上げ、次のライブで歌う予定の曲を口ずさむ。その目はうつろであるものの、決して生きる希望をなくした、と言うわけではない。

 むしろ生きることには前向きで、そうでもなければ歌を歌ったりしないわけだが──

 

「ねえねえねえねえ、おーいおいおいおーいおい?」

 

 問題は黒いミクである。

 

 正直なところ、双葉にとってこのセカイの雰囲気というのは決して悪いものではなかった。

 流行には常に乗り遅れ、学校の友人...... というよりも愛玩対象の同級生たちから教えられたり、バンドメンバーから化粧品を貰ったりしてる彼女ではあるが、多少なり静かな森の夜空、というものに感動する心の機微は持っている。

 故に、家にいるのが面倒な日はセカイに来ようと決めていたわけだが、ここでひょっこりと顔を出すのが黒ミクの存在。

 

 1度目の喧嘩は言わずもがな、そしてそれから2度3度と行われた罵倒と暴力の交差に嫌気がさした結果、こうして彼女は視界と意識の中からミクを消し、可愛いものと綺麗な景色、そして自分という『すきなものだけでいいです』な空間を作り出したのだ。

 しかし、それでおとなしくしている黒ミクてはない。

 邪魔が人生だ。

 (きょう)こそが生き甲斐だ。

 セカイに生きているそんな住人は、見慣れすぎた空に対するエモーショナルよりも目の前にあるヒトの歪んだ顔と破綻を見る事が生業である。

 

「無視すんなぁーっ」

 

 倒れ込んでその腹にプレスをかけてやろうとするが、そこはギターを常に持って勝手に鍛えられた双葉の腕がブロック。

 さして重くはない体重、うざったそうな感じもなく退けられれば、それに対抗したとしても勝ちを得ることは難しく、結果的に2人揃って空を見上げることになる。

 

 退屈。

 そう思いながらも、黒ミクはおとなしく空を見た。

 

 彼女にとっての幸せは回数制。

 最初は構ってもらえて、煽れば食いかかって来てくれて、しかし回数を重ねるごとに反応は薄くなっていく。

 反逆の意思も、争おうという気持ちも。

 いつかは消えてしまって、再点火までには時間がかかるもの。だから黒と白に分かたれた。

 白は善であれ。

 黒は、悪辣であれ。

 

 悪でなければ反骨の精神は現れないし、善が無ければ心が休まることはない。

 故にその精神を他人に依存している双葉が自分のもとに現れた時、楽しみが増えて興奮した── してしまった。

 結果で言えば、やりすぎ。

 悪辣に心を焚き付けようとしたはずが、すっかり燃え尽きてしまった。これは彼女にとっては予想外のことで、案外表情には出ずとも凹んでいる。

 

「つまんな」

 

 誰が、なのか。

 何が、なのか。

 

 自分も含めた選択肢の中から名詞を選ぼうとしたその時、どこかからが聞こえて来た何かが落ちる音。

 そして、森全体に響きそうな叫び声。

 

 それには思わず双葉も飛び起き、音が聞こえて来たテントの向こう側を見れば、そこには見慣れた人と全く知らない人のペア。

 名を呼べば、見知った笑顔が辺りを照らした。

 

「えむ?」

「あーっ、双葉ちゃん!!」

 

 ──事の始まりは、1日の始まりにまで遡る。

 

 

 

 ──神高生が語る名物、と言ったら何か。

 学校祭か、それとも体育祭か。普通であればここで迷うところだろうが、残念なことに在校生のほとんどが口を揃えて言うのは、同じ在校生の2人のこと。

 

「のわーっ!!?」

 

 またも聞こえる爆発音と、吹き飛ばされたのだろうとある先輩の叫び声。よく通るもので、窓を閉め切っているはずの教室にまで、校庭から届いてくる。

 走って出ていく杏ちゃん、呆れる彰人くん、なぜか尊敬の眼差しで吹き飛ばされてる先輩を見つめる冬弥くん。

 変人ワンツーフィニッシュ、と呼ばれるそんな名物生徒たちに対するみんなの接し方は本当にそれぞれで、僕もまた、持っていたタオルとペットボトルの水を手に校庭へ向かった。

 

「──すまないな、天里......」

「いいえ、やりたくてやってるだけですから。

 類さんもどうぞ」

「感謝するよ」

 

