消えぬ恐れの白き森   作:チクワ

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夢が無くても

 

「──数学かったりーわ、わかんねーもんマジで」

「なにそれ、バカのカミングアウト?」

「うっせ」

 

 そんなたわいの無い会話も。

 

「ねえ、これ見た? 新作だよ新作!」

「かっわいい! でも欲しいもの多すぎて無理〜

 バイト増やすしか無いかー......」

 

 こんな会話も。

 それらで包まれた空間こそが学校であり、勉強だけでなくこういう人同士の交流から社交性を手に入れ、社会で活かしていくのが人生の既定路線。

 ま、教室で行われる恒例行事であり、学生達にとって心休まる楽しい時間こそが、休み時間というもの。

 

 しかしその一方、全く休めていない人間もいる。

 

「......」

 

 やたらと姿勢よく座り、昼の時間だというのに食事しようとするそぶりも無く、真っ青な顔で口を固く結びながらキョロキョロと周りを見回して困惑しきりの不審者かと見まごう男性──

 天里優樹。

 僕だ。

 

 おかしい、こんなはずではなかった。

 少なくとも朝はいつもよりウキウキで電車に乗り込み、人の群れに飲み込まれながらも登校して、保健室の先生にお礼を言ってから教室に突入したはず。

 彰人くんもいるわけだし、まあ大丈夫だろうというテンションではあったが、それでもまあ希望に満ちた朝が何故、体調に支障をきたすレベルで苦しい昼へと変わっていったのか。

 

 それはなんと言えばいいのだろう。

 リサーチ不足...... というか、僕の楽観視が原因というか。

 まず、彰人くんの席と僕の席は結構離れていた。

 遠ければ遠いほど話しかけにいくハードルと言うのは大きくて、しかも彼自身、そちらから話しかけてくる様なタイプでは無い。

 しかも授業中めっちゃ寝ていたし。

 

 それならば近場の適当な人に声をかければいいのでは?

 そんなふうに考える人は多いだろう。

 しかしそれが通じるのは学校が始まってから数日、または数週間程度の、形が定まりきっていない時期のみ。

 そう、もうすでに友人グループは形成されてしまっているのだ。

 これが一番ダメで、僕は流石に楽しそうに話してる中に『俺も混ぜてよ〜』なんてする気概はない。普通に怖いし。

 まあそんなこんなで、教室というハードルはなかなか高かった。

 今更保健室に戻れば先生を悲しませるかもしれないと思うとどこにも行けず、こうして自分の机で小さくなっている。

 

 ......だが、しかしだ。

 別にこうやって教室にいること自体は、思ってたよりも楽にできている。

 それは何故か、と言われれば、ほんの少しだけ視点を変えたのだ。

 今までは周りの目線を気にして顔の傷を隠したり、自分を恥ずかしいものだと思っていたが、よく考えてみれば他人というのは思っていたよりも他人に興味がない。

 それこそスキャンダルですっぱ抜かれるような有名人ともなれば話は別だが、僕は有名でもなんでもないのだ、そんなのを気にする意味もないのではないか、と胸を張って来てみれば、意外にもその通り。

 周りは僕を見ないし、顔の傷とか居なかった理由を追求することもない。それのなんと過ごしやすく、快適な時間か。

 まあそれでも、周りの声にビビってしまうのが悪いクセだけれど。

 

「あ、いた!」

 

 ちょうど今、こんなふうに、だ。

 自分に向けられた声が耳に刺さり、膝に置いていた両手を胸の前まで跳ね上がらせる。

 どこからだろう、なんて思いながら視線を上げれば、廊下側の窓を開けて上半身を出している女の子と彰人くんの姿。

 手を振ってくれている姿に何か返さなくちゃと思って振った両手は力がない。

 口に出しはしないが── 呼ぶなら、もう少し小さな声が良かったな。

 

 

 

 

「──なるほど。じゃあ天里は、俺たちのセカイを彰人から聞いて知っているということか」

「なるほどねー

 メイコさんから『想いの数だけセカイはある』って聞かされてたけど、本当にいたんだ......」

 

 無理やり教室から引き出され、廊下ではなんだからと屋上に繋がる階段の踊り場。

 セカイ、という夢物語に近しい場所のことを容易く受け入れた── というよりも、もとより知っていた様子の2人に少し驚いた。

 生徒会の白石さん、そしてイケメンの青柳くん。

 あまり彰人くんとの関係性が浮かんでこない2人であるが、同じセカイにの事を知っているのならば、本当の想いが彼と同じなのだろう。

 身長のせいで隠れられない彰人くんの後ろからそんな2人の様子を窺っていれば、急に首根っこを掴まれて前へと押し込まれる。

 

「隠れてんなよ、堂々としとけ」

「いやその、初対面だし、あんまり3人の関係にでしゃばってもいい事ないかな〜って......」

「え、そんな事ないよ!

