「それで? その、玲於奈に私が歌を教えればいいワケ?」
リビングの椅子。
珍しく3つの椅子が並ぶテーブルの上、肘をついてため息を吐き出したのは碧さんだ。
こちらを見るその視線は怪訝で、いかんせんライブで見た雰囲気とはまるで違う様子の玲央、もとい玲於奈さんになんとも言えない表情を向ける。
まあ、その反応も仕方ないだろう。
ギターを買ってこいと言ったら買って来ず、その上翌日には知らない女を連れてきて歌を教えろ、なんて首を傾げるどころか考えるより前に殴られたっておかしくは無い。
それでも彼女に教えを請わなければいけない理由は、玲於奈さんの夢にあった。
彼女の夢はビビッドストリートで聞いたライブの様なイベントを作ること。
少し話を深掘りしてみれば──
『イベントの名前? なんだったかなぁ、確かRAD...... なんとかって』
──十中八九、RAD WEEKENDだろう、それ。
故に、生半可な事ではそこに届かない。
だからこうして緊張した様子の彼女と共に、当時RADderと同格だった碧さんへ頼み込んでいるのだ。
しかし彼女の表情が前向きに変わることはない。
「覚悟はある?」
「そりゃ──」
「アンタじゃない、玲於奈に聞いてるんだ」
その視線を外す事なく放たれた言葉に口を閉じ、静かなリビングに作り出されたのは女性2人だけの世界。
「夢は夢のままにしていた方が良いこともある。
いざ目指そうとして壁に当たっても、漫画やアニメみたいに不思議なパワーが湧き上がって超えられることなんて無い。
それでもアンタは折れないでいられる? 折れたとしても、すぐに立ち上がれるわけ?」
即答、というわけにはいかない。
少なくとも玲於奈さんの心は何度も折れている。
弟に超えられ、弟を亡くし、いつしか居場所も失って、そして今ここにいる。
「私は...... 迷惑をかけます。
弱いし、頭も大して良く無いし、ドラムとピアノはともかくとして歌の経験はほとんど無いです。
でも諦めないでって手を伸ばされたから...... 立ち上がりたい。
自分の居場所を得るために、夢を追いかけるために、私はちゃんと立ち上がりたい。
だから、どうか歌を教えてください!」
それでも僕の手を取ってくれたのだ。
壁にぶつかる怖さはあるだろう。でも、それでも前に進もうとしている。
「──はあ、わかったよ......
ただ容赦はしないからね、泣いても緩めると思わないこと」
「は、はい!」
一旦今日は解散。心なしか背筋の伸びている彼女を見送り、碧さんの後ろについてもう一度リビングに戻れば、急に振り返った彼女の指が心臓の位置を指す。
「......アンタは、本気で他人を抱え込むつもり?」
「ああ」
「確かに私は道を示したさ、それこそストリートの方に進むのだってアリだって、色んな道に行っても構わないって。だとしても自分より他人を優先して負担を持つ理由にはなり得ないだろう」
「なるよ。
僕はみんな好きだから」
言葉を返せば、彼女は嫌そうな顔をして自室へ戻る。
──本気だとも。
それから、碧さんはよく家を空けるようになった。
別におかしなところがあるわけでは無い、あれで親身な人でもあるから、空き時間をできる限り玲於奈さんへの指導に回していることは想像に難く無い。
かく言う僕は、と言えば──
「──♪!!」
ビビッドストリートのイベントに参加しては歌い、参加しては歌いを繰り返していた。
結局のところ、経験値を稼ぐのなら場数を踏むしか無い。
......正直なところ、必死だ。
彼女の夢を叶えるためには力をつけなければならない。それは生半可な覚悟でどうにかなるものでもなく、貪欲に努力し続けるしか無いのだ。
だって、僕に指標は無いから。
「ありがとうございました!」
歌い終え、そこそこの盛り上がりを見せたステージを後にしようとした時、声が聞こえてくる。
「勢いはあるけどな、前ほどじゃなかったって言うか......」
「上手いだけで熱さが無いよ。
「──っ!」
赤でべちゃべちゃに塗りたくられた心から吐き出しそうになるのを堪え、スタッフに頭を下げてからライブハウスを後にする。
帰り道、練習メニューを考える中── なんで僕はここまで必死にやっているんだろうと、ふんわり考えた。
もちろん仲間のためって言えばそれまで。
でもそれ以上に僕を突き動かすのは、玲於奈さんとの間にある共通点というか、つながりだと思う。
