龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十九の乙 三秦平定

 

 

 韓信は、大軍を進めて高奴(こうど)城に接近した。

 高奴(こうど)まで残り50里というところで、行く手に敵軍の陣が見えてきた。

 耿昌(こうしょう)呉倫(ごりん)が率いる()軍の迎撃部隊である。

 

 韓信は、みずから軍勢の前に進み出て、()軍へ向けて声を張り上げた。

「我ら漢の天兵(てんぺい)は向かうところ敵無しだ! 汝らも無駄な抵抗はやめて、降伏してはどうだ!」

 

 対する耿昌(こうしょう)呉倫(ごりん)は、

「ふざけるな!」

 と怒声を発し、軍勢を駆り立てて攻撃を仕掛ける。

 

 韓信は冷静に片腕を()げた。

樊噲(はんかい)周勃(しゅうぼつ)。迎えうて」

 

「よっしゃあ! 行くぞ周勃(しゅうぼつ)!」

「おうよ樊噲(はんかい)!」

 

 土を蹴散(けち)らし嵐のごとく攻めかかる樊噲(はんかい)周勃(しゅうぼつ)

 漢の先鋒(せんぽう)()軍と正面衝突。たちまち刃が火花を散らす。

 

 兵は兵同士、将は将同士、一歩も退()かずに戦い合うこと20()(ごう)

 息つく暇もないほどの激戦の中、樊噲(はんかい)(ゆう)をふるって繰り出した刀が、ついに()耿昌(こうしょう)の肩をとらえた。

 

 ()飛沫(しぶき)をあげて馬から転げ落ちる耿昌(こうしょう)

 

 そのさまを見て、()の副将呉倫(ごりん)が青ざめる。

「いかんっ……! 退()け! 退()けーっ!」

 呉倫(ごりん)は慌てて馬を返し、撤退をはじめた。

 

 すかさず韓信が漢軍に(めい)じる。

「今だ!

 全軍、進め! 呉倫(ごりん)の軍勢を包みこんで押し潰せ!」

 漢の大軍が、呉倫(ごりん)の部隊に四方八方から(むら)がった。

 

 軍は、敗走しているとき最も脆弱(ぜいじゃく)になるものである。

 そのうえさらに自分たちより何倍も多い大軍に囲まれてしまっては、もはや、ひとたまりもない。

 呉倫(ごりん)の兵は、みるみる削り取られていった。

 

 と、その時。

 後方で(ひか)えていた(てき)董翳(とうえい)が、呉倫(ごりん)を救出すべく打って出た。

 

 董翳(とうえい)は手勢を前進させ、呉倫(ごりん)(かば)うように漢軍の正面に出て、韓信めがけて大声を響かせる。

 

「汝、(また)(くぐ)り男め!

 章邯(しょうかん)様が(やぶ)れたのは、何かのまちがいだ!

 それを貴様は、たまたま運よく勝利を拾ったくらいで調子に乗りおって……

 この私が兵を動かせば、貴様などは、あっというまに捕虜(ほりょ)になってしまうぞ!」

 

 韓信は、笑って言い返す。

董翳(とうえい)よ! お前などは、章邯(しょうかん)下僕(げぼく)に過ぎないではないか。

 私は、ただ一戦で章邯(しょうかん)天誅(てんちゅう)を加えた男だぞ。あまり大口(おおぐち)を叩かないほうが良いのではないか?」

 

 董翳(とうえい)は、韓信の挑発を最後まで聞きもせず、

「おのれッ!」

 と激怒して突進した。

 

 董翳(とうえい)が、一直線に韓信へと接近し、槍をひねって突きかかる。

 韓信もまた(げき)を舞わせて、戦うこと5、6合。

 

 とはいえ、さすがに董翳(とうえい)は歴戦の勇士。

 韓信ていどの腕前では勝負にならない。どうにか攻撃を受け流すだけで精一杯である。

 

