「──そろそろ話したいんだけど、テトはまだそれを食べる気でいるのかい?」
「......食べる? 美味しいんだよ、このガーリックソースをかけて焼いたヤツ。
僕のイチオシ」
「いやこれから話すのにニンニク食べないよ......」
そっかぁ、と取り出したソースをウエストポーチにしまい、一度注意されてもフランスパンを食べ続けるテトとため息をつくカイトを交互に見ながら、座らされた椅子の上でゆっくりお茶を口に含む。
焚き火から生まれた煙が舞い上がっていく空は不思議な光景で、右を見れば夕焼け、左を見れば月に照らされた星々が絶え間なく輝き続ける。
あり得ない風景だというのに、何故か落ち着きが心の中に一滴落とされたようで、初対面の2人を前にしても心が怯える感覚がない。
それどころか、心地良さすらあった。
「......さて、この子は置いておいて、少し説明しようか。
ようこそ、優樹くん。
ここは
「え......?」
つい疑問符を口にしてしまったが、まあ、そう言われると納得できちゃう光景だ。
少なくともさっきまでギターを弾いていた僕の家に、こんな背の高い木が乱立している空間はないし、テントを設営して焚き火が出来るほど広々ともしていない。
つまり──
「異世界転生?」
「君、死んでないだろう?
......ともかく、僕たちはそんなセカイで君たちの『本当の想い』を見つける手助けをするのが仕事。
とは言っても、常駐しているのは俺とテトの2人だけなんだけど」
「そうだよ、だから僕たちにバリバリ頼ってね、イェイ」
パンを食べ終え、カスのついた指でピースするテトに対して苦笑いを返しながら、怒涛の展開を受け入れる理解力を持たない自分にちょっとだけ可哀想だなと自己肯定。
思いで出来た場所がこのセカイなら、作った思いの持ち主は僕なのだろうか、それともまた別の人?
早いペースで飲み終えてしまった空のカップを椅子のサイドテーブルに優しく置き、僕の中にあるのであろう『本当の想い』とやらを、炎を見ながら考えてみる。
......今日だけに限れば、相手に不快感を与えずに話せるようになりたい、とかって思えるが。
しかし何年ぶりだろう、こうして炎の前に座り、ゆったりとくつろぎながらそれを眺めるのは。
お父さんが家にいた頃くらい前だから、だいたい小学生くらいまで遡る。
思い返せるのはどこまでも広がる夜空と、たった一筋だけ流れ落ちた流星の姿。写真に収めようとして失敗して、ダメだったって笑いながらご飯を食べたっけ。
今は昔の思い出だ。
耳を澄ますと確かに、あの頃が心の中で聞こえてくるよう。
「無理して前に進む必要は無いよ」
物思いに耽る僕に、コーラの蓋を開けながらテトが言った。
風情のかけらもない炭酸の弾ける音が、その言葉をさらに深く、痛み無く僕の中へと突き刺していく。
「僕は燃えてるのが見たくて炎を見てるけど、もっともっと大きくすれば見応えがあるんじゃないかって薪を突っ込んだりしない。
だって大きくなるのは一瞬、あとは尻すぼみで、薪が燃え尽きちゃえば焚き火も出来なくなる。
優樹くんもそうだよ」
「......どゆこと?」
「......はぁ。
無理したらそこで君がダメになっちゃうかもね、ってコト」
コーラを一口飲んでから入れられた薪が弾ける音を鳴らし、その熱が僕とテトの間にある空間を歪める。
陽炎のようなその見えない壁越しの言葉は正しいのかもしれない。
辛いことを無理してやったってもっと辛くなる。
もっと辛いことに変化したソレが心にどんな影響を及ぼすのか、なんてその状況になってみなくちゃわからないけれど、あんまりいい
世間一般で言うところのあきらめ、または見切りをつける、ということ。
言われたところで、簡単に受け入れられるものじゃなかった。
「無理しなくていいって言われても...... それでも僕は前に進みたいよ。
なんでも進んでやらなきゃダメなんだ」
「馬鹿だな、努力なんて簡単に裏切るんだぞぅ」
「それでもいいんだ、あきらめられないだけでやり続けるのが決して賢い選択じゃないんだっていうのも、とっくの昔にわかってる。
そうじゃなかったら惨めったらしく保健室登校なんてしないで、家で引きこもってるさ」
馬鹿、と言ったテトの言葉を否定するつもりはない。
事実として、僕は馬鹿なのだろう。決して頭の良くはない考えを口にしている自覚はある。
見切って仕舞えばいくらか楽になれる物事から、どうしても逃げようとしないのも、そのクセいざ克服するチャンスが訪れても生かしきれないのも、全て望んで向かい合っている
