龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十の乙 張良再び

 

 

 韓信は、

「引き上げの(かね)を鳴らせ」

 と(めい)じて、戦闘を停止させた。

 天地を震わすほどに響いていた人馬の声が、(しお)の引くように収まっていく。

 

 しばらくすると、降伏した(りょ)馬通(ばとう)と孫安が、韓信の前に引き出されてきた。

 

 韓信は穏やかに言う。

「汝ら2人、よくぞ降伏を決断した。これは天命(てんめい)に従う行いだ、恥じることはない。

 章邯(しょうかん)も、早く降伏していれば、こんなところで死ぬことはなかったろうにな」

 

 孫安は、深く、うなだれた。

「はい……

 それがしは、たびたび(いさ)めたのですが、章邯(しょうかん)は自分の武勇をたのみとするばかりで、耳を貸してくれず……

 ついに今日の敗北に(おちい)ってしまいました」

 

 韓信が問う。

「それで、桃林(とうりん)城の守備兵は、どれほど残っている?」

 

 (りょ)馬通(ばとう)が答える。

「兵は500人たらず。他は百姓(ひゃくしょう)ばかりです。

 我ら2人が行って、城門を開かせましょう。おそらくもう、城兵にも抵抗する気力はありますまい」

 

 その言葉通り、(りょ)馬通(ばとう)と孫安の働きかけによって、桃林(とうりん)城の門は、あっさりと開かれた。

 

 韓信は城内に入って民衆を治めると、翌日には、早くも劉邦の待つ高奴(こうど)城に引き返していった。

 

 

  *

 

 

 韓信が(いくさ)顛末(てんまつ)を報告すると、劉邦は、おおいに喜んだ。

 

 降将の(りょ)馬通(ばとう)・孫安は、ここで劉邦に引き会わされた。

 ひれ伏す2将に対して、劉邦はニコニコと上機嫌。

「2人とも安心しな! 今日からお前たちは俺らの味方だ。

 重く用いるから、しっかり働いてくれよ!」

 

 (りょ)馬通(ばとう)・孫安が退出を許されると、すぐさま韓信が劉邦に奏上(そうじょう)した。

「さて……

 ついに章邯(しょうかん)が滅び、背後の(うれ)いは消え去りました。

 今こそ臣は、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)を落としに行ってまいります」

 

 かくして、韓信(ひき)いる漢の大軍は、(まん)()して、咸陽(かんよう)へと進発したのである。

 

 

   *

 

 

 このとき咸陽(かんよう)の守備についていたのは、司馬(しば)()呂臣(りょしん)という2人の()将だった。

 

 つい先日「漢軍が三秦(さんしん)を取った」と聞いて、彭城(ほうじょう)の覇王項羽へ救援を求めたばかりなのに、早くも次なる急報が飛び込んできた。

「漢の大軍が攻めて来ました! すでに扶風(ふふう)咸陽(かんよう)の少し西)にまで来ています!」

 

 咸陽(かんよう)城内の大将たちは、激しく慌てふためき狼狽(ろうばい)し、ツバを散らして対策を議論しはじめた。

 

 司馬(しば)()が声を震わせる。

「覇王様の援軍もまだ来ない。我らは小勢(こぜい)だ。一体どうすればいい!?

 韓信は、あの強大な三秦(さんしん)を、あっというまに攻め取ってしまった男だぞ。

 

 しかも最近では、咸陽(かんよう)の民衆が『漢王が来た!』と聞いて、首を長くして到着を待っているしまつ。まるで父母を慕うようにな。

 こんな状態で韓信に攻められたのでは……

 一体どうやって防げばいいんだ!」

 

 呂臣(りょしん)が言う。

「とにかく、救援を求める使者をもう一度送ろう。()に日を継いで彭城(ほうじょう)まで走らせるんだ。

 確かに我らは小勢(こぜい)だが、力を尽くして城を守っていれば、いずれ范増(はんぞう)亜父(あふ)が手を打ってくださるに違いない」

 

 なんとも頼りない消極的な策ではあるが、他にどうしようもない。

 司馬(しば)()呂臣(りょしん)は、咸陽(かんよう)の城門を固く閉ざし、ひたすら防御に(てっ)し始めたのだった。

 