 ぜえはあと息を切らした先輩、天馬司さんに水を手渡し、項垂れた首筋へ横長のタオルをかける。それを見てもう1人、爆発の原因である神代類さんは何か思いついたように顎を指先で押さえているが、こう言う時は変に聞いたりしないほうがいい。

 前に一回、それで巻き込まれかけた事がある手前、迂闊な行動はすぐさま結果に繋がると理解していた。

 

「まったくもー、どこ行ったのかなー......」

 

 少し遠くでは杏ちゃんが2人を探している。

 風紀委員として先生に頼まれたのだろうか、別に司さんと類さんを匿っているわけではないけれど、彼女には申し訳ない気持ちになる。

 

 ──彼らと知り合ったのは少し前。

 

「んのわぁぁぁぁ!?」

 

 体育終わり、片付けを手伝って教室に戻るのが遅くなっていれば、少し遠くからとてつもないスピードで近づいてくる司さん。

 初対面としては理解不能な状況。

 その足にはメカニカルになったローラースケートらしき物が履かれていて、おそらくそれが電動で動き、道路なら警察に捕まりそうなスピードを出していることは容易に想像できた── が、想像できたからなんなのだ?

 

 普通になんでこんなスピードを校庭で出しているのか。

 どこでそんな靴が売っているのか、なんで僕の方に来ているのか。

 諸々疑問はあれ、動き的には直線。ここはサッと横に避けてリスクを回避しようと思ったが、ここである事実に気づく。

 後ろ、壁だ。

 

 ここで僕が避ければ先輩が壁にぶつかって怪我をしてしまうかもしれない。そう思うと一瞬だけ回避行動に迷いが生まれ、ついに加速をやめない司さんとこちらの距離は完全な回避のできない距離へ。

 どうしよう、と冷や汗が流れ始める感触を感じながら──

 

「ごめんなさいっ!」

「ぐはぁっ!?」

 

 足を引っ掛けて身体を掴み、柔らかな芝生に押し付けるようにして押し倒す。もちろん膝を曲げさせ、ローラースケートの車輪と地面を設置させないようにしてから。

 そしたらすぐさま靴を追い剥ぎ。

 少し痛い思いをさせてしまったが...... 壁に激突して鼻血を出してしまうよりかは、まあ。

 

 そんな出来事があってからか、彼らがひと騒動起こすたびに、ソレが気になるようになってしまった。

 何も変人ワンツー、その追加メンバーとしてスリーになりたいわけじゃない。シンプルな心配というか、普通に考えて爆発したりあんな爆走を見せられたりすることってあまりないから、珍しいモノを見せてくれたお礼というか。

   

 あとはそう、司さんの街中での行動に尊敬した。

 なんだかんだ、近々ライブを控えているわけではあるが、やっぱり客の前で、一段高いステージからモノを届ける行為っていうのは考えただけでも緊張が走り、すこし動悸がする。

 対して彼はどうだろう。

 街の商店街の方へ寄ってみれば、たまに路上で演技の練習をしているではないか。

 それもストーリーとかは事前に説明したりせず、その辺に歩いてる人に話しかけるような形で。

 やり過ぎたら警察に通報されそうなその行為であるが、普通にしらーっとやって見せるその姿と、学校内でもかっこいいポーズを研究したりする徹底ぶりに、僕は結構尊敬の視線を送っている。

 

 ちなみに、彰人くんに話したら凄い顔をされた。

 冬弥くんは割と同意してくれている。

 

 ......まあ、変人であることに変わりはないのかもしれない。

 でもそれはそれとして、人としては好きだ。

 

「じゃあ、そろそろ授業始まるので、この辺で」

「おお、今度はまたオレのポーズを見学していくといい!

 未来のスターの修練、その目に焼き付けていけ!」

「はい!」

 

 使い終わったタオルを受け取り、いそいそと体育館と校舎を結ぶ渡り廊下から靴を脱いで上がってさっさと上履きに履き替えて教室まで戻る。

 軽く息を整えて教科書を準備すれば、ヌッとスマホから現れたのはテトの頭。

 できる限り目立たないように目元だけ出しているのだろうが、存在感抜群のツインテールがその努力を打ち消してしまっていることに気づいていない。

 とりあえず筆箱で壁を作り、背筋を曲げて小さな声で何か気にしている様子の彼女に囁いた。

 