僕にだって、普通な時はあったんだ。
普通に友達と遊んだり、何気ない話をしたり、引き攣っていない自然な笑顔で日々を過ごした時。
ある日を境に消えてしまったそれを追い求めることが馬鹿だというなら、僕は喜んで馬鹿になりたい。
マイナスの今から見れば、ゼロの普通だって見上げるほどに美しくて遠いもの。
ゼロがゼロで居続けるための現状維持ではダメなんだ。
マイナスがゼロに這い上がる為には、僕という薪を火の中に突っ込む事こそがベストであると信じているからこそ、僕は進みたい。
それに...... あの頃みたいに元気になれば、家族にも心配をかけないで済むだろうから。
俯きながら喋った反論に対して、また別の論を語ろうとするテトの口を身を乗り出したカイトの手が塞ぐ。
大きなその手は軽くその口から放たれる音の振動を遮り、大人のようにどこか達観した視線を、こちら側に向けた。
その視線からはテトのような文句を感じることはなく、あくまでも肯定の意思が見て取れる。
しかしその目もまた、安心したような、不安げなような、複雑なものが入り混じる。
「そろそろ夜だ、優樹くんにお願いしたい事があってさ」
そう言われて『お願い』というものを待ち構えていれば、渡されたのはずいぶんと大きなもの。
両手で抱えられて、重量が左右で偏っており、加えて中は空洞の── まあ、いわゆるギターである。
シンプルなアコースティックギター。言ってしまえば、楽器屋に行けば10軒中の10軒に置いてあるようなありふれたデザインの、面白みのないギターだ。
しかし驚いたのは、その凡百のうちのひとつでしかないギターが、見れば見るほど僕の家に置いてあるものと同一なのだ。
ボディに見える、服のボタンと擦れて出来た擦り傷。
ネックのところに目立つ、昔に貼った可愛らしいシールも。
その全てが、お父さんから貰った僕のギターと同一なのだ。
「まあ、見ての通り僕たちは歌が好きなんだ。
だから少し聞かせて欲しい、君が弾ける歌を、せっかくだからね」
ベルトを肩にかけていれば、カイトの座っている椅子がギシ、と音を立て、背もたれに体重がかけられている事がリラックスしていることを教えてくれる。
テトの方に視線をやると、興味津々にこちらを見るソレと目が合う。
......普通、人前で演奏したりはしない。
歌も歌わないし、映像として見た事があり、声も聞いた事があるとはいえ、そもそも2人とは今日が初対面だ。
それでも指が弦を押さえるのは、きっとこの場所のせいなのだろう。
見上げれば煌めく星々、目の前には温かな炎。
記憶の中にある大切なものによく似たそれらの光が、周りのものに怯える普通じゃない心をじわじわと溶かす。
背の高い木々が周りを囲む中、ゆっくりと右手が弦を弾き、静かだった自然の中に人の音楽が流れ始めた。
「──♪」
別に、僕の弾ける音楽にレパートリーはない。
折れそうな時に何度もソレを爪弾いて、戻りたいあの頃を思い出して、心を奮い立たせる。
それだけの歌、それだけの音。
......だけど何故だろう?
今日のソレは温かく、建て直された心の柱にたった一つの熱を灯す。
セカイの不思議な力か、それともシチュエーションか。
耳を覚ますと微かに聞こえる炎の音が、映写機のように周りの景色を古いものへ変えていく。
『──やっぱり、こういうのが1番だなぁ』
そう言ってケースから取り出したギターを撫でるのは、数年前のお父さん。そのすぐ横にいるのは、今は疎遠になっている幼馴染。
過去の投影であることは疑いようもない。
──もう、お父さんと数年は会っていないのだ。
離婚して、お母さんが死んで、たった1人の兄は高校卒業と同時にどこかへ行って、僕は保護者である叔母さんの家で1人。
思い出らしい思い出を写した写真も、動画もない。
だから僕に残った家族の残影は、掠れて消えかけてしまっているズタボロのフィルムを、こうやって脳内で上映するだけでしか見る事ができないのだ。
あの頃、お父さんから教えてもらったギターで、教えてもらった歌を歌う。
思いを馳せても戻らないから。
どれだけ歌っても、そこに帰ることは出来ないから。
せめてこの歌を燃料に、僕は前に進み続けたい。
そう思った瞬間。
「──♪ ......あれ?」
冷たいものが流れる。
降り積もって、でも、見ようとすらしなかった感情がカケラになって、喉の奥から突き刺さりながら溢れてくる。
いつしか前に進む為の歌は歪な痛みを形にして、嗚咽と共にボロボロと溢れていた。
