春風も収まってきて、日中の陽気がいくらか暑さという者を連れてくる様な季節。
そんな中、静かな空間の早朝に訪れたのは多くの魂が眠る場所である霊園。いわゆる共同墓地と呼ばれる場所の大きな墓石の前、たった1人手を合わせてほんの少しだけ顔が薄れてノイズの走る、頭の中の母親に想いを馳せた。
「ごめんね、最近来れなくなってて」
閉じた瞼を持ち上げて謝意を示せど、返事は返ってこない。
当然だ、彼女はもう既に死んでいる。
この世に家族を失った人など溢れかえるほどいて、その中の何人かはその事実を受け入れられないという事もあるだろうが、僕は自分でも意外に思うほど、すんなりとその死を受け入れられた。
指先で墓石を撫で、思い出すのはトントン拍子に共同墓地への埋葬を決める遺族達の姿。
どうしてそんなにすぐ割り切れるのだろう?
碧さんの影に隠れながらそう思った自分は、今ではその疑問に対して首を振って言える。
割り切ったわけじゃない。それでも決めなきゃいけない事だった。
誰しも自分の子供とか、可愛がった相手が先に死ぬなんていい事じゃないと思うはず。愛らしいものはずっと手元に置いておきたくて、でも老い先のことを考えればそうもいかない。
だからと言って、まだ大人にもなっていない僕に託すのも荷が重すぎると考えれば、この埋葬方法も決して悪いわけじゃない。
母方の親族から受け取った最後のギフト。
そう思えば、こんな扱いも僕は納得できる。
......お母さんがどう思うかはまあ、わからないが。
「心配してくれてた双葉との仲直り、この前ちゃんとできたんだ。それに仲のいい友達もたくさん出来てさ?
えっと...... この4人、VividBADSQUADっていうグループで活動してる人達で──」
死人に口は無い。
目も無い、耳も無い。
だからこうやってスマホの画面にある写真を見せながら話す事も、既にいない人に縛られる事も、そもそもこうやって未練たらたらで墓参りをする事も、あまり自分のためにはならないのだ。
それでもこの場所に来る理由は
どんな獣でも、世話になれば礼儀を尽くす。
僕は家族に世話になったし迷惑もかけたのだからこれぐらいはしなきゃいけない。できる事ならお父さんや兄にも謝って回りたいが...... どこにいるのかもわからず、そもそも会いたくないかもしれない以上、関わるべきでは無いのだろう。
「それで、この子がみのりちゃん。
すごく元気で優しくて、太陽みたいな子で......」
言葉に詰まり、少しの間をおいてスマホの画面を閉じた。
もちろん、虚しい気持ちにならないわけじゃない。
そこにいるかも分からない人に話しかけ続けることなんて普通にヘンで、苦しくて、それでも僕は何度だってここに来るんだろう。
少し冷たい風が吹いて、そのあたりに生えている木々がざわめいた。
そんな風に導かれて視線を向けた先には、個人の墓に花を手向け、ゆっくりと手を合わせて墓石を見つめ続けている女性。
ロングスカートを風にたなびかせて悲しげな表情を浮かべる彼女は前まで見たことの無かった人で、きっと最近誰かを失ったのだろうという事はすぐにわかった。
ふと、目があって会釈をすれば、彼女はこちらの顔を見るや否や荷物をまとめ、足早に消えていく。
「......誰だろ」
その姿を見られたく無かったのか、傷が付いてないはずの顔の左側に何か文句があったのか、それともどこかで会った事があるのか。
話を聞く事もなく消えた彼女に対する思考はそこまで長続きせず、陽がしっかり昇り始めた頃、こちらも一旦家に帰ることにする。
瞳の中に咎を抱きながら。
「──♪」
なんでも無い休日。
やる事があるか、と言われたら今朝の墓参りくらいしか無くて暇を持て余す。
とはいえ何もせずにソファに座ってバラエティ番組ばかり見ながら笑って過ごす...... なんていうのも出来る性分にない。となれば取り敢えず散歩でもしてみようか、というわけで、家から少し離れた場所を歩きながら鼻歌を歌っていた。
しかし、先日碧さんから受けた申し出には驚いた。
