消えぬ恐れの白き森   作:チクワ

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嘘に不器用な手を伸ばせ

 

「──美味しかったね!」

 

 昼頃、会計を済ませて店を出ては、満足げに眩しい笑顔が顔に咲く。

 食べたのはパスタ。

 いつもはサイゼリヤでしか食べない物だが、こうしてちゃんとしたお店で食べるとびっくりするくらい美味しい。

 いや、サイゼリヤがちゃんとしてないというわけではないが。

 

 みのりちゃんの言葉に対して首を縦に振り、満足してくれたことに安堵しながらも、とあるひとつの疑問に怪訝な顔をしてしまう自分がいた。

 

 それは店内に入って少しした頃。

 メニューを見ながらあれがいいか、それともこれがいいかと悩む彼女を微笑ましく見ていれば、そんな姿の向こう側に見える赤みがかった髪色の女性。

 チラリとこちらを一瞥すると案内されるままに席に座り、それからも自分たちの方を気にしている様子。

 

 あまりまじまじと見るべきではないのかも知れない。

 そう思いながらも不審なその視線に意識を傾ければ、その姿に少しの見覚えを感じた。

 先ほどゲームセンターで見かけた時よりも前、それこそ母親の墓参りに行った時──

 

 その時、別のお墓に花を置いていた人。

 彼女はおそらく、その人と同一の人物。

 

 ......偶然だと思いたいが。

 そうやって思考を回していれば、少し固くなった表情に不安を覚えたのか、すぐ隣にいた彼女が少し前に出てこちらの顔を覗き込む。

 

「優樹くん、どうかした?」

「いや、少し考え事。

 ......色々とどうしようかな、って」

 

 つけられているかもしれない、なんて言えば不安にさせてしまうかも。

 そう思うと本当の事は言えなくて、つい曖昧な答えを返してしまう。

 まあ、別に『どうしようかな』という言葉に嘘はない。

 これから僕たちはギターを買いに行くわけだけれど、本当に買うべきなのかという葛藤がある日から心の中に渦巻いているのだから。

 

 その『ある日』っていうのは、ステージに上がって碧さんの隣で歌った日。

 

 それは確かな経験として、今後自分が音楽に関わっていくにあたって進み続ける糧になるだろうステージであった事は確かだ。

 しかしその一方、そのステージを経て広がった、()()()()()()()()道を見て立ち止まっているのも事実。

 

 真摯でありたい。

 中途半端では何にもならないというのに、心はバンドの方へ傾きながらも才能はストリートの方に傾いてしまって、どうにもならないほどのアンバランス。

 その道を進む、誰が何を言って引き止められようと──

 

 それほどの覚悟が無い今、ギターをもう一度この手の中に収めるべきか、それともマイクを握るべきかで悩み続けている。

 

「まあ気にしないで、もう開いてるだろうし楽器屋に行こうか!」

 

 ともかく今はギターの新調だ。

 申し訳なさそうな笑顔を顔に出しながら、ぬいぐるみがすこし顔を出す袋を掴んだ右手で指差した方向。

 メモに書かれた楽器屋の住所はこの先を少し進んだところで、ほんの少しだけの悩みを頭の片隅に残しながら歩き始めた。

 

「宮女ってさ、抜き打ちで手荷物検査とかあったりする?」

「ううん。

 そんなに厳しく無いよ?」

「いいなぁ〜」

 

 日常会話をしながら歩いて、少し。

 

「!」

 

 ソレに気づいたのはみのりちゃんで、彼女の視線が向かった方を追いかけてこちらも目を向ければ、そこでは野良猫に威嚇をされて腰を抜かしている女性がいる。

 ひどく怯えた様子で、今にも飛びかかって爪を立てそうな猫は少し危険。

 

 どちらが言うでもなく2人でその間に入れば、多勢に無勢とでも思ったか、猫はすぐさま背中を見せて路地裏へと逃げていく。

 

「大丈夫ですか?」

「あう、は、はい......」

 

 情けない声で返事をする女性の手には引っ掻かれたような傷。

 しゃがみ込んで目線を合わせたみのりちゃんはこんなこともあろうかと、と言った風にポケットから絆創膏を取り出すと、その傷を隠すようにして丁寧に貼ってみせた。

 

「ごめんなさい......」

 

 目を伏せ、頭を下げたこの女性── 髪色、そして服装を見るに、僕たちをつけて来ていた件の女性だ。

 ......余計にわからない。

 いや、つけて来ていたのは間違いないと思う。

 