「あっ、ごめん、ごめんね......」
背中をさするテトの手から温かさを感じる。
「ほら、やっぱり。
君、自分が思ってるよりも限界なんだよ。思い出を燃料に出来るほど余裕は無いし、新しい思い出を仕入れられるほど人付き合いがあるわけじゃないんだから無理はしちゃダメだって。
今だって多分、
「......うん」
怖い、というのは、今の心を的確に表している。
特定の形を成しているわけではない、あくまで漠然としたもの。
それが思い出というものだ。
人によって悪い思い出もいい思い出もあって、そこのバランスがあるからこそ、みんなは過去に恐怖があったとしても、ソレに飲み込まれないで前を向く事ができる。
相殺というか、中和というか、そういう感じ。
そのバランスが崩れたまま、ずっと過ごしてきた結果がコレだ。
ゴミ袋に『押し込めば入るから!』とゴミを入れ続ければ底に穴が空いてぶちまけてしまうように、大量のイヤなモノから数少ない良いモノだけ取り出して他を閉じ込めていた僕の器は、いつのまにかこんなにグズグズになって、それら思い出や他の何かに対して恐怖を抱いてしまっている。
誰かと話す事、目を向けられる事、意識を向けられる事、秘密を共有する事。
その他たくさんのことが恐怖として、心に渦巻いていくのを感じていた。
ふと、歪んだ視界の端に現れた白い何かが、足元をクルクルと回る。
時折足に触れるソレはフワフワと綿毛のような感触で、モゾモゾとズボンと肌の隙間に体を突っ込もうとしているではないか。
何事だろうかと目を擦り、ソレを見てみれば、誰しもが見たことのあるシルエット。
尻尾、四足歩行、耳。
「うわぁ!?」
驚きながらもその体を引っ掴んで持ち上げれば、そこに居たのは全身真っ白の犬。
ポメラニアンというやつだろうか、毛の多さに対して体温は高くないというか、むしろ冷たい。
前足をブンブンと振る姿は可愛らしい...... が、その一方で疑問符が浮かぶ。
ここまで獣の気配など微塵もしなかったのに、何故急に現れたのか?
その理由は、どこからともなく取り出した手提げのカンテラに炎を移すカイトから語られる。
「どうやら君の歌に惹かれたようだね」
「コレ、ただの犬...... じゃあないよね?」
「そうだよ。
──それは、君の
このセカイでは夜になると、恐怖が獣の形を持って現れ始める。真っ白な姿で。
その犬は...... きっと、優樹くんが『恐怖を恐怖として認識すること』を怖がっていたから生まれた獣だろうね。
懐いているあたり、君はその恐怖を受け入れられたんだろう」
「おまえが、僕の......」
随分と可愛らしい恐怖もあったものだ。
しかし『ワン!』と元気よく鳴いた犬に対するテトとカイトの反応は冷たく、どうにも僕にはその反応が腑に落ちない。
すると火かき棒を手に持ったカイトは、振り返らずに会話を再開する。
「......獣はね、恐怖の持ち主に対して凶暴なんだ。
敵意を向けられれば容赦なく牙を刺して、牙を刺された側はもっと獣に恐怖する。
僕とテトがパトロールしても、対応しきれないこともあったり、だ。
そろそろ出没する時間だから、優樹くんは帰ったほうがいいかもしれないね」
ふと、犬を見ながら思う。
恐怖を受け入れることは難しい。
それは決して簡単なことではなくて、あくまでも自分の心の中でしか存在し得ないものと対話するということは、どこまでもひとりぼっちで触れたくないものに触れ続けなければならないということでもある。
だからみんな、カウンセラーやセラピーに頼るのだ。
でも、こうやって獣として恐怖と相対できれば、きっと話は変わってくる。
一度眼を閉じて考え、立ち上がってカイトを呼んだ。
「カイト!」
「うん?」
「──僕は、僕の恐怖と向き合いたい。
そうすればきっとゼロに戻れるし...... 2人の言う『本当の想い』もわかる気がするんだ!
だから、えっと、そのだね?」
肝心なところでしどろもどろになり、バッチリ決められない自分をちょっとだけ嫌になりそうになる。
しかし大丈夫だと背中を叩くテトが、笑顔で待っているカイトが、その恐怖から僕の手を掴んで引き上げた。
「だから...... 協力してほしい!」
「もちろん! ただ、恐怖と向き合うことは痛みを伴うよ。
それでも構わないね?」
「うん!」
掠れてしまった大切な思い出は、思い出のまま。
前に進む為の、向き合う為の新たな燃料を心に宿して僕は歩き出す。
この── 深い森のセカイで。