「──やあようこそ! 待ってたよ!」
風呂上がりのほてった体、その上から着込んだ服を撫でる冷たい風の心地いい白き森のセカイで、カイトが笑顔で僕を迎える。
その手にはトルティーヤと、具材を取るための小さなトング。
彼の向こう側では焚き火近くのテーブルに具材の乗った皿が用意されていて、そこではこちらに対して『しーっ』と人差し指を口の前へ持っていくテトとネルが、そこそこの勢いでつまみ食いをしていた。
いちいち指摘するつもりもないし、とスルーしようとすればネルが口に詰め込みすぎたものを豪快に吐き出し、さすがのカイトもそれには気づく。
「何してるんだい?!
優樹くんがくるまで我慢って約束したろう?!」
「も、もう来てるし......」
「来る前から食べてたねえこの減り方は!」
騒がしいな、なんて説教されている2人を見つめていると、すぐ横から目の前を瓶のコーラが通り過ぎる。
何かと思ってそっちの方向を見れば、優しげな微笑みでこちらを見る、バーチャルシンガーのメイコがいた。
「初めまして、優樹くん。
びっくりしたわ、いつもは余裕を持って物を頼んでくるカイトが、当日を期限にしてくるんだもの」
「初めまして。あと、いただきます......」
「ふふ、どうぞ」
蓋を開けて喉に流せば、優しい甘さとガツンとくる刺激。
つまるところ、アレだ。
カイトはタコスを落として落ち込んでるふうに見えた僕を気遣って、多少無理してでもこんなふうにタコスを作って食べれるような状況を作ってくれたのだろう。
......なんだか少し、涙が出る。
気を遣わせた申し訳なさよりも嬉しさの方が勝るなんていつぶりだろう?
「カイト」
「だいたいねえ、テトはいつも── っと、どうしたの?」
「ありがとう」
トルティーヤの上に鶏肉を乗せて、オニオンを更に上へ。
好きなソースをかけたらライムをかけて一息に食べてしまう、それがチキンタコス。
ワカモレやパクチーを一緒にしても美味い、それがタコス。
「あら、思ってたよりも......」
「美味しいね。
......そういえば珍しい、メイコがこうやってここでご飯を食べていくなんて」
「だっていつものキャンプご飯、シンプル過ぎてたまらないじゃない?
料理にしても何にしても、楽しい方が私は好きよ」
「つまらない料理を作って申し訳ございませんでした」
アメリカじゃあ火曜日にタコスを安売りするらしい。
バスケの選手はそんな火曜日に、家族との時間としてタコスをお腹いっぱい食べるんだとか。
もちろん、僕とこのセカイの人たちは家族じゃないし、ここはアメリカでもない。
それでも誰かと何かを食べること、というのは、心を許しあった証でもあると、そう思う。
いつのまにか来ていたポメラニアンのような獣も、肉を食べて上機嫌だ。生き物じゃないしご飯も食べなくていいのに肉食べるの? なんて野暮なことを聞いたりはしない。
そんなものでいいんだ。
しかし楽しい時間というのは早く終わるもの。
肉を食べては尻尾を振っていたポメラニアンの顔が一瞬で顰めっ面になり、森の方向へ2度3度と力強く吠える。
それはつまり、何かしらの獣がだれかと接触した、ということ。
以前は2度目に来た彰人くんがまた犬に怯えていた。
それを受けて立ちあがろうとしたカイトを制止し、椅子にかけていたダウンを身に纏って、ハンマーを固く握りしめる。
「今日はだらけてばっかりだったから、行かせて」
言ってしまえばお礼のようなものだ。
ここまでやってくれたことに対する、このセカイでできるお礼。
与えられっぱなしというのは、どうにも不安になってしょうがない。
それを察してくれたのか、彼は問うこともせず、またタコスに齧り付く。
──森の中を走る中、頭に過ぎるのは
つい先日、僕は彰人くん達、他のセカイを知っている人とメッセージアプリの交換をした。
何故か、と言われたら、彼らがここにくる時を把握するため。
みんなが不在の中、1人で来て、獣に襲われたら...... なんて考えたくもないこと。
それを防ぐ意味合いがある。
しかし、スマホに通知は来ていない。
つまり更に他のセカイから来た人がいる、ということもあり得るのだ。
「きゃ〜っ!」
声が聞こえる。
