「──これ、プレゼントですっ!」
綺麗な角度で曲げられた腰と指先まで力の入ったその差し出し方、そして関わりの薄いみのりにプレゼントをもらう、という普段ならあまりあり得ない出来事に、いつものように椅子に座って気に入っているバンドの新曲を聴いていた双葉は目を見開いて少し口を緩ませる。
別に悪い物ではないだろうとソレを受け取れば、長方形の紙に『noisE』と一文字一文字別の人間が書いたのであろう特徴的なロゴと今週の土曜日の日程が書かれた、いわゆるライブチケット。
──前までなら喜べただろうか。
蛍光灯の光を頭上にまで持ち上げたそのチケットで遮りながら、どうするべきかと考える。
こんな風に...... まあ、人を経由してとは言えどチケットを渡されて『来い』と優樹に伝えられること自体は双葉にとって悪いことではなく、むしろ嬉しさの方が強い。
しかし自分が関わることで、彼に
その疑い、関わることへの恐れが喜びの感情を押し止め、行かないと言う選択肢を追加する。
しかしそこに差し込むモノがある。
自分と優樹の関係は広く他人に知られているわけではない。小学校の頃と違って噂を言いふらす人間もおらず、であれば彼女はどうやってこのチケットを自分に渡す、という結論に辿り着いたのか。
その答えは案外すぐに、太陽みたいなアイドル見習いから伝えられる。
「優樹くんに色々教えられたの。
それで伝えたい事があるからこれを渡してって頼まれて...... だから、一緒に行こうよ!」
「......色々って、どこまで?」
「全部かな」
ギョッとして、ここがセカイか家なら椅子ごと倒れてしまうくらいの衝撃。
みのりがそこまで優樹に信頼を置かれているという事はまあいい。びっくりしたのは、こっちの様子に慌ててる目の前のアイドルが色々聞いた上で普通の対応をしている点である。
性欲に靡いた人間、というよりは
それは世に蔓延る不倫報道なんかを見ればわかる事で、実際双葉にとっては彼にした行為が全てを蝕んでいると言ってもいい。だから誰にも言わず抱え込んでいるというのに、目の前のみのりはフツーにチケット手渡し。
信じられない、という風にチケットに目を落とし、少ししてから彼女は微笑んだ。
ここまで受け入れられる人間を相手にすれば、それは優樹だって心を許すか。
しかし決めたことを揺らがせるのはプライドに反する。彼に関わるのはもうおしまい。そう誓ったこころが胸の中にある、が。
これは彼からの申し出だから。
チケット代が勿体無いから。
もしかしたら演奏がどこかしらで参考になるから。
──と、未練が残り過ぎているのも事実。
だから今回限り、双葉は反逆心を向けている親のように自分自身を揺らがせる。
これではなにも変わらないな、と自嘲しながら立ち上がり、みのりの頬を摘んで笑う。
「わかった、私も行くよ。
......よく見ればやっぱり可愛いよね、アイドルってすげー」
「ひょえ?!」
その一方、優樹はスタジオに立ちながら延々と喉を震わせ、弦にピックを叩きつけるかの如く音を乱反射させる。
その光景はまさに鬼気迫るもので、次のライブに向ける意思が周りの景色を歪ませるほどにも見えて来る。
なにも知らない人間が見ればその光景を素晴らしいもの、がむしゃらに練習をする元気な高校生程度にしか思わないだろうが、同じような練習をして疲労を休めている休憩中の他のメンバーにとっては、冗談ではない姿だった。
「おかしいですよ、アイツ......」
「止めて止まるようなもんじゃないんだろうが、いくらなんでも休み無しでぶっ通しはやり過ぎな気もするな」
きっかけは前回のライブ、保護者である天里碧に言われたことがここまで火をつけた。
自分の弱さ、姑息さ、そしていつかは訪れる逃れ得ない暴力性の発露。それらを受け入れて
しかしその一方で現れ始めた無謀さは、決して褒められたものではない。
「──休憩。サイダーか水、どっちがいい?」
「無理し過ぎてもいい方向には行かないよ。
俺がその証明だ」
最初は2人もいい感じになってきた、と心配しながらもその成長を喜び、ギターソロの提案をしてみたり、ただ真面目にやっているだけなのだと普通に彼を止めようとした。
しかし優樹の熱は尋常では無かった。これまでもなんとか向き合おうとして、その度に弾かれて、それでもそれでもと足掻いた末、また大きな壁が現れる。
バンドに参加すること、その中で自我を出すこと、恥ずかしがらずに歌うこと、そして歌に恐怖を乗せずひとつのライブをやり切ること。
