龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十九の甲 三秦平定

 

 

 雍(よう)王章邯(しょうかん)は、漢軍の猛攻を切り抜けて、どうにかこうにか廃丘城へ逃げこんだ。

 しかし、兵は残り少(すく)なに討ち取られて、被害甚大(じんだい)。

 章邯(しょうかん)自身も、戦場で受けた矢傷が思いのほか深く、絶(た)え間(ま)ない疼痛(とうつう)に苦しめられている。

 

 こんな状態では、とても戦いにならない。

 章邯(しょうかん)配下の楚(そ)軍には、四方の門を固く閉ざして廃丘城に立てこもることしかできなかった。

 

 

   *

 

 

 翌日……

 韓信は、漢の大軍を前進させて、容赦(ようしゃ)なく廃丘を包囲した。

 そして廃丘城の各正面に仮設の要塞を構え、それを拠点として息も継がずに攻撃をしかけた。

 

 だが、廃丘城は天下無双の要害である。

 城の東西南北どの方向にも大きな山がそびえ立っているうえ、山の麓(ふもと)には大きな川まで流れている。

 ことごとく大軍の展開を邪魔する地形……

 そう簡単には落とせそうもない。

 

 韓信が、戦況を見ながら考えこんでいると……

 文官張倉(ちょうそう)と、博士(はくし)叔孫通(しゅくそんとう)が、やってきた。

 

「韓信大元帥」

「どうした?」

 

「廃丘の守りは固(かと)うございます。

 もしここへ司馬(しば)欣(きん)・董翳(とうえい)が三秦(さんしん)の大軍を催(もよお)して合流したら、いよいよ破(やぶ)ることが難しくなるでしょう。

 大元帥、どうか、よい計略を為(な)してくださいませ」

 

 韓信は、うなずいた。

「ああ。ちょうど今、私もそのことを考えていたところだ。

 すでに計略は、まとまった。

 見ているがいい。3日以内に必ずあの城を破(やぶ)ってみせよう」

 

 

   *

 

 

 その夜。

 韓信は、曹参(そうさん)を伴(ともな)ってひそかに山に登り、廃丘城を見下ろした。

 

「見よ、曹参(そうさん)。

 山の麓(ふもと)に川があるだろう。

 西北の山から流れてきて、廃丘城のまわりをぐるりと巡り、東南へ流れ出ている。

 濁(にご)りのない急流だ。水量もかなり多い……

 

 御辺(ごへん)は、千人ほどの兵を連れて、川上(かわかみ)の山へ向かえ。

 そして、川の中に砂嚢(さのう)(砂を詰(つ)めた袋)を積んで水を堰(せ)き止めよ。

 

 今は8月の半(なか)ば。秋の長雨の季節だ。(旧暦の8月は秋)

 秋水(しゅうすい)が漲(みなぎ)ったところを狙い、堰(せき)を切って、一気に水を流せ。

 

 私の方は、川の東南に砂嚢(さのう)を積んで、水の出口を遮(さえぎ)っておく。

 そうすれば、行き場をなくした水は、たちまち廃丘城内に流れこむ。

 城内の楚(そ)兵は、みんな魚の腹に収まってしまうだろう」

 

 

   *

 

 

 翌朝。

 廃丘城の章邯(しょうかん)は、部下から奇妙な報告を受けた。

「漢軍が、陣を高所に移し始めています」

 

「なんだと?」

 怪しく思った章邯(しょうかん)は、傷の痛みをこらえて城壁に登り、漢軍の様子を確認した。

 確かに報告通り、漢の大軍が陣をたたみ、山の上へ移動している。

 

「どういうことだ?

 城を攻めるなら、あのまま包囲しておいた方が良いだろうに……

 なぜあんな不便なところへ、わざわざ陣を動かしたのだ……?」

 

 と、章邯(しょうかん)が眉をひそめた……

 そのときだった。

 

 不気味な重低音が足元から突き上げるように響いたかと思うと、突如、四方から大水(おおみず)が押し寄せて、山を砕かんばかりの勢いで城の中に飛び込んできた。

 

 楚(そ)の人馬は慌て乱れた。

 誰もが必死になって逃げようとしたが、まにあわず……

 無数の兵が、激流に飲まれて溺(おぼ)れ死んだ。

 

 城内の地獄絵図を見おろしながら、章邯(しょうかん)は愕然(がくぜん)とした。

「まさか……これが韓信の計略!? 水攻めだというのか!?」

 

 章邯(しょうかん)が韓信の策を読めなかったのも無理はない。

 後世には広く活用された「水攻め」も、この当時は、まだ非常に珍しい戦術だったのだ。

 

 もはや、城内の楚(そ)軍は壊滅寸前。

 ここから劣勢を覆(くつがえ)すことは不可能……

 そう判断した章邯(しょうかん)は、歯噛みしながら号令を飛ばした。

「この城は、もうダメだ!