この感じからして女性だろう、なんだか違和感の感じる悲鳴を追いかけて鍵の間を抜ければ、そこにいたのは──
「──か、かわい〜っ!」
昼頃に見た2人と、なすがままに可愛がられているコーギー、そして猫であった。
「なるほど、じゃあここは......」
「そう、僕たちの...... ふぐっ、セカ、ぐえっ」
ある程度の説明を2人にしていると、膝の上に乗せていたポメラニアンがその前足を幾度となくこちらの顔へと向けてくる。
可愛らしいが、できれば今だけはやめてもらいたい。
すでに自己紹介を終え、聞く体制に入っていたピンク髪の彼女の膝上で、猫がぐっとその体を伸ばして、くるっと丸まれば、彼女は目を輝かせてソレを見た。
「ごめんなさい、ウチのセカイの猫が我が物顔で......」
「い、いや全然大丈夫よ!」
そう言って首を振った彼女、桃井愛莉の反応はちょっとだけ不思議だ。
猫が好きなのだろうことはわかる。
しかし数多猫が好きな人がいるとはいえ、ここまで感動した様子でその背中を撫でたり、手触りを噛み締めるように微笑んだりというのはなかなかあるものじゃない。
足元を走り回るコーギーにワタワタとしている方の彼女、花里みのりにそれとなく聞いてみれば、猫アレルギーなのだと。すぐさま腑に落ちた。
多分、猫の形をしているだけで猫ではないのだ。
恐怖が形を作り、模倣したものが獣。
それならば猫アレルギーの症状も出ないと考えれば、桃井さんの反応というものに理解を示すことはどんなことより容易い。
好きなのに触らないのって、結構辛いものだ。
「......よければ、好きな時に来て触ってってあげてください。
猫も懐いてるみたいですし」
「いいのかしら、他人のセカイに来て、それだけの用事なんて......」
「大丈夫ですよ、大したものはないので。
──あ、でも......」
提案をしたはいいが、前提を忘れていたことを思い出して顎に手を当て、考える。
そも、今回は襲われなかっただけ。
次に彼女達が来た時、別の獣が2人を襲わないという確証は無い。となれば連絡してもらってから来るようにして、このキャンプまで僕が連れてくることになるだろうが、時間の都合が合わない時もあるだろう。
そうなると、
それに彰人くんの時のようにキャンプまで来られてはどうしようもない。
どうにかならないものか、と考えながらポメラニアンの前足を顔に喰らっていれば、背後からモゴモゴとした声で『ふっふっふっ』と得意げな声。
そちらを見れば、タコスを片手に紙袋を差し出すメイコがいた。
「お困りのようね? そんな貴方にはコレ!」
「......笛?」
紙袋を受け取って包装ごと破り捨てれば、中から出てきたのはシンプルな見た目で出来た木製の笛。
首から掛けるためのストラップ付きで、携帯性も抜群、と言った感じだ。
「これを吹けば獣の苦手な音が出て、どれだけの群れに襲われても蜘蛛の子散らすように逃げていく、っていう代物よ!」
「熊よけの鈴みたいね......」
「えーすごい! どういう仕組みなんですか?」
「知らないわ」
「「「えっ」」」
「作った子から渡されただけだもの、私はそこまでわからないわ」
疑問の声をあげてしまったが、まあ、そりゃそうか。
あくまでメイコは売る側で作る側じゃない。
生産者と卸売、小売業者は違うもの。
ともかく、これで彼女達が来た時に襲われる心配はいくらか減ったわけだ。
彰人くん達にも渡せるようにメイコへもっと仕入れてもらうようにお願いをしていると、不意に大きめの腹の音が木々の間を抜けていく。
真っ赤な顔に、手で押さえたお腹。
その行動全てが、花里さんから聞こえてきたものであることを示した。
そう考えてみれば、彼女達の服装は日中と変わっていない。
ラッコのTシャツ、黒と黄色のトレーニングウェア。
あれから結構時間も過ぎていて、その間も運動していたのならばお腹だって空くだろう。
それにしても大きな音で、つい漏れてしまった笑みと声を小さく手で隠し、テーブルの上に残っていたタコスを差し出す。
「2人は嫌いな食べ物ってあります?」
「うぅ〜...... 私はブロッコリーが......」
「一応、レバーがダメね」
「じゃあ問題ないですね!
