「──♪」
休みの日、しかも朝。
いつもなら気怠げに起きて水を飲もうか、それとも二度寝しようか迷う時間だが、今日は珍しくとある場所へ足を伸ばしている。
思いっきり歌っても
自慢では無いが、つい最近まで僕はカラオケというものに触れたことがなかった。
音楽を流して、歌って。
そんなのは家にあるギターで弾けばいいと思っていたし、そもそも友達もいないのにカラオケってあまり行くものじゃないだろうと、そう思っていたからだ。
とはいえ、そう思っていた時と今はかなり状況に違いがある。
僕の担当はギターとボーカル。
ギターはともかくボーカルに関してはほとんど貧乏くじではあるけれど、結局やる事になったのなら全力でぶつかってみるべき。
で、ぶつかってみた結果としては──
「もうちょっと声張れるといいかな」
「叫べばいいってもんじゃないぞ」
「なんだろうな...... 歌は上手い。
それは予想外だったし、嬉しい誤算ではあるんだが...... 練習でこんなに恥ずかしがってたら、ライブ本番なんて声も出せなくなるだろうな」
あんまりいい評価は貰えず。
まあこれがなんとも。中尾さんは褒めたりもしてくれたが、やっぱりギターの演奏と並行して歌詞を頭から出力するっていう行為には難しさを感じるし、人前で歌う事への恥ずかしさを捨てきれていないのだ。
だからと言って今更『無理です』なんて言えるわけもなく、自分に残された選択肢はやるか、やらずに恥をかくかの2択。
そんなの誰だって前者を選ぶだろう。
となれば、練習の候補になる場所はこんなもの。
家、借りた音楽スタジオ、セカイ。
家は論外だ、何せ碧さんがいる。
言えば聞いてはくれるだろうが──
「ボーカルぅ? やればいいじゃん。
......ナメた歌い方したら、ブン殴るけどね」
......少し話したらコレだ。
別に努力は嫌いじゃないけれど、保護者に殴られたりしながら歌ったところで上手くなる気はしないし、そんなふうに言ってはいるが碧さんはただの会社員で歌手ってわけじゃない。
人前で歌う、そしてミスをしないようにするというところは鍛えられるだろうが、何度も叩かれると歌詞や楽譜を忘れてしまいそうだ。だから家は無し。
そうすると次は音楽スタジオだが、借りるのは基本的にみんなで集まれる時だけ。
そもそもお金を出し合って借りてこそいるが、そのほとんどを出しているのは長田さんや中尾さん達社会人。
僕や玲央さんは学生なんだから、若いんだからとお金を突き返されたり少ない額しか貰ってくれなかったりと、そんな状況。
それなのにこれ以上個人の練習として、その時間を潰すのは如何なものだろう? 集まってきたのにいちいち個人での練習なんてあまり考えられないので、これも無し。
そうすると最後はセカイ、なのだが......
これもまた、無しだろう。
理由としては電気がない、というひとつに過ぎる。
大きい音に負けない歌い方をしようにも、出せる音の最大値がスマホの音量マックス程度ではどうにもなるまい。
そうして候補が全てダメになって悩む中、練習に必要なモノを考え、書き出してみた。
大きな音で歌える、電気が使える、出来れば手軽なところ。
書き出して特に何か解決するわけでもなく、うんうんと低く唸っていれば、帰り際にその姿を見た玲央さんが隣からボソッと一言。
「──それ、カラオケでいいだろ」
なんという...... 盲点!
確かにカラオケなら電気使える音も大きい、さらに場所によっては値段も手軽!
もともとそういう場所だからそうなんだけれど、歌って練習をするにはこれ以上のない空間!
他人を誘って行けば人前の恥ずかしさにも慣れることができると至れり尽くせり!
すごいぞカラオケ、ありがとうカラオケ!