 

   *

 

 

 韓信が咸陽(かんよう)に到着したのは、そんな時のことだった。

 城に接近すると、韓信は、まず斥候(せっこう)を放って、咸陽(かんよう)城の様子をうかがわせた。

 

 その報告は、こうである。

「城の守将司馬(しば)()呂臣(りょしん)は、城から出ずに固く守って、救援の到着を待っております」

 

 韓信は、無言で考えた。

「ふむ……咸陽(かんよう)城郭(じょうかく)を力攻めで破ることは、なかなか難しい。ここは計を用いて、素早く攻略するべきだな」

 

 そこで韓信は、つい先日降伏したばかりの元()将、(りょ)馬通(ばとう)を呼んだ。

(りょ)馬通(ばとう)よ。汝は、漢に(くだ)ってから、まだ何の功も為していないな。このあたりで一働きしてみるか?」

 

「は。私にできることでしたら……」

 

「よし。では(りょ)馬通(ばとう)よ。お前は、配下の元()兵を連れて、咸陽(かんよう)城の前に行け。

 そして、項羽から与えられた印信(いんじん)批文(ひぶん)印鑑(いんかん)入りの身分証明書)を城の守将に見せ、『我々は彭城(ほうじょう)からの救援部隊だ』と(いつわ)って、城門を開かせるのだ。

 

 私は伏兵を置いておき、門が開いたのを見計(みはか)らって、城内に攻め入らせる。

 この計が上手くいったなら、咸陽(かんよう)攻略の功績は、全て汝のものだぞ」

 

 (りょ)馬通(ばとう)は、表情をくもらせた。

「あの……大元帥のご命令に(そむ)くつもりはありませんが、その計略は難しいかと……

 私が(さず)かった批文(ひぶん)は、ずいぶん前のものです。日付がまったく違いますから、すぐに偽物と見抜かれてしまうでしょう」

 

 韓信は、ニヤリと笑った。

「それもちゃんと考えてある。

 酈生(れきせい)の部下に、文士李昞(りへい)という男がいる。この男が、そういう書類を改竄(かいざん)する達人なのだ。

 批文(ひぶん)をここへ持ってまいれ。李昞(りへい)(めい)じて書き改めさせよう」

 

 というわけで、李昞(りへい)が韓信の前に呼び出された。

 (りょ)馬通(ばとう)()軍の批文(ひぶん)を持ってくると、李昞(りへい)は、批文(ひぶん)の上に、そっと筆を滑らせた。

 息を飲むような緻密(ちみつ)な作業が、しばらく続き……

 

「できました」

 と李昞(りへい)が示した批文(ひぶん)を見れば、見事に日付が書き換えられている。

 (すみ)の濃淡といい、字の(くせ)といい、もともとあった文字と全く見分けがつかない。

 後から改竄(かいざん)されたなどとは夢にも思わぬほどの、自然な出来栄(できば)えである。

 

 韓信は批文(ひぶん)を見ると、限りなく喜んだ。

「よし。これなら確実に城兵を(だま)せよう。

 では(りょ)馬通(ばとう)。副将孫安と兵5千人に()兵の格好をさせ、()の旗を立てて行け。

 

 まずは咸陽(かんよう)の北側、涇水(けいすい)渭水(いすい)小路(こみち)を通って大きく迂回(うかい)し、咸陽(かんよう)東南の覇陵(はりょう)へ向かうのだ。

 覇陵(はりょう)側から咸陽(かんよう)に近づけば、さも東方から駆けつけたかのように(よそお)えるだろう。

 

 そして樊噲(はんかい)周勃(しゅうぼつ)靳歙(きんきゅう)陳武(ちんぶ)。お前たちには1万の精兵を(さず)ける。

 (りょ)馬通(ばとう)の後ろを、ゆるゆるとついていき、城門が開くのを見たら一気に城へ攻め込んで、漢の赤旗を立てよ!」

 

 

   *

 

 

 作戦通り、(りょ)馬通(ばとう)涇水(けいすい)渭水(いすい)の小路から覇陵(はりょう)の道へ出た。

 そして、東の彭城(ほうじょう)から来たふうに見せかけ、()の旗を先頭に立てて咸陽(かんよう)に近づいていく。

 

 咸陽(かんよう)斥候(せっこう)が、(りょ)馬通(ばとう)軍に気づいて、守将の司馬(しば)()呂臣(りょしん)に報告した。

「覇王項羽様の援軍が到着したようです!