はい、どうぞ」
実はタコスという食べ物、おそらくだけれど栄養バランスがすこぶるいい。
だって野菜に肉に炭水化物だ、ちょうど1人一個くらいしか残りでは作れないが、それくらいなら運動をしていた彼女達にとっても
しかし、差し伸べた手のひらからタコスは受け取られない。
さすがに唐突だったか、なんて思いながら2人の顔を見れば、桃井さんはともかくとして花里さんの顔はわかりやすいほどに浮かばないものになっている。
その表情は焦燥、それに自分に対するちょっとした失望混じりのものだ。
「......何かあったんだ」
「うん、ちょっと失敗しちゃったことを思い出しちゃって......」
「それは、たくさん?」
「......」
沈黙が答え。
一度手に持ったモノを皿の上に置き、椅子から立ち上がって彼女の前に行き、そこで跪いてその顔を見上げる。
「やりたいことが上手くいかないと、焦る気持ちもわかるよ。僕も空回った事はある。
でも、そこまで思い詰めたり、何もないところの道でつまづいちゃうくらい自分を追い詰めなくてもいいんじゃないかな?」
「え......?」
失敗というのは辛い。
不安になるし、ソレをもう一度繰り返したくない、誰かに迷惑をかけたくないと徐々に心が恐怖を溜め込んでしまう。
でも、それで自分を縛りつけては、何にもならない。
「まずは自分の何がダメだったか、良かったかを理解する。
そしたら他人の思う改善点と自分の思う改善点を擦り合わせて、盲目に努力するんじゃなく、ちかくに目標を立てて努力しようよ。
『これも出来ない、あれも出来ない』で自分にしか出来ない事を見れないのは辛いから」
「そんなの、あるのかな......」
「あるよ」
その肯定に躊躇いはない。
誰にだってある。
たくさん失敗しても届けられるモノはあるんだと、僕は知った。
ウィークエンドガレージでギターの弾き語りをした時に、みんなが喜んだような顔を見せて聞いてくれた時── それがどんな意図であれ、こうやって音を紡ぐことが僕にしか出来ないことだと確信した。
それと同じように、花里さんにしか出来ない事は絶対ある。
まだ見つけられていないだけで。
彼女が何をしているのかを知らなくても、それだけは絶対だ。
足元を彷徨いていたコーギーを持ち上げ、まだ不安げなその顔に柔らかな肌触りを押し付けて、微笑みかけた。
「だから不安な顔はひと休みして、ごはんでも食べて今は笑おうよ!