「どうかした?」

「......司って人、今日セカイに来る?」

 

 ──そう、テトの言ったように、司さんはすでに僕のセカイに来ている。

 隣には同じ高校生の鳳えむちゃんを連れて、すこし前に。

 

 聞けば2人とも遊園地のショーキャスト。

 彼らだけでなくもう2人、同じようにセカイに出入りできる仲間もいるらしいが、テトが気になっているのは恐らくそのもう2人の片方。

 

「──演出家さんが気になるんだ」

「ゔ、まあそうだけど?」

 

 稀代の演出家。

 彼女はその存在が来るのを心待ちにしていて、最近は事あるごとにこうやって遠回しな催促。

 とは言え、あちらにもあちらの都合がある。

 ショーキャストって事はショーの練習があったりするわけで、誘っても練習が被っていれば彼らは来れないだろうし、テトにもいらない期待を持たせるだけだ。

 どうしたものか、と思うが──

 

「......じゃあ、聞いてみよっか」

 

 ダメならダメ、いいならいい。

 とにかくやってみないことには何にもならないだろう、という結論。

 彼女も目を輝かせて深く頷き、すぐにメッセージアプリで初めて人をセカイに誘ってみれば、返答が返って来たのは授業が終わった後。

 

「テト?」

「はいっ」

「来てくれるって。良かったねぇ」

 

 そう言ってスマホから身体を出した彼女の足元、画面に返答を写せば、声を殺して嬉しそうなリアクション。

 どうやら今回はみんなで来てくれるようだ。

 ともなれば、前みたく沢山の椅子が必要になるだろう。準備をして待っていてと指示を出せば、テトは返答もそこそこにすぐさまセカイの中へと戻っていく。

 

 ......演出家。

 司さんの周りにいる人で演出家っぽい人といえば1人だけ思い浮かぶけれど。

 まさか、ねえ。

 

 

 

 

 

「──なんだ、天里君じゃないか」

「やっぱりかぁ......!」

 

 まあ予想はついてた。

 しかしそうなると司さんも大変で、キャストの中ではリーダーの枠なのに、演出家にあんなことやられてるのは人徳なのかそうでもないのか。

 しかし、テトが嬉しそうに類さんと握手をしているのは微笑ましいから、いいのか?

 

 だがそうなると、類さん以外のもう1人はどこにいるのか──

 と、考えたのも束の間。

 180センチの身長の裏から現れたのは、それよりももっと小さく、まるで小動物のような印象を受ける女性。

 どこかで見た事があるな、と記憶の中を探せば、そういえば冬弥くんと同じクラスにいた人だと気づく。

 

「じゃあ、貴女が司さんの言ってた()()()()?」

「え、歌姫...... そういうんじゃ......」

 

 少し見下ろすような視線になってしまって申し訳なく思いながら確認を取れば、何故か彼女は一度首を傾げ、その反応に僕もまた首を傾げる。

 ......司さんはそう言っていたから、彼女も自分のことをそう認識していると思っていたのだが、違っただろうか?

 でもまあ、それ以上の追求はやめておく。

 多分だけれど初対面と話す事、それほど得意ではないのだろう。目は泳いでいるし、信頼できる相手の後ろに隠れているところから見てもそれはわかる。

 

 しかし、周りを見回して思う事が一つ。

 

「......司さんとえむちゃんは来てないんですか?」

「そうだね...... 僕たちは2人が穴に入ったのを見て追いかけてきたんだが、どうやら逸れてしまったみたいだ」

 

 

 ちゃんと確認してから、いまだに握手を続けている類さんに聞いてみれば、彼もまた知らないといった様子だ。

 しかし逸れるとは、また災難な。

 2人には笛を渡してあるとはいえ、類さんが胸元に掛けているモノを見る限り、2人グループで一つずつ、といった感じで分けてきたのだろう。

 よっぽどが無ければ逸れることなんて無いとは思うが、笛の音が聞こえてきた時はすぐに駆けつけられるよう、ペグハンマーにカラビナを通してベルトに取り付けておくことにする。

 カイトがパトロールに出ているから大丈夫だとは思うが。

 

 とりあえず椅子に座らせ、お茶を出して名前を聞けば、彼女は草薙寧々さん、と言うのだと。

 見る限りは人見知りで大人しい印象を受けるものの、時折類さんに見せる表情からして、気心知れた相手にはちゃんと自分を曝け出せているみたいだ。

 