 むしろ天里くんの話を聞きに来たんだから!」

「彰人の『他のセカイに行った』という話に白石が興味を持ってな。

 それで来たんだが...... 迷惑ならやめておこう」

「い、いや全然! 迷惑とかそういうんじゃなくて、単純に初対面が苦手なだけでぇ......」

「それじゃあ教えて! そっちのセカイの事とか!」

 

 白石さんの輝きに目を細めながら、行き場のない手が胸の前でガチガチに固まってしまう。

 ここで『いやぁ無理ッス』とか言える人はいるのだろうか、いやいない。

 他人の期待とか、せっかく来てくれたという申し訳なさとか、そういうのを全部無碍にできるほど僕は自分勝手な獣にはなれないみたいで、観念した様に壁に寄りかかりながら、ちょっとずつ言葉を紡ぐ。

 白い森のこと、彰人くんを襲った獣のこと。

 

「うんうん、それで?」

「パン食べたりして...... あと、夢の話も聞きました。

 超えたいイベントある、って」

 

 こうやって親身に聞いてもらえることなど、この歳になってはそうそうあるものじゃない。

 保健室の先生は早く教室に復帰して欲しい、という心がその姿勢から見えて申し訳なくて、家にいる保護者と話しても距離を感じて当たり障りのないところで止めてしまう。

 彼らはそれとは全く違った。

 どこまでもフラットに、どこに向かわせようという相槌や返答もなく、聞いてくれるその姿勢が嬉しかった。

 

 そこに留まり続ける事を許されている、というか。

 今のままを良しとしてくれている彼らが優しくて、じんわりと心に癒着した恐れを溶かしていく。

 

「それで、テトの持ってる調味料が美味しいんです!

 機会があれば食べて欲しいなって」

「ああ、もし行けるのなら行かせて欲しい。

 ......それで言うなら、俺たちのセカイにいるメイコさんは料理がうまくてな。

 特にコーヒーは絶品だ」

「いいなあ...... 僕のところにいる2人、コーヒー苦手だから置いてくれないんですよね」

 

 きっと、他人が全員こういう人達ではない。

 話しやすい人、話しにくい人、それぞれが自分なりの何かを持っていて、それを擦り合わせていい方向に持っていく行為が会話。

 休み時間の階段、少しの温かさが心の恐怖を引き剥がしていって──

 

「あっ」

 

 安心した刹那、腹の音色が会話の全てを遮った。

 止まった時の中、僕の顔だけが何もかもを振り切って熱くなっていくのを感じる。いくらなんでもこれだけは、心を許した相手であっても恥ずかしくてたまらない。

 

「......お前、メシは?」

「今日無くて......」

「はぁ? そんなんじゃ午後持たねえだろ?」

 

 そう、今日はご飯がない。

 シンプルな話、僕も保護者も作る時間が無かったのだ。

 一応晩御飯まではどうにかなるだろうという希望的観測を持ってこの時間まで過ごして来たが、この瞬間に鳴り響いた腹の音がその全てを打ち砕く。

 

「購買でも行って──」

 

 彰人くんがパンでも買ってこい、と言おうとした矢先、昼休み終了のチャイムが聞こえてくる。

 残されたのは空腹の僕、あちゃーという様な表情の白石さん、心配そうな青柳くんにため息の彰人くん。

 

 こうなってしまっては取れる選択は二つ。

 午後の授業1発目をサボってセカイに行き、適当なものを貰って食べてくる選択と、このまま気合いで乗り越えるという選択しかない。

 結局は自業自得、ここは潔く後者を選ぼう。

 

「と、とりあえず午後も頑張って?」

「頑張りまーす......」

 

 

 

 

 ──まあ結果を見れば、なんとかはなったのだ。

 

 お腹が鳴るのを防ぎながらノートを取り、プリントに記入し、休み時間には水を飲み気を紛らわしながら過ごすという半ば修行の様な時間。

 それを乗り越えた先にあったのは解放感...... ではなく、今にも倒れそうな空腹感だけ。

 そんな中で僕が乗った電車は家に向かうものでは無く、その反対方向へと行くもの。

 右隣には青柳くんが座っていて、左隣では宮益坂の制服に身を包んだ小さい女性の姿があった。

 小動物らしさを感じる彼女は心配そうな目でこちらを気遣ってくれて、なんと持っていたのど飴をくれた。

 これがありがたくてしょうがない。

 

「小豆沢さん、ありがとう......」

「無理はしないでね?」

 

 そうして降りた駅から少し歩けば、なんだか活気のある街路へと出る。

 連れられるままに歩いていれば、目につくのはところどころの路地に見えるグラフィティと呼ばれる様なスプレーアートの群れ。

 建物だけで無く人も見てみれば、どこかパンクな雰囲気を醸し出している人が多いというか。

 

 ラッパー的な人が多い。

 もちろん見た目だけの話、本質はもっとちゃんとしているのだろう。別にラッパーがちゃんとしていないわけではないけど。

 そんな事を考えていれば、先頭を行っていた白石さんがとある店のドアを開けて『ただいまー』と元気のいい挨拶。

 喫茶店か何かだろうか、店先の看板にはWEG、『ウィークエンドガレージ』と。

 

「父さん、サンドイッチお願いしてもいい?」

「全員揃ってなんだ急に? ......っと、いらっしゃい」

 