誰かを傷つけたり傷つけられたり、自分で自分を痛めつけたり、音楽が好きだったり...... 似たもの同士ではあるんだ。
だからカラオケで気分を落とした彼女を見ていると、昔の自分を鏡で見ているようでもどかしかった。
もっと自分を肯定していいんだって伝えたい。
でも、僕もまだ未熟。
だから必死に練習する、経験を積む。
そうすれば彼女の居場所を作れるはずだから。
「──よし、負けないぞ......」
決意を新たにして、明日へ臨む。
数日経った頃、呼び出されたのはカフェ。
心なしか少し凛々しい顔になった玲於奈さんと並んで座り、コーヒーを飲み干す碧さんの言葉を待っていれば、伝えられたのはある指令。
「2人、組んでイベントに出てみなよ」
その申し出を断る理由は僕に無い。
しかし玲於奈さんはどうなのかと顔を覗き込んでみれば、その顔に不安は少しありながらも、目を逸らすことなく夢への道としてしっかり捉えようとしているのがわかる。
「玲於奈の歌もまあ形にはなって来てるし、よっぽどアレなふうにはならないでしょ。
いまはとにかく経験を積んでみな、RAD WEEKENDに肉薄するならまずはそこからだ」
それだけ伝えられて仕事に戻っていく碧さんと別れ、帰り道を2人で歩く。
ここ最近イベントに勉強にと根を詰めすぎたか、少し大きめなあくびを手のひらで隠せば、心配そうな顔がこちらを覗き込んだ。
「少し眠いだけです」
「そっか。無理はしないでね、私なんかの為に色々してもらって、ありがとう。
......それと、もう敬語はいいよ」
「......じゃあ、私なんか、なんて言わないでよ。
胸を張って『よきにはからえ』って堂々としてればいいの! 次のイベントでは僕たちが一番お客さんを盛り上げて、夢の第一歩を進むんだから!」
少し強がって彼女の背中を叩けば、嬉しそうに笑ってみせる。
それでも少し不安に思うのは、バンドのこと。
もしこのままストリートの方に進むのなら、彼女はバンドを辞めてしまうのだろうか?
......それはやだなぁ。
「──♪」
「──♪!!」
そしてイベント当日。
前日は久しぶりにぐっすり休み、いつもより調子良く声が伸びていく。
驚いたのは玲於奈の歌だ、碧さんの教えがいいのか、それとも才能があったのか、想像していたよりもずっと合わせやすくて響く歌声。
『アイツは努力が上手いよ、教えられればがむしゃらに習得するから、教え甲斐がある』
いつかの飯時、そう言った碧さんの言葉はウソではなかったのだろう。
歌い終え、客席に礼をして舞台袖に戻る時にハイタッチをして笑顔を交わした。これなら夢も叶うかもしれない。
「RAD WEEKENDに並ぶのも夢じゃないかも......!」
「ふふ......」
「え、え、何かおかしなとこあったかな?」
「いや、なんでもない」
いくらか前向きな表情が増えてきた事が嬉しくて漏れた笑いを隠しながら、手応えと共に情熱が芽生え始めることを感じていると── 不意に、他のミュージシャンとすれ違った彼女が中々ダイナミックにすっ転ぶ。
「玲於奈ぁ?!」
「へゔっ......!」
流石に顔面から行けば心配にもなり、駆け寄ってしゃがみ込んで傷を見ようとすれば、すれ違ったミュージシャンの声がやけにクリアに聞こえてきた。
「──調子乗るなよ、並べるわけないだろ」
一度振り返って、それからまた玲於奈に視線を戻す。
彼女は気づいていなくて、かと言って今の声が幻聴だったかと言われればそうでない事はすぐにミュージシャンの表情が物語る。
ほんの少しだけ心の中の赤が漏れた。
「......そうかよ」
「どうしたの? 顔怖いよ?」
「気にしないで、ほら鼻血出てる」
それならそれで構わない。
心に火がついて、真っ赤な空間に潜んでいたネズミが
認められないなら認めさせる。
食事睡眠生きる上でのあれこれそれどれ、それらほとんど投げ打ってでも── 玲於奈の居場所を作り出す為に。
「顔色が悪いな、ちゃんと寝ているのか?」
「ん? んー、まあまあ」
学校にて。
冬弥くんの心配をよそに、イヤホンを片耳に着けてスマホで取り組んでいるのは音の打ち込み、いわゆるDTMというやつ。
つい最近触れたばかり故に得手と言える程の音を作れるわけではないが、それでも長田さんへの相談や、セカイで再開した白い髪の人── 奏さんからの教えを受け、人並みに動かせるようになった。
『教えられる事があるかは、わからないけど......』
彼女はそう言っていたが、おかげでイベントに使う曲を作れるようになったので頭が上がらない。