 と、そこへ。

 左右から、樊噲(はんかい)周勃(しゅうぼつ)が馬を鞭打ち駆けつけた。

「大元帥! いま助けるぞ!」

董翳(とうえい)、覚悟せい!」

 

 漢軍きっての猛者(もさ)2人に挟まれ、董翳(とうえい)は一気に窮地(きゅうち)へ追い込まれた。

 2対1では勝ち目がない。そう判断した董翳(とうえい)は、サッと馬を返して逃げ出した。

 

 そのときである。

 逃げようとする董翳(とうえい)の行く手……その山陰(やまかげ)から、いきなり漢軍3千騎が(おど)り出た。

 漢の大将辛奇(しんき)灌嬰(かんえい)が指揮する伏兵である。

 

 董翳(とうえい)が驚き、思わず馬を止める。

「あっ!? 退路を……(ふさ)がれた!?」

 

 そう。辛奇(しんき)たちは、あらかじめ高奴(こうど)東の小道から回りこみ、董翳(とうえい)の退路を断つべく待ち伏せていたのだ。

 

 ここまで全て、韓信大元帥の思惑(おもわく)通り。

 董翳(とうえい)を挑発し、突出(とっしゅつ)させ、退路を(ふさ)いで包囲する……

 韓信が仕掛けていた罠に、董翳(とうえい)は、まんまとハマってしまったのである。

 

 董翳(とうえい)(ひたい)に焦りの汗を浮かべた。

 後悔してももう遅い。漢軍は、太鼓の音を大地が震えるほどに響かせて、四方から董翳(とうえい)の方へ押し寄せてくる……

 

「くそォッ!」

 董翳(とうえい)は、毒づきながら漢の軍勢へ突っ込んだ。

 逃げ場はもうどこにもない。ならばイチかバチか、漢軍の包囲を突き(やぶ)って囲みの外へ出る以外に道はない。

 

 董翳(とうえい)は、右へ左へと槍をふるって漢軍の中を駆け抜けた。

 董翳(とうえい)は、(しん)の名将章邯(しょうかん)の片腕として戦ってきた強者(つわもの)である。

 それほどの男が死を覚悟で奮戦(ふんせん)すれば、ただの兵卒に止められるものではない。

 董翳(とうえい)脂汗(あぶらあせ)と返り血にまみれながら、(から)くも包囲を突破した。

 

 だが、ふと気が付けば、董翳(とうえい)の周りには誰もいない。

 配下の兵は、途中で残らず討ち取られてしまったのだ。

 

 董翳(とうえい)は、焦りと不安で胸をざわつかせながら、高奴(こうど)城へと、ひた走った。

 とにかく城に逃げ込めば、態勢を立て直せるはずだ。

 

 しかし。

 そんな(はかな)い希望は、容赦なく打ち砕かれた。

 孤立した董翳(とうえい)の前に、またしても漢軍が壁となって立ちふさがったのである。

 

 もちろんこれも韓信のしわざ。

 董翳(とうえい)の逃げる経路を先読みして、何重にも追手(おって)を配置していたのだ。

 

「くそぉっ!」

 毒づきながら逃げる董翳(とうえい)

 

 漢軍は、董翳(とうえい)を追い回しながら、声を合わせて呼びかける。

「降伏しろ!」

董翳(とうえい)! 董翳(とうえい)!」

「おい董翳(とうえい)!」

「もう(あきら)めろ! はやく降伏しろ!」

 

 ここまで董翳(とうえい)は精一杯に戦ってきたが、味方の兵とはぐれ、援軍のあてもなく、周囲には十重(とえ)二十重(はたえ)に敵が(むら)がっている……

 董翳(とうえい)の心は、ここで折れた。

 

「……どうにもならん」

 董翳(とうえい)は馬から飛び降りた。

「私はもう力尽きた! 漢に降伏したい!」

 

