龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

104 / 198
四十の甲 張良再び

 

 

 漢王劉邦は、櫟陽(れきよう)城に入った。

 

 三秦(さんしん)(みやこ)、廃丘・高奴(こうど)櫟陽(れきよう)。その3つを、韓信は、いともあっさりと攻め落としてしまった。

 韓信の度重(たびかさ)なる大功に、劉邦は大喜びだった。

 

蕭何(しょうか)相国(しょうこく)が、大元帥の才能をいつも()めていたっけなあ。本当に蕭何(しょうか)の言う通りだったな!」

 

 韓信は、微笑しつつ言う。

「臣の能力ではありません。漢王様が天よりさずかった威光があればこそ、これほどの速さで三秦(さんしん)を平定できたのです」

 

 劉邦が、にやり、と唇を上げた。

「またまた、謙遜(けんそん)しちゃって!

 それで韓信よ。三秦(さんしん)を平定したんだから、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)は、もう手の中につかんだようなもんだろう?

 いつ咸陽(かんよう)に進むつもりなんだ?」

 

 韓信は、一転して表情を引きしめた。

 それほど甘い状況ではない、と、冷静に見通していたのである。

咸陽(かんよう)を取ること自体は簡単です。

 しかし、廃丘を捨てた章邯(しょうかん)が、桃林(とうりん)に陣を構えております。

 

 漢軍が咸陽(かんよう)へ向かえば、手薄になった廃丘を、章邯(しょうかん)がすぐさま取り返すでしょう。

 そして、あの険阻(けんそ)な要害を拠点として、こちらの兵糧(ひょうろう)輸送路を遮断(しゃだん)する策に出るに違いありません。

 そうなれば、我らは大変な危機に(おちい)ります。

 

 よって、先にこの(うれ)いを()つ必要がある。

 

 漢王様は、しばらく櫟陽(れきよう)に留まり、周囲の郡県を慰撫(いぶ)して味方につけてくださいませ。

 その間に、臣が軍を(ひき)いて桃林(とうりん)に向かい、章邯(しょうかん)誅殺(ちゅうさつ)します。

 その後で咸陽(かんよう)を取り、漢王様を(みやこ)へお迎えいたしましょう」

 

 というわけで、その翌日。

 韓信は、曹参(そうさん)周勃(しゅうぼつ)陳武(ちんぶ)辛奇(しんき)の4将を(ともな)い、1万騎あまりの兵で桃林(とうりん)へと出発した。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ、桃林(とうりん)章邯(しょうかん)は、廃丘奪還(だっかん)に燃えていた。

 

 先日の(いくさ)で受けた矢傷が、ようやく(ふさ)がり、痛みも軽くなってきた。

「これなら戦える!」

 と、章邯(しょうかん)は元気を取り戻し、軍議を重ねていたのである。

 

 そこへ、物見(ものみ)からの報告が舞い込んだ。

「韓信が動きました!

 みずから軍勢を(ひき)いて、桃林(とうりん)へ接近しております!」

 

 章邯(しょうかん)は、すぐに大将たちを集めた。

(また)(くぐ)り男の韓信め。一度の勝利では満足できず、またも攻め寄せてきている。

 お前たち! 力を(ふる)って、先日の(うら)みを(すす)いでやれ!」

 

 しかし、大将の孫安は、異論を唱えた。

章邯(しょうかん)様……

 今は、この桃林(とうりん)城をひたすら固く守るべきです。

 ()の覇王様からの援軍が到着するのを待ち、その後で出撃いたしましょう。

 軽々しく戦いに出たら、また(また)(くぐ)り男の計略にハメられてしまいます」

 

 この孫安は、先日の(いくさ)でも慎重に行動し、韓信の罠をうまく回避した男である。

 あのとき、もし孫安の判断がなかったら……章邯(しょうかん)()ち取られて死んでいただろう。

 

 そえゆえに、章邯(しょうかん)も孫安のことは認めていた。

 だが、孫安の意見に従えない事情もある。

 

「孫安よ。わしとて、援軍を待った方がいいのは百も承知だ。

 しかしな。何度も早馬を飛ばして救援を求めたというのに、覇王項羽様の援軍は、いまだに到着しないではないか。

 

 いつ来るか分からない援軍をアテにはできん。

 もし漢軍に城を包囲されたら、兵糧(ひょうろう)が尽きて、我ら全員捕虜(ほりょ)とされてしまうだろう。

 停滞(ていたい)すれば死あるのみ……生きのびる道は、速攻以外にない」

 

 章邯(しょうかん)の言うことも、至極(しごく)もっとも。

 彼らは、籠城(ろうじょう)して安全策をとる余裕さえないほど追いつめられているのだ。

 これには、孫安も納得して口を閉ざすことしかできなかった。

 

 かくして方針は定まった。

 章邯(しょうかん)は、(りょ)馬通(ばとう)季良(きりょう)季恒(きこう)・孫安などの大将たちと、5千騎の兵を(ひき)いて、打って出たのだった。

 

 

   *

 

 

 章邯(しょうかん)()軍は、城外にて韓信の漢軍と対峙(たいじ)した。

 緊迫(きんぱく)した(にら)み合いの中、韓信は、軍勢の前に馬を進めて、みずから()軍へと呼びかけた。

 

章邯(しょうかん)

 あれほどの惨敗(ざんぱい)(きっ)して廃丘城を失ったのに、まだ私と戦うつもりなのか?