疲れていた。
本人も他人も気づかないほど巧妙に隠れていたが、もう限界だった。
だから既に器は壊れていたのだ。
故に、今演奏中の優樹は疲労を感じていない。
ただもっといい演奏を届けるために、歌を届けるために、そして双葉に想いを伝えるためにその手を動かし続けている。
何がいけなかったのか、考えて出た結論は甘えがあること。
皮肉なのはその甘えを消した結果、あれだけ嫌っていた
しかし、その隣に立ち続けながら、壊れているわけではない男もいる。
長田周平。noisEの暫定的なリーダー。
客観的に見れば別に彼自身が練習に付き合う必要性はない。中学生の頃からnoisEに加入してベース一筋十数年。
既にアラサーの長田が積み重ねてきた技術力はプロにも匹敵するどころか何度もプロデビューを控えたバンドの誘いを受けるほどで、今回のライブで演奏する曲も、既に完璧に近い完成度で仕上げている。
もちろん疲労は溜まり、弦を押さえる手も限界が近い。
それなのに何故優樹に付き合い続けるのかと言われれば、先日のライブの後に繋げた通話の内容のせい。
「──先輩、アレは流石にやり過ぎです」
日頃誰かを咎めることをしないようにしている男が放った、やんわりともしていない行動の否定。それに動揺することもなく、碧は冷たく言い放つ。
「じゃあどうやって優樹の甘えを、こびりついて離れないモノを消す?
......誰かが敵になって、そこにたった1人で反抗心を持って立ち向かいでもしなけりゃ甘えは消えない。
noisEは軽音部みたいな遊びじゃない。積み重ねたものがある歴としたバンドで、そこに入ることを決めた時点で甘えたやり方は許されないんだよ」
「それは......そうです。俺も中尾さんも玲央も、それこそ彼の父親である裕也さんだって甘えて音楽を作ることをよしとはしなかった。
──でも先輩は思春期を舐め過ぎだ。
あのやり方じゃ彼は壊れてしまう。既に一度踏み外してしまった道から、どうして更に突き落とそうとするんです?!」
「......見解の相違だな、アレはそんなに脆くない」
「そうですね、俺ももう2度と貴女と飲みに行く事はない。
次のライブで
俺は...... 優樹くんの味方でいたい」
長田にとって大人とは憧れの象徴だった。
グレていた頃に音楽を教えてくれた人がいて、こんな自分を受け入れてくれた大人がいたから今があり、こうして弦を弾いている。
だから味方で居続けたいと願う。
せめて彼が一人前になるまでは、一緒にnoisEとして。
「あ──」
そろそろ手が動かなくなるかと思う頃、優樹の弾いていた弦が切れ、少し間抜けな音が響くと同時に練習の終わりを告げた。
既にアラサー、やはりどれだけ慣れていたとしても疲れは溜まるもので、やってしまったなぁという表情の優樹を見ながらその場にへたり込む。
大人というものは疲れるのだ。
その言葉を噛み締めながら息を整えていると、疲れた様子のない彼が同じように座り込み、軽く頭を下げた。
「付き合ってくれてありがとうございます、長田さん」
「──はは、いいのいいの、なんてったって俺
俺は優樹くんの味方だからね!」
強がり、上げるのも辛い右手をサムズアップさせて自分を指しながら、いつものようにウキウキな笑顔を見せる。
これが大人だ、と。
しかしその一方で気になることもあった。
バンドマンが頭を悩ませる存在、チケットノルマである。
それぞれ長田を含めた3人は知り合いなり個人のファンなりに売って早々に達成をしたものの、そういう関係性がわからない大人にとって、高校生の優樹がどう達成したのかは気になるところ。
それに一枚自分で支払っていたチケットの行方が気になるところではあるが、まあそれはそれ。
聞いてみれば、優樹はいつもの様子で答える。
「友達......ですね。
ビビッドストリートってわかります?」
「ああ知ってる知ってる!
RAD WEEKENDで有名なイメージあるけど、あそこレベル高いんだよねー」
「そうです、そこ。
そこで歌ってる友達4人と、バイトの同僚と、あとアイドルの女の子が1人とか。
あとそれと...... もう1人」
「......どう言う人脈?
まあいいや、ともかく!
練習をやるのはいいし、頑張るのもいいけど、ちゃんと前日にはご飯をいっぱい食べてぐっすり寝ること。
約束だ! 中尾さんと玲央も例外無しだからね!」
「はいはい」
「わかってますよ」
日は傾いて、また登って。
そしていつしか、その日がやって来る。