「──じゃあコレ」
ゴトン、と重厚な音を鳴らしてサイドテーブルに置かれたのは、金属の頭が炎で煌めく、いわゆる工具の類に分類されるヤツ。
一度手に取って全体を見て、もう一度机に置き、ため息を吐いてからテトを見る。
笑顔でフランスパンの切り身を食っているから上機嫌なのだろう。
仕方がないからもう一度ソレを見て── 困惑全開でカイトに苦笑いを届けた。
恐怖と向き合いたい、とバーチャルシンガーの2人に協力を仰いでから2日目。
聞いたのは、恐怖の実体化である『獣』のこと。
「獣は噛んだりしてくるけど、血は出ないんだ」
獣は生物ではない、らしい。
思えば先日の犬も生きているのかどうか、というくらいにその体が冷たかったし、概念の実体化ともなればそういうものなのだろう。
そして血も流れておらず、牙を刺されても痛いだけで血は出ないんだとか。
血が出ないだけならばまあ、なんとかなるだろう。
こう見えて僕は痛みに強いのが自慢だ、噛まれたくらいなら普通に我慢できる。
治療もカイト達がしてくれるらしいので、全く心配は──
......いや、治療の話をしている時に見せた、テトのなんとも言えない苦笑いは気になるが。
まあ、それはそれ。
次に、重要な獣の無力化について。
まあ簡単に言えば、凶暴になってしまったらすぐにシバいて被害を出さないようにしましょう、ということ。
大人しくさせていればいつのまにか落ち着いて、攻撃しても反撃して来ないで逃すことができるんだとか。
そこで武器を渡す、と言って渡されたのが──
「いや、これ...... なにこれ......」
「何って、
「いやそういうことじゃないけど」
「じゃあトンカチ」
「だから......」
「ハンマー!」
「──これ武器かなぁ?!」
いわゆるペグハンマー、である。
いやどう考えても武器ではない。
確かに軽量で扱いやすいが、コレはあくまでもキャンプに使うものであって、他になんかこう...... ナイフみたいなものはないのかと聞けば、危ないからダメだと。
むしろこっちの方がリーチ短くて危ないのではないか、とまでは言わなかったが、不安は残る。
「そんな心配そうな顔しないで、僕は火かき棒を使ってるよ。
テトは──」
「じゃん、ショベル」
......不安だ。
というかよりにもよってハンマーとは。
できることなら本ッ当に使いたくはないのだけれど、コレしかないらしいので我慢することにした。
防具、というより見分けやすくする為の服装は黒色のダウンジャケット。
モコモコとしていて温かく、すでに少し暑くなってきた現実の世界とは違って肌寒いこのセカイではちょうどいい服装。
どうして寒いのか、と言われれば、時折降ってくる雪の影響が大きい。
「すごいね、確かに雪なのに、水分が無い......」
「ああ、だから温度だけ奪うんだよ。
ちなみにカイトはコレで作った球を投げられるのが嫌いだから、たまにやってみればいいんじゃない?」
「こら、悪魔の誘いはやめなさい」
雪は降り積もり、溶けずに残って森を彩る。
すっかり白き森へと変貌したセカイは美しく、これから自分の中にある恐怖と対峙しようというのに、幾らかの楽しさが心の中にある。
それは美しさへの興奮だけでなく、誰かとこうやって自然の中を歩くことへの喜びがあるのだろうということはすぐに分かった。
そんなセカイで彼らと一緒にパトロールをして少し経った頃。
いつものように学校の保健室で勉強をしていれば、いつぶりかに保健室の扉をノックする音が聞こえてくる。
はーい、と返事をして扉を開けた先生の姿をカーテンに隠れながら見守っていれば、扉の向こうから現れたのは誰あろう彰人くんだ。
「おはよう〜」
「......おう」
先生に呼ばれるよりも先にカーテンの裏から脱出し、ひらひらと右手を振りながら左手で持ってきたプリントを受け取れば、彼はいくらか呆気にとられたような表情を見せる。
「いつもありがとう。
もうちょっと心の準備ができたら、こうやって頼むこともなくなると思うからさ。
それまでは頼ることになると思う、ごめんね?」
「気にすんな、大した手間じゃねえよ」
「そう? それなら頼らせてもらおうかな」
軽い会話を交わすと、不意にこちらのスマホから通知音が鳴る。
プリントを机に置いて取り出してみれば、仕事が休みの保護者から届いた写真がそこに映る。彼の隣に移動してそれを見せてみれば、幾らか興味をひいたのかその目に少しだけ光が増えた気がした。
「結構美味しそうだよね」
「......これ、どこの店だ?」
写真で送られてきたのは白い皿に盛られたパンケーキ。
最近は穴場のパンケーキ屋を巡るのが趣味らしい。
写真のソレはホイップクリームの主張が少なく、どちらかというとフルーツソースやアイスクリームと一緒に食べてください、と言ったようなふうの盛り付けは綺麗さもそうだが、かなり食欲をそそる。
それは彰人くんも同様だったのか、食い入るように見つめている。
「家で聞いたな......
