「──♪!」
「......よし、いいんじゃない。
今日はここまでにしとこうか」
「えっ、私まだ頑張れますよ?」
「馬鹿言わない。
何でもかんでも頑張ればいいってわけじゃないのは分かってるでしょ、アンタの相棒はそれでぶっ倒れてるんだから」
最初に比べたら余裕のできた今、歌の先生として世話になっている碧さんの言葉に疑問の声を上げると、彼女の人差し指がぐにっと私の鼻を潰す。
『うぁ』なんて声が漏れ、投げられたタオルを受け取って顔を拭いていれば今度は冷たいお茶が頬に当てられ、少し暑くなってきた初夏の熱を顔から奪い取っていく。
「ふふ、ありがとうね、双葉ちゃん」
「お礼なんていいよ、お茶程度で......」
「ダメだよ、施しにはちゃんと礼をするの。
情けは人の為ならずって言うように、キチンとお礼をすれば回り回って自分のためになるんだから」
「......はあ、今でも信じられない。
本当にnoisEのドラマーと同一人物なのかっての......」
謙遜する双葉ちゃんに少し説教くさいことを言えば、彼女は頭を掻きながら自分の練習に戻る。
偶然私と同じように碧さんへ弟子入りした彼女。
最初はnoisEでドラムをやっていた事は言うつもりなかったが、結局教えることになったのは碧さんが口を滑らせたから。
『──またやっちゃったか』
結果的に話せる相手が増えたのは幸いだったし、今ではそこまで不快に思ってないけれど...... 前にも同じことをやってしまった、と言っていたから、気をつけたほうがいいんじゃないかな、とは思う。
一応謝ってはくれたけど。
貰ったお茶を開けて喉に流し込み、カバンの中から取り出したスマホには申し訳なさが文面から伝わってくる優樹からのメッセージ。
倒れた、と聞いた時は気が気じゃなかったけど、無事ならそれでいい。生きていてさえいてくれれば、話せるならそれ以上の事は望まないから。
──それに、何回か2人でイベントに参加して自信が乗ってきた今、私個人の力がどこまで通用するか、というのを試したい気持ちもある。
だから彼には申し訳ないけど、イベントに1人で参加せざるを得ない今は好都合でもあるのだ。
「げ」
「......どうしたの?」
恩人のことを心配しながらこの先のことを考えていれば、疑問符を含んだ驚きの声が小さく聞こえてくる。
双葉ちゃんのその視線は私のスマホとカバンから垂れ下がるキーホルダーに向けられていて、気に入ったのかなと思って余っているモノを取り出して差し上げようとすれば、身振り手振りでかなり強めに拒否の動きを見せる。
「え、欲しいのかと思ったのに......」
「いらないいらない! おんなじ性別でソレ持ってるのが珍しいって思っただけだから!」
「珍しくないよー、だってカッコいいよ?
サービスエリアで売ってるキーホルダー!」
「えぇ...... 」
かっこいいものは好きだ。
だから友達付き合いでサービスエリアに寄ったり、遠出してお土産屋に行ったりすると毎回買ってしまうのは竜が巻き付いていたりする金色の剣をはじめとするキーホルダー。
その形やギミックは十人十色、鞘が付いていたり盾から十字に刃が展開されたり、見た目だけじゃなくて動きでも魅了する傑作。
......でも友達からのウケは悪いのはなんでだろう?
こんなにかっこいいのに...... 中華街や日光で売っていた等身大の武器も悪くないけど、このポケット感がいいのに......
「いやいや、そんなに、えぇ......?
無尽蔵にカバンから出てくるじゃん......」
「いっぱい入れてると重くて筋トレになるんだよ。
実用性も兼ねてるこの剣、いかがでしょうか?」
「いらんよ」
「そんなぁ」
布教失敗。
カバンの中にキーホルダーを戻してその場を後にし、向かった先はライブハウス。
今日はあくまでも観る側としての参加で、湧き上がる観客席の熱気を受けながらステージに目を向ければ、思い出すのはnoisEに入る前のこと。
玲央としてドラムを叩いて、長田さんからの勧誘を受けた時のことは今でも思い出せる。
『──俺が、ですか?』
『そう。もちろん無理にとは言えないよ?
