龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

102 / 197
三十九の丙 三秦平定

 

 

 一方。

 櫟陽(れきよう)城の(さい)司馬(しば)(きん)は、漢軍の侵攻を防ぐため、城外30里ほどの地点に陣をかまえていたのだが……

 

 そこへ、予想だにしない人物が現れた。

 董翳(とうえい)配下の大将、李芝(りし)である。

 

 司馬(しば)(きん)は、すぐに李芝(りし)を陣中に入れて対面した。

李芝(りし)よ、なぜお前がここに? 董翳(とうえい)に何かあったのか?」

 

 李芝(りし)は、董翳(とうえい)から預かった書簡(しょかん)を差し出した。

 司馬(しば)(きん)が開いてみると、その書に(いわ)く――

 

(てき)董翳(とうえい)(さい)王の麾下(きか)に再拝して申し上げる。

 

 君も覚えているだろう。かつて(しん)は無道であったから、諸侯が離反し、()兵が侵攻してきた。

 ()の勢いに(かな)わず追い詰められた我々は、章邯(しょうかん)様の(めい)に従って、()に降伏したのだ。

 あのときは、ああする以外にどうしようもない状況だった。

 

 ところで今、漢王劉邦が(しん)に進出してきた。

 漢王は心が広く仁義を大切にする人物で、度量(どりょう)も大きいから、天下の人々が心を寄せている。

 

 思えば、かつて義帝は約束したのだ。「先に関中に入った者を王とする」と。

 だが、()の項羽が約束を(やぶ)り、劉邦様を漢中の南鄭(なんてい)に左遷した。

 

 いつの世も、天命は徳のある者に下される。

 それが証拠に、漢軍は東征(とうせい)を始めてから向かうところ敵なしではないか。

 

 韓信の用兵術は、(いにしえ)の兵法者、孫子や呉子を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 桟道(さんどう)を修理すると見せかけて、陳倉(ちんそう)(どう)から(ひそ)かに攻め寄せ……

 知略によって散関を取り……

 廃丘を水の底に沈めて……

 

 まるで(むしろ)を巻き取るように、いとも簡単に城を落としていく。

 勢い破竹(はちく)の如しとはこのことだ。

 

 私は、天意に従って、すでに漢に投降した。

 (いのち)を保証され、賓客(ひんきゃく)としての待遇を受けているし、王の爵位(しゃくい)(たも)てている。

 

 司馬(しば)(きん)よ。君は孤立してしまっている。

 おそらく、このままでは城を守り切ることはできまい。

 私と君は、唇歯(しんし)間柄(あいだがら)……唇と歯のように近く親しい関係ではないか。寒さも温かさも、ともに味わってきた仲ではないか。

 君も降伏したまえ。2人で同じ船に乗り、一緒に生き延びよう。

 

 ここに幕賓(ばくひん)李芝(りし)を差し向け、書簡(しょかん)を送って申し上げる。

 (さい)王よ、どうか私の言葉に耳を傾けてくれ――不宣(ふせん)

 

 司馬(しば)(きん)は、書簡(しょかん)を読みながら、目を見張った。

 そして読み終わったとたん、激怒して書簡(しょかん)を引き()き、怒鳴(どな)り散らした。

 

董翳(とうえい)……情けない奴!

 董翳(とうえい)は負けたかもしれんが、わしは負けてはいないぞ! 戦いもせずに(また)(くぐ)り男に降伏するなど、男のすることではない!

 おい! 誰か、このバカをつまみ出せ!」

 

 と、司馬(しば)(きん)李芝(りし)を追い出すよう部下に(めい)じた。

 

 李芝(りし)は、左右の腕を兵士につかまれて、嘆きながら言う。

(さい)王様! あなたの兵力は数万人。大将も、わずかに3、4人を(よう)するのみです!

 章邯(しょうかん)様も董翳(とうえい)様もすでに敗れて、他に味方はおりません。

 覇王項羽は、はるか遠くの彭城(ほうじょう)に留まっていますし、近隣の国からの援軍も望めない。

 

 そのうえ(さい)王様は、計略では韓信におよばず、武勇では樊噲(はんかい)(かな)わない。

 とうてい勝ち目はありませんぞ!

 

 いったん敗北してしまえば、我が家にも戻れず、故国にも(とど)まれなくなる……そうなってから後悔しても遅いのですぞ!」

 

 司馬(しば)(きん)は、火のように目を怒らせて、剣を抜いた。

「貴様ァ! わしには知恵も勇気も無いというのか!?

 よかろう。ならば樊噲(はんかい)()()りにし、韓信を誅殺(ちゅうさつ)してみせよう。

 その後で貴様の首も()ねてくれる!」

 

 李芝(りし)は笑った。

「はっはっは!

 いやいや。漢軍を打ち破るとか、樊噲(はんかい)や韓信を()()りにするとか、そんな(おお)げさなことは、なさらずともよろしい。

 

 もし漢の兵士をたった一人でも()()りにできたなら、私の首を()ねていただいて結構!