予定を空けろ、なんて言われたのは一回二回あるかないかというところで、その時は決まって結構重要なものをやらされたり、考えさせられたりしている。
直近だと高校の受験先を通信制にするか、それとも普通科にするか、とか。
だから何かしら、大事な事があっての、なんだろうが。
今でも冷や汗をかけるほどにマズイのは、壊れたギターの事である。
あの後そそくさと風呂に入ってしまった碧さんの目を盗んでケースを開けてみたが、そこにあったのは見事にペグの折れた無惨な姿。
それも1本だけでは無く2本も。
あの場で勢いに任せて言えば良かったが、予定を空ける事への交換条件として出された『今後貸し出し無料』という所を見るに彼女、絶対に壊れることを想定していない。
そんな所に壊しちゃいました、なんて言ってみたらどうなるか...... 思わず身震いしてしまう。
とはいえ、どこかで言わなければならないのもまた事実。
逃げ続けるわけにもいかないことだから、その予定を空けなければならない次の休日にでも言う事にしようと考えていたその時、遠くから何かを引きずる様な音と誰かの声が聞こえてきた。
思わず鼻歌を止めて目をそちらに向ければ、何やら白い物体がこちらの方へ向けて爆走しているではないか。
「──サモちゃん、待ってー!?」
飼い主がその白い物体── サモちゃんと呼ばれる犬を追いかけると、彼...... もしくは彼女? は更なる加速をして、首輪に取り付けられたリードを地面に擦りながら嬉しそうに走り回る。
珍しい光景。それに驚いたのはもちろんだが── 何より、その飼い主が見慣れたTシャツに袖を通したみのりちゃんだと言うのが最も衝撃。
彼女もこちらに気づいたか、必死な顔でよく通る声を響かせる。
「あっ優樹くん!」
「止めた方がいいー?」
「お願いしますっ!」
じゃあ止めよう。
と言う事で腰を下ろして屈み、サモちゃんの通過ルートに立ち塞がって到着を待つ。
まあ犬。イメージ的にもそこまで大きい印象は無いし、ちゃんと受け止めてあげれば僕もそちらも怪我しなくて済むだろう。
そう思ったのも束の間、段々と近づいてくるサモちゃんに対してある疑問が湧く。
──なんか、デカくね?
サモ、サモちゃん...... サモエド?
サモエドならテレビでやっていた。確か体重は60キロとかあるタイプの犬。
......マズイだろうか。
とは言えもう逃げられない、僕に出来るのは受け止めることだけ。
「ワンっ!」
嬉しそうに突進してきたその巨体は内臓を揺らし、一瞬の吐き気を催させるがそれ自体を引っ込める事は容易。
衝撃を受け止めた身体はその破壊力を逃すためにゴロゴロと回転するが、ここで予想外だったのは──
「あっ、うぁぁぁぁ......!」
すぐ横が河川敷だったと言う事である。
草の刈られた芝生の坂。
サモちゃん分の重さも加わって転がり落ちていく1人と1匹の速度はまるでボウリング球のよう。
目を回しながら下まで落ちて空を見上げると、何故だか笑いが込み上げてくる。
心配そうに降りてきたみのりちゃんと事もなげに舌を出してこちらを舐めるサモちゃんの姿も相まって、その笑いはさらに強度を増した。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫......?」
「......はは、はははっ、あー面白い!
サモちゃん元気だねー?」
「ワフっ......」
ふわっとした毛並みに手を振れれば、しっとりとしてちゃんとケアされている事のわかる手触り。
愛されているんだなぁと羨ましく思いながら、首輪から伸びるリードの先を彼女に渡し、そのあたりに設置されているベンチに並んで座る。
服には大量の草がくっついてるが...... まあ、悪い気はしない。
童心に還るってこう言う事なんだろう。
「本当にごめんね......」
「全然いいよー、ちょっと楽しかったし。
それに......」
『それに?』と聞き返され、つい口を手で塞ぐ。
シンプルな失言だ。いくらなんでも人の前で
「そ、そういえば! よくこの辺散歩したりしてるの?」
「うん! サモちゃんがこの河川敷の道、大好きみたいでよく通るの!