でも確実に言える。君が音楽を好きなら、俺たちは絶対にその気持ちを尊重する。
やりたくない事はやらなくていい、俺たちの音楽を楽しくやる、ってのがnoisEの基本方針だからね』
『どうして俺なんですか。
上手いわけじゃないです、才能もあるわけじゃない。
勧誘ならもっと相応しい人がいるはずなのに』
『んー、だって君の演奏には嘘が無かったんだよ。
がむしゃらに出来ることをやろうと、何かを成そうとしてる音が好みだったってだけさ。
もし入ってもいいよって言ってくれるなら── 俺は君に嘘を言わないって約束しよう』
実際、長田さんが嘘をつく事はなかった。
私はずっと弟の皮を被りながら自分の中まで見せなかった嘘つきだったのに、彼は遊びに誘ってくれたり作曲のやり方を教えてくれたり、ずっと親身で。
「──♪」
「......良い、歌」
居心地良かったな。
......また戻りたいなって思って、すぐにそんな事をして良い自分じゃないとその未練を振り払う。
嘘つきにその資格はない。
......嘘つきに帰る場所なんてあるわけない、けど。
『いいじゃんいいじゃん、ドラムあってこそのバンドってとこあるからねぇ!』
『あんまり無理するな。
いなくなられたら練習できないだろ?』
『──情けなくなんて、無いですよ』
いつか私が嘘つきじゃなくなったら、あそこに帰ってもいいだろうか?
ライブの帰り道、少し寄り道をして玲央の墓前で考えてみても答えは返ってこない。貴方の居場所に私が入っていいか、と聞いてもイエスと言うとは思えないけど。
「......それじゃあ、姉さんは帰るね」
歩んで来たのは私。
でもその道は玲央が歩くべきだった場所。
それなら私の道はどこにあるんだろうなんて考えて霊園を後にし、スマホで現在時刻を確認しようとした時、画面の眩しさに思わず目を閉じる。
「まぶっ......!」
いつのまに画面の明るさを最大にしていただろうか?
すぐに下げようと閉じていた瞼を開け、スマホを見ようとするが、それよりも先に視界を満たしたのはあり得ない光景。
今は夏だと言うのに、雪が降っているのだ。
「えっ、どっ、どこなのここ......!」
見回してみれば周りを囲む大木の群れ。
しかしちょっと離れたところには焚き火と椅子があって、歩き出すと同時に足裏に触れる地面の感触は気が狂った訳ではないことを脳に優しく教えてくれる。
「──!」
「誰か、いる......?」
焚き火の方に向けて歩いてみれば、だんだんと聞こえてくる人の喋り声。
それはどこかで聞いたことのあるような声で、バレないように木に隠れながら覗き込んでみれば、映像で見た事のある顔が首を揃えている。
バーチャルシンガー、それが3人。
電子の世界ではなく生きた存在として茶を飲んでいる彼らに腰を抜かせば、尻で潰した枝の音に反応して彼らの顔がこちらを向いた。
そのうち2人、こちらに近づいて手を差し出したのは──
「玲於奈ちゃん、大丈夫?」
「あえ、はい......」
「ようやく来てくれたね、このセカイに!」
大人びた様子の鏡音レン、リンだった。
「──それでさ、メイコったら酷いんだよ?!
お店に来た人に挨拶を忘れたらすぐ飛んできて、ずーっと怒ってさ!」
「はあ......」
「俺たちだって疲れるからなぁ、たまに忘れるくらいは許して欲しいよ」
この場所はセカイと言うのだと説明を受け、いまいちピンとこない中で椅子に座らされて愚痴を聞く。
見た目は大人びているもののその言動にはどこか子供らしい雰囲気を感じて、そのアンバランスさに困惑しながらも淹れてもらった茶を啜って体を丸める。
驚きこそしたが、思っているよりも落ち着いている自分がなんだか不思議だ。
聴き流しながら自然に体を吸わせていれば、急に2人の会話の矛先がこちらに向いて背筋がピンと伸びる。
「感謝してくれないのに俺たちがありがとうございますなんて言わなきゃいけないの、納得いかないよ。
玲於奈ちゃんはどう思う?」
「えっ、私?!
私は...... ちゃんと、感謝はするべきだと思う......」
「えーっ、どうして?! 言われないのに言う必要なんて無いよー!」
マグカップをサイドテーブルに置き、小さく息を吐いてリンの方を向いた。
その表情はどこか数年前の弟によく似ていて、言い聞かせるように、その大切さに気づいてもらえるように、声を優しくその鼓膜へと語りかける。
これは卵が先か鶏が先か、と言う話でもあるのだ。
「リンちゃんはお礼を言われたら嬉しい?