 私は少しも(うら)みませぬ。

 

 しかし……

 私の推測では、(さい)王様は、最初の一戦で韓信の手に落ちてしまうでしょうな」

 

 これを聞くと、司馬(しば)(きん)は、ますます怒って李芝(りし)を縛り、(とら)えてしまった。

 そして、配下の大将劉林(りゅうりん)(おう)守道(しゅどう)の2人に1万騎あまりを(さず)けて先陣とし、司馬(しば)(きん)自身は4万騎で後陣に(そな)え、漢軍の待つ高奴(こうど)城へと押し寄せていったのである。

 

 

   *

 

 

 李芝(りし)の部下たちは、(あるじ)が捕縛されたと知ると、慌てて高奴(こうど)へ逃げ帰った。

 彼らが董翳(とうえい)に報告する。

司馬(しば)(きん)は、書簡(しょかん)(やぶ)り捨て、李芝(りし)様を拘束してしまいました。

 さらには、軍勢を進発させて、この城へ急速に接近しております!」

 

 董翳(とうえい)は、このことをすぐさま韓信にも伝えた。

 

 韓信が、機嫌よく笑う。

「はっはっは!

 無知の匹夫(ひっぷ)司馬(しば)(きん)め、私に戦いを挑んできたか。

 まな板の上の肉のようなものだ。この私が、あっというまに()()りにしてやろう」

 

 ほどなくして、城外の見張りから報告が入った。

司馬(しば)(きん)が5万騎あまりで押し寄せてきました。

 ここから50里(20km)ほどの場所に陣取っております」

 

 これを聞いて、黙っていられなかったのが樊噲(はんかい)である。

 樊噲(はんかい)は、司馬(しば)(きん)が「樊噲(はんかい)()()りにしてやる!」と気勢(きせい)を挙げていたと聞いて、(はらわた)を煮えくりかえらせていたのである。

 

「韓信大元帥! どうか、俺を出撃させてくだされい!

 司馬(しば)(きん)の野郎、俺をバカにしやがったそうじゃありませんか。

 奴をここへ引きずってきて、侮辱された(うら)みを(そそ)いでやる!」

 

 韓信は、にやりと笑う。

「その意気(いき)やよし。

 では、御辺(ごへん)に必勝の計を(さず)けてやろう」

 

 韓信は、樊噲(はんかい)の耳元へ口をよせて、何かヒソヒソと耳打ちした……

 

 

   *

 

 

 さて、その夜。

 樊噲(はんかい)は、董翳(とうえい)の陣を(おとず)れた。

 

「なあ董翳(とうえい)殿。

 司馬(しば)(きん)ってやつは、なんであんなに無礼なんだ? 貴公の書簡(しょかん)を引き()き、李芝(りし)牢獄(ろうごく)にブチこんでしまったそうじゃないか。

 早く司馬(しば)(きん)()()りにしないと、貴公は、いい笑いものですぞ」

 

 董翳(とうえい)の表情は暗い。

「おっしゃる通りで……まったく、(あか)(ぱじ)です……

 しかし、どうやって司馬(しば)(きん)を捕まえればよいものやら」

 

 樊噲(はんかい)は言った。

「こんな手はどうかな?

 まず、貴公の一族の誰かを縛らせてほしい。

 

 で、俺が100人ほどの兵と一緒に、夜中にこっそり司馬(しば)(きん)の陣に行く。

 そして『()に降参したい。手土産として董翳(とうえい)の一族を捕らえてきました』と、もちかけるんだ。

 司馬(しば)(きん)はきっと信じるだろう。

 

 夜が明けたら、貴公は司馬(しば)(きん)に攻撃をしかけてくれ。

 俺たちは司馬(しば)(きん)の陣の中にいて、不意打ちで司馬(しば)(きん)を捕まえてやる。

 そうすれば、総大将を失った()軍は、完全に混乱してしまうだろう」

 

 董翳(とうえい)が目を輝かせた。

「おお! すばらしい計だ! 貴公が考えなさったのか?」

 

 樊噲(はんかい)が、照れて頭を()く。

「いやあ、実は韓信大元帥の入れ知恵で」

 

 董翳(とうえい)は苦笑した。

「なるほど、さすがですなあ。

 そういうことなら、長男の董式(とうしき)を縛るのがよいでしょう。

 董式(とうしき)は武勇に優れた男でしてな。私にとっては大事な嫡男(ちゃくなん)でもある。これを捕らえて行けば、司馬(しば)(きん)は、きっと信用します」

 

 樊噲(はんかい)は大いに喜び、ただの兵卒のような姿に着替えた。

 そして董翳(とうえい)の長男の董式(とうしき)を縛り、大将陳武や精兵100人とともに、夜中に司馬(しば)(きん)の陣へ忍んでいったのである。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。