さて、冬弥くんからの質問に戻るが、正直なところ睡眠時間はかなり削っていると言っていい。
バイト、学校、個人とコンビでのイベント参加に音楽作り。
数週間程度はやりたい事の洪水に飲み込まれ、食事も睡眠も切り詰めているのが現状だ。
それもこれも、玲於奈の居場所を作る為。
無理をしてる自覚はあるが、それでも辞めるわけにはいかない。
「それでね、愛莉ちゃんが── 優樹くん、大丈夫?」
「......」
「優樹くん?」
「──ああ、ごめん」
少し疲れが溜まってきたか、一緒に帰るみのりちゃんに軽く謝ってから目頭を抑える。
今は何時だったか、確認しようとスマホのロックを外せばぐにゃり、視界が歪む。
「大丈夫?! 優樹く──」
これはマズイと膝を折るが、それでも視界の歪みは止まらず──
「......起きたか」
「なんで......」
次に目を覚ました時はすっかり夜、自室のベッド。
横を見れば椅子に座って腕を組んでいる碧さんがいて、呆れるような、それとも安心したような読みきれないため息を深く吐くと、僕が少し下げた毛布を口元までもう一度上げる。
「花里さんにお礼言っときなよ、アンタの電話で連絡してくれたんだから」
「みのりちゃんが...... 」
迷惑かけっぱなしで申し訳なく歯を食いしばっていると、彼女は聞いた事のないような優しい声で語りかけた。その目はお母さんのように、慈しみに溢れている。
「......倒れて心配しない
頑張るのも程々にしときな、みんなが好きだからって無理して倒れてちゃ、その大好きなみんなが心配するのも当然だ」
「でも、頑張らなきゃ。
僕は玲於奈のコンビだし、彼女の夢が笑われないようにしたいんだよ。
頼ってくれたから......」
「......アンタもしかして、
だから無理したわけ?」
──嬉しかった?
もしかしたらそうかも。
頼る事、手を伸ばされることはあっても頼られる事、手を伸ばす事って全然無くて、だから必死に引き留めて頼ってくれたのが嬉しかった。
だからなんとかしてあげたくて頑張りすぎて、今。
「嬉しいんなら行動じゃなくて言葉で言うんだよ。
それで、折れないように手を回すんじゃなくて、折れてもまた立ち上がってくるって信じてやりな。
それが
何でもかんでも心配するんじゃなくて、信じる事。
それを教えられて、頭のてっぺんまで布団を被りながら問う。
「お母さ...... じゃない、碧さんはなんでRAD WEEKENDに参加しなかったの?
出れたでしょ、あれだけ上手いんだから」
「......まあ、なんだ」
顔は見えないが、少し恥ずかしげな事は声でわかる。
悩んだ様子でうんうん唸って、彼女は意を決したようにパン、と顔を叩いてから言葉を紡いだ。
「その時はちょうどアンタを引き取ったところで、アンタの方が大事だったから。
謙や大河、凪と歌える最後の機会だってわかってたけど、それでもやっぱり優樹をほっぽり出して行けなかった。
アンタが思ってるより、私はアンタが大事なのさ」
「......後悔してる?」
「してるわけない。
でもそう、出来るなら...... あのイベントが超えられる瞬間は、この目で見てみたい。
たまに思うよ」
それを聞いて飛び起き、月を背にして驚いた様子の彼女に対して真っ直ぐ向き直る。
ターコイズの瞳を映して、確かな覚悟を持って楔を口に出した。
「──なら、僕がその想いを連れていく。
RAD WEEKENDを超える瞬間を、いつか絶対碧さんに見せるから」
「......フ」
小さく笑って、彼女はするりとこちらの身体をまたベッドに倒すと、ゆっくり椅子から立ち上がる。
「それじゃ、バンドはどうする?」
「どっちもやるよ。
どちらか一つを取る事が真摯か、中途半端なのかって言われたらそうじゃない。
どちらにも100%で取り組むんだ」
「言うね。
──
──碧が部屋を出て扉を閉め、廊下を少し歩くと、ふらっと力が抜けたようにその場に座り込む。
思い出すのは優樹の父親、そして自らの弟の言葉。
「......『どちらにも100%』だってさ、アンタと一緒。
はあ、私はちゃんと親代わりできてるって事なのかね、裕也」
その目にはほんの少しだけの涙が滲んでいた。
「にしてもお母...... おか、お母さんか......
お母さん、お母さんね...... ババアとか言われたら倒れるな......」
あと2話とかでこの章は切り上げます