確かね、シブヤの駅からちょっと歩いたところで── っと......」
会話を続けようとすれば、それを遮ったのは授業開始前のチャイム。
名残惜しいがスマホをしまい、引き留めたことを謝罪するように小さな会釈を送る。
「時間だね。
それじゃ、ほんとにありがとう!」
「おう、それじゃあな」
小走りで教室に戻っていくその背中に少しの間手を振り続け、そろそろプリントの中身を確認しようと振り向けば、そこには目頭を押さえて俯いた先生の姿がある。
何事か?
そう思って駆け寄り声をかければ、細い手がヌッと現れて頭を撫でた。
「いッ...... いつの間にここまで喋れるように......?」
「いや、ちょっと色々あって...... 撫でないでくださいよ」
「良かったよぉ...... 」
「撫でないでくださいってば」
そんなこんなで学校を終え、いつだかとはまるで違う上機嫌でカバンを投げ出すと、すぐさまギターを取り出して最近覚えた別の曲を爪弾く。
セカイに出入りできるようになってから数日、何より変わったのは、見知った相手に対する恐怖が薄れてきたことだ。
前までなら顔を見知った相手でも、もしかしたらこの言葉が相手を傷つけるかもしれないという気持ちが強くて言葉を紡げていなかった。
しかし今はどうだ。
途切れない会話がここまで楽しいものだとは!
とは言え、反省点がないわけでは無い。
自分が喋りたいことを喋ってただけになってたかなとか、相手の言葉を遮っちゃって無いかな、とか。
それらを考えれるようになったのも、きっと自分の中にあった恐怖を飲み込めるようになったおかげだろう。
......しかし、まだどうにもならないことはある。
初対面の人と話すこと、視線を集められることは未だに無理。
コレらもそのうち克服できればイイなぁ、なんて思いながら音楽ファイルを開いてセカイへ向かえば、何やら慌ただしげな2人と、見知らぬバーチャルシンガーが立っている。
「こッ...... ん、にちは〜......」
「......」
アルバイト、と書かれた小さなプラカードに紐を通して首から掛ける彼女の姿には見覚えがあり、初音ミクに似た金髪の少女とくれば、亞北ネルだ。
どこか無愛想な感じの彼女は警備員のような固い服装。
てと そちらに注目を向けていると、焦った様子のカイトがどこからか取り出したペグハンマーをこちらに手渡す。
「ネルちゃんの紹介は後だ、優樹くん。
彼女には基本的に森の中に
「変なモノ?」
「ああ、今回の場合は
......まさかセカイが呼んだのか?」
「そんなこと話してる場合じゃ無いでしょ、ほら、1人ずつ別れて探しにいくよ!」
テトの言葉に連れられて森の中を走る。
初日は慣れなくて足を挫いたこの辺りも、すっかり慣れて余裕を持って走れるようになってきた── と、考えていれば遠くに見えたのは興奮状態の獣。
大型犬だろうか、牙を剥き出しにしている視線の先には、気に背中を預けて向き合う男の人だ。
時間がない。
ノンストップで飛び出している木の根を蹴り、衝撃で離さないようペグハンマーを強く握りしめて身体を低く沈み込ませる。
大股で加速し、ヘッドスライディングのように頭から獣と男性の間に割り込むと、ぐるりと身体を捻った勢いで思い切り獣の顎をかち上げる。
倒れ込む際に受け身を取り、大きくのけぞった身体に追い打ちをかけるように蹴りを入れ、バランスを崩して倒れているうちに呆然とする男性を担いでその場を離れた。
太っていなくて助かった。
そう思いながら担いだ彼をキャンプの椅子に下ろすと、そこにいたのは見覚えのある姿。
「何がどうなってんだ......?!」
「......えぇ?!」
思わず被っていたフードを取り、近距離でお互いにその顔を合わせれば、そこにあるのは驚愕だけ。
「お前、天里......?!」
「なんで彰人くんがセカイにいるの?!」