「その、僕、司君から類さんの演出を色々教えてもらって、そんな面白いものどんなふうに考えてるのか知りたくって......!」

「ふふ、光栄だよ」

 

 テトも話せてるみたいだし、良かった良かった。

 ......とは、いかない。

 そう、誰かと誰かが一対一で話していれば、自然と人は余る。そして僕はいくらかマシになったとはいえ人見知りであり、草薙さんもまた、わかりやすい人見知り。

 そんな2人が取り残されればどうなるか──

 

「「......」」

 

 ちびちびと焚き火を見ながら、お茶を飲むだけの時間が生まれてしまうのだ。

 これではいけない。

 せっかく来てもらったのに、ぜんっぜん喋らずにまるで『類さんに来てもらえればなんでも良かった』みたいになるのだけは本当にまずい。

 人見知りだなんだという前に、そんな事は人としてやっちゃいけない事だ。

 

 話題、話題...... まるで地を這いつくばるように体全体へ力を込めながら、女子高生に刺さりそうな話題を必死こいて考え、その度に口を開く。

 

「す、好きな食べ物とかある......?」

「......グレープフルーツ」

「え゛、アレ食べられるの? 大人だなぁ......」

「「......」」

 

 続かず。

 思い出されるのは彰人くんとの会話で、だんだんと顔が青くなってくるのを感じ始めた頃、彼女のポケットからある物が落ちた。

 地面につく寸前、伸ばした手の中に収まったのは新しいタイプのスマートフォン。取り付けられていたストラップは何かのアニメかゲームのキャラで、どこか見覚えのあるそのキャラクターに記憶の中を探る。

 どこで見たんだっけ。

 

 ......多分、この前バンドメンバーと行ったゲームセンターか? 2対2で戦うタイプのゲーム。

 当たって砕けろ。引き出しの少ない自分に嫌になりながらも、一か八かの話題を繰り出す。

 

「これ、その、ゲームセンターに置いてある格闘ゲームのヤツだよね?」

「あ...... やったこと、あるの?」

「この前知り合いと少し。

 これまで触った事無かったから、楽しかったけど負けちゃったなぁ。

 動画あるんだけど、見る?」

「うん、じゃあ......」

 

 なんとかなってる? なんとかなってる!

 会話が続いてることに嬉しさを覚えながら自分のスマホを取り出すと、玲央さんに貰った動画ファイルを開く。

 多分3試合程度、にしては少なすぎる再生時間に寧々さんは首を傾げているが、そうこうしているうちに試合が始まった。

 

 僕と中尾さん、長田さんと玲央さん。

 僕はもちろん初プレイなのでランクはついていないのだが── 問題は他の3人である。

 

「え、最高ランク......!?」

 

 彼女も驚いた様子だが、それはそう。

 つまるところこのマッチアップ、どの組み合わせになろうとも僕が嵐に巻き込まれるのと変わらない。

 100円を入れる前に言われた『優しくやるから!』なんてのは気休めにもならなくて、本来なら前衛と後衛に分かれるのが定石なはずの組み合わせであっても、敵はガンガン前に出てくる。

 そして捌ききれなくなって、僕が使えるコスト6000を全て使って負ける、と。

 

「もうこれ、ほとんど蹂躙だし......」

「えっそんなにヤバい?! でもほら、こことか相手を倒せてるし、ダメかな?」

「ダメ。

 わざとやられてリロードされない武器を最初から使えるようにしてるだけだから、まったくプラスになってない」

「ああ...... だから玲央さんすごい顔してたんだ......」

 

 すれば出るわ出るわダメ出しの数々。

 とはいえ、それだけダメ出しが出るって事はその分だけ強くなれる要素があるってわけだ。幾分プラスに考えられるし、それに、こうやって話せているわけだから下手であることも別に悪いことばかりじゃない。

 

「3試合目はどうだったでしょうか......?」

「キャンセルルートを分かってれば避けれた所もあったし、自分で動いているように見えて全部相手に動かされてる。

 横の人が2台ぶんのレバー握った方がいいんじゃ...... あっ」

 

 すると、ヒートアップしていた言葉がこちらを向いて止まる。

 好きな事、なのだろう。

 だったらそれだけ熱くなるのはいい事のように思えるが、彼女にとっては少し恥ずかしい事だった様子。

 動画の再生が終わったスマホを受け取り、言いすぎたことを反省している様子の寧々さんに対して全然大丈夫だと胸を張った。

 

「大丈夫だよ、寧々さんの指導、すごいタメになった。

 目指すはリベンジ、そしてパーフェクトゲーム!