 事実、いま僕達が通ろうとしたのは人があまり通らない道。

 だからこそ猫がいたりもして、彼女はそんなこの道の住人に引っ掻かれてしまったわけだが、そこまでしてついて来ていたくせにいざ見つかってみても逃げようとする様子はない。

 

 じっとこちらを見るその目と視線を合わせ、何か変なことをすればいつでもみのりちゃんを庇える様に意識を張り巡らせる。

 変な動きをしたらすぐに動ける様、ひとつひとつの動きを見て──

 

「──ん?」

 

 疑問の声を上げると同時に、だんだんと顔が青ざめる感覚があった。

 髪が赤っぽい。

 女性で、こちらを知っているふうな視線。

 そして── 僕は、彼女の服装を以前カラオケで見たことがある。

 

 見下ろす様に立って伸ばしていた膝を曲げ、知っている頃から少し伸びた前髪を手で退かしてみれば、見えたのは知ってるトパーズの目。

 

「優樹くん、知り合いの人?」

 

 隣から受けた疑問にゆっくり頷き、その頷きの途中で見えたものに苦い顔をしながら、この後の予定を全部取り替えなければならなくなったことに申し訳なくなりながら目の前の彼女を見た。

 

「いや...... 何やってるんですか、()()()()

「あ、う、やっぱり優樹はわかるかぁ......」

 

 

 

 

 

 

「──じゃあその、飲み物とってきてもらえますか?」

「うん、みのりちゃんもお茶でいいかな?」

「はい!」

 

 面舵いっぱい、玲央さんを連れて来たのは楽器屋ではなくカラオケ。

 少し広めの個室の中、彼女に適当な仕事を押し付けて追い出した後、一息置いてからみのりちゃんに深々と頭を下げる。

 

「ごめん、予定変えちゃって......」

「ううん、大丈夫だよ!

 ......でも、そんなに焦るって事はあの人に何かあったってこと、だよね?」

 

 そう、彼女の言う様に僕は焦っている。

 

 今の福田玲央は何かがおかしい、そもそも彼女は勝ち気な性格だったはずだ。

 それこそ猫と喧嘩すれば絶対に彼女が勝つと言えるくらい。だと言うのに、今の彼女はどうだ?

 

 どもって言葉を紡ぐのが大変そうで、快活な感じはどこにも無く、秘密を知っているとは言えあまり見せたがらなかった女性的な服装での姿を嫌そうな様子もなく見せている。

 おかげで至近距離で見るまで気づかないほど雰囲気も変貌して、それこそ異常に次ぐ異常。

 

 そして何より、みのりちゃんは気づかなかったが、()()()()()()()()()()()()

 経験則から、その行動がまずい事はすぐに理解した。

 

「自分を傷つけ始めたら人は限界なんだ。

 なんでなのか、何が原因なのかはわからないけど、あの人は...... 多分文字通り、限界が来てる」

 

 兆候はあったのかもしれない。

 重なるミスに加えて打ち上げの時にかかって来た電話。

 

「お茶、持って来たよ」

 

 扉を開けて戻ってきた彼女からコップを受け取り、平静を装いながらどうするべきかを考えに考える。

 そんなこちらの考えを見透かしてか、それともその話をしようとして付き纏っていたのか。

 コップの中身を一息に飲み干すと、玲央さんはゆっくりと喋り始める。

 

「貴女、確かライブに来てくれてた子だよね?

 優樹のことを見てたの覚えてるよ」

「えっ、そんなに見てたかなぁ......?」

「見てた! だよね、優樹?」

「いや、それどころじゃなかったから覚えて無いですけど......」

 

 普通に会話はできる。

 しかしなんとも言えないこの感覚、まるで歯車のズレの様なものが鼓膜と心に響く様な。

 

「......うん。

 なんでだろうね、優樹の前だったら普通に話せるな」

「......それなら」

「ん?」

「それなら、話してください。

 今日、なんで僕たちをつけていたのか。いつからだったんですか? 何があったんですか?

 同じバンドのメンバーなんですから...... 教えてください」

 

 その言葉を言い終わって自分の手を見れば、少し震えている。

 もしかしたら抱えきれないものを持っているのか?

 ここで拒絶されたら、ずっとこのままなのか?