 すぐに降伏するなら、(いのち)は保証するぞ!」

 

 章邯(しょうかん)は激怒した。

「黙れ(また)(くぐ)りッ! 卑怯(ひきょう)な策ばかり(ろう)してないで、たまには気持ちよく戦ってみせい!」

 

 章邯(しょうかん)が馬に(むち)を入れ、猛然と韓信へ襲いかかる。

 対して、韓信の後ろからは樊噲(はんかい)曹参(そうさん)周勃(しゅうぼつ)が打って出て、章邯(しょうかん)の前へ立ちはだかった。

 

 これを見た()軍の陣から、(りょ)馬通(ばとう)季良(きりょう)季恒(きこう)・孫安の4将が、

章邯(しょうかん)様を孤立させるな!」

 とばかり、一斉に駆け出て(いど)みかかる。

 

 真正面から激突する()軍と漢軍。

 両軍入り乱れて火花を散らし、(つづみ)の声が天(ふる)わせる。

 

 刃を交わすこと数十合。

 ここまでは互角の形勢に見える……が。

 

 韓信の、氷のように()えた目が、戦況の小さな変化をとらえた。

()軍の後方に、わずかな陣形の揺らぎがある……

 あのあたりの敵将は、(りょ)馬通(ばとう)か。

 我が軍の攻撃を支えきれなくなっていると見た!」

 

 韓信は、すぐさま腕を振り上げ、鋭く(めい)じた。

辛奇(しんき)! 陳武(ちんぶ)

 敵陣の後方、(りょ)馬通(ばとう)隊を狙って突撃せよ!」

 

 実戦における軍の指揮とは、具体的に何をする仕事なのか?

 その要諦(ようてい)はとどのつまり、予備戦力をいつ、どこへ投入するか……その判断に尽きる。

 

 戦いの第一線から一歩離れたところへ、機動力のある部隊を待機させておき、これを臨機(りんき)応変(おうへん)に動かすことで、(いくさ)の流れを制御(せいぎょ)する。

 それこそが、戦闘指揮の基本にして真髄(しんずい)である。

 

 その意味で、韓信の指揮は完璧だった。

 ()軍の微妙なほころびを誰よりも早く見抜き、そこを狙って、すばやく精鋭を突っ込ませたのだ。

 

 ()(りょ)馬通(ばとう)は、ここまで漢軍の猛攻を必死に防ぎ止めていたが、そこへ辛奇(しんき)陳武(ちんぶ)隊の攻撃を浴びて、ついに突破を許してしまった。

 

 1ヶ所が崩れると、あとは早い。

 ()軍の陣形はまっぷたつに分断され、たちまち崩壊し始めた。

 

 章邯(しょうかん)が、戦況の変化を(にら)んで、眉間(みけん)にシワを寄せる。

「崩されたか……ここまでだな。

 撤退(てったい)! 全軍撤退(てったい)だ! 桃林(とうりん)城に逃げ込め!」

 

 さすがに歴戦の名将章邯(しょうかん)、引き(ぎわ)の判断も機敏(きびん)だった。

 (めい)を受けた()軍が、なだれ打って城へと敗走しはじめる。

 

 だが、逃げる()軍の目の前に、漢軍が壁となって立ちふさがった。

 退路は、すでに辛奇(しんき)陳武(ちんぶ)によって遮断されていたのである。

 もちろん、これも韓信の指示。

 

 章邯(しょうかん)(あせ)り、足を止める。

「くっ……どうすればいい!?」

 

 そのとき、大元帥韓信の号令が、漢軍の中を駆け抜けた。

「今だ! 曹参(そうさん)周勃(しゅうぼつ)、進め! 章邯(しょうかん)を包み込め!」

 

 こうなっては、もう、おしまいである。

 ()軍は四方を漢の兵に囲まれ、なすすべもなく()り潰されはじめた。

 章邯(しょうかん)自身も、右へ左へと追い回され、次々に兵を()ち取られていく。

 ふと気付けば、周囲の味方は、ほんの数十人を残すのみ……

 

 この激戦のさなか、章邯(しょうかん)が突然、

「ぐうッ……!?」

 と、うめいた。

 

 章邯(しょうかん)袖口(そでぐち)から、赤黒い血が(つた)い出る。

 先の戦いで受けた右肩の矢傷が、再び開いて血を吹き出し始めたのである。

 

 赤く染まった指から、槍が地面に(ぬめ)り落ちる。

 耐えがたいまでの激痛。章邯(しょうかん)は、顔面にびっしりと脂汗(あぶらあせ)を浮かべた。

 

「……もはやこれまで。

 だが!

 この章邯(しょうかん)(また)(くぐ)り男にひざまずく恥辱(ちじょく)は受けぬ!」

 

 章邯(しょうかん)は、叫びながら剣を抜くと、自分の首を掻き切り、自決した。

 

 そばにいた()季良(きりょう)季恒(きこう)も、

「あっ! 章邯(しょうかん)様っ!」

 と叫んだところを、漢兵の槍に貫かれて、死んでしまった。

 

 一方、(りょ)馬通(ばとう)と孫安は、章邯(しょうかん)の死を見るなり、馬から飛び降りた。

「待てっ! 我々は降伏する! 攻撃をやめてくれ!」

 

 かくして、章邯(しょうかん)配下の()軍は、韓信の前に完全敗北したのだった。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。