 ......だから、寧々さんさえ良ければセカイとか、学校とかでゲームのこと、これからも教えてね」

「あ...... うん、分かった」

「ふふ、よろしくお願いします、師匠」

「し、師匠はやめて......!」

 

 

 

 

 その一方で。

 

「ぐおぉぉぉお?!」

「凄いね、えむ。

 あれがコブラツイストだよ」

「コブラって事は、それをやってるミクちゃんは蛇さん? 蛇さんも司くんもがんばれーっ!」

「がんばっちゃおー」

「がんばれとかそういう話ではなーい!

 岡野、助けてくれぇぇえ!!!」

「いや、おもろいんで......」

 

 逸れ、双葉たちと合流していた司は、黒ミクにコブラツイストをくらい悶絶していた。

 何をきっかけに、というわけではない。

 既に一度このセカイに来ている事、お互いの自己紹介、仲間と逸れた事── それらを話し終えて一息ついた瞬間、新しいおもちゃを見つけたようなギラついた目をした黒ミクが、司にロックオンしたというだけのこと。

 

 双葉も最初は止めようとした。

 しかし今止めていない理由は、あまりにも司のリアクションが()()()()からだ。

 

「ぬぁぁぁぁ!!!」

「あぁ今度はスコーピオンデスロックだ」

 

 もとより、岡野双葉はサディストである。

 フィクションや許容できる範囲であれば傷ついた姿、苦しみ抜いて強くあろうとする姿に興奮もするし、面白みも感じる。

 優樹との一件があった手前、日常生活でそのそぶりを見せる事はあまりなく、あったとしてもライブで演奏するオリジナル曲をとても難しいものにする程度であるが、ソレを呼び覚ましたのは司の声。

 

 発声練習を積み、学校内外でもよく通る声であると知られているその声、悲鳴、苦しむ音が易々と『その程度なら我慢できるよ』というラインを超えてしまった結果、黒ミクの行為を笑って見過ごすサディストが目覚めてしまったのだ。

 ただし、その目の奥はさして笑っているわけではない。

 ここで笑っているという事はつまり、自分も嫌っている黒ミクと一緒なのだ。

 

 だからその指先の震えを止めるためにえむを抱え、面白くて、なんて強がりを吐くしかない。

 自分の行動がもしかしたら、自分の嫌っているものと同じかもしれないという恐怖と戦うために。

 

 少しして解放された司にタオルを渡しながら、双葉は少し疑問に思うことを整理する。

 司、えむはもう既に一度、このセカイに来ている。

 かなり知った様子で、首元に付けている笛は獣よけの特注品なのだと語ったが、それを渡したのはいったい誰なのか?

 バーチャルシンガーではないだろう、他がいるならともかく、黒ミクは初対面の様子だ。

 となれば、自分以外にも別の人間がいるのか。

 グロッキーな司にこれ以上聞くのは負担だろうと、抱えているえむに聞いてみれば、出てきたのは誰よりも知っている人間の名前。

 

「この笛? これはねー、優樹くんがくれたんだ!」

「優樹、って......」

「天里優樹くん!」

 

 ──ああ。

 そう、一息小さく呼吸をする。

 

 前に優樹と絡んだ時、双葉は()()()()に辿り着かなかった。

 それは助けに来た人間が大人だったから。

 保護者のようなもの、と認識していたのだ。

 

 しかし今回は違う。

 同年代の男女、それも2人だけでなく、きっともっと多くの人数に囲まれていることだろう。それはつまり、もう彼の隣に、()()()()()()()()()ということだ。

 

 失ったのだ。

 見ようとしなかった、黒ミクの言ったように向き合えるはずだったチャンスを棒に振って沈めた、心の奥底の深く深く、小さな箱の中に閉じ込めた願望。

 いつかはあの頃みたいに、という希望。

 だから── えむの頭をなで、柔らかな頬を二、三度手で擦る。

 

「──そうなんだ」

 

 だから、私が彼に関わるのはもうおしまい。

 遠くで『その人たちなら大切にしてくれるよ』と、ずうっと──

 

 





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