 

 その不安が形となって現れて、それを一瞥した彼女は『そのつもりだったから』と言うと、ポケットから大学の学生証を取り出し、テーブルの上に置く。

 そこに書かれた名前は福田玲央ではない。

 

「私はね、嘘つき。

 みんなとずっと話していた福田玲央は弟。今はいない1人だけの弟で── 私の本当の名前は、玲於奈(れおな)

 誇れる物の何もない、情けなくて中途半端な私が本当」

 

 

 ──福田 玲於奈。

 

 名家である福田家の生まれであり、親2人弟1人の4人家族の中で長女として生まれる。

 望まれた第一子として扱われ、やりたい事はおおよそやらせて貰えた中で得手としたのはピアノ。

 

『おかあさん、ひけたよー!』

 

 頑張れば何事も出来る、褒めてもらえる。

 そう思って前向きに諦めず過ごして来た彼女の心を最初にへし折ったのは、誰あろう弟の福田玲央。

 

 まず勉強で先を越された。

 次に運動で前を行かれた。

 

 いつしか自分に向けられていた愛は跡取り、そして自分より優秀な弟に向けられ、自分の存在が薄くなっていく事に胸を痛める、が──

 

『怪我したの?』

『うん......』

『そっか。じゃあお姉ちゃんがおんぶしてあげるね!』

 

 それでも愛はあった。

 才能を羨んでも血を憎む事はできず、自分を慕う弟を突き放す事も出来ないまま、募らせていくのは自分の不甲斐無さと唯一残った得手である音楽への執着。

 

 ピアノがあれば、音楽があれば自分はそれでいい、と。

 これだけは自分のものだ、そう思って数ヶ月──

 

 自分が優勝できなかったコンクールで、弟が優勝を果たす。

 

 全て。

 全てが無くなった。

 

 居場所、縋るもの、愛。

 胸を張れた音楽さえ盗られたと自嘲する様に笑った玲於奈の目にゾクリ、声に出さない不安を感じて背筋に気持ちの悪いものが這った。

 その目はまるで、感情の読み取れない鳥類のソレ。

 

「......それが、なんで弟さんの名前を騙る事に?」

「仲直り出来なかったから、かな」

 

 全てを盗られて冷静でいられる訳がない、と彼女は言う。

 

 逃げる様に家出をして、あてもなく歩いて少し。

 追いついて来たのは母親でも父親でも無く、その時最も会いたくなかった弟、玲央。

 

『──姉さんどうしたの?! みんな心配してるって、帰ろうよ!』

 

 愛らしかった筈の顔も、声も、変わらず慕ってくれる真っ直ぐな性格も、全てが鬱陶しい。

 手首を掴んだその手を振りほどき、バランスを崩したところで強めに突き飛ばして一心不乱に走って逃げる。

 聞こえる声も流れる涙も構わずに。

 

「その後いろいろあって、電話が来て。

 出てみたら『玲央が事故にあった』って」

 

 逃げた彼女を追ううちに道路に飛び出して、そのまま。

 頭部への強い外傷による植物状態、そして割れたガラスが目に刺さった事による失明。

 ベッドに横たわって何も言えなくなり、ただ生かされてるだけの弟を前にして、玲於奈が嘆いたのは自分の弱さ。

 

 家族が家族を突き放してどうする。

 その結果、何もかもを潰してしまって、弟は輝かしい未来とやりたいことをやる我儘を失った。

 

 バンドがやりたいと言っていた。

 対等な友達が欲しいって言っていた。

 いろんな景色を見たいって。

 

 目は見えず、音も届かない彼の願いは叶わない。

 

『私に出来ることって、なんだ?』

 

 まだ暖かい手を握り、自分に出来る贖罪をあれこれ考えて。

 ──最終的には自分を捨てた。

 

『玲央くん、よろしくね!』

『はい、頑張ります』

 

 弟の名前で、弟のやりたかった事を代わりにやる事。

 失われた目になって、もう動くことのない手足の代わりになって、生きる。

 

 決して許されない嘘つきの汚名と、もう仲直りすることすら出来ない私の贖罪だと。

 

 

 

 ──でも。

 

「──贖罪だったのに。

 いつのまにか居心地が良くなって、バンドが私の居場所なんだって調子に乗って、いつかに見た夢まで考える様になって......