 恐る恐る入ってみれば、恐らく白石さんのお父さんであろう人からの声に背筋を伸ばし、小さく会釈をする。

 木のテーブルや椅子が温もりを感じる、なぜか心の休まる場所というのが率直な感想。

 促されるままに席につき、水と一緒に口の中に残っていたのど飴を飲み込めば、聞こえて来たのは力強い歌声だ。

 奥の空いたスペースを見れば、若い人達......と言っても同年代くらいの人が思いを乗せて歌っている。

 楽しそうで、いいなあ。

 

「すごいね......」

「この街には夢を持った人が集まって、歌っているんだ」

「夢、か」

 

 夢とは。

 明確な目標、叶えたいもの、届かない幻。

 そういう類の、人なら一度くらいは考える人生を賭けるべきもの。

 小さなため息を吐いて聞き入っていれば、目の前に大きめのサンドイッチが現れる。

 まあまあデカくて具もたくさん、しかもお茶までついて来たという究極の待遇に唖然とし、ソレを指差しながら2度3度視線を行き来させると、店長さんは小さく微笑む。

 

「今日はお代も取らないから、今後ともよろしくな」

 

 すごい、これが大人の男か。

 これまで関わった大人の男たちの誰よりもかっこいいその所作に感激しながらも、昨日の夜ご飯ぶりに口の中に入ってくるのはパンとハムの旨み。

 空腹は最高のスパイスというが、ソレが無くてもこのサンドイッチは絶品だろう。

 連れて来てくれた4人に感謝だ。

 

「──そういえば、天里くんはギターを弾けるんだよね?」

「うん」

 

 サンドイッチを食べ終え、歌っていた人も撤収して少し。

 白石さんに聞いたのか、小豆沢さんのその言葉に小さく頷く。

 探せばネットにコードが転がっている今の時代、楽器をいじって楽しくやるだけなら、それは何よりも長続きする趣味。

 僕の場合はそれ以外にやることがない、という時もあるのだが、それでも練習する時間はちゃんと取っている。

 すると、そこに顔を出したのはカフェの店長── 謙さん。

 

「へえ、それならそこで演奏(やっ)てみるか?

 とは言ってもここにギターは無いけどな」

「......一応、持ってこれはしますけど」

「じゃあ都合がいい、聴かせてくれよ」

 

 ......まずったかな?

 この状況、言ってみれば余計な事を言った。

 確かにギターは持って来れる。

 一回店を出て人気のないところに行き、一度セカイに入ればそこに置いてあるのだ、家で使ってるギター。

 もちろんセカイの中でカイトが取り出したやつじゃない、正真正銘お父さんから貰ったものが。

 

 だから一応持って来れると言ったが、別に僕の演奏は上手いってわけじゃない。

 あまり他の人のを聞いたことがあるわけじゃないから多くは言えないが、きっとそこまでのものだ。

 だからここは断らせてもらおうと手を横に振るため、右手を胸の辺りにまで持ってくれば、それよりも先に青柳くんが飲んでいたコップを置いて口を開いた。

 

「確かに、俺も天里の演奏は聴いてみたい」

 

 待て。

 この話は僕と謙さんの一対一、加えて提案という形で僕の返答待ちだったはずだ。

 そこに青柳くんの意見が入ったらコレ多数決になっちゃう。

 

「私も!」

 

 白石さん......

 だんだん自分の顔が萎びていくのを感じる。

 多分粘っても、次は小豆沢さんが綺麗な声で『私も』って言うんだろうな。もう3対1だものな。

 もはや諦めの境地、横に振るはずだった手は力無く親指以外を折りたたみ、どこか元気のないサムズアップを作り出した。

 

「持って来ます......」

 

 

 

 

「曲はなんでもいいですか?」

「ああ、好きなのでいい」

 

 広めのスペースの中、ポツンと椅子に座ってギターのベルトを肩にかける。

 すでにチューニングは終わっていて、後は座ってこちらに視線と耳を傾ける彼らに対して演奏を聴かせるのみ。

 

 不安では、ある。

 でも恐怖はない。

 この場所がそうさせるのか、それともセカイで2人を前にして、彰人くんを前にして演奏したことが多少なり人前での披露というものに耐性をつけさせたのか。

 少なくとも、いつも通りで構わないことは確か。

 

「──♪」

 

 目を閉じ、情景を思い浮かべながら声を出す。

 僕に夢はない。

 だからここでさっきまで歌ってた人達が羨ましいし、この街で一度きりになるだろうとは言え、こうやって歌う権利があるのかどうかもわからない。

 でも、聴かせてほしいと言われた。

 だったらヤケクソでも冷静でも、僕は僕に向けられたその思いに応えるだけ。

 

 3分ほどの一曲を弾き終え、ゆっくりと弦から左手を離す。

 たった数人の、もしかしたら本心とは違うかもしれない拍手。

 帰りの電車で思い出し、沈みそうな太陽を見る。

 それを受けた時── 何かが心の内側で蠢いた様な、そんな気がした。

 

「......()()()()()

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