──というわけで、今僕は駅から少し離れたカラオケに来ている。
もちろん1人だ、まずはここからだろう。
ドリンクバーで炭酸の入っていないジュースのボタンを押しながら、店内で流れる曲をいくらか上機嫌に鼻歌交じりに聞けているのは、カラオケに入っている採点システムに乗せられているから。
DAMかJOYSOUNDか、というのは長年問題視されている。人によってはどっちが良い悪いを明確に決めているようだが、それは僕に教えてくれた玲央さんも同じ。
歌数も変わってくるが、彼が言うには採点の部分が大きいのだと。
練習するなら厳しめのDAMが1番だ。
そう言われて店員さんにDAMを希望して入ってみたが、これがなかなか、別に難しさを感じたりとかは一切ない。むしろ高得点が取れてコメントで誉められて、中々気分が上がってくる。
もはや練習は口実、カラオケを存分に楽しんでいた。
......しかし、残念だったのは玲央さん。
もちろん1人、と言ったが、なんだかんだせっかくだからと彼も誘ってみたのだ。
だが──
「その日? あー、その日は......
悪い、外せなくってさ」
まあ、深掘りする気はない。
いつものように見上げられる視線からは本当に申し訳ないと言う気持ちが伝わってきたし、きっと家族の用事や学校の何かがあったのだろう。
ともかく、だ。
人の前で歌うこと、そして音に呑まれてしまわずに歌うこと。
それらを実現する重要なファクターは、きっと自分の歌に自信を持つことなのだろうと思う。
何事もボソボソと喋ったり、自信なさげに発表したりすれば、自然と聴く側もあまり良い印象を持てないし、言ってる本人も辛くなってきてしまう。
そこを直すためにジュースの入ったコップを持って部屋に戻ろうとした時、すぐ隣に来た女性がこっちをみるなり『げっ』と言いたげな表情を見せた。
......顔の傷、気になっただろうか?
すうっと入った縦の線を消すために何度も突き刺した歪な痕。
確かに、何も知らない人が見せられたら気分のいいものではない。空いている手でその傷を隠し、ごめんなさいと一言謝ってその場を立ち去ろうとするが、その時見えた顔に一瞬足が止まる。
切れ長の目、小さな身長、赤っぽい髪色。
まさかね。
そう思いながら止めた足を進めようとして、しかし少し気になって、チラリとほんの少しだけ振り向いてみれば、気になりげにこちらを見ていた彼女と目が合って── 疑惑が確信に変わる。
ルームの中ではない。
故に迷惑だと分かっていても、声に出さずにはいられなかった。
「──玲央さん?!」
「〜っ! スルーしろよぉ!」
そう、目の前の女の子は福田玲央だ。
noisEのドラマー、大学生でバンドじゃ1番歳の近い先輩で、最初は認めてくれなかった身長の小さいあの福田玲央。
確かに声は高かった。
確かに手も小さかった、が──
「な、なんだよ。女じゃ悪いか、別に俺が男だなんて一言も言ってないぞ......!」
「いや別にいいと思います」
「は?」
「かっこいい玲央さんも、今の可愛い玲央さんも僕は全然いいと思いますよ。
長田さん達に言わないほうがいいのなら、そう言ってくれれば秘密にしておきますし」
「なんっだお前......」
何故か腹を殴られる。なんで?
......まあ、別に。玲央さんに女の子でしたーって言われたところで、僕の中で玲央さんの立ち位置とか、扱いが変わることはない。
頼れる先輩、バンドの作曲担当、失敗したら励ましでミンティアをくれる人。
日常でそういう格好をしているのも何か理由があるはずだからだし、そこに関してイジったり馬鹿にしたり、奇異の目で見ることは嫌なことだ。
とはいえ、彼女の様子を見るにあまりバレたくなかったのだろう。
見るからに『どうしよう......』と、これからのことに思いを馳せているようで、びっくりして手汗が吹き出しているだろう右手に掴まれたロングスカートは、その部分だけシワシワになっている。
どうしたものか。
ここで僕が何か言ったとて、彼女が
若干の後ろめたさ。
開けてはいけない箱を開けたような感覚。
秘密を握ってしまうことの恐ろしさというものを感じながら、人のこないドリンクバーで少し、ほんの少しだけ考えて、少し俯いている彼女の顔に手を添えて、こちらの方を向かせた。
なら、僕の箱も開けて貰えばトントンか、と。
「1人ですか?」
「......友達と来た。3人で、じゃんけんで負けたから全員分の飲み物取り来て......」
「じゃ、しばらく誰も来ないですね。
少し情けない話でもしましょうか」
「──お前...... それ、ここで言うことじゃないだろ......」
「そうですね、僕もそう思います。
でも...... 僕も、ここで貴女が
というわけで、
中尾さんとみのりちゃんにも既に話していた事だ、最初と比べるといくらか手の震えは抑えられたし、知られたくない事を知ったのに対する対価は、これくらいが妥当だろう。
それを聞いた彼女は苦虫を噛み潰したような顔を一瞬だけ見せ、頭をブンブンと振ってから、ポケットを探ってのど飴をひとつこちらの手のひらに乗せた。
......いつもの玲央さんで居ようとしたのだろう。
だからありがたくソレを受け取り、口に含む事で、互いの知らない方がいい話は終わり。
僕たちはそれでいい。
「つーか、長田さん達は知ってるワケ?