 覇陵(はりょう)方面から、()旗幟(きし)を立てた軍勢が、しずしずと近づいてきております!」

 

 待ちに待った援軍である。

 司馬(しば)()呂臣(りょしん)は、大喜びで城壁へ登った。

 見れば、()の旗を(かか)げた軍勢は、もう城門の目の前まで来ている。

 

 司馬(しば)()が、城壁の上から呼びかけた。

「援軍であれば、覇王様の印信(いんじん)批文(ひぶん)をお持ちでしょう! お見せいただきたい!」

 

 すると、城門の前に、援軍の大将が……つまり(りょ)馬通(ばとう)が進み出てきた。

「おう! いま批文(ひぶん)を打ち込みます! ご確認あれ!」

 

 (りょ)馬通(ばとう)は、矢に批文(ひぶん)をくくりつけて、城壁の上へ打ち上げた。

 落ちた矢を拾った主将呂臣(りょしん)が、封を開けて中を見ると……確かに項羽の印が入った批文(ひぶん)である。

 

 呂臣(りょしん)は、司馬(しば)()の顔を見て、うなずいた。

「うん、間違いない。本物の批文(ひぶん)だ。

 よーし! 城門を開け! 援軍をお迎えせよ!」

 

 門が開くと、司馬(しば)()呂臣(りょしん)が、援軍を迎えるために城外まで出てきた。

「よくぞ来てくださった! 援軍の兵力は、これで全てですか?」

 

 (りょ)馬通(ばとう)が言う。

「いや、我々は前陣ですよ。後陣の本隊が後からついてきております。

 このまま門前で後陣の到着を待ち、合流してから城内に入ることにします」

 

 というわけで、しばらく待って、日暮れの頃……

 遥か彼方(かなた)の山すそから、後陣の1万騎が、馬煙(うまけむり)を立てて接近してきた。

 

 咸陽(かんよう)主将の司馬(しば)()は、後陣が予想外に多いので、驚いた。

「これは大軍だ! 今日いきなり城に入られたら対応しきれんな」

 

 そこで司馬(しば)()は馬を走らせ、後陣に駆け寄りながら大声をあげた。

「おーい! 後陣の方々、いったん止まってくだされ!

 受け入れ態勢がまだ整っておりませんので、入城は明日にして……」

 

 と、そのときである。

 後陣の中から大将6、7騎が飛びだし、司馬(しば)()に駆け寄るなり刀を舞わせた。

 

「えっ!?」

 と驚く司馬(しば)()

 その首が、一刀のもとに()ね飛ばされる。

 

 後陣の軍勢はそのまま怒涛(どとう)のように咸陽(かんよう)城へ押し寄せ、門番を斬り、呂臣(りょしん)()ち、城内へと攻め込んだ。

 

 後陣の先頭に立っていた大将が、天地を震わせるほどの声を響かせる。

「我らは項羽からの援軍ではないっ!

 俺は漢の大将樊噲(はんかい)! そしてこっちは周勃(しゅうぼつ)! 咸陽(かんよう)の城兵たちよ! おとなしく降伏すれば(いのち)は助けてやるぞ!」

 

 咸陽(かんよう)の兵は、震えあがった。

 

 もともと咸陽(かんよう)では、劉邦の人気が高い。

 そのうえ、守将2人もすでに斬られ、城内への侵入まで許してしまったのだ。もはや咸陽(かんよう)の兵は、戦意を完全に失っていた。

 

 城内の軍勢が、声を揃えて叫ぶ。

「漢王劉邦様は仁徳の君です! どうか降伏させてください!」

 

 こうして、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく咸陽(かんよう)は落ちた。

 樊噲(はんかい)は大いに喜び、あちこちに漢の赤旗を立てて、降伏してきた兵や咸陽(かんよう)の民衆たちを(いたわ)って安心させたのだった。

 

 

(つづく)

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