私も言おう、ってなる?」
「もちろん! ありがとうって言われたら良かったぁって思うし、その人にはお礼をちゃんと言いたくなるもん!」
「そうだね、それは私も。
それにお客さんもそうだと思う。
でも、お礼を言われないとありがとうって言わなかったら、
人は受け身だ。
こんにちはって言われたらこんにちはって返す。
ありがとうって言われたらこちらこそありがとうって返すように、私たちはきっかけがあってようやく踏み出す事ができる。
「だから私は、少しでも嬉しいことをしてもらったら『ありがとう』って言うの。
返事してもらえなくてもいい、そんなことでって思われても構わない。だってその言葉が誰かのきっかけになってくれたら、回り回って自分に返ってきてくれるかもしれないから」
「じゃあ、自分のためってこと?」
「そうだよ。
誰かへのお礼は、いつかの自分への贈り物。
だからメイコさんはリンちゃんとレンくんに、ちゃんとありがとうございましたって言って欲しかったんじゃないかな?」
目を輝かせ、納得した様子の2人が微笑ましく、つい漏れてしまう微笑みを手で押さえながら噛み締めた。
きっかけを作るのは大切だ。
私が昔の夢をもう一度目指すのも、優樹がきっかけをくれたから。手を伸ばしてくれたから。
「「玲於奈ちゃん、ありがとー!」」
「うん、それじゃあね」
すぐさま森の中へ消えていった2人を見送り、誰かのためにした事が自分に返ってくるなんて綺麗事かもしれない、とため息を吐く。
別に見返りを求めた訳じゃないけれど...... 玲央の依代として過ごした日々が私にくれたのは何だった?
1人の友人、兼相棒。
それ以上のものは無くて、少し強欲な考えにダメ出しをしようと思えば、何やら足元を這うふわふわとしたシルエット。
てちてちと両の足で地面を踏み締めるソレを手に取ってみれば、その姿はお世辞にも可愛らしいとは言い切れない。
「きみは...... 鳥、でいいのかな......?」
ピー、と二重の声で鳴いたのは首の長い鳥。
手のひらに収まる小さな背丈だが、なにより特徴的なのは普通とは決して言えないその姿。
羽根は四つ、その頭は二股に分かれ、元気のある片方に比べてもう片方は項垂れており、その目と顔には生気がない。
少し不快感を感じさせる見た目。
でも、不思議と目が離せなかった。
「きみ、大変じゃないの?」
その言葉に対し、鳥は首を振る。
翼が四つもあれば飛ぶこともままならず、2羽分の内臓が詰まっているのかアンバランスな胴体はその足で支えきれないほどの体重のハズ。
しかし強がるその姿を見て、羽根のふわりとした感触を感じながらその頭を撫でる。
「きみも自分の道で、大切な人を背負ってるんだね......」
つらいだけだよ、それは。
「──よし」
日にちが経ち、マンションを出てライブハウスに向かう── 前に、路地を抜けた先にある公園で軽く声を出して喉を温める。
事前の準備を怠るわけにはいかない、ちゃんと時間をとって喉を開いていけば、同じ道を通って糸目の男性が姿を現し、お互いに軽い会釈を交わした。
「ごめんね、隣失礼してもいいかな?」
「あ、どうぞ」
この人もイベントに参加するのだろうか?
どこか聞き覚えのある声にそう考えながらひとしきりの発声練習を終えると、今度は彼が喉を震わせた。
「──♪」
瞬間、それだけでもわかるレベルの違い。
そして思い出すのは前回のライブ終わり、他の参加者が話していた会話。
耳を澄ませて聞いてみれば『今RAD WEEKENDに最も近い男がいる』と。
確か名前は──
「遠野新......」
「──うん? なんだ、知ってるんだ」
練習であっても聞けばわかる高い水準、そう言われるのも納得だ。
......少し興味があった。
RAD WEEKENDを真面目に超えようとしている人、と言うのはそれほど多くない。何にしても大きすぎる壁、思い立つ前に折れてしまうのだろう。
その中で最も実力を持つ彼のことが。
「すいません、練習止めさせちゃって」
「構わないよ。
......顔は見たことある気がするんだよね、確か天里さんと一緒に出てた子の新しいペア、だったっけ?」
「福田玲於奈です」
「ああそっか! 前のイベントできかせてもらったよ。
それで? 何か話したいこと、ありそうだけど」
「ええ── 率直に、貴方から見て私達はどうですか?
RAD WEEKENDに辿り着く事はできるのか、聞いてみたいんです」
その言葉を聞いて、彼は少し雰囲気を変える。
後退りしたくなるような圧。それを一瞬だけ見せて、その表情を緩ませた。
「そうだね、君たちがRAD WEEKENDを目指してるって言うのは噂で聞いたよ。
その上で言うなら──
「......理由を聞いても構いませんか?」
「まあ納得できないか、じゃあわかりやすく言おう。
まずは君の相棒だけれど、彼は悪くない歌を歌うよね。経験が浅いからか粗いところはあるけど、さすが天里さんが見出しただけの事はあるね。
でも君には── 何がある?」
鋭い視線が胸を刺す。
「あのイベントに並ぶには一人一人、個人としての実力が必要だ。
だけど君の歌には響いてくる得手も、突き刺さるような鋭さも無い。表面は取り繕えているけど、中身の歌に熱が入ってないのさ。
相棒に頼り切りの、言うなればつまらない歌だね。」
「つまらない、歌......」
私の実力不足は、私自身が何よりわかっている。
才能はない、積み重ねてきたものもない、だからこそ努力だけは怠りたくなくて、何度も何度も碧さんの下で指導を受けてきた。
それでも足りないって言うのも──
きっと、優樹が倒れたのだって私の不甲斐なさが原因だ。
私が足りないから補おうとして無理をして......