......元気すぎて振り切られちゃうんだけど」
「へえ、そっか...... 僕もこの辺、好きだな」
水面を見れば反射する太陽。
風を受けてはその姿を変えながらその光を乱反射させる川は時により姿を変え、早朝には昇る朝焼けを、そして夜には静かに輝く月を映す。
変幻自在に顔を変えるもの、と言うのが好きなのかもしれない。
「──そういう意味では、焚き火が好きなのもおんなじ理由か」
「うーん、だからセカイにも?」
「かも。
......それで言ったら毎日好きなものだらけだけどね!」
一際強い光が目を照らす。
こちらを不思議そうに見た彼女に笑いかけながらすっかりオープンになった心を開き、その目に反射する自分を見る。
「もし今日が悪い日だったとしても、明日はもしかしたら凄くいい事が起こるかもしれない。
毎日が誰かの気分の中で変幻自在に動いていて、僕もみのりちゃんも、そんな中で明日に想いを馳せる事ができる毎日が──
......そう思わせてくれたみんながいるから、毎日好きなものだらけに今は過ごせてるんだ。
もちろんみのりちゃんのおかげでもあるよ」
「──わたしも...... わたしも遥ちゃんのおかげでそう思えた。
だからわたしもその気持ちを届けられたなら、すっごく嬉しいな!」
お互いちょっとの間笑い合って、2人だけの河川敷の近くを電車が通過する。
ほんの少しだけのそよ風。頬を撫でるそれは心地のいいものがあり、笑い声をどこかへ連れて行ってしまう様な気分。
それからはお互いの好きなものとかを教えあったり、かと思えば苦手なものを聞いて意外に思ったり。
「ブロッコリーかぁ、前にも聞いたけど、確かに青臭さとかあるもんね」
「優樹くんは?」
「......カリフラワーと辛いもの。
食べれる事には食べれるけど、食卓に並ぶと『うっ』てなる」
少しした頃、サモちゃんが前足を上げてこちらにのしかかる。
散歩の再開をねだっているのだろう、時間もいいところなのでそろそろ立ちあがろうかと思ったが、袖を見れば夥しいほどの草、草、草。
これじゃ電車に乗るのはちょっとな、と服全体をはたいてから頭を軽く叩き、これでよしと今度こそ立ちあがろうとすればみのりちゃんに止められる。
「あっ、待って!」
「ん? うん」
何事か、と大人しく座り直せば、距離を保っていたはずのベンチにあった足と足の間が無くなり、彼女の足がこちらの足に触れる。
びっくりして固まっていればみのりちゃんは少し背伸びをして、こちらの髪の毛を優しく触るとこびりついていたしつこい草を取り除く。
......取れたよ、と元気に笑うその顔を直視できない。
「あ、ありがとう......」
「うん!」
別れ際、小さく手を振れば彼女はぶんぶんと振り返してくれる。
サモちゃんに引っ張られて行ったその後ろ姿が少し心配であるけれど、まあ大丈夫だろうと電車に乗って。
改札を出て。
家に帰って、セカイに入って、椅子に座ると同時に胸を押さえて俯きながら大きく息を吐いた。
「はぁ〜〜〜......!」
何かただならぬ気配を感じたのか、カイトが差し出してくれた砂糖たっぷりのチャイを受け取り、心配そうにテトが俯いた顔を覗き込むが──
「おっとぉ、へっへっへっ......」
真っ赤になってるこちらを見るや否や、その顔は心配そうなものからニヤニヤとほくそ笑む様な微笑みへと姿を変え、ツンツンと背中を突かれる。
「......なんだよ」
「いんや〜? 初めて見たなぁそんな顔〜?」
「はぁ...... 31歳」
「あっコラ! 僕に年齢いじりはダメだって!」
わざとらしく胸を押さえて倒れるふりをした彼女を尻目にカイトの方を見れば、困り眉で焚き火に木を焚べる。
その気遣いが嬉しい様な、ちょっと苦しい様な。
感じた事のない難しい心が渦巻いて仕方がない。
木を紛らわせようと頭の中を探り、たまたま浮かんできた疑問をカイトに投げかけてみれば、返ってきたのはなんともいえない答え。
「そういえばさ、このセカイに
「いいや、他にも数人いるとも。
自分か他人か...... 同じモノでなくても、反逆心を秘めている人は優樹くんが思うよりも多いからね。
彼らにはどちらのミクが見えるのか、まではわからないにしても、近いうちに顔を出してくれるさ」
「ふぅん、でもせっかくなら、白ミクが見える人がいいな」
「どうしてかな?」
「会いに行くのに歩かなくていいから!」
『違いないね』と笑って同意を見せてくれたカイトに笑い返し、空を見上げた。
変わり続ける星空の下、変わらない白き森は新たな住人を楽しみにしているかの様にしんしんと、溶けない雪を積もらせている。