下を向いたら具が落ちるから、
届いたか、前向きになれたか、それはわからない。
だけどタコスを手に取ってくれたから、まあ、良しとしようよ。
「「いただきます!」」
「はむっ...... んっ?!」
「あぶねっ」
彼女が噛み付くと同時に押し出されて落下した具をキャッチし、そのまま口に持って行き、サルサのついた指を軽く舐める。
「はは、やんちゃな食べ方だなぁ」
「──それじゃあ、また来る時は笛を持ってきてね」
「うんっ、ありがとうございました!」
帰り専用の小屋へと2人を送り、深々と礼をした花里さんに顔をあげてとその礼を遠慮する。
先に戻った桃井さんに追いつこうと穴の中へ飛び込もうとした時、彼女は急に穴の淵で思い止まったかと思えば、こちらに対して振り返った。
「その! よければ、『MORE MORE JUMP!』のチャンネルとアイド...... 元アイドルのななみんのチャンネルがコラボするので......!」
「もあ...... わかった、見るね。
......それとその、別に敬語じゃなくても全然大丈夫なので...... 同年代だし、多分」
「ええっ、そうなの!?」
いくらか元気を取り戻しこそすれ、彼女の全てが解決したわけではない。
どうか失敗の悩みが吹き飛ぶように祈りながらコーギー達とその背中を見送り、セカイから出て、家で言われたチャンネルを調べる。
見つけたのは、トップ層と比べれば当然多いわけではないチャンネル登録者数を持つチャンネル。
しかし企画等は楽しそうで、自己紹介の動画を見てから他の動画も見ようと気楽に再生ボタンを押して──
ある事実に気づき、体が硬直した。
「あ、あ、アイドル......」
彼女達はアイドルであった。
つまるところ、である。
僕はアイドルの腹と胸を事故とはいえ触ってしまったという事。
「ゔぇぇぇえ......!?」
もし、これから会うとして、どんな顔を合わせればいいのか。
これは当面の課題になりそうだ。
そんなこんなで悶えていると、家のインターホンが鳴り響く。
「はーい......」
こんな時間にこの家に来る人なんてたった1人しか居ないだろう、と保護者を迎えるためにモニターを見れば、そこには保護者ともう1人の男性。
酔っ払いの身内にダル絡みされている男の人は本当に面倒くさそうで、もう手っ取り早く開けて欲しいという感情が画質の悪いモニターからも伝わってくる。
「ごめんなさい、ちょっとこの人飲み過ぎてて話してくれないんですよ!
ほら先輩、家ですよほら!」
「んあぁ?! 家!?
ゆうきぃ、開けて〜! コイツ大丈夫だから! 開けても襲いかかったりしないからぁ!」
その言葉を受け、震える手で内鍵とドアノブを回せば、隙間から見えたのはやっと解放されると言いたげな男性の顔と、ひどい泥酔状態の保護者。
とりあえずベッドに寝かせる...... という逃げの選択を取ろうとすれば、彼女はこれでもかと酒臭い体を押し付けながら、まるで蛇のように力強く、見境なく僕たちに絡みつこうとする。
奮闘15分、ついに力尽きる形でベッドに寝かせることに成功し、リビングで男2人、くたびれて椅子の背もたれに体を預けた。
「いや、先輩の酒癖の悪さ、治んねぇんだねぇ」
「ご迷惑をおかけして......
──ど、どうかしました?」
軽い謝罪を込めて頭を下げ、視線を平行に戻せば、視界に入ってきたのはどこか疑いと期待のこもった男性の視線。
少しビクつきながらも問うてみれば、男性は少し考える様子を見せたのち、『ああ、なるほど!』と頭の上に電球が見えるようなリアクションでこちらのことを指差す。
「君、覚えてるよ!
昔お父さんと一緒にライブを見にきてくれただろ!?」
「えっ、ら、ライブ? ──あっ」
何を言ってるんだこの人は、と思ったのも束の間。
爆発するように蘇ってきた記憶の中に、確かにこの人はいた。
『──あのバンド、お父さんの後輩がいるんだ』
そう言って連れられてきたライブハウスは当時の僕には刺激が強く、轟音と閃光の中で耳を塞ぎながらも視線を向けたステージ上。
その人達を見るお父さんの目はどこか悲しさがあった。
「俺、
よろしくな、優樹くん!」
そして僕は── この視線の先に、予感を見ている。