それ、でも。
「──なら、つまらない歌なんて言われなくなるまで歌い続けます。
取り繕った表面に負けないくらい、熱が入るまで」
手を取ったからには諦めたくない。
夢をこの手に掴むまでは、折れたとしてもまた立ち上がり続けると、悔しさに少し涙を滲ませながら彼に対して向き直る。
「そう。まあ、期待してるよ」
練習に戻った彼に背を向け、ライブハウスへと向かう。
戦うんだ、夢の為に。
そうすればきっと、優樹の隣に立てる──
「──♪!」
「......なんだかなぁ、やっぱり相方がいなきゃいい感じには聞こえないよな」
立てる。
「──♪!!」
「RAD WEEKEND並ぶって、この調子じゃ無理だろ」
立てる、はず。
そう思ってイベントに参加し続けて、何度も打ちのめされて、決意に少しのヒビが入った頃。
本調子に戻って帰ってきた優樹に誘われ、彼の友人たちの参加するイベントを観賞する。
「VividBADSQUAD? これがお友達?」
「うん。小豆沢さんは本格的に歌い始めたのが玲於奈と同じで今年からだから、いい刺激になるかなって」
そう言って見せられたライブは、パフォーマンスも歌も、今の私では届きそうになくて──
少し、疲れてしまった。
「──♪」
「......ヤメ」
練習に勤しむ中、怪訝な顔をした碧さんの声がかかり、歌を止める。
彼女の視線はこちらの目をまっすぐ見据えていて、それが今の私の周りを埋め尽くした嘘を見透かしているみたいに感じて、つい視線を逸らす。
──今日は、2人でイベントに参加する予定だった。
私はそれから逃げたのだ。
心地のいい練習という場所に。
それでも彼女は問い詰める様子もなく、軽くスマホを操作してからのど飴を一粒二粒こちらに放り投げる。
「まあ、深くは聞かない。
どうせ周りと自分の差を見て辛いとか、客の反応で苦しいとかそんなんだろ。よくある事だ」
「......」
痛いほどに図星だ。
こんな所で本来は折れてしまってはいけない、と言うのはわかっている。私の夢を、その大半を優樹に担がせておいてこんな事をしていたら、どうしようもないことも。
「そう言う時は優樹を頼ってやんなよ。
アイツ、アンタが頼ってくれたことが嬉しかったから暴走してぶっ倒れたんだよ。
それはもちろん優樹のせいでアンタのせいじゃないけどね」
「えっ、嬉しかったって......」
「誰かの居場所になってやりたいんだよ。
アイツ、一番辛い時に誰にも頼らなかったから、似てるとこがあるアンタが自分みたいになって欲しくないんだろうね」
......私は。
私は、1人で抱え込んでいたのだろうか?
歌い続ければいつか追いつけるなんて思っていたけどそう上手くは行かなくて、べっきり折れてしまっていた私は。
「信じてくれる奴を相棒に持ってるんだ。
今日は今から行った所で間に合わない、きっと優樹1人でステージに上がるだろう。
アンタにできるのは、次は自分をどうやって動かすか考えることだけだよ」
そう言うと彼女は電話をかけ始め、通話が繋がるとすぐに音声をスピーカーに切り替えた。
少しうるささを感じる音の中、シーと口元に人差し指を当ててこちらにアピールすると、さも何事も無かったかのように喋り始める。
「結局どうした?」
『まあ、1人でやるかな。
仕方ないよ、そう言う日だってあるし、頑張るだけだから』
「そうかよ。
それで今後どうする?」
『どうするもこうするもないよ?
僕は玲於奈を信じてる。いつか立ち直って戻って来る時まで、ずっと信じて待ち続けるよ。
だって相棒だもん』
相棒。
私は、私は......!
『ああでも、そうだな。
もし戻ってきたらこれのお詫びに約束させるかも。
──何があってもnoisEを辞めないことと、RAD WEEKENDに並ぶんじゃなくて、超えるのを一緒に目指すんだって』
通話が切れ、それで? と碧さんが笑う。
私は決めた。
たった一つ、自分自身の道を。