 私は...... 嘘つきなのにッ!!」

 

 急激に不安定になり、彼女の握っていたコップな地面に叩きつけられて破片を飛び散らせる。

 飛んで来たソレが当たらない様みのりちゃんとの間で軽く防ぎ、はぁはぁと細かく呼吸する玲於奈の背中をさすって無理はしなくていいと声をかけた。

 しかし、彼女は首を振る。

 

「無理は、するよ。

 だって今言わなかったら、もう2度と言えない。

 せめて最後くらいは......ね」

 

 最後、と言った彼女は軽く深呼吸をして、また話し始める。

 

 ──転機はnoisEとしてライブを終え、打ち上げに参加する中でかかって来た電話。

 その向こう側で話す母親の声はガサガサで、何か起きたのであろうと嫌な予感がよぎると同時に告げられたのはとある死。

 

『玲央、が?』

 

 なんで死んだのかまでは聞かなかった。

 ただ事実としてあるのは福田玲央という人間の死であり、ソレは同時に、福田玲於奈が自分にすら境界線のわからなくなるほどにインストールしていた福田玲央としての己が消えていく事を意味する。

 

 贖う相手は居なくなり、目の代わりである意味も手足となる必要性も消え失せた。

 そうなった後に残ったのはただ、嘘つきで情けないだけの自分である。

 

 それでも失いたくないと、自分で手にしたとは言えない居場所に、noisEというバンドにしがみついた。

 どうやってドラムを叩いていたんだっけ、なんてところから曖昧になって崩れそうな玲央(じぶん)をどうにかこうにか支えて固めて、ハリボテのまま歩き続けて。

 

「それでも結局ダメだった。

 私はもう玲央じゃなくて、みんなに迷惑をかけてしまうだけの玲於奈(嘘つき)でしかない。

 結局、バンドっていう居場所も弟のモノなんだって」

 

 圧倒される。

 だから彼女は一度、自分の事を仲直り出来ない情けない人間だと言ったのだ。

 今までが嘘で、今目の前にいる消えてしまいそうな人が真実。

 どこか満足そうに俯いた彼女が言った様に、noisEという居場所が弟のモノだと言うのなら、玲於奈は自分をそこにいるべきではないとして消えてしまうのではないか──

 

 ふと考えてしまったことが現実になりそうで、でもそれは嫌だと声を出した。

 

「......()()()()()()()()()()()()()?」

 

 突拍子もない発言。

 少し驚いた様子を見せたが、玲於奈は少し悩んだ様子を見せてからほんの少し恥ずかしそうにして、一応ある、と頬を掻く。

 

「逃げた日にね、ビビッドストリートでライブやってたの。

 もちろんチケットなんて持ってないから入って見たりは出来なかったけど...... 外に聞こえてくる歌とか、溢れる熱とか、そういうのがすごく伝わってきて。

 いつかはそんな風に、私も音楽で心を動かしてみたい、そのイベントみたいにお客さんを湧き上がらせてみたいって夢はあったな」

「──なんだ、あるじゃないか」

 

 ほんの少しの安心。

 そして、心の中で前へ進めと声が響く。

 

 僕は玲央、もとい玲於奈さんが好きだ。

 別に恋愛的な意味じゃなくて、それこそ長田さんも中尾さんも、それこそ隣に座っているみのりちゃんや他の友達全員大好きだ。

 だからこそ失いたくないし、そんな大好きな人たちに何があっても持っているものを諦めてほしくない。

 これは、ワガママなんだ。

 

「その夢はきっと、玲於奈さんの居場所ですよ。

 誰にも奪われる事のない唯一の居場所。

 だから...... ()()()、なんて言わないで追い続けましょう。最後なんて言って諦めるにはまだ早い」

「え、で、でも......」

「でももだっても無いんです」

 

 後先考えず、離れて行こうとするその首根っこを掴んで引っ張り寄せる。

 出来ない事、よくない事にばっかり目を向けていていい事なんてあるわけがない。だから僕は、僕が、背負ってやる。

 何がなんでも悪い方を見ようとするあなたをおんぶして、いい方に連れ去ってやるのが今僕に出来る事だから。

 

「迷惑なんていっぱいかけてください。

 誇れるものが何もないなら作るし、縋りたいものが無いなら僕に縋っても構わない。何度でも転んで何度でも立ち上がって夢を追えば、きっとそこが玲於奈さんの居場所になる。

 だから── これが最後だなんて、諦めないで」

 

 不器用に手を伸ばした。

 

 諦めるには、まだ早い。

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