 生き残っている者は、北の門から泳いで逃げろ! 桃林(とうりん)の要塞へ向かうのだ!」

 

 かくして章邯(しょうかん)は、廃丘城を捨てて逃げ出した。

 ほうほうのていで桃林(とうりん)に転がりこんだとき、章邯(しょうかん)に従う兵は、わずか千人あまりを残すのみであったという。

 

 

   *

 

 

 この一部始終を、韓信は山の上から見物していた。

 廃丘城から楚(そ)軍が逃げ去ったのを見ると、韓信は曹参(そうさん)に命(めい)じた。

「東南の堰(せき)を切れ」

 

 もともとこの洪水は、人為的に下流を塞(ふさ)いで引き起こしただけのものである。

 出口をあけたとたんに勢いよく水が引きはじめ、ほんの半日ほどで、すっかり城は元通りになってしまった。

 

 こうして廃丘を落とした韓信は、城中に入って、まずは洪水で被害を受けた住民たちを救済した。

 その後で、勝利を報告し、劉邦を城へ迎え入れた。

 

 秦(しん)における劉邦の人気は、非常に高い。

 廃丘の住民たちは、

「漢王劉邦が秦(しん)に戻ってきた!」

 と、大喜びで劉邦を歓迎した。

 

 さらに、「劉邦、来たる!」の噂(うわさ)が風のように広まって、近隣の郡県が先を争うように帰順してきたのだった。

 

 

   *

 

 

 一方、同じ頃。

 三秦(さんしん)王の残り2人、塞(さい)王司馬(しば)欣(きん)と翟(てき)王董翳(とうえい)は、それぞれの居城において、あわただしく戦(いくさ)準備を進めていた。

 もちろん、廃丘城へ救援の軍勢を送るためである。

 

 ところが、まだその作戦会議も済んでいないというのに、耳を疑うような報告が董翳(とうえい)の元へ飛び込んできた。

「韓信が嚢砂(のうさ)の計によって廃丘を水攻めにしました!

 雍(よう)王章邯(しょうかん)様は、城を捨てて桃林(とうりん)へ敗走。

 漢の大軍が、廃丘城を占領してしまいました!」

 

 董翳(とうえい)は唖然(あぜん)とした。

「バカな!? もう廃丘が落ちたというのか!?」

 

 先述の通り、廃丘は自然の地形を活かした堅城(けんじょう)である。

 それが援軍の到着さえ待たずに陥落(かんらく)してしまうなど、完全に想定外の事態だった。

 

 董翳(とうえい)は、大慌てで大将李芝(りし)を呼んだ。

「李芝(りし)よ!

 韓信は、早くも廃丘を破(やぶ)ってしまった。その勢いは、すさまじいものがある。

 こちらも相当な数の人馬を用意せねば、勝つことはできまい。

 

 お前は、まず櫟陽(れきよう)の塞(さい)王司馬(しば)欣(きん)に使者を送り、こちらと力を合わせてくれるよう申し入れよ。

 それから彭城(ほうじょう)へも早馬を飛ばし、覇王項羽様に救援を求めるのだ」

 

 と、こう指示を飛ばした矢先に、さらなる凶報が舞い込んでくる。

「漢の大軍が、劉家(りゅうか)鎮(ちん)にまで押し寄せてきました!

 この城から100里(40km)ほどの距離です!」

 

 董翳(とうえい)は、額(ひたい)に焦(あせ)りの汗を浮かべて舌打ちした。

「速すぎる! もうそんなところまで……!

 大将耿昌(こうしょう)よ!」

 

「はっ」

「お前に副将呉倫(ごりん)と1万騎を与える。城外50里の地点に陣取り、敵を迎えうて!

 私は1万騎で30里のところに出て、後陣として備える!」

 

 

(つづく)




●注釈
 董翳(とうえい)が李芝(りし)に命(めい)じるセリフで、『まず櫟陽(れきよう)の塞(さい)王司馬(しば)欣(きん)に使者を送り、こちらと力を合わせてくれるよう申し入れよ』とある。
 この部分、「通俗漢楚軍談」では『まづ高奴(こうど)に使(つかい)を馳(はせ)て塞(さい)王司馬(しば)欣(きん)と力をあわせ……』となっている。しかし高奴(こうど)は董翳(とうえい)自身が都(みやこ)を置いている城であるから、そこへ使者を送るのはおかしい。
 同様の誤りは、他にも多数存在する。というより、次の第四十回冒頭に至るまで、全ての場所で櫟陽(れきよう)と高奴(こうど)が逆に書かれているのだ。
 第二十回の十八王の分封の場面では史実通り正しく書かれているから、単純に董翳(とうえい)と司馬(しば)欣(きん)の居城を取り違えたものと思われる。
 「西漢通俗演義」でもこの部分は同様に誤っているため、「軍談」はその誤りに気付かずそのまま翻訳してしまったのだろう。本作では訂正しておいた。
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