 こうして、抵抗をやめた董翳(とうえい)は、漢兵たちの手で縛りあげられたのだった。

 

 

   *

 

 

 董翳(とうえい)は、縄をかけられたまま、韓信の前へ引き出された。

 董翳(とうえい)の表情は暗い。

「私の(いのち)もここまでか……」

 という、深い(あきら)めが見て取れる。

 

 そこで韓信は、董翳(とうえい)に歩み寄り、みずからの手で董翳(とうえい)の縄をほどいてやった。

 さらには、

「さあ董翳(とうえい)殿。上座(かみざ)に座られよ」

 と、丁重に座を(すす)めさえするのである。

 

 董翳(とうえい)は、慌てて地面に拝伏した。

「私は、国をなくした捕虜です。(いのち)を助けていただいただけでも感謝しきれないのに、これほど重く礼節を尽くしてもらうわけには」

 

 韓信が、薄く微笑(ほほえ)む。

董翳(とうえい)殿。御辺(ごへん)(しん)の名将だ。

 一度は()に仕えて王に(ほう)ぜられたが、今、心を入れかえて漢に帰順(きじゅん)なさった。

 

 おかげで三軍はもう槍や矢を浴びずに済むし、人民も安心して暮らせるようになる。すばらしい決断です。

 すでに御辺(ごへん)は漢の臣。どうして私と御辺(ごへん)で身分の上下などを差別する必要がありましょうか」

 

 これを聞くと、董翳(とうえい)は感動に打ち震えた。

 殺されるとばかり思っていたところに、この丁重な扱いである。董翳(とうえい)にはもう、ひたすら(こうべ)を垂れることしかできなかった。

「おそれいりました……

 ()を捨てて漢王に降伏いたします。

 これからは、命をかけて韓信大元帥の(めい)に従いましょう」

 

 韓信は、深くうなずいた。

「よい心がけだ。

 もし御辺(ごへん)が功績をあげたなら、またきっと王に(ほう)ぜられるだろう。

 

 さて、それでは、さっそく御辺(ごへん)に働いてもらいたい。

 今、(さい)司馬(しば)(きん)櫟陽(れきよう)城にいる。

 漢の大軍が攻めかかれば、司馬(しば)(きん)は城を出て防戦するに違いない。

 

 そうなれば兵に死傷者も出るし、司馬(しば)(きん)の首も飛んでしまう。

 そもそも、人々に苦労をかけるようなやり方は、良い兵法とは言えない。最良の兵法は、軍勢を動かさずに勝つことなのだよ。

 

 そこでだ。

 御辺(ごへん)司馬(しば)(きん)の戦友であろう。

 御辺(ごへん)から書簡(しょかん)を送り、司馬(しば)(きん)に降伏を勧めてくれたまえ。

 

 もしおとなしく降伏するなら、漢王劉邦様は、今まで通りの官位を保証し、必ず重く用いてくださる」

 

 董翳(とうえい)は、うなずいた。

「分かりました。

 それでは韓信大元帥、まずは高奴(こうど)城に入り、住民を安心させてくださいませ。

 それがしは、大将の李芝(りし)という者を櫟陽(れきよう)(つか)わし、司馬(しば)(きん)に利害を()いて降伏させようと思います」

 

「よろしい。そうしよう」

 

 韓信は、兵を進めて高奴(こうど)へ入城した。

 すると、どうであろう。「漢軍が来た!」と聞いた高奴(こうど)の民衆は、門の上に降伏を意味する旗を立て、(こう)まで()いて、漢軍を迎え入れたのである。

 

 韓信は、城へ入るなり、すぐに全軍に通達した。

「決して高奴(こうど)(たみ)に乱暴をしないように」

 

 厳しい軍法のおかげで漢の兵士たちが略奪(りゃくだつ)に走ることもなく、高奴(こうど)の民衆は、みんな安心して喜んだのだった。

 

 

(つづく)

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