普通があるかどうかは分からないけど、そんな事があったら人前に出てライブ...... というか、ボーカルやるのだってキツイだろ?」
「少なくとも中尾さんには話しました。
長田さんは...... どうかな。多分
そう言われて思い出すのは、初対面で話した事。
「
まあなんとも大変だね、としか言えないけれどさ」
おおよそとは大体のあらまし、その把握。
あの言い草からして、彼は僕のことを知っていて、その上で誘ったのだと気づいたのはバンドに入った少しあと。
こうしてみると常々思うのは、僕は
身寄りの無いのを碧さんに拾われたことだってそうだ。なんだかんだ愛を届けられてここまで来ている。
......僕は、これから何を返せるだろう。
そう思ってセンチな気持ちに落ちていれば、わしゃわしゃとこちらの髪をかき乱して『似合わねー』と笑う先輩の声。
こういうところ、つくづくこの人には敵わない。
「やめてくださいよ、もー」
「カラオケ来てんのにそんな顔するやつが悪い!
......そーいや、点数ってどんなふうなのさ?」
「ああ、今のところ全部90から上ですね」
「おぉ...... まあ、部屋に入ってそんな時間経ってないだろ? 時間が経ってくれば喉の調子だって──」
「4時間目くらいです、今」
「......ふぅ」
「──で、なんで僕の部屋に来るんですか?」
「それはあれだよ、こっちの方が対人で練習になるだろ? カードゲームとか格闘ゲームと一緒一緒」
飲み物を置いてどんな歌を歌おうか考えている時に押しかけられ、どすっと椅子にもたれかかる玲央さんを見つつ、テレビと彼女の間に立ち上がる。
もちろん片手にはマイクを持って、画面には予約された曲の題名が大きく表示されてイントロが流れ始めた。
別に聴くだけなら次の練習日でもいいだろうに、急にわがままになられると困惑するからやめてほしい。
とはいえ、長時間歌ってきた効果というのは出ている気がする。
まず、人を前にしても緊張で体の奥が震える感じがしない。これなら声が震えたりすることもなく、真っ直ぐ届けられそうだ。
イントロもそこそこに、ライブ想定だ、なんて適当なことを言いながら盛り上がってる玲央さんに何とも言えない表情を送りながらも、仕方なく歌い始める。
「──♪!」
人がいたとして、変わることはない。
常に最高の歌を意識し、その果てに見ようとするのは客席と── 届けたい人に、歌を通して想いを伝えている自分。
そのために体に走る熱を声に伝わらせ、喉を震わせ、全力で。
いつしか騒いでいた玲央さんも静かになり── 歌を終えれば、採点画面へ。
今回、点数は指標に過ぎない。
結局のところ届けるのは人なのだから、大事なのは今、声を聞いた玲央さんがどう思うか、どう感じたかである。
「どうでした?」
しかし、難しい顔をしたまま。
答えを聞かないことには直せるものも直せないが。
そう考え始めた頃、彼女はついに、どうにか言葉を選んで口に出した。
しかしそれは── 耳を疑うような言葉だった。
「......
余裕ができたら感想にお礼を言いに行きます
感謝はいっぱいしてます